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密室政治・稟議制批判

私が高校生の時、天文部の予算会議に出席することがありました。出席者は天文部の部長の私と副部長、生徒会役員の2人の計4人です。天文部の年間予算額は既に書かれており、その根拠を私が聞くと、生徒会役員はあいまいな説明をしました。しばらく話してみて、その生徒会役員が天文部の予算を変更する決定権がないと分かってきました。会議というのは名ばかりで、実際は、生徒会役員が天文部にこの予算を了承してもらう説得の場でした。話すだけムダだと分かったので、「この予算を決めた人を連れてこい」という天文部副部長の捨て台詞を残して、その場を去りました。

これは一例ですが、会議で物事を決めず、密室で物事が決まる制度(稟議制※)が日本で蔓延しています。「日本改造計画」(小沢一郎著、講談社)などの多くの本では、実は国会も実質的な議論を行っていない儀式の場になっていると批判されています。NHK国会中継を見ても、与党が野党の愚痴を聞いて、説得しているだけで、結局は、与党案が賛成多数で可決されていると分かるはずです。

国会ですら議論されずに決まっているとなると、実質的な議論はどこで行われるかというと、与党内です。与党が自民党であれば政策部会と総務会という場で議論されますが、まず非公開です。テレビや新聞で、与党内の議論が報道されることはまずなく、たまに「与党有力者の話によると」と匿名情報として、マスコミに漏れる程度です。

これでは国民に政治の本質が見えません。誰がどういう理由で、こんな政策を提言しているのか、さっぱり分かりません。国会で議論できない理由はなんなのか、建前抜きに本音で議論したらどうなるのかも謎です。

日本と同じく議員内閣制のイギリスやフランスでは、国会は公開の議論の場です。日本のように密室政治が蔓延していません。

上記のように小沢一郎も国会の儀式化を批判していたので、小沢も所属した2009年の民主党政権誕生時には「党内事前審査制」を廃止しました。しかし、「日本の国会議員」(濱本真輔著、中央公論新社)によると、民主党政権でも、国会で議論する方式はうまく機能しなかったようで、結局、菅直人政権から党内事前審査制は復活したようです。

「日本の国会議員」では、どうして日本だと国会が議論の場にならないのか、党内事前審査制が必要なのか、考察していますが、制度以外の問題も大きいようです。「なぜ日本人は討論下手なのか」に書いたように、日本人全体の道徳観や社会観の低さも大きい理由だと私は推測します。

 

※私はこのような密室政治を稟議制とよく呼んでいますが、稟議制は密室政治を意味するとは限らないようです。