2018年6月9日に新幹線無差別殺傷事件を起こした直接の動機は、裁判で明らかになっていません。この動機を話すと、刑が軽くなって、無期懲役にならないことを小島は恐れていたからです。小島が直接の動機である「むしゃくしゃした出来事」を伝えたのは「家族不適応殺」(インベカヲリ著、角川書店)の著者だけです。この本が出版されたことで、世間に新幹線無差別殺傷事件の動機が公表されたことになります。
なお、下記の「むしゃくしゃした出来事」を読んでもらえれば分かる通り、この動機で刑が軽くなることはありえません。常識で考えれば分かることなのに、常識のない著者にはそれが分からず、「この動機を伝えても、刑が重くなることはあっても、軽くなるわけがない。真相を世間に公表したいのであれば、私なんかの著作を通じてではなく、裁判で正直に伝えるべきだ」と小島に言いませんでした。
もし小島が事件の動機を警察や裁判で述べていれば、「むしゃくしゃした出来事」の事実関係の確認も行われた可能性があり、真相がより明らかになったはずなので、残念でなりません。
小島が著者に手紙で詳述した「むしゃくしゃした出来事」は以下の通りです。
前回の記事の通り、長野の山の中の裏寝覚の小屋で餓死する計画だった小島は2018年3月16日の祖母からの電話で、餓死計画実行を中止し、子どもの頃からの夢である刑務所に入る計画を考え出します。その計画は次第に、新幹線での殺人と具体的になっていきました。
小島の中で、もう家族に迷惑がかかることは問題にならず、あとは自身の心の倫理的な問題でした。果たして、見ず知らずの人を殺すことは赦されるのかどうか、です。法によって許されるのか、ではなく、小島自身が赦すのか、という問題です。
見ず知らずの人を殺すにはもう少し、何かがなければならないのではないか。その何かはまだ私にはない。何かが起こってくれればよいのだが。
餓死しようとしたのは家族のためで、本当は刑務所に入りたい。でなければわざわざ時間のかかる餓死など選ぶものか。それに本当に3月何も食べていないのなら生きているはずがない。食べる機会があれば、しっかりと飲み込み、吐き出したりしない。本当はまったく死にたくないのだ。
刑務所に入るのは子どもの頃からの夢である。これを叶えずどうして死ねようか。
そんなことを考えていた小島の小屋に、3月21日の朝、木曽署の警察官が3人来ました。最初は友好的に職務質問から始まりました。「名前は? 住所は? 職業は? 家族は? どう生活している?」
雨の中、小島は裏寝覚の小屋から出ていくことを迫られますが、拒否します。その代わり誓約書を記します。小島の記憶によると、「2018年3月19日から4日間、雨が降り続けますが、私は危険を承知でここに居るので、なにがあっても誰にも責任を問いません」といった内容です。
これを役所の人が見ましたが、はねつけられます。警察は態度を変えて、友好的ではなくなります。小島は雨が止んだら出ていく、と言いましたが、警察官は今すぐ出ていけ、と言います。その後は「出ていけ、邪魔だ。迷惑」「断る。雨が止んだら、出ていきます」といったやりとりが起きます。
「雨に濡れることだけではない。地面が濡れていて、視界が悪く危険だから、出ていくことはできない。晴れたら、出ていきます」
「上にある森林鉄道が展示されている屋根の下で雨宿りをしたらいい」
「ここが危険なら、そこも危険である。私は夏の台風もここで過ごしたのだ。ここは経験的に、相対的に安全である。私の命に一番責任を持っているのは私だ。どうするかは私が決める」
「ねざめホテルに泊まったらいい」
「そんなことに遣うお金はない。私はホームレスなのだから。いっときのために、千秋の苦しみを味わう訳にはいかない。私の人生はこれからもまだまだ長いのだから」
さらに小島は言います。
「私には生存権がある」
「この場合はあたらない」
「ホームレスが立ち退きを迫られた時に、断る理由としてよく使われるのが生存権だ。だから私も生存権を主張する。この雨の中、屋根にある下から立ちのかそうとするのは人道にもとる。血も涙もないのか」
警察官が小島の荷物を勝手に取って、挑発してきました。
「返してほしかったら、ここまでおいで。ホイホイホイ」
「ホームレス自立支援法第11条に基づいて、まず社会の福祉を尽くしてから、法令の規定に沿って排除してください。生活保護の話をして、それでも私が受け入れなかったら、行政代執行してください。いついつまでに立ち退けと書面で告知してください」
「それは警察の仕事か」
「警察の仕事でないとしたら、私の相手をするのは貴方(あなた)の仕事ではない。貴方の仕事は、その仕事をするところへ、私のことを引き継ぐことだ」
「おまえをどかすのが警察の仕事だ」
「私には生存権がある。私は生きた人間であって、しかも日本国民です。基本的人権に守られています」
「権利、権利ばかり主張して義務を果たしているのか」
「生存権、その基本的人権は生まれながらにして持っている権利であって、なにかの義務を果たさなければ与えられない権利ではない。貴方は警察官でしょう。公務員には憲法を守る義務がある。憲法は基本的人権を保障している。貴方は警察官としての立場があるのだから、基本的人権を守る義務があるんだ」
「なら、制服を脱いだらやっていいんだな?」
「どうして制服を脱いだらやっていいことになりますか。制服を脱いだら法律を守らなくてもよいのなら、どうして制服を着ていない私が法律を守っていないからといって咎められるのか。また私が法律を守っていないから、貴方も法律を守らなくてもよいと言うなら、貴方が法律を守っていないから、私も守らなくていいことになる。貴方が私に法律を守らせたいのなら、まず貴方が法律を守らなければならない」
「口だけは達者だな」
「達者ということは私が正しいと認めるんだな。なら、法の手続きに沿って排除してくれ」
「よく分からないけど、間違っていると思うよ」
「貴方は自分に自信がないようだが、ハッキリ言おう。私は正しい」
そう言ったら、警察が小島の手に持っていた自転車のサイドバッグを無理やり奪い取りました。そのときに小島の右手の人差し指から薬指までの爪がめくれて出血します。
「大丈夫か。病院に行くか?」
「断る」
警察の行動はエスカレートします。(職務質問で注意を引くために肩をつかんだりすることは認められているが、どついたり、ゆさぶったり、ひき倒したりすることは、違法ではないのだろうか。私は自分の荷物をすべて一度見せているのだから、突然、荷物を奪い取ることも違法ではないのか。しかもその目的は中身を見ることではなく、私を挑発することにあるのだ)と小島は思ったそうです。
雨が一時的に止んだのと、警察官が怖かったので、小島はその日、上の森林鉄道が展示されている屋根の下に移動しました。
「もう入らないと約束しろ」
「しばらくは入りません」
21日19時、小島は再び裏寝覚の小屋に戻ります。
22日朝、役所の人が来ます。
「もう入らないと言ったじゃないか」
「しばらくは入りません、と言った。しばらくとは3時間のことだ。雨が止んだら、出ていく。天気予報によれば、明日には止みますから。今日はここで雨宿りさせてください」
役所の人は警察に通報しました。
「入るなと言っただろう」
「上では雨に濡れるから入った。この方が安全である。これは緊急避難だ」
「意地になっているのか」
「意地になっているのは貴方かもしれない。それはフロイトの精神防衛機制でいうところの投影というやつだよ。自分が思っていることを相手が思っていると勘違いをしているのだ」
「意味が分からない。病院に行くか?」
「フロイトの精神防衛機制は中学校の義務教育で習う内容であって、それが分からないのは貴方の教養が足りないのだ」(平成29年の中学保健体育の教育指導要領の「ストレス対処法」に防衛機制にもとづいたと思われる記述はありますが、防衛機制や投影という単語は出てこないので、ここでの小島の反論は間違っています)
「どうしたら出ていってくれる?」
「雨が止んだら出ていく」
「それ以外」
「行政代執行してください。いついつまでに立ち退けと書面で告知してください」
「それ以外で」
「蓬莱の玉の枝か、火鼠の皮衣を持ってこい」
「なんだそれは。病院に行くか?」
「竹取物語は義務教育だろう。それが分からないのは教養が足りないのだ」
「おかしいって。病院に行こう」
「断る。緊急性がなくて、本人が断っている以上、それは警察の仕事ではない」
「この小屋はボロボロだ。いつ崩れてもおかしくない。危険だから出ていけ」
警察が小屋の柱を蹴りだします。
「この小屋は危険ではない。それは貴方も分かっているはずだ。だから、柱を蹴ることができる」
「他人の立場になって考えろ」
「貴方も私の立場になって考えてみてください」
「もしおまえの土地に誰かが居座ったらどうするんだ?」
「私有地と公有地は扱いが違う。ホームレス自立支援法第11条は公有地を対象としておりますから」
「おかしいんじゃないか? 病院に行くか?」
「断る。緊急性がなく、本人が断っている以上、それは警察の仕事ではない」
「どこの仕事なんだ?」
「分からないなら、一度、警察署に戻って勉強しておいで」
「どうしてそんなに偉そうなんだ」
警察が小島の下に敷いていたブルーシートと断熱シートを無理やり奪い取りました。小島は転倒して、左ひざを擦りむいて、出血します。そして前日のように、どついたりゆさぶったり、ひき倒したりするようになります。
「これは暴行だぞ」
「現行犯逮捕だ。文句あるか?」
「逮捕するなら、手錠をかけろ。私は抵抗しない」
「逮捕されたいのか?」
「逮捕したくないのか?」
「したくないから説明しているんだろう」
「したくないなら逮捕するな。ただし、説得は無理だ」
「なら、逮捕する」
「なら、手錠をかけろ。これは暴行だ。暴行はやめろ」
「おまえが出ていったら、やめてやるよ」
小島がしばらく寝袋の中で丸まって耐えていたら、どこからか4人目の警察官が飛んできて、暴行をやめさせました。
4人目の警察官が言います。
「障害者手帳を見せて」
「明日は立ち去るように」
4人目の警察官が他の警察官に指示を出して、みんな帰っていきました。
「明日、まだ居たら、またやってやるからな」
警察の職務質問は21日、22日ともに9時から16時くらいの7時間ほどでした。常に怒鳴られっぱなしで、小島も暴行にはまいったそうです。出血は上記の右手の3本の爪と、左ひざだけです。
「警察の挑発は公務執行妨害を誘発させようとして行われるものだと思われるが、しかしあれは限度を超えて違法ではないだろうか? 警察の発言の中で一番ひどいと思ったのは、『なら、制服を脱いだらやっていいのだな』である。次は『現行犯逮捕だ、文句あるか?』であり、結局逮捕せず、暴行するだけ暴行したことも合わせて、ひどい」
小島はそう思い、22日の夜、裏寝覚を出て、道の駅のトイレに入り、23日の朝5時にトイレを出ます。コインランドリーで服を洗い、木曽署近くの銭湯に入り、諏訪に向かいます。前回の記事に書いた通り、そこで3ヶ月間、食事を再開し、体力を回復し、「むしゃくしゃした事件」の鬱憤を晴らすかのごとく、6月に新幹線無差別殺傷事件を起こします。
私の感想です。
「むしゃくしゃした事件」での小島と警察とのやりとりは、「ルールの存在意義を日本人は考えるべきである」で記した「ルールを盲目的に守る人」と私のやりとりと酷似しています。
だから、私も小島のように自殺するつもりで警察にこのように邪魔されたら、自殺を止めて、他殺にいたった可能性はあるでしょう。
もっとも、たかが小屋を出る、出ないの問題で、ここまで警察ともめるとも思いません。「軍隊の次に強い国家の暴力機関である警察に抵抗しても、いいことはない」という社会常識も私は20才くらいには持っていました。徴兵にとられる、とられないの問題なら、私の命(生存権)にも関わるので、ここでの小島のように正当性を主張して、意地でも抵抗するかもしれませんが、小屋を移動するくらいで警察が嫌がらせを止めてくれるなら、私は警察に素直に従っていたでしょう。
また、かりに他殺を選択したとしても、私が無差別殺人事件を起こしたとは思えません。やはり、警官の理不尽さが動機なら、警官を殺すべきだからです。
あるいは、そもそも裏寝覚なんかで自殺しようとした原因に注目して、その原因を作った叔父や両親や祖母などの家族を殺していたでしょう。殺人が対処の仕方として適切でないなどの問題はあるにしろ、それならまだ分かります。
なぜ小島が恨む警官や家族ではなく、恨んでいない人を殺したのでしょうか。
ここでもう一度確認すると、小島によれば、警察の「むしゃくしゃした事件」が起こる前、祖母との電話後に、新幹線殺人を考えだしていました。「むしゃくしゃした事件」で新幹線殺人の最終決定をしたのですが、犯行までの2ヶ月間、「新幹線で偶然乗りあった人ではなく、私に対して罪のある警官に殺人相手を変えるべきだ」との発想は浮かばなかったようです。「家族不適応殺」で、小島が事件を起こした後の3ヶ月以内に、警察を殺害する事件が2件起こったのですが、「もしそのニュースを見ていたら、警察を狙っていたかもしれません。単純にその発想がなかったのです」と答えています。
一方、小島が家族を殺人対象としなかったのは、独自入手した100枚程度の小島の文書から、だいたい推測できます。小島は生まれてから収監後の現在まで、ほぼ無条件で家族や親戚を尊重するからでしょう。裁判でも、小島は家族を愛している、と答えています。
一般的に思春期の発達段階で、人は主観的な家族の見解から離れ、社会の中での家族として客観視できるようになりますが、家族について小島は思春期の発達段階の前か、その最中のようです。より具体的に書けば、小島は母と母方祖母について思春期のように反抗的で、母と母方祖母以外の家族と親戚を無条件で尊重しています。
「家族不適応殺」の著者にも、独自入手した文書でも、小島は最も世話になった母や母方祖母への不平を何度も語っていますが、それ以外の親戚に対する不平は一切語りません。それどころか、小島は父や叔父を大切な家族とまで述べています。小島の主観的にはそれでいいのでしょうが、客観的には不公平であり、それが社会で通用する判断でないことを小島は自覚できていません。
なお、客観的には小島が家族の中で最も憎むべき叔父について、小島が不平を言わない理由は独自文書でだいたい推測できます。
母と母方祖母は「犯罪の理由は叔父にあると言え」と裁判中に小島に伝えたそうです。これに小島は強く反抗しているため、29才の今も「叔父に犯罪原因はない」と信じたいようです。
ここで重要な点を指摘しておきます。小島は刑務所に入るために無差別殺人を犯したと認めていますが、本当に誰でもよかったわけではありません。
倫理観の劣る「家族不適応殺」の著者は拘置所で小島に「岡崎の家の近くにある幼稚園の園児をなぜ狙わなかったの?」と気軽に聞いて、小島に「なんで罪のない幼児を襲わないといけないんですか!!」と一喝されています。
なお、私が小島の独自文書を集めた動機は、「家族不適応殺」の著者の倫理観があまりにひどくて、真相どころか事実すら捻じ曲げられていると考えたからです。既に一部示していますが、「家族不適応殺」は事実と異なる記述がいくつもあると独自文書で判明したので、このブログで明らかにしていきます。
ところで、こちらの記事だと、小島は刑務所で「とても幸福」になったとあります。「家族不適応殺」の著者同様、上の記事の著者も人間観と社会観が浅いようです。普通に考えれば分かる通り、それは小島の強がりです。
刑務所内でも小島が幸福になれるわけがなかったと、次の記事で証拠を元に示します。