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医学的根拠で最も重要なのは確率的妥当性である

ノーベル賞受賞者山中伸弥と将棋の羽生善治の対談動画あります。

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この動画の25分以降に、羽生が「AIは確率的にこちらが正しいと言っているだけで、その理由の説明がない。医療のような世界で、理由がよく分からないのでは、命を預けられないと思う」と全く医学を理解していない疑問を口にしています。

朝日新聞で村瀬将棋部記者が「AIの問題点は理由を説明できないところだ」と何度も何度も同じ記事を書いています。10年近くもAIと将棋について考えてきたはずなのに、この程度の浅い見解を繰り返し書くだけで、一流新聞社にいられることの方が、私としてはAI問題よりよほど疑問です(朝日新聞記者への皮肉はこちらの記事に書いています)。

「医学的根拠とは何か (津田敏秀著、岩波新書)」にもある通り、医学的根拠には直感派とメカニズム(機能)派と数量化派があります。それらはお互いに補完しあえる根拠ですが、最優先されるのは数量化、つまりは確率的妥当性になると20世紀の後半には結論が出ています。特に薬物療法については、そのメカニズムが完全に分かっているものなど皆無といっていいでしょう。

日本の医学会では有名な話ですが、20年ほど前、認知症薬として脳の血流をよくする薬がありました。認知症の人は脳の血流が下がっているので、血流がよくなれば脳が活発になるとメカニズムとして推論したわけです。その薬は爆発的に日本で売れていましたが、統計的根拠が医学で重視される普通の国では全く売れませんでした。平たく言えば、日本以外の国ではそもそも薬として認められませんでした。その異常さに、さすがの日本の医学会も反省して、再度、二重盲検法を用いて、脳の血流をよくする薬が認知症に効くかを調べました。既に二十種類以上も脳の血流促進薬が認知症薬として販売されていましたが、それらは全て、一つの例外もなく、効果がないと判定されています。

一方で、世界的に売れた認知症薬のコリンエステラーゼ阻害薬は日本で発明されたのですが、コリンエステラーゼ阻害薬が認知症に効くメカニズムを正確に説明できる医者は世界中に一人もいません。せいぜい、「認知症患者は脳内アセチルコリン濃度が低いから、アセチルコリン濃度を上昇させると認知症の進行を遅らせる効果がある」くらいでしょう。しかし、その論理だと「脳の血流をよくする薬がどうして認知症に効かないのか」と問われると、説明できないはずです。

このように全ての薬はそのメカニズムが完全には分かっていません。そもそも、人間の体内のタンパク質は10万個程度あると推定されていますが、その相互作用はほとんど分かっていません。つまりは、なぜ人間が生きているのかすら、医学はあまり解明できていないのです。だから、当然、体内に入った薬が体内でどう相互作用を起こすかなど完全に分かるわけがありません。

しかし、統計的に結論を出すことはできます。全員に効かないかもしれないが、8割の人に効く薬であれば、使うべきでしょう。なにもしなければ5年以内に80%の人が死ぬが、ある薬で5年以内に死ぬ人が40%まで減らせるなら、その薬を使うべきでしょう。このように確率的に考えた方が、現代の医学には有効なのです。

それでも「統計的には効果があるとしても、そのメカニズムを説明できなければ納得できない」と考えるのでしょうか。「理論的には効くはずだが、統計的には効果の認められない薬」を使った方がいいと思うのでしょうか。もし多くの日本人がそう思っているなら、日本人の自然科学観は決定的な欠陥があると断定していいでしょう。高卒棋士の羽生はともかく、一流新聞社まで「理由を説明できないのはAIの欠点だ」と(一度だけならまだしも)何度も全国記事で堂々と主張しているのは、日本の恥だと文部科学省には考えてもらいたいです。