未来社会の道しるべ

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なぜ増税と言ったら消費税の話になっているのか

「つくられた格差」(エマニュエル・サエズ、ガブリエル・ズックマン著、光文社)は私の長年の疑問に答えを出してくれた素晴らしい本でした。

極端に貧しい者もおらず、極端に富める者もいない社会は、誰もが理想とするはずです。1990年頃の日本は、見方によっては今以上に重い問題を抱えていたものの、現在より貧富の差が明らかに少なかった点で、素晴らしい社会でした。日本より高い税金の北欧国家と並ぶほど貧富の差がなかった自由経済国家だったからこそ、1990年頃の日本が世界から尊敬されていたと私は考えています。

それでは、平成30年間で、なぜ日本の貧富の差はここまで広がってしまったのでしょうか。その理由は一つでありません。「日本式長時間労働は年功序列賃金制度により一般化した」に書いたように、年齢が上の人ほど多くなっているのに、年功序列賃金制度を変えなかったことは大きな理由の一つです。もう一つの大きな理由は、やはり税制にあります。昭和の時代に当たり前だった累進所得税を軽くして、消費税を重くしたからです。

今の若い人は知らないでしょうが、消費税が導入された1989年頃、反対理由で一番大きかったのは逆進性が高くなるからです。逆進性とは聞きなれない言葉だと思いますが、簡単にいえば「収入の少ない者ほど税負担率が高くなること」です。たとえば、10倍収入が多くなっても、10倍消費する人はあまりいません。それまでの消費で生活できていたのですから、よほどの贅沢でもしない限り、増えた収入の多くは貯金や投資に回します。冷蔵庫、洗濯機、テレビなどの生活を楽にする画期的な発明品がどんどん普及していた時代ならともかく、生活家電が普及した後の時代なら特にそうです。一方で、収入が少ない人たちは、文化的で最低限の生活をするために必要な消費はしなければなりません。だから、消費全般に一律に税負担を求めると、どうしても収入の少ない者ほど税を負担することになります。

1990年の衆院選社会党が大勝した理由は、貧しい人ほど税負担が重くなる消費税に日本人の多くが反対だったからです。私は既に生まれていたので、当時、「貧しい者から多くの税をとる消費税は不公平だ」と何度も訴えられたことをよく覚えています。余談ですが、2009年、私が元小学校校長のある日本人に中国で老後を過ごす選択をした理由を聞いたら、「日本は消費税を始めて、累進所得税を軽くしたから」と言われたので、驚いたことがあります。

最近の日本は消費税に慣れてしまったのか、「逆進性が高いから」消費税増税反対という声がほとんど、あるいは全く聞かれなくなったように私は感じています。「破滅的な財政赤字だから増税しなければならない」「不況なのに、これ以上の増税は無理だ」といった議論はよくされています。この増税の議論は暗黙の了解のうちに「消費税」を上げるかどうかの話となっていたりします。消費税以外にも所得税法人税相続税、固定資産税など多くの税が存在しているのに、あまり議論されていません。なぜ増税の議論になると、ほぼ毎回、消費税だけになるのでしょうか。これは私の中で、20年ほど解けていない日本の謎の一つです。

財政健全化のため、私も増税には賛成します。ただし、貧富の差を縮小するためでなければ意味がないと考えています。だから、逆進性の高い消費増税には、原則反対です。大賛成なのは累進所得税増税法人税増税相続税増税です。

こう書くと、必ず「法人税を増やすと、企業が法人税の安い国に移転するので、日本の税収はむしろ減る。結果、収入の少ない人にとっても不利益になる」と反論する人が出てきます。直観的には明らかにおかしいのに、理論的に「法人税減税は貧しい者にも利益になる」説を展開する人がいます。どこの屁理屈野郎だと思うかもしれませんが、アメリカでMBAを取得した大学教授が大真面目に主張していたりします。

上記の本を読んで、それが無理もない、と分かりました。本によると、法人税は少なければ少ないほどいい、究極的にはゼロが理想であるとの仮説が「世界中の経済学の大学院で教えられている規範的な理論」となっているのです。

しかし、論より証拠で、現実には法人税率が少ないほど、貧しい人の税負担が重くなり、所得も少なくなることが本で示されています。「法人税はゼロがいい」理論が間違っていることを次からの2つの記事で示します。