未来社会の道しるべ

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全ての人は精神疾患を少しは持っている

私が日本の最も嫌うところ」に書いたように、私の人間観の一番の柱は「人間は皆同じ」です。

だから、どんな人間でも精神疾患を大なり小なり持っていると私は考えています。

たとえば、前回の記事で書いた境界性人格障害を例にとってみます。「相手(主には恋人や家族)に過剰な要望を出すわりに、相手から見捨てられそうになると、異常なほどの執着心で相手との関係を繋ぎとめようとする人」で、女性に多い「精神疾患」です。実際の私の経験談になります。「ヤだ! もう出ていって!」と彼女に言われて、私は(つきあってられない)と思い、自分の部屋を出たら、自宅マンションを出る前に携帯に彼女から電話が入り、「なんで出ていくのよ!」となじられた経験があります。しかし、彼女がそうしたのは一度だけであり、境界性人格障害だったとは思いません。むしろ、境界性かどうかはともかく人格障害なら、自他ともに認めるほど性格(話し方や所作)の悪い私の方がよほどあてはまるはずです。

人格障害は性格の欠陥なので、全ての人にその問題があるのは当たり前と思うかもしれないので、統合失調症も例として考えます。統合失調症は妄想や幻覚が出てくる病気で、「よく分からないものに対する恐怖が強くなっている」「ありもしないものをあると信じ切ってしまっている」ことなどが共通です。「『東電が悪い』だけではいけない」にも書いているように、放射能原子力発電所など、よく分からないものに対する恐怖心は誰もが持っています。同様に、ありもしないものをあると信じたくなる気持ち、妄想に逃げ込みたい気持ちも、程度の大小の差はありますが、誰もが持っています。

人間であれば、うつ病的な部分、躁病的な部分を持っていることは言うまでないでしょう。

精神科は、ある程度客観的な診断基準のICD-11やDSM-5があるものの、他の診療科と比べると、判定する医師によって診断が変わってきます。犯罪者の精神鑑定で、精神科医によって診断名が異なり、論争になることもよくあります。1973年のローゼンハン実験では、健常者8名が精神病(統合失調症)のふりをすると、全員入院できてしまいました。

精神科の診断基準はどうしてもあいまいになります。それは精神医学が科学でない証拠になるのかもしれませんが、全ての人が精神疾患の要因を少しは持っている証拠にもなるのではないでしょうか。

次の記事に続きます。