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ベトナムの日本語および職業訓練センター

「ルポ技能実習生」(澤田晃宏著、ちくま新書)からの抜粋です。

日本の受入企業に採用されたベトナム人技能実習生は、4ヶ月から1年間、「訓練センター」の寮で寝泊まりして、朝から晩まで日本語と日本文化のスパルタ教育を受けます。送り出し機関自らが「軍隊式」と呼んでいるほど、徹底して勉強させます。以下は、訓練センターでの1日の過ごし方です。

朝6時には、お揃いのユニフォームを着たベトナム人が校庭に集まって、日本のラジオ体操をします。著者が取材した訓練センターは570名の生徒がいて、その全員が一糸乱れず動く様は圧巻だったそうです。

6時半から清掃が1時間。8時から1時間ごとの授業が6コマ。この授業の間に15分休憩と昼休み、午後の清掃。午後4時半から再びラジオ体操。夕食は午後6時。午後7時から10時まで1時間授業が3コマ。消灯は午後10時半。自由時間はなし。

授業は皆真剣に受けており、私語は一切ありません。訓練センター内には、あらゆる場所に日本語の標語が掲示されています。階段の一段一段に日本語単語シールが貼られ、「5S(整理・整頓・清掃・清潔・躾)」「ほうれんそう(報告・連絡・相談)」について説明する掲示物も著者は見つけています。

学校の許可が出れば、月1度、帰省が許されますが、原則、平日は学校と寮を往復するだけです。寮は男女別になっており、異性の寮に入ったことが明らかになると、退学処分になります。部屋は10畳くらいの大きさに、二段ベッドが6つと、荷物を入れるアルミケースが人数分あるだけです。テーブルもなく、テレビなどの娯楽機器もありません。ベッドは薄いゴザが敷かれ、枕の横には掛け布団がきっちり畳まれていました。

ベトナム人技能実習生が日本に来る前に4ヶ月から長ければ1年間も、こんなスパルタ教育を受けていることを私は全く知りませんでした。コロナ禍前までは、毎年、数万人ものベトナム人が朝から晩まで日本語を勉強していたのです。ある元技能実習生は日本行きを決めた理由として、高校時代のこんな体験を語っています。

「子どもみたいに見えた人が、日本に行って帰ってくると、大人びた感じになっている。そして、家が建ったり、お金をたくさん持って帰ったりします」

その理由は、日本の3K職場でせっせと働いたこともあるでしょうが、出国前にこんなスパルタ教育を受けたこともあるでしょう。韓国や台湾行きの訓練センターがどうなっているかも、ぜひ知りたいです。

上記のような訓練センターでの生活に耐えられる日本人は現在、私のような変人くらいでしょう※。受入企業は、実習生たちがこんな勉強漬けの教育を真剣に受けてきたことを知っているのでしょうか。知っていたら、ベトナム人への尊敬の念が湧くでしょうから、パワハラやセクハラはできないはずです。ぜひ、この訓練センターの実体を日本でも周知させてほしいです。

ところで、ここまでスパルタ教育を受けているのですから、日本語レベルは相当に上がると思ってしまいますが、現実は、せいぜいN4程度だそうです。半年未満しか訓練センターにいない人もおり、本によると、N4すらも到達しない人が多数派のようです。

技能実習生が日本で習得したもので、帰国後に最も役に立つ能力は「日本語」だそうです。だから、日本人と多く接する機会のある職場は、ベトナム人にも比較的人気があるようです。そんな職場で働いて日本でN3を取得できれば、帰国後に訓練センターでの日本語教師の職が得られます。その給与は4万4千円程度で、ベトナムでは高給です。N2以上となると、送り出し機関の営業部に就職でき、給与も9万円以上になるようですが、実習生は3年も日本にいながら、そこまで日本語力を高められる人はまずいないそうです。

私が中国にいた15年ほど前、多くの上海の日本企業は、中国人の採用条件としてN2以上を要求していました。ベトナム人にとっては中国人以上に日本語が難しいのかもしれませんが、技能実習生が3年も日本にいるのに、N2はもちろん、N3やN4も取得できないのは残念です。

 

※「フィリピンの語学学校事情」にも書きましたが、私はフィリピンで語学学校と寮の往復だけの生活をしていました。そこではこの記事の日本語学校と違い、夕方以降に授業がありませんでしたが、私は夕方以降も授業を欲していた一人です。