未来社会の道しるべ

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理由が分からないことは問題なのか

前回の記事の最後で、「医学では、統計による根拠はメカニズムによる根拠に勝る」ことを示しただけで、文部科学省批判までしているのは論理の飛躍があるので、捕捉しておきます。

身の回りのことで、理由を説明できることはどれくらいあるでしょうか。電車がどうして動いているか、そのメカニズムを完全に理解している人はいますか。電車の部品が何千、何万あって、それらがどう有機的に結びついて、どこが故障したら、どんな問題が起こるのか、完全に理解している人はいますか。あるいは、携帯電話はどうですか。どうして携帯電話で友だちといつでも会話できるんですか。テレビや洗濯機や冷蔵庫の仕組みは知っていますか。知らないと使ってはいけないんでしょうか。だとしたら、超高齢社会が進む一方の日本は大変です。

本来答えのあるべき自然科学の領域でさえそうなのですから、政治や社会の問題になれば、なおさら誰もが納得のできる理由はありません。伝統でなんとなく続いている習慣が多い日本なら、とりわけそうでしょう。周りに同じ意見の人ばかり集まっている国で、国語や社会でも模範解答のある問題のテストを受けてきたので、そんな当たり前のことすら忘れてしまったのでしょうか。

世の中のほぼ全ての自然事象は、どうしても説明できない部分を必ず含んでいます。たとえば、ニュートンの力学方程式は地上だけなく天上の運動も同じ法則でとらえた画期的な発見ですが、なぜそんな方程式で全ての物体の運動が成り立っているかは説明できませんでした。それを解明するには、アインシュタインの重力方程式の発見まで待たなければなりません。その重力方程式にしても、なぜそんな方程式で宇宙が成り立っているかは説明できません。当たり前です。しかし、こんな自然科学の公理を理解しないまま一流大学を卒業している日本人は多いのかもしれません。

もし多くの日本人が「AIは理由を説明できないことが問題」とだけ考えていたら、それは日本人全体の知性の低さを示しており、明らかに文部科学省に責任があります。