骨肉腫で右足を切断したカナダ人青年のテリー・フォックスの話です。骨肉腫はがんの一種で、現在なら広範切除と化学療法で5年生存率が70%以上になりましたが、当時は切除しても肺転移などで亡くなる確率の方が高かった病気です。
テリー・フォックスはがん研究資金を募るために、カナダ西海岸から東海岸まで、義足にかかる一歩ずつの激痛に耐えながらも、毎日42km走りました。しかし、143日目にして、肺転移のため無念の途中リタイアとなります。翌年、22才の若さで逝去します。
1981年に亡くなったテリー・フォックスは、カナダ人なら知らない人はいないほど有名です。私もカナダ留学中に何度もこの話を聞きました。「彼の脚の痛みを思い出すと、涙が出そうだ」と語っていたカナダ人は、私の一番の親友です。
それを前提として断定しますが、これは典型的な感動ポルノです。当たり前ですが、テリー・フォックスが痛みに耐えながら走ることと、骨肉腫研究の進展はなんの関係もありません。清く正しい障害者が懸命に何かを達成しようとする場面をメディアが取り上げて、かつ、それに感動する大衆がいて、始めて意味を持ってくる行為です。メディアが上手く扱わなければ、メンタルまで侵されたマゾの義足青年にしか見えなかったかもしれません。
私はこの話を聞くたびに、偽善を強く感じました。感動を強要させることに違和感がありました。
「若くてがんになることよりも嫌な現実に耐えている者は、この世界にいくらでもいる」
「一言一言話すことが、テリー・フォックスの一歩一歩の激痛よりも遥かに辛い人だっている」
「骨肉腫の研究よりも重要なことが世の中には無数にある」
「こんなクソみたいな人生を送るくらいなら、テリー・フォックスとして生きたかった」
そう思う人は少なくないはずです。私もその一人です。
上の話を聞いて、テリー・フォックスが幸せな恵まれた人生を送ったことに気づかない人は21世紀になった現在でもどれくらいいるか、誰か調べてくれませんか。