未来社会の道しるべ

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ピンピンコロリは違法である

前回の記事で、医学が進歩したため、ピンピンコロリが実現できなくなった、と私は書きましたが、それはおかしな話です。医療技術が発展すれば、人間は苦しみながら死ぬしかない、会話ができなくなるまで、トイレが使えなくなるまで、歩けなくなるまで、生きなければならないのでしょうか。そんなわけがありません。新しい医療技術が世間に普及したとしても、それを拒否する権利は患者本人に必ずあるからです。この患者側の重要な権利を理解してない医療者が多すぎるように思います。

偉そうに書いている私も、十分に理解していない医療従事者の一人でした(あるいは一人です)。つい先日も、こんな事件がありました。80才の持病のない方がひどい便秘で、腸管穿孔を起こしました。認知症は全くなく、歩行もしっかりしていて、糖尿病や高血圧や高脂血症もない患者さんです。現在の医療者なら間違いなく、緊急で開腹手術します。手術すれば、あと10年は生きられる可能性の高い方です。「このまま死なせてあげよう」と100%考えません。しかし、その患者さんは当初、手術を拒否していました。普段から「周りに迷惑をかけてまで生きたくない」「延命治療はしてほしくない」と考えて、家族にもはっきり伝えていたようです。後から駆け付けた家族も手術しないよう要望してきました。しかし、外科医も看護師も私も、「医療の専門知識がないから、間違った判断をしている」としか思えませんでした。すぐにでも緊急手術したいところ我慢し30分かけて説得して、患者さんと家族から手術の同意書をもらい、実行しました。術後、患者さんは大きな後遺症もなく、社会復帰しました。患者さんや家族は後で、感謝の言葉を言ってくれています。「ビックリしたよ。たかが便秘で、死ぬ気マンマンなんだもん」との外科医の発言に、私も笑いました。

しかし、その患者さんに完全に後遺症がないわけではありません。一時的とはいえ、人工肛門生活を余儀なくされました。穿孔した大腸は切断され小さくなっているので、普段から便秘がちと思われる患者さんはさらに便秘になりやすくなっています。腹腔内の大手術を行っているため、腸閉塞にもなりやすいです。高齢での開腹手術なので、本人が気づかないながらも、体力は確実に落ちていたはずです。

このように最初は元気だった高齢者が、あれこれの病気で入退院を何度も繰り返し、そのたびに生活能力を落とし、ついには寝た切りになって、最期を迎えます。それが現在の日本の標準的な死です。

これだと、いつまでたってもピンピンコロリは実現しません。意思が表明できなくなるまで、動けなくなるまで、苦しみながら生かされてしまうことになります。どこかで治療を止めるべき時があったはずです。それが十分に元気な時だっていいはずです。

ところが、上にも書いたように、患者さんがいかにピンピンコロリを望んでいようが、現代の日本なら100%、医療者は元気な高齢者の突然死を救おうとします。たとえ医療者がその患者さんの意思を尊重したい、尊重すべきだと思っていても、終末期でもない患者さんをそのまま安楽死させると、殺人罪として訴えられる可能性が高いからです。日本では、終末期であること(この定義も曖昧ですが、東海大学安楽死事件では「患者が治癒不可能な病気に冒され、回復の見込みがなく死が避けられない末期状態にあること」)が、安楽死を認める最低限の状況です。判例を調べてもらえれば分かり通り、終末期であっても、日本では安楽死が認められず、刑罰が科されたことがあります。

終末期の安楽死でさえ法律で認められていない日本で、ピンピンコロリの実現を議論すること自体がナンセンスです。終末期の安楽死を認める法律制定が先決で、ピンピンコロリの実現はその後の話になります。だから、ここでしている議論は、10年先、20年先あるいはもっと先の話になるでしょう。もしかしたら、どこまで議論しても、自殺を社会的に認めるべきでないように、ピンピンコロリは認めるべきでない、との結論になるのかもしれません。

しかし、ピンピンコロリの選択がいつまでも法律で完全に許されない、と私には思えません。生物としての死は本人だけが責任を負います。どのような死を迎えるかを選ぶ決定権は本人だけにあるべきだからです。仕事を引退した年齢になって何年も経過したのに、老い衰えて周囲の人の世話になりたくない本人の気持ちを尊重してもいいはずです。