前回の記事に書いたように、21世紀中に、世界中の多くの国に産業革命の恩恵が行き渡り、多くの国で同じように豊かな生活ができるようになるでしょう。そうなると、生まれた国による不平等が小さくなり、人類がその理想郷に近づくことになります。
とはいえ、人類が生まれた国による不公平から十分に抜けるまでには、あと100年では足りない、とも私は予想します。現在のウクライナ戦争に代表されるように、たとえ戦争に反対でも、あるいは戦争にかかわりたくないと強く希望しても、ロシアだけでなくウクライナでも、国民は否応なく戦争に巻き込まれます。戦争ほどひどくなかったとしても、納得できない国の法制度や習慣に、多くの大衆は従わざるを得ません。他国への移住も、法律的な問題、金銭的な問題、言語的な問題から、ほとんどの大衆は制限されています。私もその大衆の一人で、日本が戦争したら否応なく巻き込まれてしまうでしょうし、納得できない日本の法制度や習慣に従っていますし、法律や金銭や言語や家族の問題で、10年以上前からカナダに移住したいのに、移住できていません。
だからこそ、私は政治に関わっていますし、このブログでも政治について発言しています。それは他人のためにというより、まずは自分のためです。20代の頃から、私は政治家と話したり、電話したり、メールを送ったりしていますが、それも自分のためが第一です。私は去年も今年も政治家と話していますが、これらは直接的に私の仕事に関係するからです。
私も多くの日本人と同じく、政治家など信用しておらず、政治にも関わりたくありません。しかし、「完全な中立などありえない」にも書いたように、政治と関係なく人生を送ることは不可能です。(多くの西洋人同様に)私も高校生くらいに自身の経験でそれを痛感しました。
「2度の世界大戦から学べることの一つ」などの記事を書いていると、「政治家でも歴史家でもない一介の医療者であるあなたが、なぜこんなことを考えて、発言しているのか」とよく言われますし、自分でも思うことがあります。
その理由は上記の通りなのですが、もう一つ書けば、魯迅と同じような理由です。
日露戦争でロシア側のスパイとして処刑される中国人の映像が魯迅の通う東北大学医学部で流されました。魯迅は処刑そのものよりも、その処刑を興味深そうに見物している中国人たちにショックを受けます。「こんな人たちの体を治す価値などない」と魯迅は考え、自身のそれまでの努力もそれからの努力もバカらしくなりました。だからこそ、帰国後、中国人の体を治すための仕事ではなく、中国人の精神的発達を促すために魯迅は作家になりました。
私は魯迅ほどの意思も能力も到底ありませんが、目指す方向くらいは同じつもりです。
他の理由を「病を治すのは下医、人を治すのは中医、社会を治すのは上医」の記事に書いておきます。