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オリンピックは莫大な税金がかかるものでも、返上不可能なものでもない

2024年と2028年のオリンピック開催都市が同時に決まる異常事態になったのは、開催される前から大赤字が決まっている東京オリンピックの失敗が影響したのは間違いないでしょう。名乗りを上げた都市がオリンピックの莫大な費用に愛想を尽かして撤退し、五輪開催地不在の危険性まで出てきたのは今回が始めてではありません。「オリンピックと商業主義」(小川勝著、集英社新書)にあるように、1984年のオリンピックも立候補した都市がロサンゼルス一つで、そこでさえ「市の税金投入を禁じる」というロサンゼルス市憲章まで作られたほどです。さらにいえば、1976年のデンバー冬季オリンピックのように、開催決定後に住民投票のため返上されたケースもあります。東京も、あるいは日本人も、オリンピックに名前負けせずに、返上する勇気を持ってほしいものです。

「オリンピックと商業主義」(小川勝著、集英社新書)で何度も記述されていることですが、「商業主義」の始まりとされる1984年のロサンゼルス大会が大幅な黒字になったのは費用を節約したからです。収入では、その前の1980年モスクワ大会の方が1.5倍も多いのです。また、歴史を調べれば、オリンピックに商業主義が入ってきたのは1960年のローマ大会からで、1972年のミュンヘンオリンピックは初の商業化オリンピックと断定できるほど変わっていたことが分かります。

1984年のロサンゼルス大会で画期的だったのは、むしろ完全民営化五輪だったことです。住民投票によって「ロサンゼルス市はオリンピックの赤字保証をしないし、運営資金としての税金投入も禁じる」という市憲章修正条項が可決されたのです。だから、スポーツ連盟からの贅沢な宿泊施設を用意する要求、高価すぎる交通手段を準備する要求をことごとくはねつけました。交渉により、ギリギリまで値切ったのです。警官の人件費でさえ市は出してくれなかったので、観光客に課したホテルと五輪入場券の税金37億円によって賄われ、それでも足りない分の23億円すら市との交渉により16億円まで値切っています。この決着は、選手村を開けるわずか1週間前だったそうです。「経費の支出を適正なものにするには、こうした粘り強い態度が必要だった」と上記の本は主張しています。

努力の甲斐あり、オリンピック支出は、1976年モントリオール大会が約14億ドル、1980年モスクワ大会が約13億ドルに対して、1984年ロス大会が約5億ドルです。繰り返しますが、ロス大会が大幅黒字になったのは収入増ではなく、支出減が原因です。

なお、1984年オリンピック開催都市に名乗りをあげた都市がロス一つだった原因は、1976年モントリオール大会の失敗にあります。モントリオールは五輪開催時にカナダ最大の都市でしたが、開催後に五輪の莫大な赤字返済に30年間も苦しみ、現在は人口でも経済規模でもトロントに負けています。もちろん、モントリオール凋落の最大の原因は、ケベック州のフランス系優遇政策にありますが、五輪の赤字が凋落を加速させた側面もあります。