「効果的な利他主義宣言」(ウィリアム・マッカスキル著、みすず書房)は極めて興味深い本でした。「知ってはいけない」(矢部宏治著、講談社現代新書)が日本中の全ての人に読ませたい本なら、「効果的な利他主義宣言」は世界中の全ての人に読ませたい本です。
出だしのプレイポンプとICS(investing in children and their societies)の話が、偽善と本当の善の区別をよく表しています。
プレイポンプは、アフリカの農村の女性が何㎞も歩いて水くみにやってきて、ポンプの前で何時間も順番待ちをしている光景にショックを受けた男が、純粋な親切心から発明しました。普通のポンプと違って、子どもたちが遊ぶことができ、ぶら下がってぐるぐる回るエネルギーで、水をくみ上げられます。さらに、貯水タンクの側面に広告看板を載せ、その収益でプレイポンプの維持費を賄います。
男は1995年に1台目を設置してから、多くの企業や政府機関と関係を築き、1999年までには50台までプレイポンプを増やします。2000年には世界銀行開発市場賞を得たことで、大企業AOLの社長が資金を提供するようになり、2005年、数千台のプレイポンプがアフリカ全土に導入する計画ができます。2006年のタイム誌で元アメリカ大統領のクリントンがプレイポンプを素晴らしいイノベーションと絶賛し、当時のファーストレディのローラ・ブッシュが1640万ドルの助成金を提供しました。
雲行きが怪しくなってきたのは、ワールド・ビジョンとユニセフ、スイス開発資料センターとSKATがプレイポンプを実地調査してからです。
公園にある回転遊具は一定の勢いがつくと自動的に回りますが、プレイポンプは回転エネルギーを水をくみ上げるエネルギーに変換するので、回転するには常に力を加え続けなければなりません。だから、プレイポンプは子どもたちをすぐに疲れさせますし、あまり楽しい遊具でもありません。ほとんどの場合、結局は村の女性たちが自分でプレイポンプを回すはめになっていたようです。
さらに驚くべきことに、何千台もアフリカに設置する計画まで立てているくせに、プレイポンプが必要かどうか、現地の者に誰もたずねていなかったそうです。実際にたずねてみると、多くの人は以前の手押しポンプがよかった、と答えました。なぜなら、以前のポンプの方が少ない労力で1時間あたり1300リットルの水をくみ上げられるのに対し、プレイポンプはより労力がかかる上に、1時間あたりでくみ上げられる水の量も少なかったからです。
また、プレイポンプの多くは数か月で故障していたことが判明します。しかも、ポンプの機構部分が金属のケースで覆われていたため、以前の手押しポンプのように村人自身で修理することは不可能でした。村の住民はメンテナンス依頼用の電話番号を受けとるはずでしたが、なぜか番号が伝っておらず、かりに伝わっていても、電話がつながらない時が多かったそうです。当初の計画通りに広告を出してくれる者が集まらず、維持費が賄えていなかったのです。
おまけに、プレイポンプのコストは1台あたり1万4000ドルで、手押しポンプの4倍もします。
こういった事実が明らかになると、メディアが手のひらを返して、プレイポンプの大バッシングを開始したことは言うまでもありません。完全な善意から始まった事業は、見事なまでに無意味な偽善と様変わりしたわけです。
一方、ICSはケニアの教育レベルを上げるオランダの慈善団体です。ICSは現地の14の学校のうち、あるプログラムを7校で実施し、残り7校は普段のままにして、どちらのグループがうまくいっているかを比較する「ランダム化比較試験」を行いました。
まず、ICSは学校に教科書を支給するプログラムを実施しました。生徒30人の教室に教科書が1冊しかないことも珍しくなかったため、教科書の充実で学習効果が高まることに疑問の余地はありませんでした。しかし、教科書を支給された学校と、そうでない学校で、テストスコアの成果に差はありませんでした。どうも、教科書が現地の子どもにとってレベルが高すぎたようです。
教材を増やしてダメだったので、教員を増やしてみました。大半の学校には教師がたった一人しかいなかったので、この教育効果も明白のように思います。しかし、やはり教育効果はゼロでした。その理由は本に書かれていないので、謎です。
普通の対策の失敗で血迷ったのか、次にICSは駆虫プロジェクトに取り組みます。公衆衛生の向上のためでなく、教育効果の向上のためです。費用はそれほどかかりません。既に特許が切れている薬を使えば、子どもたちの体内から腸内寄生虫を簡単に駆除できます。学校を通じて薬を配布するので、出席率、就学率が上がります。
この方法で嘘のように教育効果が出ます。駆虫した子ども一人あたり2週間も学校の出席日数が増えるので、駆虫プログラムに100ドル費やすたびに、全生徒の合計で10年間に相当する出席日数が増加します。さらに、ICSが10年後の子どもたちの追跡調査を行うと、駆虫を受けた子は、そうでない子に比べて、週の労働時間は3.4時間、収入は2割も多かったそうです。
プレイポンプとICSの差はどこにあったかは明らかでしょう。科学的な事後検証の有無です。
「これはいいに決まっている」と思うプロジェクトで、しかも、事後検証でうまくいっているように思えるプロジェクトでも、ランダム化比較試験してみたら、実はうまくいっていなかった例はごまんとあります。「根拠に基づく政策立案(EBPM)」で示した「非行少年少女を受刑者たちと交流させる」プロジェクトの失敗は、そのいい例でしょう。私は知りませんでしたが、このプロジェクトは1978年から放送された「スケアード・ストレート」というドキュメンタリー番組に起源がある、と上記の本に書かれています。非行少年少女が刑務所を見学して、自分の非に気づき、更生していく様は多くの者の感動を呼び、スケアード・ストレートはアカデミー賞や8つのエミー賞を獲得しています。しかし、9つの科学的観察により、刑務所見学した非行少年少女と、そうでない非行少年少女を比べると、刑務所見学組の方が60%も犯罪率が増加していると判明します。理由は不明ですが、結論として、非行少年少女に刑務所見学させるプロジェクトは、お金がかかる上、社会に有害だと分かったのです。
それに関連して、日本のアフリカODA批判と、開成高校の入試問題と、最近の朝日新聞で発見した不毛な議論の記事を書きました。