未来社会の道しるべ

新しい社会を切り開く視点の提供

フェアトレードの偽善性

先進国で売られている多くの製品は、発展途上国の人たちの労働によって作られています。先進国を豊かにしている物が、先進国では許されないほどの劣悪な労働条件で、先進国よりも桁違いに安い賃金で、先進国の生活を享受できない人たちによって、作られているのです。これはあまりに理不尽です。だから、発展途上国の人たちに適正な賃金を与えるようと、フェアトレード運動は生まれました。労働者が適正な安全基準の職場で、適正な時間内で働き、適正な社会保障を受けられて作られた製品だけが、フェアトレードの認証を受けます。

以上が、私のフェアトレードの最初の認識でした。10年ほど前の認識です。そのうちに「フェアトレードの認証を受けるためには、環境汚染にも配慮しなければならない」「フェアトレードとは消費者と生産者を結びつける運動だ」「フェアトレードは体にも優しい商品である」などといった情報も入ってきて、混乱してきていました。

そんな時、フェアトレードは偽善ではないか、と強い疑念を私に起こさせたのは「フェアトレードタウン」(渡辺龍也著、新評論)という本です。なんと、フェアトレードの定義について書かれていないのです。フェアトレードが世界をよくする運動であるためには、当然、フェアトレード商品が本当に適正な労働環境で作られているか、チェックしなければならないのですが、そのことについても、全く触れられていません。「フェアトレードはいい運動だ」というイメージだけで進めているようで、恵まれた金持ちたちの自己満足のような印象を強く受けました。

そのフェアトレードの偽善を、印象ではなく、科学的に示してくれた本が「効果的な利他主義宣言」(ウィリアム・マッカスキル著、みすず書房)になります。

まず、フェアトレードの基準は最貧国で満たすことは難しく、より豊かな発展途上国フェアトレード商品は作られています。例えば、フェアトレードコーヒーは最貧国のエチオピアではなく、10倍も豊かなコスタリカやメキシコで作られています。コスタリカ人への数ドルよりも、エチオピア人への1ドルの方が社会的価値は高いので、これでは、フェアトレード商品よりも、そうでない商品を買うべき、となってしまいます。

次に、通常の商品以上にフェアトレード商品に支払われる余分なお金のうち、最終的に発展途上国の生産者の手に渡るのはわずか1~11%に過ぎないそうです。残りは、中間業者や手配するNGOの手に渡ってしまいます。

さらに、ロンドン大学東洋アメリカ研究学院のクリストファー・クレイマー教授の研究チームが4年がかりで調査したところ、フェアトレードの労働者たちは、そうでない同様の労働者たちと比べて、体系的に賃金が安く、労働条件が劣悪だったようです。どうも中間搾取が原因らしいですが、理由はともかく、他の調査でも同じ結論が出ています。前回の記事にも示したように、正しく思えるプロジェクトが、科学的に検証してみたら、実は正しくなかった例でしょう。

最後の結論はフェアトレードの全否定になってしまいますが、フェアトレード推進派のために書いておくと、上記の「他の調査」の数は、それほど多くないようです。「効果的な利他主義宣言」も、以上のような批判をしながらも、フェアトレードを全否定まではしていません。せいぜい比較的裕福な国の労働者に小銭を与えられる程度、と結論づけています。

ただし、フェアトレードに科学的な事後検証制度がなさそうなので、上のような全否定の結論が出ても不思議ではない、と私は考えています。