未来社会の道しるべ

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オリンピックの功績

こちらのブログを読んでもらえれば分かる通り、コロナ禍があろうがなかろうが、私はオリンピック反対派でした。特に税金を使ってまで開催することに反対でした。

しかし、小山田圭吾のイジメ騒動があってから、オリンピックを開催した意義があったとようやく思うようになりました。このダイヤモンドオンラインの記事は大賛成です。

私は知りませんでしたが、小山田のイジメ自慢の件は、10年以上前から何回か炎上していました。しかし、小山田は全く反省しないどころか、むしろ「ネットイジメはよくない」と逆ギレする有り様でした。今回はオリンピックという国際標準の人権意識を求められる大会であったため、おそらく小山田の人生で初めて正式に謝罪しましたが、彼が本当に反省していたとは考えにくいため、また文章も所属事務所が考えたとしか思えないため、なにより小山田のイジメ自慢や過去の悪行は一度の反省で許されるレベルでないため、小山田は音楽業界全体から一度排除される可能性が高くなってくれました。

私が心底嫌う2チャンネル創設者のひろゆきは、以前から小山田を擁護していたせいか、今回も擁護発言を繰り返して、「小山田の息子を責める理由が分からない」と重箱の隅に注目してまで、小山田を擁護していました。

それにしても、上のダイヤモンドオンラインの記事に書いている通り「小山田氏をネットで罵倒している人は、小山田氏がやったことと同じことをしている」と小山田の凄惨なイジメと小山田へのネット批判を同一視する人はどこまで想像力がないのでしょうか。単純な例をあげます。100万円盗まれた後、相手が謝罪したとして、1万円返却されただけで、あなたは納得しますか。あるいは、100発殴られて体中の骨が10本も折れたのに、相手が口だけ謝ったからといって、1発殴り返すだけにしなさい、と言われて、あなたは相手を許せますか。ハンムラビ法典の時代から、同害報復の原則はあります。「先にやったもの勝ちではないか」「同じ復讐でも生ぬるい。倍返しにしろ!」と考えてしまうのが人間です。もちろん、復讐は道徳的に好ましいことではありませんが、「ごめんで済んだら警察は要らない」という言葉もあるように、謝罪して済む問題でないことも世の中にはよくあります。それとも、あなたは小山田が与えたイジメを受けて、人生をメチャクチャにされても、紙の上だけの謝罪で納得できると本当に考えているのでしょうか。

日本は第二次大戦で多くのものを失いました。人命、日本の国際地位、アジアの人たちからの信頼。一方で、もし第二次大戦で日本が負けていなかったら、現在の日本はよりひどいものだったに違いありません。日本は今の自衛隊より遥かに強力な軍隊を持っていて、徴兵制も続いていたに違いありません。基本的人権の尊重も国民主権もなく、女性の地位など今と比較にならないほど低く、軍隊的思想や体育会系思考は社会のあちこちでまかり通っていることでしょう。そう考えると、日本は第二次大戦で多くのものを失いましたが、それらを埋め合わせる価値あるものを手に入れたことに気づくはずです。だから「日本は第二次大戦に参戦すべきだったのか?」と私が問われると、「参戦したことは愚かな決断だった。しかし、参戦して、負けたことで、それまで日本人が注目していなかった普遍的な価値観に気づけた。日本が侵略した国の人たちへの謝罪は当然しなければならないが、第二次大戦の敗戦で得た教訓を未来に渡って活かせられたら、参戦し、敗戦した意義はあったと言えるのかもしれない。もしその教訓を忘れて、敗戦前の日本の価値観を今も守ろうとするなら、第二次大戦に参戦した意義はもちろん、敗戦した意義も全くなくなってしまう」と答えます。

オリンピックも小山田の件を奇貨として、今後のイジメ撲滅とイジメ擁護意見撲滅に貢献してくれることを願います。