未来社会の道しるべ

新しい社会を切り開く視点の提供

男性は勇気を持って女性を抱かなければいけない

これは女性にはまず分からない苦悩でしょう。

私は女性にもっと強くせまっているべきだった、という痛恨の後悔が2度ほどあります。今までも何万回後悔したか分かりませんが、今後も一生後悔し続けることはほぼ間違いありません。だから、「女性の合意がないのに性行為に及ぶのは犯罪である」という報道をしつこいほどする朝日新聞には、はらわたが煮えくり返る気持ちです。「男だったら積極的にいってよ」「女が自分からyesなんて言わないよ」と言う女性が世の中にたくさんいることも朝日新聞の全ての記者は知っているはずです。朝日新聞など購読していなかったら、私も人生で最も重要な機会を逃すこともなかったかもしれません。

日本には「言葉にせず、察してほしい」という文化が、外国と比較にならないほど強いです。まして性的なことに関しては、女性から求めないのは古今東西普遍の習慣です。だから「断られたらどうしよう」「相手が嫌だったらどうしよう」という強い不安がありながらも、男性は自ら性的関係を求めないといけません。私も抱き着こうとしたら失敗して、大恥かかされたことが3度はあります。しかし、後悔は全くしていません。むしろ、失敗をおそれず、挑戦したことを誇りに思っています。

むしろ、自分が性的行為を求めてもいいチャンスだったのに、それを逃した後悔は計り知れません。自分がそんな勇気がないうちに、より積極的にせまっていた男に相手の女性をとられたこともあります。それが自分の一生を賭けてもいい女性だったので、どれほど悔しいか想像できるでしょうか。

田山花袋の「布団」という小説は、私と同じように性的行為を求めなかった後悔で、相手の女性の使っていた布団に顔をうずめて、むせび泣く変態中年男性の話です。私にはそうしてしまう気持ちがよく分かりますが、女性には分からないでしょう。田山は自分のことを少女病と言っていましたが、普通の男性はみんな少女病です。

男性に裏切られて、あまりに不誠実な対応をされて、一生を賭けた恋に破れて、「二度と男は信用しない」「もう恋愛なんてしない」と考えた女性は少なくないはずです。このブログから明らかなように、私も女性に対して何百回も「女なんて信用しない」と考えています。しかし、それでも、気づいたら私は女性を求めてしまいます。本当に病気です。

少子化が最大の政治経済社会問題の時代に、「相手の合意がないのに性行為に及ぶのは犯罪である」と全国新聞で何度も主張するのは間違いです。もちろん、「相手が明確に抵抗したのに性行為に及ぶのは犯罪」です。しかし、単に「合意がない」だけでは、犯罪にならないことは、普通に考えれば分かるでしょう。

朝日新聞で主張すべきなのは、むしろ「断られるかもしれないが、男性は勇気を持って女性を抱いてほしい」です。この場合、「抱く」は文字通りの意味で、女性の服の上からです。もちろん、そこで女性が強く拒否を示したら、男性は引かなければいけません。一方、女性が拒否せず、男性がそこから少しずつ求めていくなら、自然な流れだと社会的に判断されるでしょう。ただし、やはり、どれかの時点で女性が強く拒否するなら、男性が引かなければいけません。

そこまで理性的に分かっていながら、それでも一歩が踏み出せなかったために、今も私は毎日後悔しています。そんな男性が日本だけでも何百万人もいます。とりわけ、私のようなリベラル思考の人はそうでしょう。

世の中のレイプ事件だけをもって、「全ての男性は女性を凌辱したいと思っている」と考えるのが間違いなのは、女性だって知っているはずです。明らかな性犯罪ばかり紹介して、「女性の合意がないのに性行為に及ぶのは犯罪である」も行き過ぎです。「女性が合意してから性行為に及ぶことなど稀である」からです。正確な統計をとれば判明するでしょうが、だいたいは「黙認」です。

そもそも朝日新聞を読むような知性の高い女性のほとんどは、「男性に気をつけろ」という忠告が不要なくらい、警戒心が強いです。朝日新聞を読むような大多数の男性は女性の意思を尊重しています。尊重しすぎて、チャンスを逃しています。朝日新聞で「男性に強姦されないようにしろ」「男性は強姦しないようにしろ」と主張するのは、拒食症の患者さんに「もっと体重を減らしましょう」と言うようなものです。

未来社会のみちしるべ」なので、未来予想をしますが、少子化の時代に、よりにもよって朝日新聞で「女性の合意がないのに性行為に及ぶのは犯罪である」などと、しつこく主張して、その逆の「断られるかもしれないが、男性は勇気を持って女性を抱いてほしい」を全く主張していなかったことは「政治・経済・社会に悪影響を及ぼしていた」と判断されるでしょう。

安倍元首相の国葬反対デモが高齢者ばかりであることは海外のメディアからも批判されました。若者ほどリベラルに拒否反応を示す人が多い理由の一つも、そこにあるのではないでしょうか。リベラルな若者ほど、男性は女性に迫ることができず、女性は男性を怖がり、結果、リベラルな若者ほど結婚せず、子どももいません。一方、保守的な若者ほど、男性は女性に積極的に迫り、女性は男性を拒否しないので、保守的な若者ほど結婚し、子どもも多くなります。子どもはリベラルな家庭で育てばリベラル思考になり、保守的な家庭で育てば保守的思考になるのは、誰もが知っているでしょう。どこかの学者に「リベラル思考の集団ほど少子化である」の仮説が正しいか、統計をとってほしいです。