先生、殺してください
精神科なので「死にたい」と言う患者さんは毎日のように来ます。しかし、「殺してください」と言った患者さんは10名もいません。安楽死を希望しているわけです。
その患者さんは4年間毎週診察して、「殺してください」を100回くらい言ってきました。1回の診察で10回くらい言ったこともあります。私にとって一生忘れられない患者さんです。
統合失調症の患者さんで50年近く、その精神病院で入院していました。私が担当する頃には認知能力もかなり低下しており、「肉は食べたくない、肉は食べたくない、肉は食べたくない……」と同じ言葉を繰り返すこともたまにありました。
「先生、殺してください」は本人がなんらかの理由で落ち込んでいる時に言います。そう言う前に、高確率で「みっちゃんと結婚させてください」とお願いされました。
「みっちゃん」とは30年ほど前、その精神病院に勤めていた看護師さんで、その患者さんがずっと片思いしていたそうです。2人の仲がどの程度良かったかは知りませんが、特に事件があったというカルテ記録はなかったので、患者と看護師の関係のまま終わったと思います。
「みっちゃん」は20年以上前にその精神病院を辞めています。「みっちゃん」を知っている職員は、その精神病院にも数えるほどしかおらず、私も写真すら見たことがありません。その患者さんは統合失調症による認知力低下なのか、現実を直視したくないのか、「みっちゃん」がとっくの昔の病院からいなくなり、既におばさんになっていることを認めませんでした。
「みっちゃんと会いたい」「みっちゃんとつきあいたい」「みっちゃんと結婚したい」
「みっちゃんってどんな女性だったんですか?」
そう私が聞いても、まともな返答はしません。悲しそうな表情で「みっちゃんと結婚したい、みっちゃんと結婚したい……」と繰り返すだけです。
「みっちゃんと結婚できるといいですね」
私がそう言うと、「先生、結婚させて」と言ってきたりします。
「それはみっちゃんにお願いしてください」
「じゃあ、会わせて」
「それは難しいようです」
「……じゃあ、殺して。注射で」
「…………」
「先生、殺して」
「……それくらい辛いんですね」
お互い、無言になります。そこから先、どんなに話題を変えても、「先生、殺して」としか言いません。
その患者さんは人生のほとんどを精神病院で過ごしました。病気のせいもあり、院内に友だちがいないだけでなく、他の患者さんと話すこともほぼありません。卓球や体操などのレクリエーションに参加することもなく、笑っているところなんて一度も見たことがありません。生涯で最愛の女性と会うことも、つきあうことも、まして結婚することもできません。失恋の傷心に耐えているだけの人生です。
死にたくなるのも当然でしょう。そんな人生を送りたい人間なんているわけありません。この国の精神医療は、こんな患者さんを何万人生んでしまったのでしょうか。