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5千円札と1万円札を使用不可にしても支持率7割

最近のインド本を読むと必ず出てくるモディの高額紙幣廃止政策は、「13億人のトイレ」(佐藤大介著、角川新書)にも書かれています。外国人を含むインド通貨を使う全ての人の生活を大混乱に陥れた政策だったので、インドに関わりにある人はどうしても書きたくなるのでしょう。

2016年11月8日午後8時、13億のインド人が驚愕する政策がモディ首相により発表されます。

「現行の最高額紙幣である1000ルピー札と500ルピー札を廃止する」

しかも、明日から。つまり、その4時間後から。

本にもある通り、日本でいえば5千円札と1万円札が明日から使えなくなる、と首相が発表したのと同じです。日本だと猛烈な反発が起こって、内閣総辞職衆議院解散に追い込まれることは必至でしょう。まして、意思表示が日本より遥かに強いインドなら、クーデターや内戦が起こるのではないか、とも思います。しかし、著者の予想に反して、焼き討ちや暴動はインドで一切起こらなかったようです。

500ルピー札と1000ルピー札が使えなくなると言っても、完全に無価値になるわけではありません。旧札廃止にともない、新たに500ルピー札と2000ルピー札を発行して、12月末までに銀行に預金することで、新札への交換が可能になっていました。大多数のインド人は旧札を預金して、事なきを得たのです。

とはいえ、11月8日の発表から12月31日まで、2ヶ月弱しかありません。旧札は当時のインド流通通貨の86%を占めていたと推測されています。何億ものインド人が銀行に2ヶ月間に銀行に殺到したので、丸1日並んでも新札に交換できない人が続出しました。

繰り返しますが、同じ改革を日本で断行したら、マスコミの大バッシングが起きて、罵詈雑言の政府批判がそこら中で発生するに違いありません。欧米だったら、デモ行進やストライキで社会機能が麻痺するはずです。中国ですら、ゼロコロナ政策を撤廃させたくらいの抗議行動は起こると予想します。

しかし、事実として、2016年のインドでは、そんな混乱が起きませんでした。それどころか、筆者が銀行に並ぶ人たちに話を聞くと、「不正をなくすためには仕方ない」「ずるい金持ちが困るのはいいことだ」と政権を擁護する発言が少なくなかったそうです。

高額紙幣廃止は、現金での決済が多かった中小企業や農村部の人たちに大打撃を与え、GDPを引き下げる要因にまでなったと推定されています。それでも、モディ首相の支持率は7割を維持し、2019年の総選挙でも圧勝しています。

そもそも、モディはなぜ突然、高額紙幣を廃止しようとしたのでしょうか。その理由は「賄賂や脱税で自宅にため込んでいた不正な現金や、ニセ札をあぶり出す」ためでした。インドを少しでも知っている人なら常識ですが、インドは日本や中国以上に賄賂社会です。脱税も日常茶飯事で、他の同等の経済規模の国ではありえないほど脱税がひどいことは分かっていても、実際、どの程度の脱税規模かはインド政府も、国際機関も、学者も、闇社会のボスも把握できていません。

インド政府は当初、旧札の流通量の2割が汚職による蓄財やニセ札といった不正なもので、約3兆ルピーが回収されて国庫に入ると見込んでいました。旧札を新札に交換するには、銀行を通さなくてはなりません。多額の現金を換えようとすれば、所持にいたった経緯が調査され、裏金であることが露見するという仕組みです。インド政府は「賄賂などの表面化しない地下経済は、GDPの2~4割に相当する」と説明していただけに、これらを一網打尽にして税収アップすると鼻息が荒かったのです。

しかし、それは皮算用に過ぎませんでした。2018年8月にインド準備銀行(インドの中央銀行)は、廃止された紙幣の99.3%が合法なものとして回収されたと発表しました。国庫に入ったのは1000億ルピー程度で、当初の目論見の1割にも達していません。高額紙幣廃止は、庶民の生活を大混乱に陥れただけで、インドの地下経済のあぶり出しには全くといっていいほど無力だったのです。

繰り返しますが、そうした結果が示されて、野党が猛烈な高額紙幣廃止批判をしても、モディの与党は2019年の総選挙で圧勝したのです。

一体、なぜなのでしょうか。そんなこと、インド以外では、ありえるのでしょうか。

ありえるのでしょう。日本などの先進国では戦争でもない限りありえませんし、ある程度発展した中国でもありえないのかもしれませんが、インドや現在のアフリカ諸国のように最貧国から先進国まで驀進している国では、ありえるのだと思います。

日本では昭和恐慌の1927年、裏面が白紙というお札が発行されたことがあります。普通に見ればニセ札であり、実際にニセ札として市中で受けとってくれなかった事件も発生しましたが、当時の日本はそれどころではない混乱期なので、裏面白紙のお札を印刷させた高橋是清を批判する声は大きくありませんでした。むしろ取り付け騒ぎの回避に成功したと賞賛の声が強く、高橋はその後に2度も大蔵大臣を任され、犬養毅が暗殺された時は一時的に首相も任されたほどです。

高額紙幣廃止が小さい問題になるほど、今のインドの変化は急激だということでしょう。「現在の韓国と未来の韓国」に書いたように、中国と比べたら遥かにゆっくり成長している韓国でさえ「爆速」で変化しているように見える日本人にとって、インドの変化の速さは想像を絶するはずです。高額紙幣廃止事件から、日本人がインドについて学べる教訓でしょう。

次の記事に続きます。