未来社会の道しるべ

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僕はキミに殺されたかった

前回の記事の続きです。

(世の中から理不尽な扱いばかり受けたせいで自殺する人は毎年日本に1万人以上いるのに、なぜその人たちのほとんどは誰かを殺して、世の中に復讐した後に自殺しないんだろう)

私だったら、そうします。むしろ、そうでないと私は自殺できません。そう思うこともよくあります。逆にいえば、そう思わないこともあります。世界がくだらないと思っているのは自分だから、くだらない自分さえこの世界から消えてしまえばいい、と思うこともあります。

「人間、生きたいように生きれないように、死にたいように死ねない」

これは私がある患者さんから言われて、他の患者さんたち100名以上に伝えてきた言葉です。

ただし、例外もあります。自殺と安楽死です。自殺と安楽死は死ぬ時と死に方を自分の意思で選べます。

もっとも、正しくは、納得のできる病死をする人も多くいれば、事実上、自殺や安楽死に追い込まれている人も多くいます。あるいは、それが世間の一般的な見解かもしれません。

ピンピンコロリが実現できない理由は医者にある」からの一連の記事や「命の選別は間違っているのか」からの一連の記事で書いたように、私は安楽死賛成派です。苦しむ前に死にたい、幸せなうちに死にたい、と考える人は珍しくないはずです。いえ、むしろ、どんな人だって考えることではないのでしょうか。

では、理想の死に方とはなんでしょうか。

ロミオとジュリエット」をはじめ、恋愛フィクションには心中ものが古今東西に定番として存在します。

自殺したい日は毎日だったので特別な日ではありませんでした。20代の男性なんて、みんなそうじゃないんですか?」からの一連の記事で私が長く語った「おやすみプンプン」(浅野いにお著、小学館)も、広義の心中ものです。

その主人公がヒロインの自殺後のモノローグでこう言います。

「僕はキミに殺されたかった」

私はもともと恋愛脳で、ある女性のおかげでそれがさらに増したので、この気持ちはとてもよく分かります。心中は私の理想ではありません。愛する女性に殺されて人生を終えられることほど、納得のいく死に方はないように思います。それに共感できない人は、僕を本当に理解することはできないでしょう。

だから、ついこの間まで、僕を殺してくれる女性を探していました。そのうちに「そんな女いるわけがない」「そんなマンガみたいなこと起きるわけない」「僕が殺されたいと思う女などいない。そんな高すぎるプライドを持つほど自分はダメになった」現実に向き合わざるを得なくなりました。もっとも、探す前から見つけられるとは、ほとんど思っていませんでした。

私がいつか必ず死ぬことは生まれた頃から知っていますが、いつ死ぬか、どうやって死ぬかは分からないままです。もし今日、自殺したとしたなら、「誰にも本当には理解されないまま、なにもかもうまくいかない、殺される価値もないほど、つまらない人生だったな」と最後に思うでしょう。