結局、僕は東大に入らず、アメリカ西海岸の大学の医療工学部に進学することにした。最高のコンピュータ教育を受けさせてくれた父の期待を裏切ることになるが、僕は日本の大学に入る選択はどうしてもできなかった。
僕の祖父は東大卒の心臓手術師であった。いや、いまでも祖父は自分を「外科医」と言っている。外科医という言葉がなくなって長くなるが、昔の記憶は残っていて、かつてのエリートだった医者の中でも花形の「外科医」という言葉に愛着があるようだ。現在は、重度の認知症で老人ホームに入所しているが、あまりのプライドの高さに、他の入所者からも介護者からも、僕を含めた家族からも嫌われている。
医者の仕事は僕の祖父の時代から少しずつコンピュータ化されることになった。真っ先になくなったのは、画像診断を専門とする放射線医と病理医である。コンピュータによる人間の仕事の侵食は他の業界でも燎原の火のごとく広がっていったが、医師側の抵抗があり、画像診断医がなくなった後も、医者という職業そのものの消滅にはしばらく時間がかかった。
最初に医者がいなくなる国はコンピュータ技術で先頭を走るアメリカだと、誰もが考えている中、世界で最初に医療診断をAI化することを決断したのは日本だった。財政が破綻し、大幅な社会保障費の削減を余儀なくされたための苦肉の策であったが、結果、医療ミスが激減し、過剰医療が極限までなくなり、医療費は大規模に削減され、患者の受ける恩恵は飛躍的に増した。
この日本の英断により、あらゆる内科医が失業していき、外科医が術式を決めることもなくなった。世界中から医学部が消え、代わりに医療専門学校が手術師、内視鏡師、カテーテル師などを育てることになった。手術師、内視鏡師、カテーテル師はコンピュータの指示通りに作業するのが仕事なので、頭の良さはさほど要求されず、それよりも手先の器用さが遥かに重要となる。当然、それらの専門職の給与は、かつての医者とはくらべものにならないほど低くなった。
僕の父は東大医学部を目指して勉強していたが、医学部が医療工学部になって、高度なプログラム能力が必須となったため、入学できず、かといって家業の医師の道を諦めることもできず、医療専門学校に進んだ。父はお金のためではなく、医療貢献のために進路を選んだので、価値のある決断だったと信じきっていたらしい。
しかし、父の人生は挫折の連続となった。もともと頭がいいだけで、さほど手先が器用でなかった父は、天性の器用さを持つ同級生たちとの競争に負け、目標の手術師にはなれず、カテーテル師になった。そのカテーテル師も、内視鏡師や手術師同様、父の仕事人生が終わる前に、AI機械に代替され、かつての医師同様に職業自体が消滅した。現在、父は塾講師の仕事をしているが、教育内容の変化に着いていくのに必死だ。
そんな父は、プログラミング教育を徹底して僕に施してきた。「これからはコンピュータを使える人間と、コンピュータに使われる人間に2極化する。東大医療工学部に入って、コンピュータを使える人間で一番になれ!」が父の口癖だった。自分が入れなかった東大への夢を託したかったようだ。
その甲斐あって、僕は小学生の頃から自作のゲームソフトを作成、有料で配給し、中学生の頃には父の収入を上回っていた。家族は全員、僕が東大に入ることを疑っていなかったようだ。
しかし、僕は東大医療工学部に入らなかった。確かに、日本の医療工学界で東大は最高の人材を集め、最高の投資を受けている機関である。特に日本の手術機械技術の多くは東大が最先端であり、東大開発の手術機械のシェアは脳手術分野32%、整形手術分野35%で、どちらも世界一だ。
それでも僕は東大を選ばなかった。なぜか。
それは東大研究室の縦社会を嫌ったからだ。東大に見学に行った時、部外者の僕でも、研究室内での上下関係をすぐ把握できるほど、縦社会は徹底されていた。そのほとんどは単純に、年功序列と長幼の序で決まる。僕は若いというだけで、3回の見学時、いつも見下されたような言葉遣いをされた。自由に発言する雰囲気は全くない。
実際、「東大の強みである脳手術機械と整形手術機械は技術的にもう限界が来ていると思います。いずれ賃金の安い新興国に抜かれるので、消化器手術や心臓手術機械の開発に人材を投入すべきではないでしょうか?」との僕の発言も、「10年前からそんなこと言われているけど、東大の利益はいまだに増えている。東大は手術機械の分野を切り開いてきた。先行者がずっと一位の業界がどれくらいあるか知っている?」と研究員に一笑に付された。全く同じ意見を教授が言ったら、その研究員が僕にした態度をとることは絶対にないと確信する。
僕のアメリカ大学進学は、結局、家族の誰からの賛成もなかった。潤沢な奨学金が得られたから、僕がアメリカを選んだと家族は思っているようだが、それは違う。東大を選んだ場合、僕の将来が不安だったからだ。それは東大の縦社会で、僕の能力が十分に発揮できないためだけではない。現在の成功体験に執着し、変化することのできない東大に入れば、祖父や父のように、僕もいずれ失職することを恐れたからだ。