未来社会の道しるべ

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投票価値試験

昨年、成熟した民主主義国家と思われた国で、進歩的な新聞から批判される選挙結果が出ています。その代表格がアメリカ大統領選でした。この結果が本当に批判されるべきかどうかは確定できないでしょうが、ここではそれについて議論しません。

「多数決を疑う」(岩波新書、坂井豊貴著)では、多数決の正当性を理論的に検証しています。ボルダ法、スコアリング法、コンドルセ・ヤング法、繰り返し最下位消去法、チャレンジ型多数決法などの多数決法を紹介し、投票者たちの意見が同じでも、それぞれの多数決法によって結果が違ってくる場合があると実例を持って示しています。朝日新聞もこちらの書を何度か参照して、多数決が理論的にも最適ではない根拠として用いています。とはいえ、アメリカ大統領選やイギリスでのEU離脱国民投票のように、AかBの二択しかない場合は、上の全ての多数決法で、単純な多数決法と同じ結果になります。

私がここで提案したいのは、投票価値試験です。投票前に100点満点の試験を行い、その試験点数分の投票価値を各人が得ます。試験で90点の人の投票は90点の価値となり、試験で5点の人の投票は5点の価値となります。

この改革案を審議したら、試験内容をどうするかで大激論になるはずです。投票価値を決める政治的に公平な試験など作成できるわけがない、との反対も出てくるに違いありません。投票価値試験の実例を提案しながら、次からの記事でそれに対する反駁を述べます。

like a boy of twelveの国から脱却できたのか

「20世紀の日本に最も影響を与えた政治家は誰か?」

この質問の答えは簡単でしょう。マッカーサーです。日本史の教科書で、マッカーサーの名前が消えるには、100年や200年では足りないでしょう。1000年後でさえ、どんなに薄い日本史の本でも、通史であれば、源頼朝徳川家康などと並んで、マッカーサーの名前ははずせないはずです。

マッカーサーが中心人物となって行われた改革は、マッカーサー後から現在までに行われた改革の総量と比較して、質でも量でも上回っています。マッカーサーが帰国する時、毎日新聞は異常なほど興奮して次のように号泣したそうです(「敗北を抱きしめて」ジョン・ダワー著、以下、この記事は主にこの書を参考にしています)。

「ああマッカーサー元帥、日本を昏迷と飢餓から救い上げてくれた元帥、元帥! その窓から、あおい麦がそよいでいるのをご覧になりましたか。今年の実りは豊かでしょう。それはみな元帥の5年8ヶ月にわたる努力の賜であり、同時に日本国民の感謝のしるしでもあるのです」

興奮していたのは新聞に限りません。経団連も衆参両院も都議会も感謝声明をわざわざ出し、学校は休みになって20万人の老若男女がマッカーサーの乗せた車を見送り、NHKはそれを生放送で全国に中継しました。

ここまで熱狂的に日本人に愛されたマッカーサーが、たった一つの発言で、猛烈に嫌われるようになった歴史的事実を知っているでしょうか? 

1951年4月16日に日本を去ったマッカーサーは5月5日のアメリカ上院合同委員会で、日本人の資質の素晴らしさや日本人が遂行した偉大なる社会革命についてだけでなく、第二次世界大戦での日本人兵士の最高の敢闘精神についても、高く称賛しています。それに対する「日本人は占領軍の下で得た自由を今後も擁護していくのだろうか?」の質問に、マッカーサーはこう答えました。

「ドイツの問題は、完全かつ全面的に日本の問題と違っています。ドイツ人は成熟した人種でした。ドイツ人は科学や芸術とか宗教とか文化において、我々アングロサクソンと同じく45才くらいでしょう。しかし日本人は、時間的には古くからいる人々なのですが、指導を受けるべき状態にありました。近代文明の尺度で測れば、12才の少年といったところ(like a boy of twelve)でしょう」

アメリカでこの発言は、ほとんど注目を集めませんでした。しかし、どういうわけか日本ではこの「like a boy of twelve」の部分だけが執拗なほど注目されました。突然、多くの日本人がいかに甘い考えで、この征服者にすり寄っていたかに気づいたそうです。

都議会は本気でマッカーサーを名誉都民にするつもりで、東京湾に大きなマッカーサー銅像を建てる計画まであったそうですが、そんな話は一気に立ち消えになりました。つい先日、マッカーサーに感謝声明を出したはずの大企業が合同で「我々は12才ではない! 日本の製品は世界で尊敬されている!」と大金を払って見出し広告を出しました。

失言により、それまでの業績が無視されて、非難されるのは政治家の宿命です。しかし、ほんの1ヶ月前まで神のように崇められた人物がたった一言で、どうしてここまで憎まれるようになるのでしょうか? 豹変した方にも問題があるとしか思えません。

マッカーサーへの評価が一変したのは、その日本人に対する指摘が図星だったからだ、と私は考えています。戦後の大改革が、アメリカの家父長的権威に黙従することにより達成され、その期間ずっとアメリカ人が日本人を見下していたことに、日本人自身が気づいていたのでしょう。戦時中に大和魂はこの世で最も崇高だと叫んでいたのに、敗戦後には勝者のアメリカに世界史上まれに見るほど純朴に従ったことがいかに情けないことかも、頭のどこかで認識していたのでしょう。それにしても、自分の欠点を指摘されムキになって怒るなんて、12才の少年のようだと言われても仕方ありません。

現在、マッカーサーは極度のマザコンで「士官学校の歴史で初めて母親と一緒に卒業した」と言われ、「日露戦争を観戦した」と自分の回想記にまで嘘を書くのでパラノイアを本気で疑われ、他人の手柄を自分の成果だと強硬に何度も主張した問題人物であったことが日本でも明らかになっています。そうなると「そんな人格破綻者がどうして日本で20世紀の最大の改革を成し遂げられたのか?」という疑問が自然と出てくるべきだと私は思いますが、一度もそんな疑問を聞いたことがありません(だからここに記します)。

よく議論になることからも間違いないように、いまだに日本は第二次大戦の総括ができていませんが、戦後改革の総括だってできていないのではないでしょうか? そして、日本人は外国人からlike a boy of twelveと思われない程度に成長できたのでしょうか?