未来社会の道しるべ

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国際機関職員はただのバカが多い

以前の記事にも書いたとおり、国連はコネで就職や昇進が決まったりする不公平な組織です。国連、あるいは国際機関には唖然とするほど倫理観や見識の浅い奴がいて、そんな奴がカリスマのように称賛されていたりするので、失望してその世界から去る者もいます。私はその世界に入ってすらいないので、去った者にはならないかもしれませんが、国際機関に失望は何度もしています。

国連が偽善的な運動をよく行っていることは、ある程度、国連に関わったことのある方なら、常識ではないでしょうか。「莫大な予算を使って、こんな運動をしていても、問題はなんら解決しないことくらい、ここにいるエリート(のはずの)連中は知っているだろう」と私も呆れてしまったことが一度ならずあります。

もちろん、「米中首脳はホットラインと軍縮条約を結ぶべきである」に書いた通り、国連がなくなっていい、とまで私は全く思っていません。大きな国際紛争を解決する手段として、国連は極めて重要な機関であることに異論はありません。しかし、小さい問題、特に発展途上国の問題を解決するために、国連もしくは国際機関はあまり機能していないように思います。

その気持ちは「あやつられる難民」(米川正子著、ちくま新書)を読んで、さらに強くなりました。本からの抜粋です。

ルワンダ虐殺の1995年に、ルワンダ国内に154ものNGOがいたが、大手のNGOを除いて、多くが人道支援者というより『即席専門家』だったと言われる。その多くは大学卒業したての若者で、勤務経験も技術も皆無であるのに、現場活動参加に意義があるという考えのもとに来る。援助物資を配布し、キャンプを設営し、写真を撮影しまくり、それをメディアに送って資金援助に役立てようとする。その地域の政治について理解しようとする意欲も関心もない上に、それになるべく突っ込まないように注意する。そして、たとえ支援のプロジェクトが失敗したとしても(その自覚があるかどうかも疑問だが)、その原因を追及せず、自分たちはよいことをしたのだからと身構える」

人道支援者の責任やミスで難民が命を落とすといった罪を犯しても、国連職員が刑事責任の免除を得て活動していること自体、『人道的不処罰』ではないかと思う。『不幸な出来事だった』『ベストを尽くしたけど当時は政治的な混乱の中にあって、仕方なかった』という『言い訳』で終わる」

「残念ながら、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)職員の多くは、難民保護より自身のキャリアを重視していることは事実だ。UNHCRの職員の場合、その対象者である難民が評価するのが妥当だろう。しかし、そのような評価を難民から喜んで受けたいUNHCR職員はいないと私は分かっている。難民という『下』からの評価は、上司の評価と比べると価値がないとみなされ、昇進にも影響しない」

「UNHCR職員のキャリア重視が明白に分かるのは、彼らが組織トップの高等弁務官にペコペコして媚びる姿を見る時だ。現地事務所の代表者は『成功例』の現場のみを高等弁務官に見せ、失敗例や肝心の問題を時おり隠す。そもそも現場の主要な問題点が高等弁務官に伝わらず、局長レベルで留まることがしばしばあった。現地代表の態度や政策に不満のある職員がいる事務所であれば、高等弁務官と職員の会議が設定されることもない。さらに、UNHCRは内部からだけでなく、外部からの批判を受け入れたがらない。それどころか、『我々は厳しい現場で頑張っているのに、批判される覚えはない』と自分たちを擁護しがちだ」

「国際機関間のライバル意識は非常にあり、たとえば、いつ誰がどこで記者会見を開催するかといった些事でもめあうことがある。当然、最初に記者会見を開いて発言すれば、大きな注目を浴びる。難民や避難民の緊急事態中、UNHCRの名で数回報道されると、他の国連機関から『UNHCRの報道官は強引すぎる』と非難されることがあった。大変ばかげたことであるが、こういった国連機関間の争いで、難民と避難民の保護に十分に取り組む時間が減ったのは事実である」

この批判に、冷や汗が出る国際機関職員は少なくないはずです。そして、国際関係機関がこういった批判を受けるべきことを知らない日本人が大半のはずです。

国際機関職員というと立派な人を想像するかもしれませんが、現実は必ずしもそうではありません。むしろ「普通の社会だとうまくやっていけないけど、『現場に行きさえすればいい』国際機関ならなんとかなると思って、活動しているんじゃないだろうか」と思う人の方が、私の実感としては、多いです。日本にいる白人だと「母国ならダメだけど、日本だと白人というだけで特別扱いしてくれるから来たのではないか」と思ってしまう人が多いことと似ているかもしれません。

もちろん、知性の極めて高い国連職員(残念ながら私はただの一人も会っていませんが)、知性の極めて高い日本にいる外国人がいるのも事実です(こちらは何名か会っています)。他の社会と同じく玉石混交ではありますが、学歴の基準と比べると、質の低い人が多すぎる傾向はあるように私は感じています。

次の記事に続きます。