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高齢者が肺炎で入院すれば寿命が短くなる

高齢者が発熱で苦しんでいると、家にいても施設にいても、誰かがその高齢者を病院に連れてきます。もし肺炎だと分かると、ほぼ自動的に入院になります。高齢者だと誤嚥性肺炎の可能性が高いので、入院初期は絶食とされます。食事をして、また誤嚥したら、肺炎が治らない(と考える医者がいる)からです。栄養は点滴から入れられ、多くの患者さんは一人で横になる時間がいつも以上に長くなります。退院した時、肺炎は治っていますが、入院前より体力が落ち、認知能力が下がり、嚥下能力が下がり、日常生活能力(ADL)が下がります。必然的に、余命も短くなります。

肺炎で入院しても、することといえば、抗菌薬の点滴くらいです。現在なら、点滴の抗菌薬と同等の内服の抗菌薬がまずあります。それをもらって、家で治せばいいだけです。非定型肺炎なら抗菌薬すらなくても、本来の免疫力で通常治ります。万一、点滴が必要だとしても、点滴だけ受けに病院に通えばいいだけです。入院する必要はありません。

肺炎に限らず、入院になると、必ずと言っていいほど点滴を行う病院が日本には多くあります(私の病院がそうです)。高齢者の肺炎、消化器系疾患での入院なら、絶食になり、点滴栄養になるのが普通です。食事するにも筋肉が必要です。3日運動しないと筋肉が落ちるように、3日食事していないと嚥下能力が下がります。嚥下能力が低くて、誤嚥したから肺炎になった患者を、絶食にさせて、さらに嚥下能力を下げる、というバカみたいな方法が、日本の誤嚥性肺炎の標準治療です。

たとえ健康な人でも、一日中ベッドで横になって無為に過ごし、点滴で栄養をとっていれば、体力は落ちますし、免疫力は落ちますし、消化能力は落ちますし、頭は鈍くなります。入院は、病気を治す点では有効かもしれませんが、質の高い人生を送る点では有害ですし、寿命を縮めます。

だとしたら、肺炎だからといって、入院させなければいいのですが、日本ではそれが難しいです。帰宅させて、その肺炎が悪化して亡くなった場合には責任問題になる、と医療者側が恐れているからです。その可能性は、高齢者だと低くありません。もちろん、上述の通りに病院でも家でも、できる治療にそれほど差はないので、家に帰して亡くなったとしたら、入院しても亡くなっていた可能性が高いです。だから、責任問題になる方がおかしいですが、多くの日本人はそれを理解し、納得できるでしょうか。

私が高齢者になって発熱で苦しんだとしても、まず病院には行きません。かりに行って肺炎だと分かったとしても、入院は拒否して、抗菌薬の処方を希望します。そちらがより長生きできるし、質の高い人生を送れると分かっているからです。

手術の時以外は入院しない、という患者さんに私は会ったことがあります。その患者さんは、つい先日100才になりました。その患者さんを長年訪問診療している医師も私も「もし発熱のたびに病院に行っていたら、患者さんは100才までは生きられなかった」という点で意見が一致しています。

「入院したから寿命が短くなることがある」とは、多くの人が夢にも思っていません。しかし、私の病院ですら「入院したら日常生活能力が下がります。だから、入院はお勧めしません」と医者が伝えることはよくあります。救急外来にいたら、1日1回、多い時は5回、この言葉を聞きます。それでも、ほとんど場合、患者さん(とその家族)は在宅での治療よりも入院治療を希望してきます。おそらく、医者の真意が伝わっていません。医者の言葉が、患者さんの常識とあまりにかけ離れているため、理解できていないように私は思います。

だから、あえてこの記事で書かせてもらいました。入院したから寿命が短くなることは確実にあります。