未来社会の道しるべ

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太平洋戦争と日露戦争の相似

「それでも、日本人は戦争を選んだ」(加藤陽子著、新潮文庫)を最後まで読んでみました。この本は現在まで30万部を越えて売れているのですが、序章の著者の道徳観の浅さに失望して、そこから先を読まないまま、数年が過ぎていました。

この本は東大の歴史学准教授が栄光学園の生徒(栄光学園についての私の記事はこちらにあります)に2007年に行った特別講義です。それにしても、いくら中高生相手とはいえ、「子供のいる人妻と結婚する大変さというのは、みなさんにはまだ分からない世界でしょうが(笑)」、「(第二次大戦前にドイツや日本が台頭するのを防ぐには、イギリスはどうすればよかったか、の問いに、第一次大戦でイギリスが負けておくべきだった、との答えに)うーん、この答えは面白すぎる(笑)」、「(ルソーが指摘したように、第二次大戦の後に勝利した国が敗れた国の憲法を書き換えるという事態が起こったことについて)戦争を考える面白さがだんだんと分かっていただけるのではないでしょうか」など、何千万人も死んだ戦争の話をしているのに笑いすぎであり、「面白い」という表現も道徳に反します。「面白い」はせめて「有意義」や「大切だ」などに置き換えるべきでしょう。

ただし、今回、改めて全編を読んでみると、学者の本だけあり、私の知らない事実がいくつも書かれていました。

たとえば、日露戦争前に伊藤博文が非戦派で、山県有朋は開戦派だったとの通説は、既に覆されているそうです。なんと、山県ですら、開戦1ヶ月前まで、なんとか大国ロシアとの戦争を回避できないか、外交交渉に望みをかけていました。1902年に日英同盟を結んでから、山県や桂太郎小村寿太郎はロシアと開戦するよう政府にはたらきかけたとの説は、戦前に書かれたそれぞれの伝記を鵜呑みにしたからで、実際のところ、山県や桂や小村は「日本は朝鮮の優越権、ロシアは満州の優越権」をロシアに認めてもらうよう、開戦数ヶ月前まで外交交渉をしていました。

しかし、1903年10月(日露戦争開戦4ヶ月前)にベゾブラーゾフがロシア宮廷で権力掌握し、日露交渉に責任を持つ極東総督にも対日強硬派が任命されてしまいます。結果、ロシアは外交交渉で次のような要求を出します。

「朝鮮の日本の優越権をロシアが認めるために、日本は次の2つの条件をのめ。一つ目、ロシアが朝鮮海峡を自由に航行できる権利を認めろ。2つ目、北緯39度以北の朝鮮を中立化して、日本が朝鮮領土の軍略的使用をしない」

まるで日露戦争版のハルノートです。日本が朝鮮にこだわったのは、まさにロシアが朝鮮海峡に出てこないためなので、こんな条件、日本がのめるわけがありません。そして、日本は戦争に訴えました。

日露戦争が太平洋戦争と似ている点は他にもあります。「ロシアはお金がない。さらに、ポーランドエストニアフィンランドが反抗している。日本と戦争する余裕はない」とロシアの現状を自身に都合よく日本が解釈していたことです。太平洋戦争前に「ルーズベルトはヨーロッパの大戦争に巻き込まれたくないし、選挙でもそう約束していた。日本と戦争したら、否応なくヨーロッパの大戦争にも巻き込まれるから、最後は日本との戦争を避けて譲歩するだろう」とアメリカの現状を自身に都合よく日本が解釈していた点と似ています。日露戦争前のロシアも太平洋戦争前のアメリカも最後通告から分かる通り、「日本を見下しすぎていて、戦争しても勝つ自信が十分にあったので、日本に譲歩する気などなかった」が正しかったのですが、それに日本の首脳部はほとんど気づいていませんでした。

ロシアもアメリカも「日本を見下しすぎていたので」、緒戦で日本が勝ったのは共通しています。開戦1年目までで終わらせることができれば、どちらも日本の勝利でした。日露戦争は幸運と日本の努力でそうなりましたが、太平洋戦争がそうならなかったのは周知の通りです。

第二次大戦では、たとえドイツがイギリスやソ連に(一時的に)勝つ、という奇跡があっても、アメリカとの戦争が1年で終わるわけがないことは、日本も太平洋戦争前から予想していました(アメリカ一国でドイツや日本の枢軸国側に戦争で勝つことができ、最終的にイギリスやフランスやロシアがドイツから解放され、中国が日本から解放されていたでしょう)。

一方、日本が1905年にポーツマス条約を結ばず、日中戦争や太平洋戦争のように日露戦争を長期化させていたら、確実に負けていました。これを日本の首脳部は十分認識していたはずですが、日露戦争後、なぜか一部(もしくは大部分)の政治家や軍人は忘れてしまい(一般の日本人は最初から認識すらせず)、朝鮮の優越権を認めてもらうために日露戦争をしたのに、日露戦争後に満州の優越権まで日本にあると錯覚するようになります。「なぜ戦前の陸軍で下剋上が横行したのか」に書いた通り、この錯覚こそ日本が太平洋戦争に突入した大きな要因です。

次の記事に続きます。