50年後の日本人からすると、人間が医療診断している現在を信じられないでしょう。命に係わることを、間違うこともある人間の判断に任せていたなんて、ありえないと考えるはずです。
その未来の人に言い訳をすると、2018年現在でも、同じ感想を持っている人は決して少なくありません。「いつAIによる医療診断に変わるのだろうか?」との疑問が出ると同時に、「そもそも、なぜ今、医療診断をコンピュータ化していないのだろう?」と思う人はいます。私はそんな人に何名も会っていますし、私自身も思っています。実際、今のコンピュータ技術でもAI医療診断は十分に活用できます。
調べれば分かりますが、こんなことは昔から考えられていました。1980年代の第二世代AIの頃、医療診断をコンピュータ化する流れはあったものの、「フレーム問題」にぶつかって失敗しました。
「フレーム問題」とはなんでしょうか。専門家は難しいことを書いていますが、誤解を恐れずに単純に言ってしまえば、人間が勘と経験で判断している領域です。もっと端的にいえば、非科学的に判断している領域です。
医学はこの非科学的領域が、恐らく一般に思われている以上に広く存在しています。雑誌やテレビなどで「こういった判断の難しい場合は専門医に相談してください」とよく述べていたりしますが、それはしばしば専門医でも判断できない領域、科学的に未解明な領域であったりします。だから、「そんなこと専門医に相談しても意味がないだろう。『科学的によく分かっていない』となぜ正直に伝えないのか」と私はいつも疑問に思います。実際に相談された専門医は、どう対応しているのでしょうか。もしかして、「『私にも分からない』と正直に伝えたら、患者はショックを受ける」と思い込んで、専門医は患者を上手くごまかして、いまだに治療の主導権を握っているのでしょうか。
1980年代、このように医者が医療の主導権を握る領域は今より広く存在していました。コンピュータの進化以前に、医学自体が非常に非科学的であり、「フレーム問題」の領域だらけでした。Evidence Based Medicineの重要性が認識され、多くの治療にガイドライン(科学的に示された標準治療の流れ)ができてきたのは、なんと1990年代からです。それ以前は医師の自由裁量、つまりは医師ごとの判断で医療の多くが行われていました。もちろん、その判断による治療の何割かは、現在の治療ガイドライン(科学的医療)からすれば、間違っていました。
今では1980年代よりも「フレーム問題」に突き当たる領域は狭くなったでしょうが、それでも消滅したわけではありません。医学が科学的に完全に解明されない限り、非科学的領域は存在し続けます。そんな「フレーム問題」領域こそ、医者が活躍できる場が残されている、と主張する医者がいます。
しかし、もう一度書きますが、「フレーム問題」領域とは、非科学的領域です。誰にも正解が分からない領域なので、誰が判断してもいい領域です。だとしたら、本来、医療の結果に責任を唯一負える患者本人が判断すべきなのは明らかです。
そもそも全ての医療判断は、理想的には患者本人がするべきです。もし患者本人が適切な医療判断ができなかったら、患者本人が判断を委ねている者(保護者など)がするべきです。間違っても、コンピュータに負けると気づかずに医療専門知識を豊富に蓄えて威張っていたバカ(医者)に判断を任せるべきではないでしょう。
ここで「では、患者が理解できるように説明する仕事が医者に残る」と食い下がる人がいるかもしれません。そんな仕事が未来に残る可能性はあるかもしれませんが、それを仕事にする人は既に医者とは呼ばれなくなっているでしょうし、今のように高給な職業にもなっていないでしょう。
これまでも、これからも医療は科学的に説明できる領域と、非科学的な領域に分類されます。科学的な領域はコンピュータで代替可能ですし、代替すべきです。毎日更新される膨大な医療の科学知識を身に着けられる人間なんていませんが、コンピュータなら可能です。非科学的な領域は医者が考えても答えは出ないので、それを正直に患者に伝えるべきです。また、科学的な領域であろうと、非科学的な領域であろうと、医療の責任は患者本人しか負えないので、全ての医療の判断、医療の決断は患者本人がすべきです。この医療の本質に気づいた国から、AI医療が導入され、医者は消えていくでしょう。