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なぜ岩倉使節団は不平等条約を改正できなかったのか

日米修好通商条約不平等条約であることは、遅くとも大政奉還が行われた1867年には日本でも周知の事実でした。この頃には、国際貿易や国際法に無知により、日本がアメリカにまんまと騙されたことに気づいていたのです。

不平等条約を結んだ政権を倒して、新しい政治体制になった日本が不平等条約改正を目指すのは当然の成り行きです。1871年からの岩倉使節団はそれを目標の一つとしていました。

「あなたたちは私たちの無知につけこんで騙したんだ!」

「こちらが理不尽に不利だと分かった約束をいつまでも守るつもりはない!」

「この条約はバカな前政府が結んだものだ! 現政府はこんな条約を認めるつもりはない! 新しい対等な条約を結びたい! それが無理なら戦争も辞さない!」

アメリカの不誠実さはいくらでも指摘できたでしょうし、こちらの正当性はいくらでも主張できました。日本政府首脳がここまで多人数集まって外国で交渉するなど、日本の歴史上、その前にもその後にもありません。どう考えても、不平等条約改正の絶好の機会です。

しかし現実は、最初の訪問国のアメリカで、上辺だけは親切なフィッシュ国務長官に、日本はまたも一杯食わされてしまうのです。なんと、本格的な外交交渉に入る以前に、フィッシュが使節団の全権委任状を不適切とケチをつけてきたのです。

「全権委任状が不適切もなにも、私たちが日本政府の全権だ! まともに交渉しろ!」

使節団にはそんな意見を持つ者も多かったようですが、結局、大久保利通伊藤博文がすごすごと日本に全権委任状をとりに帰国し、その間、4か月も無駄にしました。アメリカの時間稼ぎ作戦に情けないほど簡単にひっかかったのです。そして、大久保や伊藤が全権委任状を取ってくるよりも前に、ドイツのブラント公使に「(不平等条約の交換条件として)アメリカに特別な優遇措置を認めたら、最恵国待遇条項から、他の西洋列強にも自動的にそれが認められてしまう」と忠告されると、使節団はあっさり不平等条約改正を諦めます。以後、使節団は多くの西洋列強諸国を訪れますが、不平等条約改正交渉はまともに行われていないようです。この千載一遇の機会を逃したのです。

どうしてドイツの公使に「そんなこと言っていたら、不平等条約など改正できない! アメリカだけでなく、当然、全ての西洋列強諸国とも不平等条約を改正するつもりだ! 西洋列強が条約の不条理を認めないのなら、戦争になっても構わない!」と言い返さなかったのでしょうか。

それは、西洋列強から近代文明を導入する必要があったからでしょう。「不平等条項のみ改正して、交易だけしたいなど認めない。不平等条約を改正したいのなら、こちらからの技術者や学者の日本派遣も中止する」と言われると、日本の近代化をなによりも推進したい明治政府としては困ったからでしょう。

それでも! そういった要素を全て考慮しても、岩倉使節団の外交は弱腰でした。特に、全権委任状にケチをつけて、4ヶ月間も日本政府首脳を足止めさせるなど、バカにするにもほどがあります! 「いいかげんにしろ! 俺たちがワシントンに留まるだけでも、日本国民の血税がどれだけ消費されているのか分かっているのか! こんな無礼な国からは今すぐ出ていって、より誠実で理性的な話のできるヨーロッパの他の国と交渉することにする! 言いたいことがあるなら、アメリカ政府首脳が日本に来てから言え! 全権委任状などなくても、ちゃんと交渉はしてやるから!」 それくらいは最低限、言ってほしかったです。本当に、アメリカをすぐに去らなかったとしても。

「欧米から見た岩倉使節団」(イアン・ニッシュ編 ミネルヴァ書房)によると、やはりフィッシュ国務長官の全権委任状へのケチは、アメリカ人からしても「無理難題」に思えるそうです。上にも書いたように、このケチが不条理であることは使節団もだいたい分かっていましたが、使節団員の考えや性格の不一致などのくだらない仲違いで、最低限主張すべきことも主張せずに終わったようです。

現在はもちろんですが、当時だって、アメリカの無理難題に対して日本が怒ったとしても、すぐに交易が全て中止になったりするわけがありません。アメリカだって日本との国交が切れたら、中国とも交易しにくくなるし、捕鯨の収穫も減るので、困ったはずです。日本が他の西洋列強と交易して、アメリカとだけ交易しなかったら、もっと困ったでしょう。なにより、人類普遍の感情からして、上のような無礼に怒るのは当然です。たとえ怒らなかったとしても、「そのような無理難題をふっかけるのは失礼ではないか」と明確に指摘して、それを記録に残しておくべきだったでしょう。

明治時代の日本の弱腰外交といえば三国干渉が有名です。三国干渉は弱腰だと(第二次世界大戦まで)批判されすぎだと私は考えていますが、一方で、この岩倉使節団アメリカでの弱腰外交はあまりに注目されなさすぎだと思います。21世紀になっても「堂々たる日本人」(泉三郎著、祥伝社黄金文庫)と、この岩倉使節団を激賞する本まで出版されていますが、上の弱腰外交の一件だけでも「堂々たる日本人」と、とても言えないことは知っておくべきだと思います。

 

(追記)

この記事では「なぜ岩倉使節団不平等条約を改正できなかったのか」の答えになっていないので、「岩倉外交が不平等条約を改正できなかった理由」にその答えを書いておきました。