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福島原発事故現場職員の被害者意識

メルトダウン中、福島第一原発の現場で働いていた職員たちが一番心配していたのはなんだったか知っているでしょうか。

福島の住民たちに及ぼす被害ではなく、東日本壊滅の危機でもなく、同じく現場で働く人たちの安全でした。つまり、事故の被害者ではなく、事故の共犯者の安全を最優先していたことが、「全電源喪失の記憶」(共同通信原発事故取材班、新潮文庫)で臆面もなく白状されています。所長の吉田が責任をとって切腹しようと思ったのは、事前の警告通りに高さ15mの津波で全電源喪失した時でも、メルトダウンが起こってしまった時でもなく、3号機の水素爆発で現場職員40人が亡くなったと勘違いした時です。その背後にいる何百万、何千万の自分が騙してきた日本人のことなど、現場40人の命と比べると、吉田の中では小さかったようです。

上記の本を読めば、原発安全神話を吹聴してきた原子力村の人たち自身が、その嘘(安全神話)を信じてしまっていたと分かるでしょう。「カウントダウン・メルトダウン」(船橋洋一著、文藝春秋)で、第一原発の吉田所長と対比して、本当のヒーローと持ち上げられている第二原発の増田所長でさえ、事故前に「10条とか15条とかを出すような事態になったら、私はクビですよ」と言っていたそうです。それくらい、緊急事態発生前の10条や、緊急事態発生中の15条は起こるはずがない、と信じ切っていました。実際は、第一原発でも第二原発でも10条と15条を出していますが、吉田も増田も解雇されていないどころか、英雄扱いされています。100年後の人には理解に苦しむでしょうが、それが今の日本の現実です。

「全電源喪失の記憶」には、吉田が賞賛してやまない事故現場で働いていた職員たちが実名で出てきますが、原発安全神話を信じ切っているせいか、放射能の怖がり方をまるで知りません。「東京電力撤退事件」に書いたように、決死隊がわずか100mSvに怖気づいて仕事から戻ってくるなど、そのいい例です。他にも、1号機の水素爆発が起こったとき、周囲に舞ったゴミに触れたら死んでしまうと現場中の職員がパニックになって、仕事を完全に放棄し、鍵のかかっていない消防車に職員たちが逃げ込んだせいで、ぎゅうぎゅう詰めになる情けない状況が書かれています。もちろん、完全防御服を着た職員たちは、その程度で誰も死にませんでした。

第一原発津波発生後まで残っていた井出という妊婦がいたそうです。妊婦であるから、本人の意思に反して、先に逃げることになりました。本には「ごめんね、ごめんね、ごめんね」という井出の悲劇のヒロイン気取りの言葉が出てきて、読んでいる側が恥ずかしくなってしまいます。しかも、この「ごめんね」と謝っている相手は福島の住民ではなく、原発職員たちに対してです。謝る対象が根本的に間違っているのですが、原子力村にいれば、というか、この本の中では、それが正解になっているようです。井出に対する批判の表現は皆無です。井出は死ぬまで、この大いなる間違いに気づかないかもしれません。

原発基地は、文字通り、原子力村の中心地なので、そこで働く職員たちは骨の髄まで原子力村の理論で動いていたようです。だから、菅直人首相が現場入りして「なんでベントをしないんだ!」と怒鳴ったときも、菅直人が東電本店で「逃げようたって逃げられないぞ!」と大演説をぶったときも、現場職員たちは全く反省しませんでした。その真逆で、大多数の職員は、菅直人の説教に怒り心頭に達したそうです。しかし、この時の首相の声は、まさに国民全員の怒りの代弁だったはずです。怒り心頭に達していたのは、事故の被害を受ける日本人全員だったのではないでしょうか。

このように、本を読んでいると、現場職員が自分たちを加害者だと認識している様子はまるでありません。むしろ、想定外の大地震にあった被害者だと思っているようです。

ここまで原発職員びいきなのに、この本の「はじめに」では、「第一原発所員を英雄視するつもりも、事故対応を美談に仕立てる考えもない」と書いています。呆れてものも言えない、という表現はこういう時のためにあるように思います。これで中立を堂々と宣言できるほど、現在の日本が福島原発事故を歪んで見ていた証拠にはなるでしょう。