未来社会の道しるべ

新しい社会を切り開く視点の提供

闇に葬り去られたいじめ、非行事件の被害者たち

文科省公表のいじめ件数を見ると、いじめの定義を変えるたびに、いじめ件数が激増して、それから次のいじめ定義の変更までいじめ件数が毎年減少していくサイクルを繰り返しています。こんな文科省のいじめ件数統計があてにならないのは間違いありませんが、1994年以降については、いじめの定義変更まで、いじめ件数が減少しているのは納得できることもあります。統計的な証拠はありませんが、バブル絶頂期の1990年前後がいじめ問題、非行問題の最低最悪の時期で、それ以降、いじめ問題は少しずつ改善してきていると私は推測しているからです。これは文科省による功績だけでなく、警察による暴力団対策も影響しているのでしょう。

いじめ問題が解決に向かっている、さらにいえば「日本は世界で始めて、いじめ問題を解決できる国になるかもしれない」とまで私に思わせたのは、2012年の大津中2いじめ自殺事件です。前回の記事でも紹介した「少年リンチ殺人」(日垣隆著、新潮文庫)を読んでいる私にしてみれば、正直、この事件は大騒ぎするような問題に思えませんでした。「またか」という程度の認識しかなかったのです。しかし、世間の良心は違っていました。

2011年にいじめにより大津市で中2生徒が自殺した後、学校側はいつものように事件を隠蔽しようとしました。事件後の記者会見で校長は「いじめはなかった」と証言しています。実際は、事件前から学校側に保護者は「いじめがある」と報告していましたし、なにより生徒本人が電話で担任教師に訴えていました。事件後の生徒アンケートでも「集団リンチにあっていた」「万引きをさせられていた」「自殺の練習をさせられていた」などの証言が100以上ありました。

学校側はそれら全てを無視しています。それどころか、「いじめと認めたらマスコミで叩かれるから、認めなくてよかった。まずは内部で、いじめで亡くなったと思わないことだ」と教師同士で話し合っていたようです(「大津中2いじめ自殺事件」(共同通信社会部、PHP新書)参照)。加害者、つまり殺人犯の母親にいたっては、「アンケート内容は断片的でアテにならないものだ」と批判ビラを配布しており、保護者会で「軽々しくいじめの烙印を押されて、それで反省していないって。鬼畜なんですか、私の息子は!」と叫んだそうです。

その息子は被害者が自殺した翌日、遅刻して登校し、いじめた子たちとニヤニヤ笑い、死を悼むそぶりも見せず、被害者の机の上にゴミを置いたりして、楽しそうにトランプで遊んでいました(同書参照)。その異常な保護者会で「もちろん、アンタの息子は鬼畜だ! いや、鬼畜以下だ!」と叫び返す親はいなかったようでした。それどころか、この保護者会後、「いじめ前提の指導は必要ない」「冤罪だったらどうするんや」という空気もできて、加害者の少年たちにろくな指導もしなかったそうです。加害者の少年たちは少年院に送られることもなく、警察は被害者遺族からの被害届を3度も受け取り拒否しています。

「少年リンチ殺人」(日垣隆著、新潮文庫)を読めば分かる通り、凶悪ないじめ事件、非行事件がこんな風に闇に葬り去られるのは珍しくありません。1980年~2000年代前半の間、人が死んだ事件だけでも500件はあるでしょう。そのごく一部が世間に知られているに過ぎません。その事実は、現在の30代か40代の日本人は全員死ぬまで覚えておく責任がありますし、社会道徳的観点でいえば、全員がその罪を償う責任があります。