未来社会の道しるべ

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なぜ池袋通り魔事件は起きたのか

前回の記事の続きです。

造田の転職人生の中で、特別なエピソードは失恋とアメリカ滞在になるでしょう。

造田は小学校から中学2年生まで同級だったA子さんに、高校生の頃から20才頃まで片思いをしていたようです。造田によると、A子さんは小学生の時に「好き」と言ってくれたことがあるらしく(A子さんは「そんなことは絶対にない」と否定)、その時の造田はなんとも思っていなかったので、はっきり返事をしなかったそうです。それが気にくわなかったのか、A子さんは友だちを通じて「造田はダメだ」と言ってきて、造田はショックを受けました。A子さんとはその程度の関係だったようですが、造田は高校生活がうまくいかなくなってきた頃から20才まで、5通ほどのラブレターをA子さんに送っています。A子さんの家族によると、うち2通は切手が貼っていなかったので、直接、家の郵便受けに入れたと思われます。最後の手紙が届いた頃、造田はA子さんの家に行きますが、A子さんの父がインターホン越しに「A子はあんたのこと知らない。本人も嫌がっているし、付き合う気持ちはない。うちの子はまだ勉強することがある」と言うと、造田は「分かりました」と答え、すんなり帰りました。以後、造田は手紙を送ることも、家を訪れることもなくなりました。

裁判でも著者との手紙でも、造田はA子さんに恋愛感情があったことを一貫して否定しています。しかし、裁判で責任能力がないと主張したい弁護側は、造田はA子さんに恋愛感情を抱いており、アメリカに行ったのもA子さんに会うためだったとして、これを恋愛妄想と主張します。造田が犯行前年の1998年にアメリカに渡った時、A子さんはアメリカのシアトルで留学中でした。なお、造田はA子さんの留学を知らなかったと裁判でも主張し、この点で自身の弁護士と意見が一致しません。

22才の造田は英語が全く話せないのに、格安航空券でロサンゼルスに降り立ちます。持参金はわずか200ドルなので、帰りの航空券すら買えない金額であり、節約して旅行しても数日で尽きます。造田は即日、長距離バスに乗り、アメリカ西海岸を北上します。シアトルが目的だとしたら、その手前のポートランドで所持金が尽きます。造田はここでパスポートを自らの手で破り捨てており、「池袋通り魔との往復書簡」(青沼陽一郎著、小学館文庫)の著者はこれを「常人には理解し難い行動」と述べていますが、下記のとおり、私は「自暴自棄になった人間の行動」として理解できます。

アメリ渡航の理由として弁護側はA子(恋愛妄想)をあげますが、A子だけが目的でもないと私は考えます。もしA子だけがアメリ渡航の原因だったら、ポートランドで2カ月も過ごした後、造田はシアトルに寄らず日本に帰国していないと考えるからです。もし私が女性に会う目的でアメリカに行ったら、会える奇跡を信じてシアトルまでは歩いてでも行っています。パスポートを破り捨てたことから、造田はアメリカで野垂れ死ぬことを目的ともしていたと私は考えます。

(オレはもうダメだ。この世界で生きていけない。だったら、せめてあの女性に会いたい。そう思って海も渡ったが、それもできなかった。やっぱり、オレの人生はうまくいかない。もういい。ここで死のう)

造田はそんな気持ちだったと推測します。このような無差別殺人が起こると、「なぜ社会に絶望して無差別に人を殺すくらいなら、自殺を選ばなかったのか」という批判が必ず起こりますが、多くの無差別殺人犯は実行前に自殺を考えたり、造田や秋葉原通り魔事件の加藤や新幹線無差別殺傷事件の小島のように、自殺未遂をしていたりします。「なぜ加藤智大は自殺ではなく殺人事件を起こしたのか」でも考察した通り、「なぜ殺人ではなく、自殺しなかったのか」と考えるよりも、「なぜ犯人は殺人や自殺を考えるほど追い詰められたのか」と考えるべきではないでしょうか。

話を戻します。

造田はポートランドで餓死寸前になったところで、日本領事館に保護されます。体調は劣悪で意識障害もあったようです。

領事館から連絡を受け、日系のプロテスタント教会が造田の身元を引き受けます。さらに、この教会の関係者が造田を自宅に滞在させます。ポートランドの教会の人たちは献身的で、同じくホームステイしていたSくんは造田が生涯で最も信頼する人物になったようです。造田は裁判中から「造田博教(仮名)」なる思想体系を造り出して、造田博教の内容を手紙にて、日本に戻ってきていたSくんに何通も送っています。著者にも何通も送っていますが、その前からSくんに送っており、著者への手紙からも、造田のSくんへの信頼が厚いことは分かります。造田博教はアメリカやキリスト教への共感が強いのですが、それもこの時の経験に由来するのでしょう。

造田はポートランドの空港から帰国するとき、「すごく名残惜しそうで、少し目に涙を浮かべていた」そうです。帰国したら造田はポートランド教会で紹介してくれた人にすぐに連絡しましたが、そこを通じての就職はできなかったようです。

その後も造田は転職を続け、アメリカから帰国して1年もたたないうちに、池袋通り魔事件を起こします。

以上の経緯と「池袋通り魔事件犯人の経歴」から判断して、造田が殺人事件を起こした責任は、第一に両親にあるでしょう。両親がギャンブル依存で借金つくって、夜逃げしたりしなければ、池袋通り魔事件は起きませんでした。それと比べれば軽い責任でしょうが、両親が次男である造田を甘やかしたことも犯行原因だと私は考えます。

造田は殺人事件を起こしたとは思えないほど、他者との争いを避ける性格です。「造田博教」という政治、経済、文化にも関わる思想体系を造り出すくせに、その手紙には「私の思ったことを適当に書いただけなので、あまり深刻に考えないでください」と必ず添えるほど、他者からの批判を避けようとします。「相手の気持ちを最優先する日本と道徳を最優先する西洋」でいえば、造田は代表的な日本人になります。

池袋通り魔事件犯人の経歴」の通り、造田は辞職理由を言葉に出して言えません。つまりは、自分の欠点や失敗を認めようとしません。おそらく認めてしまうと、「自分はなんてダメな奴なんだ」「自殺するしかない」などと絶望してしまうからでしょう。しかし、造田は言葉にしなくても、無意識には自覚していました。

終身雇用のある日本社会とはいえ、複数回転職を繰り返した者など、日本に1千万人以上います。その程度で自殺したり、他殺されたりしたら、社会はもちません。10代から20代は、自分と社会の、理想と現実を認識する重要な期間です。自分の欠点も、社会の欠点も直視せざるを得ません。退職理由を言葉にできないほど、自分の欠点を直視できない甘ったれは、社会で生きていけません。両親に甘やかされて育った造田は、社会で生きていくために必要な反省する能力を持っていなかったのです。

だから、実家の近所の人たちの「両親が悪いと言うが、そんな両親に甘やかされ、甘えていた博も悪い」の判断(おそらく著者の判断でもある)は正しいと私は考えます。

そう思う根拠の一つは、裁判でも、著者への手紙でも、造田は両親に対する恨みをほとんど語らないことです。両親のギャンブル、借金、失踪については、造田の辞職理由などで出てくるものの、その影響は「あまりなかったか、少しあったような気がします」としか言いません。客観的にはひどすぎる両親なのですが、自分を幸せにしてくれた(甘やかしていた)両親を憎む気にはなれないのでしょう。造田は自分にとっての両親を考えられても、社会の中での両親を客観的に考えられるほど、精神的に成熟していなかったようです。

なお、造田も自己肯定感はあります。著者への手紙で「中3の時5教科で420~460点くらいです。9教科で最高平均86か87点でした」「(中学の)私のテストの点は東大、早稲田、慶応に入れるくらいとか。学校に聞いてくれてもいいです」と自慢しています。シアトルに留学するほど優秀な成績のA子さんに、小学生の頃とはいえ「好きだ」と言われたことも手紙で書いています。挫折して自分の価値を見失っている時こそ、過去の成功体験を思い出し、自尊心を保ちたいのでしょう。私も同じことを経験したので、この防御反応としての思考は理解できます。

ただし、高卒後の私なら「学校の高成績なんて、工場労働者や新聞配達員としてはなんの役にも立たない」「中学校の先生からの大学に受かる話なんて、社交辞令に決まっている」と分かっているので、上のような言葉は恥ずかしくて、とても手紙に書けません。

結論としては、前回の記事に通り、「家庭支援相談員」が造田のような犯罪者予備軍に常に寄り添い、適切な助言を与えることでしょう。家庭支援相談員でなかったとしても、自分と社会の、理想と現実の違いに苦しむ本人に寄りそう人は、本人に共感しながらも、本人が直視したくない本人の欠点や社会の現実を伝えるべきだと考えます。それが本人のため、社会のためになり、犯罪事件の予防にもつながるからです。