未来社会の道しるべ

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生活保護の扶養義務を同一世帯に限定すべきである

「親ガチャ」という言葉があります。どの親に生まれたかで人生が決まってしまう側面が強い日本なら、もっと前から存在していてもいい言葉だったと私は思います。

アジアの国は知りませんが、法制度上、西洋先進国で、日本ほど家族の扶養義務が強い国はありません。それがよく分かるのが、下の生活保護(公的扶助)の要件です。

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西洋の国では、一般に、配偶者と未成年者の子どもしか扶養義務はありません。それより扶養義務の範囲が広いドイツであっても、同一世帯までです。だから、大人になり、親から世帯分離すれば、つまり家から出れば、親がいくら豊かであっても、親に子の扶養義務はありません。逆にいえば、親の家から逃げさえすれば、子どもは一人で健康で文化的な最低限度の生活を送れるのです。もちろん、公的扶助を受給するためには、なんらかの障害を証明するか、就職活動をしなければならないなどの条件はありますが、家族が金持ちかどうかは問題視されません。

だから、数年前に金持ち芸人の親が生活保護を受けて、世間でバッシングが生じたことを、多くの西洋人は理解できませんでした。「子どもが親の育て方を憎んで、お金をあげたくない場合でも、子どもが親を養わないといけないの?」が多くの西洋人の考え方です。この芸人の問題については事情をよく知りませんが、私も基本的に同意見です。

日本では、親子はもちろん、兄弟姉妹、さらには叔父叔母、甥姪、ついには祖父母、孫まで経済状況を調べられ、その中で一人でも豊かな人がいれば、その家族に経済的に頼る義務が生じます。一緒に暮らしていなくても、家族関係がいかに悪くても、基本的に考慮してくれず、その豊かな家族と同居するように強制されます。つまり、絶対に一緒に暮らしたくない豊かな家族がいる場合、最後のセーフティネットである公的扶助が受けられなくなります。この極端に広い範囲の家族の扶養義務制度こそが、日本で生活保護の捕捉率が他国と比べて異常に低い最大の理由でしょう。

この家族扶養義務の中で、とりわけ罪深いと私が感じるのは、住居の提供も入っている点です。私も1年ほど前に始めて知ったのですが、ヨーロッパだと、住居提供義務は家族ではなく、公的機関にあります。もちろん、家族が本人を同居させてもいいのですが、本人、家族のどちらかが拒否した場合、公的機関が住居を提供する義務が生じます。私は医療職に就いているため、患者さんがADL(日常生活動作)の低下により元の家に戻れなくなったので、患者さんの退院先がなくなる、という場面によく出会います。日本だと、まず患者さん家族の家への退院を考慮し、それが難しいなら、患者さん家族が、MSWなどの社会福祉士の力を借りながら、必死に退院先の施設を探すことになります。なぜなら、患者さん家族は患者さんの住居を提供する義務があるからです。しかし、ヨーロッパだと、同一世帯でなければ家族にそんな義務もなく、本人が自力で探すか、それができないほどの病気なら、社会福祉士が本人のための住居を探してきてくれます。

もっとも、ヨーロッパはともかく、アメリカやカナダはあれだけホームレスが多いので、公的機関に住居提供義務はあったとしても、それほど機能していないはずです。マイケル・ムーアの「シッコ」という映画では、入院費が払えなくなった患者がパジャマのまま路上に放り出される衝撃的な映像が流れます。日本ではまずありえない光景です。

アメリカでは、同居していない家族の収入は調べられないかもしれませんが、単に「金も仕事も住む場所もない」だけで公的扶助が受けられることもないでしょう。「だったら借金すればいい」と言われるだけなのかもしれません。

また、上記の「諸外国の公的扶助制度の比較②」資料は厚労省のHPから引用しており、それによると日本の公的扶助の基準は他国同様「全国統一」となっています。しかし、「一人の取りこぼしもない社会」にも書いた通り、現実には「水際対策」と言って、各役所の対応職員によって、生活保護の対象者枠に幅があるのは、多くの福祉職の知るところです。

実際のところ、選り好みしなければ日本で仕事がないはずがないので、親戚が豊かかどうかにかかわらず、65才以下で、障害も子どももいない人が日本で生活保護を受けるのはまず無理です。「ブラックな仕事しかない」「コミュ障なので接客業は無理だ」「体力がないから力仕事はできない」などといった言い訳が通用しないのは、世界共通なのかもしれません。

そういった点を全て考慮しても、やはり生活保護で親戚の扶養義務は同一世帯までに限定すべきと考えます。法律上の家族扶養義務の強さから、日本だと家族の束縛から逃れたくても逃れることができません。家族格差は単なる貧富の差以上に大きいこと、家族に恵まれたエリート連中が想像できないほどその差が大きいことに、世界中の全ての人、特に日本人全員がいいかげん気づくべきです。家族扶養義務の強さから、長幼の序が強化され、社会的な必要な改革も進まない側面も見逃せません。