「福島第一原発1号機冷却 失敗の本質」(NHKスペシャル『メルトダウン』取材班著、講談社現代新書)という本があります。この本のあとがきには「現場職員の一人ひとりは有能で意欲のある者たちだった」という言葉が出てきてしまいます。前回の記事で示したように、現場職員たちは加害者なのに被害者意識を持ち、内輪の理論を日本人全体の生命よりも優先する人たちです。そもそも、あれほどの被害を起こした結果責任で、彼らの行った全ての過程の美点も吹き飛んでしまうはずです。
その福島第一原発の職員の誰もが尊敬している人物が所長の吉田らしいです。事故後何年もたった後に吉田を尊敬していると胸を張って言える事実に、私は強い違和感があります。大げさにいえば、第二次大戦後に東条英機を尊敬していると胸を張って言われたような気分です。事件を何年も取材して、全体像を把握しているはずのNHK取材班は「吉田所長を尊敬している」と言われた時、次のような質問を現場職員に、なぜ、どうしてしなかったのでしょうか。
「福島第一原発に高さ15mの津波が来る警告は何度も出されていました。それを無視したのは、他でもない吉田です。これは国会事故調でも、事故の根本原因として指摘されています。また、福島第二原発と同じく、福島第一原発でも地震後に適切に現場で処理されていれば、メルトダウンが起こらなかったことは既に分かっています。それでも、吉田を尊敬するんですか?」
この質問をしなかったのなら、あるいは「吉田を尊敬する」という言葉に疑問を感じなかったとしたら、NHK取材班は原子力村にいつの間にか取り込まれてしまった、と批判されても仕方ないでしょう。
「全電源喪失の記憶」(共同通信原発事故取材班、新潮文庫)で、私が最も呆れたのは、池上彰の「あとがき」の中にあります。
「あのとき(原発事故の時)恐怖に竦んで何もできなかった(職員たちがいます)。現場から立ち去ってしまった(職員たちもいます)。己の行動を恥じて沈黙するのは、人間として当然のことでしょう。それでも、自分の名前が報じられることを容認した人たちがいるのです。彼らが、いかに深い悔悟の念に駆られているかが推測できます。(略)現場で何もできなかったという自分の行動を告白する。これもまた、勇気ある姿勢ではないでしょうか」
この表現には既視感があります。第二次大戦の現場で殺人やレイプを犯した日本兵たちを、家族と離れて戦場に行ったことや過酷な自然環境での生活といった逆境側面だけに注目して、同情してしまう戦後の日本人たちです。池上彰も原発職員の事故時の奮闘だけに注目しているうちに原子力村の一員となってしまい、事故の根本原因や日本全体での視野を忘れてしまったようです。
100年後の日本人のために書いておくと、残念ながら、この池上彰は「良心的ジャーナリスト」だと、現代日本で一般的に認識されています。上記の「あとがき」を読んで、池上彰を批判しなければならない、と考えた日本人は、もしかしたら、本当に私一人だけかもしれません。