未来社会の道しるべ

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大津中2いじめ自殺事件

前回の記事の続きです。闇に葬り去られるはずだった大津中2いじめ自殺事件の状況が一変したのは、2012年7月です。既に事件から1年近く経過していたのに、共同通信社の記者が「自殺の練習をさせられていた」情報に、今更ながら「1986年の葬式ごっこ事件」を思い出し、周回遅れのスクープを出してからです。他のマスコミ各社も、大津中2自殺事件の悲惨さ、異常さを次から次へと報道するようになりました。それまで事件を穏便に済ませることを最優先にしていた学校側も、この報道ラッシュを無視することは許されなくなり、再度、記者会見を行います。今でもその時の記者会見はyou tubeなどで観ることができますが、そこでの校長は時にうすら笑いを浮かべ、事件の深刻さを感じているようにはとても見えません。その後の保護者会でも、校長は「こんな騒ぎになったことをお詫びします」と耳を疑うような発言を最初にしました。当然、「騒ぎになったことではなく、まず自殺した少年に詫びるべきでしょう!」と保護者から批判の声があがります。ようやく、保護者会にもまともな道徳観が漂うようになりました。これまで自殺事件の報告を受けても学校同様に全く重視していなかった大津市教育委員たちは、報道が過熱した当初「家庭の問題もあったでしょう」と責任逃れをしていましたが、それが世論の非難に拍車をかけました。ついに、教育長がさいたま市の高校生にハンマーで頭を殴られる事件まで発生しましたが、教育長は加害者を責めることもせず、いじめ事件に不適切な対応があった、と認め、辞任しました。国は学校や市教育委員を「当事者能力を欠く」と判断して、直接文科省の職員を派遣して、さらに警察にも積極的に関与するように言いました。それまで3度も被害届を受理していなかった滋賀県警も、学校と市教育委員に強制捜査をして、暴行、器物損壊、窃盗などの13件を立件しました。社会的制裁は法律的制裁以上に過酷で、今でもいじめに関わった少年たちの実名や顔写真は簡単にネットで調べられますし、その両親の名前や職業まで公開され、引っ越し先もネット上に載っています。

言うまでもなく、1年間もいじめ事実を認識していたのに、ろくに報道しなかったマスコミに正義の味方面をする資格はありません。マスコミに扇動された時だけ、義憤にかられる大衆は抑制されるべきです。また、ハンマーで殴る、ネット上で真偽不明な個人情報が晒されるなどの私的制裁が許されては、法治国家は成り立ちません。そんなことは私も十分承知しています。

しかし、それらを全て考慮しても、この社会的制裁には私にとって、正直、胸がすく思いでした。いじめ事件についての法的制裁は、その非道さ、その凄惨さに対して、あまりに軽すぎます。これまでのいじめをテーマにした私の記事や、いじめ事件の本を10冊以上読んだ方なら、それは納得してもらえるはずです。本来なら、いじめ事件は全て、これくらいの社会的制裁を受ける程度の罪があると私は考えています。問題なのは、マスコミで取り上げられたこの事件だけが、社会的制裁を受けていることです。だから、社会道徳的観点からいえば、いじめ被害者救済法を成立させて、これまで存在した全てのいじめ事件について、加害者たちに適切な社会的処分を行い、被害者たちに償いを行うべきだ、と私は考えています。同様の陰惨ないじめ事件、少年少女非行事件がこれまで無数に存在し、それで死亡した人たちがいること、今でも傷ついている人たちがいること、そして、そんな悲劇を生んだのはいじめを容認や黙認していた社会全体の責任であることは、最低限、認識しなければなりません。