未来社会の道しるべ

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予防は治療に勝る

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上記の表は「スウェーデンにおける医療福祉の舞台裏」(河本桂子著、新評論)からの抜粋で、著者が務めるスウェーデンのリハビリセンターでの活動件数です。日本人医療者にとって驚きなのは学校訪問と家庭訪問の数でしょう。10件の通院患者に対して、学校訪問と家庭訪問を合わせて2件もしている割合です。それくらい教育活動を重視しているのです。これほどの頻度で教育活動を行っている現役の作業療法士(リハビリ職の一つで、上記の著者の職業)なんて、日本に一人もいないでしょう。日本の医師や看護師も、外来患者や入院患者で手一杯で、病気でもない人のために教育活動をしている暇はありません。

しかし、「福祉先進国・北欧は幻想である」の記事に書いた通り、スウェーデンだって、医師や看護師が余っているわけではありません。むしろ、外来待機患者や入院待機患者が日本以上に多いのです。それでも、教育活動に時間を費やします。なぜでしょうか。

それは予防医療の効果を認識しているからでしょう。健康は一度マイナスになるとゼロに持っていくのは容易ではありません。だから、薬や手術などの手段を用います。しかし、薬や手術でゼロに戻ったとしても副作用は必ずあります。再度マイナスになりやすかったりしますし、必ずしも完全にゼロまで戻れるとも限りません。だからこそ、最初からマイナスにならないように、予防するべきです。ゼロからプラスに持っていき、マイナスに陥らないようにするべきなのです。

また、全ての病気、全ての体調不良、全ての死に医療・福祉が関わっていたら、いくら医師や作業療法士介護士がいても足りません。上記の本に「患者さんの理想は、常に専門職が一緒にいてリハビリすること」と書かれています。しかし、それは人手の面で不可能です。専門職が関わる時間はどうしても限られます。だから、リハビリの専門職は家族を中心とした治療訓練をします。作業療法士などが着いて行うリハビリよりも、生活環境の中で毎日自由に行うリハビリの方が、遥かに効果があると科学的に証明されてもいます。

にもかかわらず、上記のように患者さんと家族の理想は「誰かリハビリをしてくれる人がいてほしい」なので、なかなか納得してくれません。専門職が近くにいないと、どうしてもサボってしまいます。それを正し、自分で実践してもらうために、教育活動をしているわけです。別の見方をすれば、「できないこと」も予め伝えているのです。健康な時から、「専門職はいつも一緒にいることはできません」「どのようなリハビリを行えばいいかは教えます」「自分で自由な時間にリハビリした方が効果あります」といったことを認識してもらっているようです。

これは自己責任を高めるためにも有効でしょう。世界の中で、日本ほど恵まれた医療・福祉の国はありません。その恵まれすぎた制度のため、どうしても患者さんは医療・福祉に頼りすぎています。世界標準からいえば、患者さんの自己責任の意識が薄すぎます。その自己責任を高めるために、日本の医療者も医療活動の時間を削ってでも、教育活動をすればいい、と私は思います。

「糖尿病になったら、神経が鈍くなり、目が見えなくなり、腎臓が悪くなり、病気にかかりやすくなります。食事療法で予防できるので、糖尿病から透析になった人は全額自費治療にします(現在の日本では、透析は身体障害者手帳が発行されるため、全額公費!)」

「この近辺の病院ではAの病気が治療できません。Bの予防法は十分にしておいてほしいですが、それでもダメな場合があるので予め知っておいてください」

こういった広報教育活動を医療者自らが行うべきです。

このような案について「ネットを使えば医学の知識は着けられるし、地域の医療事情だって自分で調べられるので、情報収集しなかった者の自己責任だ」という反論が出そうですが、それで自己責任を押しつけるのは現実的でないでしょう。ネット上には真偽不明の情報が溢れていますし、地域の医療事情を自力で調べられるほど能力が高い人はごく僅かです。

一方、正しい科学的知識を持った医療従事者自らが地域で教育活動を行っていれば、「知らなかったから、私の責任ではない」は通らないはずです。

当たり前ですが、本来、病院と警察は商売繁盛すべき場所ではありません。だとしたら、医療者の最も重要な仕事は、病人を治すことではなく、病人を作らないようにすることです。そのためには、医療者は病院の外にも出て、教育活動を行うべきでしょう。

だから、ぜひ厚生労働省に、医療教育活動に保険点数をつけてほしいです。