未来社会の道しるべ

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叩いてホコリの出ない人などいない

タイトルの言葉は、私の人生で会った人の中で最も清廉潔白な人に言われました。

「だから、Aさんみたいにお上と戦うのはよくない」

それが言いたいことでした。Aさんは反権力思考が強い人物で、なにかとあれば公的機関と対立していました。そのせいで手続き上の公的な不備を嫌がらせのように追及され、Aさんの営業はうまくいっていませんでした。

上の発言に、叩かなくてもホコリだらけの自分が「そうですね」と同意したことを覚えています。

私が「叩くと出るホコリ」の危険性を強く意識したのは、2002年の「辻元清美秘書給与流用事件」です。鈴木宗男を「疑惑の総合商社」と罵倒して、政治腐敗を憎む日本人たちの溜飲を下げていた「正義の味方」である辻元が、こんな微罪で議員辞職まで追い込まれたことに、失望しました。確かに法律違反ではありますが、他の多くの議員もしていたことです。「あのうるさい女をなんとかしろ! 叩いてホコリの出ない人などいない!」との指示で、辻元の微罪を探したとしか思えません。

鈴木宗男の巨悪の前では、こんなホコリ、無視すべきだろう!)

私はそう心の中で叫んでいました。同じような感想を持った人は少なくないと思うのですが、辻元を擁護する声が大きくなることはなく、まして政治を動かすこともなく、現実に辻元は議員辞職させられています。

私の理想とするIT社会、全ての金銭取引がネット公開され、全ての人の位置情報が過去にさかのぼってネット公開される社会について反対する人は、「叩くと出てくるホコリ」に怯えているのかもしれません。

上記の通り、私は叩かなくてもホコリだらけの上、叩かれるとホコリがいつまでも出てしまいます。そういう意味では、私も情報公開社会に抵抗がないわけではありません。

しかし、私以外の人の情報も公開されるとなると、抵抗はほとんどありません。総合して考えて、私が他の人より後ろめたくないことくらい、ある程度社会を知ると、分かるからです。

あらゆることが公開されると、融通が利かない社会になることは間違いありません。「ルール上はそうだが、この場合はそれだと不都合なので、今回はルールを無視すべき」「そんなルール知らなかった。知らないことまで自分の責任なのか」という事例は世の中に山のようにあるのに、情報公開社会になると、それらがルール違反と社会全体に公開されてしまいます。そんなデメリットは確かにありますが、そのメリットにも注目すべきです。

情報公開社会になれば、「このルールを現実に守っている人は日本全体で〇%に過ぎない」「このルールを知っている人は×%に過ぎない」といった統計もすぐに取得できます。「このルールの認識率はあまりに低いので、まずは広報に務めればいい。それまでこのルールは厳密に適用しない」「このルールはあるが、△の場合は無視していいことにする」などの対策で問題は解決するはずです。

現在、「そんなルール、守っていない奴はいっぱいいるじゃないか」と言っても、権力者に「そうなんですか。それなら証拠を見せてください」と言われると、「証拠と言われても……」と従わざるを得ないのですが、情報公開社会になると「ネットで調べてみればすぐに分かる」と言い返すことができます。

日本の全ての法律を完全に守れている大人など、日本に一人もいないでしょう。法律上、全ての日本人はその気になれば微罪で捕まえることができてしまう制度になっています。それは明らかにおかしいです。

「叩かれると出るホコリ」に怯えて、権力者に従う社会は、やはり道徳的に好ましくありません。「叩かれると出るホコリ」があると全ての人がまず知って、小悪の人でも巨悪を指摘できる社会にしていくべきでしょう。