婚姻費用裁判は1日で終わりました。厳密には、裁判でなく審判だったようです。裁判と審判の違いはよく分かりませんが、私のもう一つの離婚裁判(これは審判ではありませんでした)の違いでいえば、離婚裁判だと私と元妻側弁護士と裁判官が同時に部屋にいましたが、婚姻費用審判では私と裁判官、元妻と元妻弁護士と裁判官がそれぞれ同時に部屋にいたことです。つまり、離婚裁判だと私と元妻側が顔を合わせる機会があったのですが、婚姻費用審判だと私と元妻側が顔を合わせていないのです。
裁判にしろ審判にしろ異常だと思ったのは、私と元妻側が全く議論しなかったことです。たまたまなのか、それが普通なのか知りませんが、特に離婚裁判で私がなにか言おうとすると、裁判官に遮られて、「文書で伝えてください」と言われたのです。
そんな裁判所の理屈に関して、私がブチ切れたのは4月18日の婚姻費用審判です。この日、「離婚時に財産分与など普通しません」などで私が批判したH裁判官と会いました(できれば一生会いたくない人でした)。
婚姻費用審判では、H裁判官の他に、もう一人、書記官も同席していました。H裁判官は30代女性、書記官は20代女性に見えました。書記官の方は深刻な表情で、状況を見ていましたが、H裁判官は100万円以上のお金が動くかもしれない(実際、判決で138万円も払うように命令されました)審判なのに、最初から半笑いで、深刻さがまるで感じられませんでした。
恥ずかしながら、私は車運転時に一時停止違反やスピード違反などで何度も捕まったことがあり、青切符を何回も切られています。交通違反で5回以上は対応した警察官の誰と比べても、H裁判官の深刻さのなさは段違いでした。H裁判官のようなふざけた人が青切符を切っていたら、「こっちは6000円も罰金払わないといけないのに、なんだその態度は!」と逆ギレされても仕方ないと私は断定します。まして、100万円以上もかかった婚姻費用審判で、あの態度はありえません。道徳以前に、常識すら微塵もうかがえない態度でした。
だから、「一方的に別居した妻が夫に婚姻費用を請求することは道徳的に許されません」と私が主張した時、ヘラヘラしながらH裁判官が「はい! 分かりました!」と元気よく言うので、「いえ! 分かっていませんよ!」と私がブチ切れました。
「失礼ですが、裁判官は結婚して、子どもがいますか!」
そう私が聞くと、裁判官も書記官も黙り、当然ながら、気まずい空気になります。私が半分怒鳴りながら続けます。
「もしそうでなかったら、結婚して、子どもがいると想像して聞いてください。もし裁判官の夫が子どもたちを連れて一方的に別居し、金持ちの実家で暮らし、子どもたちに一切合わせなかったくせに、別居期間中の生活費を払え、と言ってきたら、どう思いますか!」
私の怒りに、ようやくH裁判官も深刻な表情になりました。それまで打っていたパソコンを私に見せながら、「言いたいことは、これでいいですか?」と低い声でH裁判官が聞いてきました。パソコンには「一方的に別居した妻が夫に婚姻費用を請求することは道徳的に許されません」と書かれています。私は次のように答えました。
「文としてはそれで合っています。しかし、人類普遍の原理として、同じ文でも、それを発する気持ちによって、意味が大きく変わってきます。私が今日、車で1時間もかけて名古屋の家裁まで来たのは、私の気持ちを伝えるためです。文を伝えるだけなら、こんな審判を開く必要もなく、手紙を送れば済みます。違いますか!」
そういえば、調停と裁判(と審判)を通じて奇妙に感じたことの一つに、私と元妻が一緒の部屋にいることが1回もなかったことです。別に元妻や私の虐待が認められたわけでもないのに(強いていえば、元妻が私に暴力をふるって警察沙汰になったことはあります)、ここまで避ける必要はあったのか、と思います。
ただし、元妻が私と同席を避けて、議論にいたっては、元妻も元妻の弁護士も私と直接対決を避けた理由は、だいたい分かります。
私は名古屋大学医学部卒なので知性はかなり高く、元妻の弁護士の学歴(京大法学部卒)くらいではまずかないません。私の倫理観は私の知性よりも遥かに高く、上記のように、裁判官相手にすら説教できたりします。そんな私相手に、「どちらが倫理的に正しいか」を議論しても、まず勝てないと元妻も元妻の弁護士も判断したのでしょう。
結果として、私は婚姻費用裁判で見事に負けたので、元妻側の法廷戦術は正しかったようです。孫氏の兵法に「負ける戦いはするな」と書かれている通りです。