「人間の数値化社会」のメリットと言えるのは、「シンギュラリティが生む『人間の数値化社会』」でも触れたように、刑務所が不要になる、という点です。ただし、刑務所不要改革は「全ての人間の位置情報の把握」技術が、より重要です。
そもそも、なぜ刑務所は必要なんでしょうか。たとえば、殺人犯を何十年も牢屋に閉じ込めたって、死んだ人は復活しません。窃盗犯が罪を償いたいのなら、懲役刑でわずかに稼ぐ金で少しずつ返すより、一般社会でより高額の仕事に就いて、返金した方が効率いいですよ。刑務所に犯罪者を閉じ込めて、一体、社会全体になんのメリットがあるんでしょうか。
それはもちろん、社会全体の犯罪を減らすメリットのためです。統計的にも、常識的にも、犯罪をする奴は、また犯罪する可能性が高いんですよ。そんな危険な奴を一般社会に出して、また被害者を増やしたくないからです。
(では、さらなる被害者さえ出なければ、加害者も一般社会で暮らした方がいいのか?)
その答えは、もちろんyesです。だからこそ、受刑者が一般の職場で働く松山刑務所大井造船作業場が日本にもあるわけですよね。おそらく、他の国でも一般の職場で働く制度が組み込まれた刑務所は存在するはずです。
余談ですが、2018年に松山刑務所大井造船作業場で脱獄が起きた事件は「逃げるが勝ち」(高橋ユキ著、小学館新書)という本で読めます。どうして本州まで泳いでいけたのか、脱獄の原因である「自治会」が事件後に消滅したことも含め、考えさせられる本で、僕も2年ほど前に読みました。同じ著者の「つけびの村」(高橋ユキ著、小学館文庫)の後半がほぼムダな情報だったのに対して、「逃げるが勝ち」はムダな情報が少ない質の高い本だと思います。
話を戻します。犯罪者がその罪によらず、刑務所に入らなくていい社会は、どのように実現できるのでしょうか。
大前提として、全ての人の位置情報が把握できている社会でなければなりません。つまり、全ての人にチップが埋め込まれ、どこにいるかがコンピュータ上で把握できる社会です。よほどの事情がない限り、全ての人の位置情報がネット上で公開されていれば、社会は今より遥かに効率的になると私は確信しますが、本人が希望しないとネットで公開されない制度でもいいのかもしれません。
ともかく、全ての人の位置情報がネットで公開されるとは限らないとしても、犯罪者の位置情報は、犯罪者本人の希望と全く関係なく、ネットで必ず公開されます。これにより、犯罪抑止効果はかなり上がります。
それだけでなく、たとえば殺人犯は、まず指定された囚人寮から、裁判所で定められた期間、出られません。規則を破って、囚人寮から出たら、すぐに囚人寮に常駐する刑務官が来て、元の囚人寮に戻され、場合によっては、囚人寮にいなければならない期間が延びるでしょう。特に罰が重い囚人は、他の囚人に近づくことも許されません。他の囚人に暴力を振るうことも防がないといけませんから。これも規則を破って、他の囚人に近づいたら、囚人寮に常駐する刑務官が来て、すぐに引き離され、場合によっては、隔離室に入れられたりするでしょう。
(それは囚人寮と名前を変えているだけで、実質的に刑務所と変わらない)
そう思うかもしれませんが、いや、やはり囚人寮と刑務所に違いは大きいですよ。外見上の一番の違いは、刑務所が塀に囲まれているのに対して、囚人寮は塀に囲まれておらず、それどころか原則、門も開いていることです。囚人寮は実質的には出入り不可能な場合もありますが、埋め込まれたチップさえなければ、誰でも物理的には出入り可能で、脱出しようとすれば、誰でも簡単に脱出できます。また、刑務所は囚人のための工場があったりしますが、囚人寮に工場などありません。もちろん、囚人寮には懲役刑を受けた囚人もいますが、その懲役とは、一般社会の職場で働くことを意味します。
囚人寮には、罰の軽い囚人たちもいます。その囚人たちは、もちろん、囚人寮の外に自由に出られます。ただし、一般人に近づいてはいけない、という制限はあるかもしれません。場合によって、一般人全員ではなく、事件関係者だけは近づいていけない制限、性犯罪者なら女性には近づいてはいけない制限はあったりするでしょう。
そういった制限を守ってさえいれば、囚人が一般工場や他の職場で働くことも当然、許されます。いえ、より正確には懲役刑の人は、上記の通り、許されるのではなく、一般就労しなければいけません。また、たとえ懲役刑でなかったとしても、刑務官などから一般就労を推奨されるはずです。社会科学的にも、一般社会で勤勉に働いた方が、再犯率が下がり、社会復帰も進みやすくなりますから。もちろん、囚人が晴れて無罪放免になった後、既に務めている職場で働き続けることも許されるべきでしょう。
ここまでで示している通り、未来社会に「禁固刑」はなくなります。「禁固刑」は「人との交流禁止刑」などに呼び方も、実質上も変更になります。「人との交流禁止刑」という名称でも、当然ながら、刑務官との交流はしなければなりません。
ここまでは全て定性的な話なので、より本質的な定量的な話にうつります。
上のグラフにあるように、2018年で刑事施設収容人数は既決で4万4,755人,未決の人数は5,823人の合計5万578人です。グラフの通り、この数は減少の一途です。
2022年末時点で、刑務所、拘置所、労働拘置所に収容されている人数(上記の「既決」)は41,541人であり、そのうち99%くらいが懲役刑のようです。残り1%はだいたい禁固刑で、死刑を待つ者は2025年現在で106名だそうです。
2018年、全国の刑務所、少年刑務所及び拘置所(それらの支所を含む)において約17,500人の刑務官が勤務しています。
つまり、現在の日本では4万名程度の囚人寮が必要になります。そのほとんどは懲役刑を受ける囚人のための寮になります。
「囚人寮制度」や「犯罪者の位置情報の把握」が実現した場合、税金の節約になるはずです。
上記の通り、刑務所がまず不要になります。「なぜ日本はコンパクトシティの都市計画で50年間も失敗続きなのか」に書いた通り、現在の日本に空き家は山のようにあります。空き家や空きアパートを改造して、高齢者施設にすることは全国各地で行われていますが、税金使って、空き家や空きアパートを囚人寮にすることも行われるべきでしょう。刑務所を改修して囚人寮にするより、空き家や空きアパートを改修して囚人寮にする方が遥かに安く済みますから。
なお、一つあたりの囚人寮の定員数は10~300くらいになるでしょう。日本最大の刑務所は府中刑務所で、収容定員は2,668人なので、1施設あたりの収容人数はだいたい1桁少なくなります。2010年4月時点で、刑務所62、少年刑務所7、拘置所8、刑務支所8、拘置支所103の合計188ですが、囚人寮の数は1桁増えて日本に2000くらいできると思います。これはだいたい日本全国の高校数の半分くらいで、日本全国の大学数の2.5倍くらい、と言えばイメージがつくでしょうか。大学ほど広大な土地を持つ囚人寮は日本に一つも存在しないでしょうが、小さい高校くらいの土地を持つ囚人寮は日本に10~100くらい存在してもいいのかもしれません。
他の大きな変更点は、刑務官の仕事の変化です。まず、刑務所の工場がなくなるので、工場担当の刑務官は全員不要になります。その仕事は、懲役刑の囚人の一般就労中の監視役の仕事に置き換わります。さすがに懲役刑の囚人1人に対して刑務官1人が常時監視していたら、刑務官は全く足りなくなります。だから、職場を限定して、複数の囚人を同じ職場で働かせ一人の刑務官が複数の就労中の囚人を監視したり、模範囚は常時監視しなくていい制度にしたりすべきです。
なお、囚人寮にすら入らず、自宅で家族と一緒に暮らして罰を受ける受刑者もいます。これはいまもいますよね。いわゆる「執行猶予」の人たちです。執行猶予中の者は現在、受刑者とは呼ばないかもしれませんが、「人間の数値化社会」では、執行猶予中の人でも「犯罪スコア」は上昇しています。
ここから改めて、刑罰と「犯罪スコア」について考察します。「犯罪スコア」は裁判所で有罪にならない限り、上昇しない数値なので、一般人はゼロです。また、全ての罪を償った人も「犯罪スコア」はゼロです。むしろ、「犯罪スコア」をゼロにすることが、罪を償うこと、つまり受刑者の目的です。
囚人寮での生活態度や刑務官や他の囚人からの評価、職場での勤務態度や上司や同僚からの評価によって、「犯罪スコア」の減少度合いは変わってくるべきでしょう。いわゆる模範囚ほど、「犯罪スコア」が早く減ること、早く受刑者でなくなることは、現在と変わりません。
「犯罪スコア」のメリットおよびデメリットは、本人の前科が一目瞭然なことです。本人が隠しても、顔認証で個人が特定されると、原則、「犯罪スコア」は大きく赤字で表示されるので、「危険人物」である、とすぐ分かります。執行猶予中の人だったら、小さく黒字表示にする、などの気遣いはあっていいかもしれません。ただし、「犯罪スコア」が少しでもあれば、犯罪者がどれだけ希望しても、誰に対しても「犯罪スコア」を隠し通すことはできません。さらに言えば、「犯罪スコア」がゼロになった後も、しばらくは過去に「犯罪スコア」があった記録は見られてしまいます。
たとえば、現在の日本だと、刑の言い渡しの効力は、禁錮以上の刑の場合は刑の執行を終えてから10年、罰金刑の場合は納付から5年が経過すると消滅します。つまり、犯罪スコアも、禁錮以上の刑の場合は刑の執行を終えてから10年、罰金刑の場合は納付から5年が経過するまで、「犯罪スコアが存在した」記録が見られてしまいます。もっとも、本当に「犯罪スコア」が社会で実現する場合に、「いくらなんでも、これまで通りに10年、5年だと長すぎる」と判断され、法律でこれらの期間を短く改正する可能性は出てくるでしょう。
次の記事で「信用スコア」と「犯罪スコア」の代替方法など、各スコアの代替方法、および「スコアをあげたり、もらったりの制限」について論じていくつもりだったのですが、その議論を理解するための基礎知識として、「資本主義の矛盾を解決するのは共産主義ではなく累進課税である」の記事を書いた方がいいと思いました。「人間の数値化社会」と特に関係ないのですが、「資本主義の矛盾を解決するのは共産主義ではなく累進課税である」の記事をまず書かせていただきます。