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なぜ倫理観の高い小島一朗が殺人を犯したのか

前回までの記事の続きです。

三菱系工作機械メーカーに勤めていた時、点検整備料の不正割増を命令する上司に、小島はこう反論したそうです。

「日本の造船業が再び世界一になればいい、と思って、私は日々、頑張っております。そのためには、我が社だけが儲かればいいのではなく、日本が真に素晴らしい船を適正な値段で造り上げなければなりません。そうすれば、自然と我が社の利益も上がっていくことでしょう」

点検整備料の話をしているのに、日本の造船業の話を始めたら、大抵の日本人は「なにを言っているんだ」という顔をするでしょう。一方、「相手の気持ちを最優先する日本と道徳を最優先する西洋」に書いたように、私の海外経験からいえば、西洋だとこういった論法が通用することが日本と比べものにならないほど多いです。

小島の独自文書を読んで、上記は私が最も共感を示したエピソードです。過去から現在まで、小島も私も、個別の問題に広大な視野から論じる失敗(成功もありますが)を繰り返してきています。

「家族不適応殺」(インベカヲリ著、角川書店)の著者と比べても、小島は知性が高いでしょう。著者は小島に自身のヌード写真のある本を「深く考えずに」送付して、小島に軽蔑されています。また、小島が拘置所で数学の本を所望したりすると、「一生刑務所にいるつもりなのに、何のために数学の勉強をするのかも不思議だ」と著者は思っています。著者は教養の価値を理解できないようです。

「家族不適応殺」の著者は最初から最後まで、小島を理解できなかった、と書いていますが、著者程度の知性や倫理観なら当然でしょう。

では、そんな高い倫理観の小島が倫理的に最も許されないはずの殺人をなぜ犯したのでしょうか。

その最大の理由は、小島が小学生2年生の頃から刑務所への強い憧れを持っているからです。これは小島自身が一貫して最も強く主張する犯行理由です。

一体全体、なぜ小島は刑務所へのいびつな憧れを持ってしまったのでしょうか。

それは母がホームレス支援のボランティアに従事していたからのようです。母の支援対象者には、刑務所帰り者が多くいて、小島も小さい頃から接していたようです。「家族不適応殺」によると、刑務所内の者たちまで母は手紙相談に応じています。

おそらく、小島は母から「刑務所に入っていたからといって、差別してはいけない」と厳しく言われていたはずです。小島の姉によると小島はマザコンらしいので素直にそれを聞き入れたのでしょう。また、小島は小さい頃から倫理観が高かったので、実社会で偏見にさらされている刑務所帰りの人たちに同情した可能性も高いです。結果として、それが行き過ぎて、倫理観が高いからこそ刑務所に憧れた、という奇妙な思考の流れが小島の中で出きたようです。

もっとも、刑務所への憧れが異常であることを小島は認識しています。刑務所に入るためには、倫理的には間違っている犯罪をしなければなりません。犯罪は増えるべきでないので、「私のような人が増えても困る」とも小島は犯罪後に言っています。

だから、殺人という倫理的に最も許されない犯罪ではなく、万引きなどの小さい犯罪を繰り返して刑務所に入る方法も小島は考えていました。

小島は中学生の頃、コンビニでおにぎりを持って、店外に出て、また店内に入り、「万引きした。警察を呼んでくれ。私は少年院に入りたいんだ」と言って、店員たちを困惑させています。20分ほど問答した後、「もう、それ差し上げます」と言われ、「バカにするな! 私は少年院に入りたいだけで、金ならある」と小島は怒鳴り、お金を払って、おにぎりを食べたそうです。

中2の時に父に包丁を投げつけた理由も少年院に入るためで、その他に小島は何度も警察沙汰になっていますが、逮捕されたり、病院に入れられたりしました。「やっぱり大きな罪を犯さないと入れないのかなあ」と思うようになって、殺人を犯した、と裁判で小島は答えています。

「家族不適応殺」の著者に「累犯で2年おきに刑務所に入る人もいるよね?」と問われると、小島はこう答えています。

「いますね。でも、1回出所すると優遇区分とか、制限区分とかはリセットされてしまうんです。私は模範囚を目指しているので、昇進するためには無期刑になる必要があるんです。優遇区分においては第一類に、制限区分においては第一種に、労務作業においては第一等工に。私はキリスト教徒が修道院に入るように、仏教徒が山門に入るように刑務所に入るんです」

小島は刑務所に10年以上憧れていたため、よく調べていました。もっとも、横浜刑務所はL級刑務所でないためか、わずか2年で昇りつめてしまった、と小島は判決後に独自文書で述べています。小島の調べ漏れもあったようです。

また、刑務所に入るため、約束の月1万5千円の食費を払わない母を毎月のように包丁で脅していた、とも裁判で述べています。

新幹線無差別殺傷事件の動機」で、小島が恨む家族ではなく、小島が恨んでいない新幹線に乗り合わせた人をなぜ殺したか、と考察しました。その答えの一つは、「小島は家族を殺そうとしたことは何度かあったが、家族を愛する小島は、それができなかった」になります。

小島は2018年に裏寝覚で餓死しようとした時、母方祖母からの電話で「迎えにきたら殺す」と言っている一方で、「犯罪を実行して、刑務所に入らないのは家族のためだ」とも言っています。

小島は儒教的な家族観を持っているようで、家族を無条件に大事にします。小島とよく接触する母と母方祖母は愛憎半ばのようですが、あまり接触してこないその他の家族は、過去に理不尽な扱いを受けた者も含めて、大切にしています。独自文書によると、小島の死後、小島の財産は、おそらく会ったこともない姉の子どもたちに譲ることになっています。

小島は犯行の原因に家族がある、と頑として認めません。子どもの頃に受けた家族からの理不尽な仕打ちの不平を言っても、あくまで犯行の理由は「刑務所に入りたいから」と「むしゃくしゃした事件」としか言いません。

前回の記事でも今回の記事でも、私は小島と似ていると何度も書いています。では、小島が殺人犯になったのに、私が殺人犯にならなかった決定的な差は、どこにあるかといえば、この家族観の差です。私は高卒後に家族からできるだけ逃げましたが、小島は高卒後も家族と一緒に暮らしてしまったのです。小島が高卒後、一時的に家族の元に帰っても、すぐに家族から離れていれば、小島が犯罪者になることもなく、新幹線無差別殺人事件も起きなかったと私は考えています。

小島の理想順位は「刑務所、精神病院、餓死」だと「家族不適応殺」の著者に明確に述べています。母や母方祖母も、小島が刑務所や自殺を何度もほのめかしたことを認めています。しかし、自殺はともかく、刑務所は冗談だと思った、と母も祖母も言っています。

この母や祖母の態度に、小島はいらだっていたようです。小島のように何度も自殺未遂した「無敵の人」なら「刑務所に入りたい」が冗談のわけありません。母と祖母は、小島が最も理解してもらいたい気持ちを誤解していたのです。

もしホームレス、精神病者、元受刑者を支援している母が小島の気持ちを分からないとしたら、母の20年に及ぶ慈善行為は偽善だと断定されるべきです。

ホームレス支援に専念する母の影響で小島は高い倫理観を持ったのに、その母に理解してもらえないのです。また、小島を「いわゆる岡崎」に住ませ、養子縁組までして助けてくれた祖母も、刑務所への憧れを持つほど追い込まれた小島の気持ちを理解してくれないのです。小島が最初から期待していない父や父方祖母でなく、小島が期待して頼り続けていた母や母方祖母に強い反感を持つのは必然でしょう。この小島の気持ちを「家族不適応殺」の著者は、「男の母への愛情」とエディプスコンプレックスを用いて理解したつもりになっていますが、見当違いも甚だしいです。

また、母や母方祖母は、大事なところで、金銭を惜しみます。前述の月1万5千円食費支払い拒否はその代表例です。さらに、小島が19才で工作機械メーカーを辞めて、「いわゆる岡崎」に帰ってきた後、叔父とケンカして、岡崎市のアパートに住んでいた時です。あろうことか、小島にあげた1万円を母は取り上げたそうです。小島によると、「どうせ死ぬからいらないでしょ」と、そのとき母は言ったらしいです。小島は腹いせにアパートをボロボロにして、結局、母は大家に20万円払うことになりました。

私も親から、このような金銭に関する仕打ちを受けたので、この小島の気持ちは痛いほど分かります。親が子に一度あげると約束した生活費は、よほどの事情がない限り、約束を守らなければなりません。この時の子の裏切られた気持ちは殺意を帯びるはずです。

母以上に、小島の犯罪抑止力を持っていたのは母方祖母です。小島は第一希望の刑務所の前に、第二希望の精神病院に一生入院することを望んでいて、実際、精神病院に2回入院しています。しかし、母方祖母が約束を破って、入院費を2回とも払わなかったので、退院になっています。祖母が小島に相続させる3千万円で入院費を払ってくれていたら、小島は殺人事件など犯さなかった、と何度も認めています。

母と祖母は、この極限状態の時、小島を全く理解せず、誤解して、わずかな金銭を惜しんだのです。こんなことなら、最初から助けない方がマシです!

小島は死刑になったら結婚すると約束していた女性がいました。裁判で無期懲役になったので、結婚しなかったのですが、せめて小島は指輪を送ってあげようと、母に30万円を要求しました。すると、母はわずか3万円しか送らなかったのです。足りません。激怒した小島は3万円を現金書留で母に送り返しました。「家族不適応殺」には書かれていませんが、この女性は「餓死」で既に亡くなっています。「相続させる3千万円は、もしものときに使う」と約束した祖母にも、小島は指輪代金を請求したようですが、祖母にも拒否され、次のような嘆きの文を書いています。

「祖母にとって、もしもの時とはなんなのでしょうか。私が精神病院に入院することも、もしもではなく、餓死することも、もしもではなく、人を殺すことも、もしもではなく、耳が聞こえなくなることも、もしもではなく、私の妻となるべき女が死ぬことも、もしもではなく、私と会えなくなるのも、か」

最後は消え入りそうな文字だったようです。もしこの手紙を書く時、母や祖母が目の前にいたら、小島は母や祖母を殺していたに違いありません。私なら死刑になってもいいので、そうしていると思います。

こんな事情を全て知っているのに、「家族不適応殺」の著者は、その後、母に会って、「あ! やっぱり怒っていた? うちの母からも『早く残りの27万円を差し入れなさい』と言われていたの。だけど、なんかちょっとねえ。そんなに急がなくても、もうちょっと様子を見てからでもいいんじゃないって。私の中ではいろいろとハテナがあったから」と呑気に言われて、(それはそうだろう)と思ったそうです。

福田和子はなぜ15年間も逃亡できたのか」の記事と同じようなことを書きますが、著者のような偽善者がいるから、新幹線無差別殺人事件が起こったのです。現在の法体系では、著者はもちろん、小島の母も祖母も罪に問うことはできませんが、間違いなく罪はあります。

繰り返しますが、ここまで小島を誤解している母や母方祖母は、小島を最初から見捨てていた方がマシだったと思います。

小島が「いわゆる岡崎」で過ごしたいと希望しても、それを拒否して、家族から無理やり引き離し、故郷の愛知県から遠く離れた場所に引っ越しさせ(引っ越し費用は本人でなく家族負担)、場合によっては住み込みで、働かせるべきだったと私は考えます。もちろん、不器用な小島のことなので、何度も失敗するでしょうが、特定の能力は高いので、そのうち、世間の荒波にもまれて、最低限のコミュニケーション能力を身に着け、自分にあった職場を見つけられた可能性が高いと推測します。

家族が完全に見捨てて、小島が職場から逃げ帰った時にさえ金銭援助を与えないと、永山則夫のような犯罪者に落ちぶれる可能性はありました。そのため、職場から逃げ帰った時には一時的に手助けしますが、本人が希望するからといって、「いわゆる岡崎」で叔父とケンカさせることなく、精神病院に無駄に入院させたりすることなく(精神科医として断定しますが、小島が精神疾患だとしても精神科で治りません)、お金はかかりますが、家族と離れた場所で独り暮らしさせることが好ましかったと思います。

倫理観の高い小島なら、無職の自分に耐えられず、自然と仕事探しをするはずです。家族が近くにいると、小島はどうしても甘えてしまいます。小島と母、あるいは小島と祖母の関係は、軽い共依存だったと思います。お互いにその自覚がなかったでしょうから、誰かが無理やり、引きはがすべきでした。

現状、その「誰か」を担う職業はありません。だから、「犯罪」カテゴリーは毎回同じ結論ですが、「家庭支援相談員」が必要だと私は考えます。もっとも、その家庭支援相談員が「家族不適応殺」の著者程度の人間観や社会観なら、なんの解決にもなりません。家庭支援相談員はもちろん、日本人全体が小島の気持ちを理解できる程度の人間観や社会観を早く身に着けてくれることを期待しています。

なお、「家族不適応殺」で間違った記述や、私が独自文書を入手しようとした動機である「小島と精神科医」については、まだ書いていないこともあるので、「もし私が小島を診察していたら」の記事に載せておきます。