バブル期、代々木公園や上野公園に大量に集まってニュースになっていました。私はその時代に小学生であり、ニュースを観たのかもしれませんが、記憶はありません。ただし、それから10年か20年後に、その時のイラン人集団の写真を見た記憶はあります。「国境を越える」(樋口直人、稲葉奈々子、丹野清人、福田友子、岡井宏文著、青弓社)はその時代のムスリム(バングラデシュ人、パキスタン人、イラン人)を学術的に研究した本です。
なお、バブル期といっても80年代後半から2000年代前半まで、バブルの残り香がわずかにあった時期まで含みます。
上の表にあるように、イラン人もバングラデシュ人も月700ドル近くも母国に送金していたようです。送金総額はイラン人で3万ドル強、バングラデシュ人で6万ドル弱と倍ほど差がありますが、この差はイラン人よりバングラデシュ人の滞在期間が2倍ほど長いためです。本によると、月額でも総額でも、送金額として世界最高部類に入るそうです。
その証拠に、渡日前に労働者だったのに、帰国後に経営者になった率(被雇用者から自営業者になった率)は、イラン人で82%、バングラデシュ人で69%です。自営業者の割合で考えれば、渡日前と帰国後で、イラン人は3割から8割、バングラデシュ人では1割から6割です。
本には特に成功したイラン人3例が載っています。あるイラン人兄弟の2人は同じ会社で5年間、日本で働きました。日給1万円からはじまった賃金は日給1万5千円まで上がり、節約を心がけたため、なんと2人で20万ドルも送金したそうです。兄弟2人がそれぞれ自宅を購入し、さらに賃貸物件としてお店2軒、住宅1軒を購入しました。2000年代半ばには家賃だけで十分生活費を賄え、2人で営むチーズ屋の儲けで業務用と自家用の自動車を購入し、それでも収入の3,4割は貯蓄に回せています。
次の一人は、8人兄弟のうち6人も日本に出稼ぎに来ていたイラン人です。彼は12年も日本に滞在し、一人で総額3000万円も送金しました。兄弟で6階建ての家を購入し、うち15部屋を賃貸に出し、お店も4軒購入し、賃貸に出しています。遊んでいても生活していけますが、なにか仕事をしようと500万円投資して薬の卸売りをしています。イラン人では珍しく、自動車も持っています。
もう一人は、日本で7年滞在し、800万円を送金したイラン人です。年数の割に送金額が低いのは、日本人女性と結婚して、そのための費用などがかかったからです。布の製造・卸売りを商売とする兄に全額投資すると、兄は見事に成功します。本人も兄の事業を手伝い、乗り物もバイク→中古車→日本の新車と収入増に合わせて買い替え、ついには3000万円もする高級マンションまで購入し、日本にいた時よりも稼いでいます。出産した日本人妻を帰国させ、義父母に孫をかわいがらせるほどの金銭的余裕もあります。
ただし、必ずしも成功したと言えない例も、上の表に示されています。バングラデシュ人の学生です。出稼ぎ後、自営業を始めた13人と同じ数の13人が無職です。半数の学生は、日本で稼いだ金を投資してビジネスで成功したものの、残りの半数の学生は投資せず、日本で稼いだ貯金を切り崩して、ニート生活をしているそうです。なぜ投資しないかといえば、渡日前に学生だったため、どう投資していいか分からない(商売の始め方が分からない)ため、と本に書かれています。今さら日本より遥かに低い賃金のバングラデシュで雇われて働く気にもなれないそうです。
本にはそう書いていますが、日本で稼いだ金を投資したものの、ビジネスで失敗した人も必ずいるはずです。そういった人は夜逃げしたかなにかで、調査対象になれなかったのでしょう。
フィリピン人や中国人や韓国人やブラジル人と異なり、1980年代後半から2000年代まで日本で働いたムスリムはほぼ全員、男性です。パキスタン人とバングラデシュ人が2万5千人ずつ、イラン人が5万人で、それ以外の国からの出稼ぎはあまりいなかったそうです。彼らの多くは20代や30代の若者で、パキスタン人の90%、イラン人の95%、バングラデシュ人の95%が2000年代半ばまでに帰国しています。若い頃の貴重な数年間を異国で過ごした経験は、一生忘れられるものではありません。まして、そこで稼いだお金によってビジネスで成功したのなら、本人にとって日本で働いた経験は特別な意味を持ちます。
日本のバブル期はおかしなこともいろいろありましたが、世界の中での日本の経済力が最も強かった時代でもあります。バブル期に溢れる日本の富の一部が、バングラデシュ、パキスタン、イランで何万人ものビジネスの成功に導いた歴史は、日本人として誇ってもいいのではないでしょうか。