未来社会の道しるべ

新しい社会を切り開く視点の提供

一流新聞社記者と私の差

前回までの記事の続きです。

「誰もボクを見ていない」(山寺香著、ポプラ文庫)の著者はこう書いています。

「犯人の少年に社会から救いの手が差し伸べられなかった理由を、もっと単純なものだと想像していた。分かりやすい『悪』があるのだと思っていたのだ。たとえば、児童相談所の対応の不手際、あるいは周囲の人の冷たく無関心な態度、などだ」

前回までの記事に書いたように、小学校4年生の時の先生、モーテルの管理人、児童相談所の職員たちは、自分なりに少年の心配をしていました。筆者の価値判断だと、「善意」が十分感じられる人たちで、間違っても「悪」ではなかったようです。しかし、現実に少年は「善意」の人たちに救われることなく、祖父母殺人事件を起こしてしまいました。

上記の関係者たちの対応に批判されるべき点もあると私は考えていますが、上記の関係者たち全員が少年を救うべきだ、救いたいと考えていたことまでは否定しません。私が上記の関係者の一人であったとしても、少年の母を口汚く批判はするでしょうが、情けないですが、現状の制度であれば、少年を母から引き離すことはできなかったと推測します。

だから、これは制度の問題です。救われるべき犯人の少年は母の洗脳から解放された後、「道ばたで見かける助けを必要としている子どもに、少しでも気持ちを向けてほしい」と総括して、著者はその言葉に感銘を受けて、タイトルまでその言葉から取っていますが、気持ちを向ける程度でネグレクトの子どもは救われません。本来養育すべきでない家庭環境で育つ子どもを救うためには、制度を変えなければいけません。日本の強すぎる親権を弱めるしかありません。前回の記事に書いたように、虐待が発見されて、一時保護すべきと児童相談所が判断した時にまで、「両親の同意を必要とする」という条件は即刻なくすべきです。もちろん、児童相談所が「善意」で虐待と判断したが、実際は虐待でなく、誤解だった可能性はあるので、父母が不服申請できるべきであり、不服申請がなくても事後検証する制度は必要ですが、現在のように虐待時に子どもを保護するのに虐待している親の同意が必要な理由はないはずです。

そもそも、生まれた頃からこの少年の家庭環境は好ましくなかったので、それに気づいた誰かが少年を救うべきでした。遅くとも、小学4年生の先生はそれを把握できていたので、この時点で、親権停止できるくらいの制度を作るべきです。また、こういった問題を解決するためにも、「家庭支援相談員」の制度は必須だと私は考えます。

上記の本では、CA(Child Abuse児童虐待)情報連絡システムが機能していないことも指摘しています。対象者が引っ越した後も、児童虐待の情報が引継ぎされる制度で、1999年にできています。この少年に対しても2回の失踪時にCA情報連絡システムが使われましたが、全く反応がなかったそうです。情けないことに、あるいはIT後進国日本らしいというか、CA情報連絡システムでは、全国の児童相談所に、あろうことかFAXで虐待児童の情報を提供します。情報を一元的に管理する機関もなく、年間100件以上の連絡票が届いてしまうので、それを全て記憶している児童相談所の職員など日本に一人もいません。こんな無意味なシステムなら、職員の業務を増やすだけなので、ない方がマシです。上記の本でかなりのページを割いて、虐待児童の情報を全国の児童相談所のネットで共有するシステムを作成すべきだ、と著者は主張しています。

ただし、私に言わせれば、その著者の発想もまだIT後進国日本らしいと感じます。虐待児童に限らず、全ての児童、全ての国民の情報をネットで共有すべきです。虐待に限らず、学校、家庭の情報を全てネットで共有すべきです。それは極端だとしても、以前の記事で主張した「日本が世界最高のAI国家になる方法」に近づけるべきだと私は考えています。考えの古い日本人がいくら拒否しても、いずれ日本でも必ずそんな制度が導入されます(断定します)。

医療の例でいえば、ヨーロッパでは何十年も前から、患者のカルテは全国の病院や診療所で共有しています。日本はいまだそれをしていないので、病院を変えるたびに、無駄な検査を繰り返しています。個人情報の漏洩のデメリットよりも、無駄な労力や費用を削減するメリットの方が大きいと保守的な日本人たちが気づくのはいつになるのか、と医療職の私はいつも思っています。

このように、著者の人間観、社会観に劣った点は多く見つかります。特に、犯人の主張に感銘を受けて、個人の善意でなんとかなる問題ではなく、制度を変更すべき問題だと本質に気づかないところは、著者が毎日新聞記者であることを考えると、絶望してしまいます。義務教育もまともに受けられなかった犯人が見当違いの意見を述べるのは分かりますが、どうしてエリートの一流新聞記者が「分かりやすい悪があるのだろう」と世間知らずな浅い見解を持ってしまうのでしょうか。ふと、著者の略歴を見ると、私と同じ氷河期世代でした。「こんな見識の浅い奴が新卒で一流新聞社に就職できて文庫本まで出版できているのに、自分がブラック企業で自殺を毎日考えて、こんな閲覧者の少ないブログの犯罪記事で愚痴しか言えない差はどこで、どうして生じたのか」と考えずにはいられません。