AとBの二つの異なる意見の対立があって、一般的にはAよりBが好ましいと判断されています。ただし、AとBをアウフヘーベンさせたA´という意見はBよりも好ましい場合がよくあります。しかし、固定観念の強い人はA´をAと同一視して、A´はBより劣るとみなすことが世の中ではよくあります。単純化すれば、私の人生はこの30年間くらい、ずっとこの戦いだったと言えるかもしれません。
10年くらい前からでしょうか。へーベル弁証法のアウフヘーベンは(一人一票の)民主政治と相性が悪いことに私は気づいていました。おそらく、100年以上前から、この危険性に気づいている人はいるはずです。
たとえば、欧米先進国では20年ほど前から、新保守政党が台頭してきています。例外もありますが、その多くはナチスのような極右(A)とは全く違う、新しい保守政党(A´)を目指していたはずです。しかし、固定観念の強いマスコミはAとA´の違いを理解せず、「危険な極右政党が台頭してきた」と批判します。さらに悪いことに、大衆もA´のA部分に注目して、支持してしまいます。おそらく、新保守政党の中には「A部分だけを支持するなら最悪だ。そんな人の支持など要らない」と否定したい政治家もいたのでしょうが、それでは選挙に勝てません。A´の政党だったはずなのに、まともな政治家は去ってしまい、いつの間にかAと大差ない政党になり下がってしまいます。
こういった弊害をなくすために、「投票価値試験」を実施すべきと考えます。