精神病院の女性長期入院患者さん
私は精神科医なので、精神病院で30年や40年以上も過ごしている患者さんに100名くらいは会っています。なお、日本以外の国では、1960年代以降、人権的および財政的な観点から10年以上の長期入院をほぼ認めていません。
長期入院患者のほとんどは統合失調症です。統合失調症はだいたいにおいて成年になってから、つまり20代以降に発症します。1960年代に抗精神病薬(統合失調症の薬)が使われるようになってからは、医学的に長期入院する必要性はほぼなくなったのですが、日本だけは、人生のほとんどを精神病院だけで過ごしている患者さんが10万人ほどもいます。なお、日本全体の精神科入院患者数は約30万人で、どちらも世界最高です。
統合失調症の男女比だと男子が少し多いとされていますが、長期入院患者さんに限定すれば男性は女性の1.5~2倍います。なぜ長期入院患者で男性が多いかといえば、統合失調症に限りませんが、ほぼ全ての精神疾患は男性の方が重症だからです。
その少数派の長期入院の女性患者さんに注目すると、その過半数で結婚歴があり、かつ、子どもがいることに驚きます。長期入院の男性患者さんの8割は、子どもはおろか、結婚すらしていない、できないのと対照的です。
子どもがいる女性長期入院患者さんの8割くらいは、子どもの話を一切しません。カルテ記録にも書いていなかったりすると、1年以上も毎週診察していたのに、私がその女性患者さんに子どもがいることを知らなかった、というケースがいくつもありました。
お母さんが精神病院に長期入院しているのなら、その子どもたちは一体どうなっているのでしょうか。
長期入院するほどの精神疾患になると、相手側から一方的に離婚することが認められています。だから、相手側(父側)に子どもの親権が認められ、父側が親戚の助けを借りながら、育てている場合もあります。ただし、離婚時には母が精神病を発症していなかったり、発症していても長期入院までしていない頃だったり、なにより父側も子どもを育てる能力がなかったりするため、母側に子どもたちの親権が認められるケースが多かったです。そうなると、長期入院している母の代わりに、母の親戚が患者の子どもを育てる必要が出てきます。
母の親戚が母の子を育てているのなら、患者である母も子どもに会いたがりそうなものですが、そんな女性長期入院患者さんに会ったことは、少なくとも私は一度もありませんでした。父側に子どもの親権をとられた母同様、子どもの話は一切せず、もちろん、会いたいとも言いません。子どもが母に会いたい、と精神病院まで来た、という話も全くありませんでした。
なぜでしょうか?
それぞれ事情が違うのですが、私が担当した女性長期入院患者さんに限定していえば、患者である母と、母の子を育てる(あるいは育てた)親戚との関係が疎遠であることが一番の原因でした。おそらく子育てを引き受けた時、「これから、この子はウチの子だと思って育てていくから」「あなたに子どもがいたことはもう忘れて」と患者さんに厳しく伝えていた、と思われます。もっとも、重度の統合失調症なので、そう言われたとしても、十分理解できたとは思えない女性長期入院患者さんも、それなりにいました。だから、「自分に子どもがいることを思い出さないようにしよう」という女性長期入院患者さんもいれば、「自分に子どもがいることを忘れたとしか思えない」という女性長期入院患者さんもいました。厳密にいえば、どちらの要素も持っていそうな女性長期入院患者さんがほとんどでした。
また、だいたいにおいて、患者である母が子どもと引き離された時期は子どもがまだ幼い頃なので、母と子の関係が悪くて、母と子が会わない、というケースは稀でした。
なお、私の担当する女性長期入院患者さんに子どもがいる、と私が知った時の会話はだいたい以下の通りです。
私(男性)「え! 〇〇さん、子どもいたんですか! もう1年以上も毎週診察室で会話していますが、子どもの話なんて1回もしたことありませんよ。子どものことについて、本人はどう思っているんでしょうか?」
相談員(女性)「うーん。私も聞いたことないので、分かりませんが、辛い思い出なので、思い出さないようにしているんじゃないでしょうか」
私「でも、子どもはどう思っているんですか? これまで会いに来たことあるんですか?」
相談員「いえ、私が担当になって10年たちますけど、1回もありません」
私「子どもを育てた親戚は?」
相談員「それはちょくちょく来ていますよ。その時、本人の子どもの話をすることもあるんじゃないですか」
私「どんな話をするんですか?」
相談員「立ち会っていないので、それは分かりません。もしかしたら、子どもの話を全くしていないのかもしれませんし」
私「やっぱり子どもが母についてどう思っているか気になるんですが……。実のお母さんがこの精神病院で長期入院していることは、知っているんですよね?」
相談員「それも分からないですね。子どもを育てた親戚に聞いてみますか?」
私「いや、まあ、病状とはあまり関係ないと思うので、そこまではいいですけど……。むしろ、変に突っつくと、病状悪化する可能性もありますしね」
相談員「はい。私もあまり触れない方がいいと思います」
このやり取りをした女性長期入院患者の一人について、次の記事に書きます。私が生涯忘れることのない患者さんの一人です。