異次元緩和も国債消化には無力に終わりそうなので、日本政府が莫大な国債を本気で消化しようとして、1946年以来の預金封鎖をする可能性は十分あるでしょう。悪夢のように膨張した国債を消化させるためには、預金封鎖、新通貨切替、急激なインフレなどの極端な方法をとる他ないのかもしれません。
ここで歴史を振り返ります。1946年当時も、現在のように国債は返却不能なまでに膨れ上がっており、政府は旧円から新円に切替えました。どの国民も銀行に預けた旧円を、生活に必要な金額だけ新円として毎日一定額引き出せましたが、新円として引き出せる日数には限りがあります。大量の旧円を預金していた者は期日までに全額を新円として引き出せません。全額引き出せないほどお金を持っている者は、財産税として政府に徴収されたのです。皆が悔しかったでしょうが、皆が同じ条件で損をしているので、金持ちは恵まれていた分だけ耐えるべきと我慢したのでしょう。
しかし、これには抜け道がありました。「金融の世界史」(板谷敏彦著、新潮選書)によると、複数の銀行に口座を持っていれば、簡単に毎日の引き出し金額を複数倍にできたようです。いくらなんでも当時の多くの国民がこんな見えすいた抜け道に気づかなかったとは信じ難いのですが、他にも単純な抜け道が上記の書で紹介されています。旧円で株や土地を買って、新円で売る方法です。まだ株式投資や土地投資が一般的でなかったせいか、このマネーロンダリング方法に気づかなかった国民は多かったようです。調べれば、さらに複雑な抜け道を通った金持ちはいたことでしょう。第二次大戦時、日本のために大量の国債を購入していた勤勉な国民が国家債務のツケを払わされる一方で、一部の狡猾なお金持ちが新円の札束で贅沢三昧しいていたそうです。
今後、日本が国債消化のために預金封鎖をすれば、ほぼ全てのお金持ちが抜け道を探そうとします。上記のような単純な抜け道はまず通用しないでしょうが、複雑すぎて規制できなかった抜け道を通る者は必ず出てくるはずです。その不公平を解決する最も効果的な方法は、全ての金銭取引をネット上で公開しておくことです。法律を何重に張り巡らしても、抜け道を全てふさぐのは不可能です。金銭取引を完全公開していたら、公序良俗に反する抜け道と分かれば、そこを通った者の金銭取引を後からでも無効にできます。抜け道をくぐっても無駄と分かれば、国民は複雑な抜け道を探すための多大な努力をしなくて済みます。
なお、当然ながらマネーロンダリングと合法的な金銭取引の線引きで判定が微妙なものは出てくるはずです。それについては公序良俗に反するかどうかで、最終的に裁判で決めることになります。公序良俗はあいまいな概念なので、それをある程度確定するために、今から「この莫大な国債のツケを本来誰が払うべきなのか」について考えておくべきでしょう。私は「お金持ちの高齢者たちが国債のツケを払うべきである」と考えていますが、その根拠についてはこれからの記事で示していくつもりです。