見えない他人の悪を見ようとして、見えている自分の悪を見落とした
その患者さんは20才の風俗嬢でした。大学生でもあります。風俗嬢になった後、ホストクラブに通いつめ、1000万円ほどの借金を抱え、自殺未遂をしたので、私の患者さんになっていました。
母と一緒に来なくなった後の患者さんによると、風俗嬢になったのは母のせいでした。母の束縛があまりに強かったのです。その母は、初診から5回目の受診くらいまで、いつも本人と一緒に診察室にいました。
これは私の解釈ですが、はっきり言って、その母は母失格です。多くの観点で、患者さんの子育てに失敗しています。患者さん以上に、患者さんの母が倫理面でも性格面でも情緒安定面でもひどかったです。
患者さんは弁護士に相談していましたが、インターネット検索で一番上に出てきた悪徳弁護士に相談していました。愛知県在住なのに、東京の弁護士に依頼したのです。「ホームページがしっかりしすぎている弁護士は信用できない」という社会法則を知りませんでした。
当然ながら、患者さんはその弁護士にまともに相談もできていなかったので、仕方なく、私が法律相談もすることになりました。
「ホストクラブでの借金なんて踏み倒せばいい」
その私の助言を受けるまでもなく、患者さんもそうするつもりでした。問題なのは相手が反社会勢力であることです。
「おまえの家に行って、風俗嬢であること、ホストに1000万円の借金があることを拡声器で言いふらしてやる!」
ホストが患者さんをそう脅してきていました。
患者さんは近所にそう言いふらされることを恐れていませんでした。恐れているのは母でした。「今の家で生きていけなくなる」と診察室で精神科医である私にも言うのです。
「言いふらされるのは仕方ありません。事実じゃないですか。もしそれで脅されて、10万円でも払ったら、絶対、また同じように脅されますよ。そのために、1000万円も払うんですか? 本人が風俗嬢になっていることに、近所の人もうすうす気づいているかもしれませんよ(診察室でも本人は極めてセクシーな服を着ていました)」
そう言っても、お母さんはまだ納得しません。だから、私は続けました。
「公式統計はないようですが、キャバクラ嬢と風俗嬢などの夜職(よるしょく)は日本人女性が最も多く就いている職業のようです。それこそ看護師よりも、保母さんよりも多いそうです。当然ながら、夜職の女性の数よりも、そこに行く男性客の数はもっと多いはずです。珍しくもなんともありません。本当に倫理観の高い人なら、風俗嬢の娘がいる程度で縁を切ったりしません。逆に、それで偏見を持つようなくだらない奴なんて、こっちから縁を切ればいいんですよ。だいたい、そんなことを拡声器使って言う奴が悪者で、こちらは被害者じゃないですか。なんで被害者が加害者に屈しなければいけないんですか? 相手は反社会勢力なんですから、警察呼べばいいですよ」
そこまで言っても、お母さんはどうしようか迷っています。私も呆れて、「とにかく、お金を払ったら負けですよ。返ってきませんからね」と念を押して、その回の診察を終えました。
すると、次の私の受診の直前に、お母さんが100万円もホストに振り込んできた、と言うのです。
「なにやっているんですか! あれだけ言ったじゃないですか!」
もはや診察の主人公は、本人ではなくお母さんでした。その診察の間中、お母さんはうなだれていましたが、それくらいの心の痛みは受けるべきだと私は判断して、説教を続けました。長くなるので詳しくは書きませんが、問題のホストと本人が同棲するようになったのも、お母さんが本人に風俗の仕事を辞めるように包丁を持ち出して脅し、「殺人事件が起きる前に家から逃げろ」とお父さんが本人に言ったからです。
その診察後、お母さんは歩く気力もなくなったようで、診察室のすぐ外にある長椅子に座って休み、本人に慰められていました。次の回から、お母さんは本人の診察に来なくなりました。
風俗嬢、ヤクザ、キャバクラ、半グレ、アイドルなど、世の中には悪が存在しています。この悪たちと関わりあいになりたくないでしょうが、その悪を知らないまま、まして、その悪がないものとして、社会で生きるべきではありません。その悪を知りつつ、道徳観を保つことが重要です。
上記のお母さんの罪は、社会の中の悪を見ようとしなかっただけでなく、自分の中の悪を見ようとしなかったことにもあります。