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拷問王の紅林麻雄を教祖にしてしまった日本

現在のwikipediaで拷問王として載っている紅林麻雄は検事総長賞など500もの表彰を受け、その全盛期には「国警の星」などと激賞されていました。当時から紅林は「証拠などなく勘で犯人だと分かった」とあってはならない理由で犯人を特定していたことを堂々と自慢していました。山崎兵八など、この捜査手法に危険性を感じた警察官もいたようですが、ほとんどの警察官は何百回も表彰された紅林の推理が正しいと信じ切っていました(山崎兵八は紅林の全盛期にただ一人、その異常性を告発した人物で、それがために退職させられ、精神障害者として運転免許証をとりあげられ、家族全員が村八分にされた悲劇の人物です)。もはや紅林教と言っていいほど非科学的な警察集団が静岡に存在していました(あるいは、存在しています)。紅林教団が冤罪事件を量産したのは必然でした。

大きな事件だけでも、幸浦事件、二俣事件、小島事件、島田事件で紅林は無実の者を拷問で自白させたことが分かっています。まだ裁判で確定していませんが、袴田事件も紅林の部下が起こした冤罪です。他の小さな事件も含めると、紅林教団が生じさせた冤罪は数十件になると推測します。

紅林はありとあらゆる拷問方法を思いつき、自らはそれを実行せず、部下にやらせていました。容疑者に焼火箸を耳や手にあてて、バケツに排泄物を垂れ流しにさせています。紅林が行ったのは取り調べの拷問だけでなく、自分の直観に合致しない容疑者の捜査妨害、自分の直観に合致する容疑者の証拠捏造も上記全ての事件で行われています。

そのうちに紅林の強引すぎる捜査手法とそれによる冤罪が明らかになり、紅林は世間からも警察内部からも非難され、警察を辞職します。その2ヶ月後、脳出血で55才で亡くなりました。

ここまで道徳に反する紅林が何百回も公的に表彰され、部下たちに盲目的に従われた事実が恐ろしいです。そして、紅林のような人物が今後日本に出てこないと自信を持って言えない自分が情けないです。