未来社会の道しるべ

新しい社会を切り開く視点の提供

福田孝行の暴力性と女性観

前回までの記事での主張と同じですが、さらに考察します。

酒鬼薔薇事件は不良文化によって起こされた」にも書いた通り、反社会的な環境にいればいるほど、犯罪を起こしやすくなります。暴力性が高い人ほど、暴力事件を起こしやすく、歪んだ女性観を持っている人ほど強姦事件を起こしやすくなります。

これは当たり前のことなのですが、どういうわけか、裁判では本人の環境、暴力性などをほぼ無視します。もし本人がヤクザであれば、これからヤクザから抜けるかどうかの決意によって、再犯率が大きく変わることは論をまたないので、ヤクザから抜ける約束をしなければ量刑を重くするべきだと思うのですが、それが論点になっている裁判例を見た記憶がありません。

残念ながら、光市母子殺害事件も同様で、福田の暴力性の決定的な(唯一かもしれない)証拠となる動物虐待エピソードについて、判決文で全く触れられていません。裁判でそれについての議論すらされていないようで、反省の有無も問われていないようです。しかし、父からの虐待以上に、これは福田の自発的な暴力性を示すエピソードなので、裁判で反省を求めるべきですし、反省の有無によって、量刑を変えてもいいはずです。もしこれが「頭のおかしい少年ならよくやること。事件とは関係ない」と誰もが考えたのだとしたら、裁判官あるいは日本人の道徳観に私は失望します。

また、前回の記事に書いたとおり、光市母子殺害事件は福田の暴力性だけでなく、福田の歪んだ女性観によっても生じていると私は考えています。福田は自殺した母への恋慕を被害者に重ねていた、といったフロイト流の解釈を弁護側が持ち込んだため、福田の女性観については解釈が迷走しています。「なぜ僕は『悪魔』と呼ばれた少年を助けようとしたのか」(今枝仁著、扶桑社)によると、福田は母とも性行為を望んでいたようですが、それが本当かどうか、ましてそれが犯罪要因になったかどうかは、誰にも証明できないでしょう。

福田の女性観の正確な形の議論はともかく、福田の女性観が歪んでいたことは誰もが認めています。「福田君を殺して何になる」(増田美智子著、インシデンツ)に出てくる増田への福田の手紙からも、それは明らかです。今枝の本によると、福田が歪んだ女性観を持ったのは「父が母を虐待していたため」であり、まるで福田の責任ではないかのような書き方をしています。しかし、たとえ生来的なものであっても、環境によるものであっても、歪んだ女性観によって強姦したのなら、強姦者本人の責任です。歪んだ女性観によって強姦が生じたなら、どんな事情があっても、矯正しなければなりませんが、事件後、女性観に焦点をあてて矯正したとの記述は、どの本にも出てこません。増田にいたっては、福田の歪んだ女性観を「人間的な感情」だと肯定的に捉えています。福田の「真の反省」とはなんなのか、と増田は問題提起していますが、あんな女性観の歪んだ手紙を何通も受け取っておいて、また、光市母子殺害事件が強姦も含んでいることを知っておいて、福田の歪んだ女性観の矯正が必要とすら増田は気づかないので、福田の「真の反省」とはなんなのか、と悩むのは当然でしょう。

福田が自身の暴力性と女性観を矯正することが「真の反省」だと私は考えます。しかし、現状、そのどちらも矯正されたとは思えないどころか、そこが問題だとすら、福田はほとんど気づいていません。私が福田には極刑がふさわしいと思うのは、福田が「真の反省」ができていないからです。

次の記事に続きます。

なぜ福田孝行は「なめないでいただきたい」と言ったのか

前回までの記事の続きです。

光市母子殺害事件裁判での犯人の激怒」での2007年9月20日の裁判は、もともと被害者遺族の意見陳述だけの予定でした。福田の反省の意思を示したい弁護団の要請により、被告人質問も付け加わりました。しかし、福田は検察官の「デタラメな追及(下記の増田の表現)」に激昂してしまいます。これについて、遺族の本村洋は「彼に対して温かい言葉をかける弁護団に対しては真摯に対応しますが、検察官や裁判官の尋問に対しては敵意や不快感をあらわにしますし、とても心から改心している人間とは思えません」と述べ、すぐに大きく報道され、世間の福田の悪印象を増幅させています。私もこの本村の言葉に同意します。

一方で、この激昂を「(福田が)意地と怒りを表明したのは当然だ」とまで擁護しているのが、「福田君を殺して何になる」(増田美智子著、インシデンツ)の著者の増田です。

確かに、福田が検察に恨みを抱く正当性はいくつも存在します。福田が死刑になる最大の契機を作ったのは、福田の不謹慎な手紙ですが、「なぜ福田孝行は不謹慎な手紙を書いたのか」に示したように、この手紙は検察の策謀によって作り上げられた疑いが濃厚です。

A(不謹慎な手紙の送付相手)は福田の死刑にショックを受けて、週刊新潮に不謹慎な手紙を売ったこともすごく後悔していたようです。増田が福田の面会時にAの後悔を伝えると、福田は次のように増田に言ったそうです。

「彼に『そんなに気にすることはないよ』って伝えてほしいです。もともと彼に悪気があってやったこととは思っていないから。あの手紙が出たことで、かえって僕のことを分かってもらえる機会ができたという方が大きい。あれだけバッシングを受けたから、今ここまで成長できました。手紙はバッシングされてもしょうがないものだったし」

不謹慎な手紙はAの挑発に答えて書いてしまったものだと弁護側は裁判で主張しているものの、福田自身はAに恨みを持っておらず、手紙がマスコミに流れたことでさえ、恨んでいないようです。その分、検察へ恨みを集中しているのかもしれません。

「なぜ僕は『悪魔』と呼ばれた少年を助けようとしたのか」(今枝仁著、扶桑社)によると、自分の認識と異なる内容の自白調書が作成された理由として、検察官に「このままいい加減なことを供述していたら、君に死刑を求刑することになる。君を死なせたくない。生きて償いなさい」と言われ、福田が泣き崩れたからのようです。この「生きて償いなさい」は検察官作成の自白調書にも残っているようで、裁判の判決文にも取り上げられています。しかし、毎度のことですが、検察官はその発言を無視し、臆面もなく第一審から死刑を求刑します。増田の本によると、「生きて償いなさい」と言った吉池検事は一審の裁判で「福田は泣いたことはなかった。後悔している様子もなかった」と「嘘」を述べたそうです。

増田の本には、吉池検事に取材した様子が書かれています。

 

――弁護側は「生きて償いなさい」と検事さんに言われたと主張をしていますよね。

「そうですかね。その後の公判は担当してないんで、よく分かりませんけども」

――それで、「生きて償いなさい」と吉池さんに言われたのに、公判では死刑を求刑されたというふうに言ってるんですけど、それってどういうことなのか、ちょっとうかがいたいと思いまして。

「あの、どちらの記者さんですか」

――私、フリーなんですが。

「そうですか。すいません。申し訳ないんですけども、捜査の中身のことについては、ちょっとお話しできないんですけども」

――そうなんですか。「生きて償いなさい」って言ったかどうかっていうのは。

「それも含めて。というか、私もはっきり当時のことを覚えてない部分もありますけど。もう10年前ですので。いずれにしても、ちょっとお答えいたしかねますけども」

 

殺人権を行使する人物の言葉とは、とても思えません。あまりに軽い発言です。不誠実なのはどっちだ、と私は思えます。

ここで「殺人権」という強い言葉は、意図して使っています。門田の本によると、一審の無期懲役の判決後、吉池検事が「たとえ上司が反対しても私は控訴する。百回負けても百一回目をやります」と涙を浮かべながら言って、遺族の方が圧倒されたそうです。その理由は「僕にも、小さな娘がいます」だから、私憤です。しかも、そこまで吉池の感情をたかぶらせた契機は、本村の「早く被告を社会に出してほしい。私がこの手で殺します」という報復殺人宣言です。検察官がこの発言者の本村をたしなめるのではなく、同調して懲罰感情をたぎらせるなど、職業倫理上、許されないはずです。まるでミュンヘン一揆の裁判でヒトラーの自己陶酔的な演説に感動してしまった裁判官のようです。そして、この「凄まじい検察の執念」により、福田の不謹慎な手紙が世に出て、最終的に福田の死刑まで決まっていきます。

そこまで感情がたかぶっていたくせに、8年後には「そうですかね。その後の公判は担当していないんで、よく分かりませんけども」はないでしょう。これも職業倫理、あるいは人類普遍の倫理すら疑われる発言です。福田の極刑に賛成の私でも、こんな奴の策謀によって世に出た手紙で、死刑が決まっていいとは思えません。

増田が福田の激昂を妥当だと主張する理由も、この検察の不正義にあります。これまで人道的に許されない嘘をついて自分を死刑にさせた検察が、またも裁判で嘘をついたのだから、「なめないでいただきたい」と言うのは、当然だという理屈です。

これは十分正当性のある理屈だと私も考えます。白状すれば、福田の立場にいたら、私もこのような検察の侮辱に激昂してしまう恐れはあると思ってしまいます。

ただし、たかがノートに線を引いたかどうかで激昂するとも限らない、とも思います。むしろ、検察が怒鳴ったのを奇貨として「ほら、このように検察は脅迫してきたのです。しかし、実際は検察の勘違いです。私のノートを見てくれますか?」と私が言う可能性もあったと考えます。

やはり公平に考えれば、裁判で激昂した時点で、福田の負けでしょう。福田の暴力性と爆発性がこれにより証明されてしまいました。福田の周囲に知られた性格は臆病者で、自分から暴力は振るわず、まして殺人をするなど考えられないものでした。今回の事件は単に魔が差しただけで、二度とこんな事件を起こすことはない、と主張することもできました。家族も同級生の意見もそれで一致し、福田の暴力性が犯罪時だけであったら、その主張こそ妥当性を持ったのでしょう。しかし、実際には動物虐待歴があり、さらには裁判でも激昂しています。福田の暴力性の爆発は、今後もときどきあるとみなされても仕方ありません。

増田は「それ(裁判での激昂)と反省の深さは別問題である」と主張していますが、暴力性と爆発性こそがこの犯罪の要因であることから、同一問題だと私は考えます。もし別問題であると示すなら、「あの時、私が激昂したのは、これまでの検察官の不正義に対する義憤が積み重なっていたからです。検察官以外に私(福田)が激昂しないことをここで約束します」くらいは、弁護人の言葉でもいいので、裁判で主張すべきでした。

より深く考察すれば、福田が犯罪に至った本質的問題を周囲の者も本人も把握できていなかったからこそ、この裁判での福田の激昂事件が起きたのでしょう。率直に言って、福田の欠点は山のようにあります。だから、漠然と「反省しろ」と福田に言っても、なにを反省すればいいのか、なにを直すべきなのか、福田には伝わりません。次は増田の本からの引用です。

 

マスコミも世論も、福田に「真の反省」を求める。しかし、「真の反省」とはいったい何なのか。福田くんに、人間的な感情を持つことを許さず、ひたすら謝罪の言葉を述べさせることだとしたら、それはだいぶ違うと思う。

 

この文の前に、福田の次のような手紙が紹介されています。

 

ああ、かたっくるしいはなしより、死ぬ前にいっぱい恋がしたかった。好きな女の子に告白したかった。「お前のことがラブリーやねん」って言いたかった。とほほ。こんなことも表むき言えないのかなー、とか思うとせつないっス。

 

この手紙を見て、上記のような感想を持ったとしたら、増田の人間観の浅さに失望します。上記の福田の言葉は当然、「表向きに言え」ません。というより、こんな言葉が頭に浮かぶ時点で、普通なら、福田の反省の浅さに失望するでしょう。せめて表現を変えるべきです。「私にこんなことを発言する正当性が全くないことを承知で言わせてください。死ぬ前に恋がしたかった!」なら、まだ許されるかもしれませんが、上記の言葉なら「真の反省」を求められて、当然です。

福田の強姦殺人罪を犯したのですから、犯罪要因に、暴力性と爆発性があるのは確実であり、他に歪んだ女性観があることも確実です。それらの要因の背景に幼稚性もあり、上記の手紙から福田は幼稚性も矯正できていないと判断されます。これらの暴力性と女性観を直すべきだと気づいた人は、福田の周囲に一人もいなかったのでしょう。

福田の暴力性を示す決定的なエピソードである動物虐待について、誰かが問題の本質に気づき、福田を真摯に反省させるべきでしたし、爆発性についても、事件直後から真摯に反省させるべきでした。たとえ、どんなに検察が挑発しても、感情的に怒鳴り返してはいけない、それは量刑の軽減のためだけではなく、自身の更生のために重要だ、と何回も忠告しておくべきでした。

LGBTはよくてロリコンはダメな理由が分からない」に書いたように、愛情あるいは性欲であっても、矯正しなければならない時はあります。まして、福田は強姦殺人事件を犯しているのです。福田の女性観が歪んでいることは明らかなのですから、それを矯正すべきことは本来、誰でも分かるはずです。福田の「人間的な感情」の全てが許さないわけではありませんが、福田の異性に対する感情は社会的に許されない部分ばかりであり、福田が書いた増田ら女性記者への手紙は、当然、許されません。

この福田の暴力性と歪んだ女性観については、さらに次の記事で考察します。

簡単に犯人の味方になってしまった被害者側のジャーナリスト

前回の記事の続きです。

「なぜ君は絶望と闘えたのか」(門田隆将著、新潮文庫)の著者の門田は、差戻控訴審で死刑判決が出た翌日に、広島拘置所で福田に面会しています。そこでの面会の記述を引用します。

 

昨日の死刑判決についての思いをまず聞いた。

その瞬間、福田はこう口を開いた。

「胸のつかえが下りました……」

えっ? 一瞬耳を疑った。福田は私に向かって、たしかにそう言ったのである。それは憑きものが落ちたような表情だった。福田はこう続けた。

「僕は(これまで下されていた)無期懲役では軽いと思っていました。終身刑というなら、分かります。無期懲役ではあまりに軽すぎる、と」

意外な言葉だった。

「僕は生きているかぎり、償いを続けたい。僕は(殺した)2人の命を軽く思っていました。でも、今は違います」

――どう違うの?

「被害者が一人でも死刑に値すると思っています」

これは本当に福田なのか。法廷でうわべだけの反省を繰り返してきたあの福田なのか。なぜ、被害者が一人でも死刑に値するの? と私が問う。

「死んだ人間がたとえ一人でも、それは『一人だけ』ではありません。たとえば夕夏ちゃんには、お父さんとお母さんがいる。そして、それぞれにおじいちゃんとおばあちゃんがいる。僕は、それぞれの思い、それぞれの命を奪ってしまったんです。僕が奪った命は夕夏ちゃん一人ではない。多くの人の命を奪ってしまったんです」

福田はそう続けた。

「たとえば、十人の人間を殺した人がいる。二人を殺した人もいたとする。結果は同じ死刑です。では、あとの八人は何ですか。何もないのですか。僕はそうではない、と思う。一人殺しても、僕はいろんな人の命を奪ったのだから死刑に値すると思っています」

――それは君が法廷で言ってきたこと、それに弁護団の意見とは違うね。

(省略)

「弁護方針には、正直いって、よいものも悪いものもある。両方がちりばめられていると思います。結果的に僕は、僕の償いの思いが伝わらなかったのが残念です」

弁護団に対しては、少なからず不満がありそうだった。私が弁護団の責任を聞こうとしたら、福田は逆に、狼少年の話を知っていますか? と私に問うてきた。狼少年? 彼は何が言いたいのか。

「狼が来た、狼が来た、と嘘を言っていて、みんなを驚かせていた少年が、いざ本当に狼が来た時、誰にも信じてもらえず、食べられちゃう話です。僕は、その狼少年です。(差戻控訴審で荒唐無稽と断罪されたが)僕は本当のことを言いました。でも、信じてもらえませんでした。でも、これは僕の責任です」

しかし、あの荒唐無稽な話を、福田本人が本当につくりあげたのだろうか。そこを問うと、明らかに弁護団をかばう様に、彼はこう言った。

「僕は4年前、ある教誨師と出会ってから変わりました。人の命の重さを教えてもらったのです。本当にありがたかったです。その教誨師に(今回の話は弁護団に伝える前に)してありました。弁護団が作り上げたものではありません」

福田はそう語った上で、本村への謝罪を口にした。

「僕は本村さんに、本当にお詫びしたい。(死んだ)二人にも謝りたい。でも、それを本当だと受け取ってもらえない。僕には償いが第一なんです。僕は過去の過ちを何べんでも何百ぺんでもすみませんと、言いたい。それをお伝えしたいんです」

福田は、法廷でのとってつけたような態度とは別人のように必死でそう訴えるのである。

 

文庫版には2008年7月、門田と福田の2度目の面会記録もあります。その時、福田は上告した理由について、「(死刑)判決に不満はありません。検察と裁判所は事実誤認をしているので、今のままでは『堂々と』罪を償う、ということにはなりません。あの(荒唐無稽な)主張をすることに葛藤はありました。でも、そのことを(最高裁で)認めてほしいと思っています」と述べたそうです。

さらに、2010年3月の3度目の面会時、福田は「僕がお祈りする時、弥生さんと夕夏ちゃんの名前を出すことを本村さんは身勝手だと思うかもしれません。もし本村さんがそう思うなら、僕が二人の名前を出してお祈りすることはできません。もし、本村さんにお会いする機会があれば、僕が弥生さんや夕夏ちゃんの名前を口にすることを許してもらえるかどうか、聞いてもらえませんか?」と門田にお願いしたそうです。そして、「本村さんとぜひお会いしたいです。できれば、門田さんと一緒に会いたいです」とも語りました。「法廷での福田とは、やはり別人がそこにいた。会うたびに福田は、成長しているように見えた」とまで門田は福田を表現しています。

2010年7月、4回目の面会時に福田がヒゲをはやしていると、「福田君、なかなかしぶいねえ」とまで門田は思わず口にしたそうです。「日本人である前に人間である」で書いたように、いつの間にか門田は福田の友だちみたいになっています。

少なくとも、私が被害者だったら、あるいは門田のように被害者遺族の側に立っていたら、荒唐無稽な主張は事実と認めても、裁判での爆発性を目の前にした以上、面会時にいくら福田が反省の言葉を述べようと、福田を許すことはありえません。

なぜ外見から内面まで判断してしまうのか」と同じ見解を書きますが、私は外見と内面は分けて人を判断します。というより、人間であるので、分けて判断しなければならないことを知っています。過去も現在も、おそらく未来も、福田は外見なら、自分から暴力を振るえない、振るう勇気もない、気の小さいダメな奴です。福田をよく知る家族も、同級生も、福田自身も、福田が殺人事件を起こすなど予想していませんでした。しかし、内面には暴力性と爆発性と歪んだ女性観があり、それによって悲惨な光市母子殺害事件が起こってしまいます。福田が外見上、いくら反省したとしても、爆発性と暴力性が制御できる明確な根拠がなければ(そんな根拠はなかなか明確に示せないので酷な条件であることは分かっていますが)、福田を許すべきではないと私は考えます。

門田は一貫して遺族の本村洋と付き添っており、遺族側の意見を代弁し、福田の新供述を事実と最後まで頑なに認めなかった奴です。そんな奴が、こうもあっさり、新供述を認めないのに、福田の味方になったことに、憤りを感じます。福田と門田、どっちが被害者を侮辱しているのか、とさえ思います。門田のような人間観の浅い奴の意見を自身の活動記録の一部として出版を許している時点で、本村洋の処罰感情もその程度だったのか、と感じます。私が被害者なら、たとえ10年間支えてくれたとしても、この程度で福田が真に反省していると感じた時点で、門田に激怒しています。場合によっては、絶縁するでしょう。

光市母子殺害事件裁判での犯人の激怒

前回までの記事にも書いた通り、福田の過去を知人からの証言で探す限り、殺人事件を犯すような暴力性と爆発性は発見できません。それらが公に示されたのは、2007年9月20日、被害者遺族の意見陳述後、福田への被告人質問が行われた時です。以下は「なぜ君は絶望と闘えたのか」(門田隆将著、新潮文庫)からの引用です。

 

検察「弁護団の中にさえ、遺族の言葉を聞いて、嗚咽を漏らす人がいましたよ。ところで、君は最後まで何か書いていましたね。何ですか?」

福田「証言を書いていました」

検察「しかし、あなたは、ペンで縦にスーッと線を入れて、削除しましたね」

福田「してません」

検察は突然、「嘘を言うな! 縦に線を引いたじゃないか!」と声を荒らげた。

その瞬間、「してません!」と福田も声を荒らげ、立ち上がり、廷吏の隣の自分が座っていたもとの席につかつかと戻ってきた。

激昂していた。狂気を帯びた目だった。福田の顔は傍聴席の側に向いている。泣き止まない夕夏(福田が殺した赤ちゃん)に怒り、叩きつけたシーンを遺族は思い浮かべた(注:赤ちゃんが叩きつけられた自白を弁護団は否定し、叩きつけられた外傷の証拠はない)。

福田は自分の席にあったノートを掴むと、それを検察官のところへ持っていき、「ほらっ」と手渡した。

法廷全体が呆気にとられていた。声もなく、福田の行動を見ていた。

ノートの中身をパラパラとめくってみる検察官。線らしきものは見当たらない。福田は検察官からそれをひったくると、今度は裁判官にこれを持っていった。そして、線が引かれていないことを確認させると、何事もなかったかのように自分の席に戻ってきたのである。福田の目は元に戻っていた。

弁護団「謝罪しろ」

弁護団「今のは、法廷記録から削除してください」

検察「その必要はない」

今枝(弁護団の一人)が立ち上がって、「あなたはこれまでも友だちや家族から裏切られてきました。こういう誤解や濡れ衣をこれからも着せられるかもしれない。あなたはそれでも心が折れることなく、生きていくことができますか?」と質問する。

福田「はい」

今枝「なにか言いたいことはありますか?」

福田「検察官には、舐めないでいただきたい」

(省略)本村は一分前まで涙を流し、反省の言葉を述べていた人間(福田のこと)の突然の豹変を落ち着いて見ていた。「人を殺す人間とは、こういう人間なのだ」と思った。

 

この記述を見た時、福田の爆発性が裁判で証明されたと私は思えました。福田が人生で爆発したのは、犯行時とこの時だけだったにしても、再発可能性は高いと私は考えます。この程度の侮辱は、福田の人生で今後、頻発するに違いなく、その時に福田が爆発しないとは言い切れないでしょう。

福田の暴力性と爆発性は、動物虐待と父の暴力によって増長されたと考えますが、父も母方の祖父も妻に暴力を振るっているので、生まれ持った福田の特性(遺伝)にも影響されていると私は考えます。

福田孝行の女性観がいかに歪んでいたか」に書いたように、福田は女性観も歪んだままであり、爆発性も犯行後8年たっても残っているので、福田は手遅れだと私は考えます。死刑はともかくとして、終身刑などの極刑がふさわしいと考える理由は以上になります。

この裁判での福田激昂事件で、私は福田の凶悪性、また再犯率の高さまで判定していますが、福田の激昂を目撃しても、福田の反省を感じ取った者もいます。さらには、福田の激昂は当然で、これと福田の犯した罪に対する反省の深さとは別問題と、私と正反対の解釈をする者までいます。その2つの解釈について、これから2つの記事にしていきます。

福田孝行の女性観がいかに歪んでいたか

前回までの記事の続きです。

光市母子殺害事件の犯人の福田孝行は女性観が歪んでいました。「なぜ僕は『悪魔』と呼ばれた少年を助けようとしたのか」(今枝仁著、扶桑社)で著者の今枝は、フロイト派の精神科医のごとく、福田の女性観について解釈を述べています。強姦の計画性があったかどうかが論点となったため、福田の女性観に踏み込んだのでしょうが、多くのフロイト派の解釈同様、この解釈が正しいかどうかは、客観的に、あるいは理論的に証明できません。

今枝の解釈で注目したいのは、「強姦の計画性はなかったが、優しく誘導されて和姦に至る淡い願望」が福田にあったと認めていることです。突然訪ねてきた正体不明の排水管検査員が「主婦に優しく誘導されて和姦」するなど、アダルトビデオの世界以外に存在しません。しかし、「福田君を殺して何になる」(増田美智子著、インシデンツ)を読むと、福田ならそんな妄想を信じていそうだと思わせる箇所が随所に出てきます。

一つは「光市母子殺害事件の原因は犯人が父から虐待を受けていたからなのか」に書いた福田からの増田への手紙の内容です。増田に限らず、福田は女性相手だと、いつも甘えるような手紙を書いていて、何通かはスクープもされています。福田が女性に甘えようとする行為を、上告後の弁護団は「抱きつき行為」と呼んで、警戒していました。

福田が女性と接したがることはマスコミ関係者には有名で、報道が過熱していた差戻控訴審の審理中など、あえて女性記者を選んで福田に接触させていました。それに対する弁護団の一人の今枝の批判です。

「マスコミにもひどい人間がいます。某民放テレビ局の女性リポーターが福田に出した手紙は常識を疑うものでした。『本当のところはどうなのかにゃん? お返事待っています』などと絵文字まで使い、恋人に宛てたような言葉遣いでした。彼を動揺させ『無反省な手紙入手』というスクープ狙いだったことは明らかです。この悪質な手法には、リポーターの名を実名公開して対抗すべきと考えたほどでした」

増田によると、福田はどう見ても「もてるタイプ」ではありません。しかし、福田はうぬぼれていました。Aへの「不謹慎な手紙」にも「もてました」とか「つきあっている彼女がいた」と書いていたので、増田がそれについて質問すると、福田は次のように返答しました。

「どこから『つき合っている』と言うのが難しい。中学とか高校のときは、つき合うとかそういうのまでいかないけど、どっちなの、っていう感じの仲がいい女の子はいたよ」

――手をつないだりしたの?

「いや、僕はできなかった。だから、女の子からしたら、僕といい感じなのに、どうしてもっと積極的になれないの、って思ってたかもしれない。僕はいきたいという気持ちはあったけど、恥ずかしくて、行動を起こせなくて。それで、『ああ、この人はダメなんだ』って思われたと思う」

私の予想では、99%、福田の勘違いでしょう。「男性に積極的に迫ってほしい」などと、よほど好きな相手でなければ、女性は(言葉で)考えません。まして、つき合っているか微妙な相手に対して、女性はそんなこと考えません。だいたい、勉強もスポーツもダメで、精神年齢も低い福田に、そんな要望を持つ女性がただの一人でもいたとは考えられません。

このような女性観から、犯罪当日の個別訪問時に「主婦に優しく誘導されて和姦」される淡い期待を福田が抱いていた可能性はあったと推定します。福田は自白調書にあるように、強姦しようとして被害者女性に抱きついたのではなく、実際は「甘えたくて」抱きついたと述べています。増田の本によると、小・中学生の同級生が「たぶん、それはホントだと思う」と言ったそうです。やはり、光市母子殺害事件で強姦の計画性を認めるのは難しいでしょう。

なお、「主婦に優しく誘導されて和姦」される淡い期待を持っていたので、これを広義の計画性と考える人もいるかもしれません。しかし、この程度の性的欲求は男性が常時持っているものであり、これを計画性ありとするのは無理があります。もしこの程度で計画性ありとするなら、全ての強姦罪に計画性が認められてしまいますし、さらにいえば、殺人罪も全て計画性ありとなって、計画性の有無で量刑を変える意義もなくなります。

さらに考察します。被害者女性が激しく抵抗したら、福田の性格(言動や反応)からすれば、福田は一目散に現場から逃げていた可能性が高かったはずです。しかし、現実には、被害者女性と生後11ヶ月の娘を殺害しています。

この飛躍がどうして生じたかは、「光市母子殺害事件の原因は犯人が父から虐待を受けていたからなのか」に書いたように、福田が動物虐待の経験を持っていたからでしょう。この経験を通じて、福田は人知れず暴力性を高めており、普通なら相当に抵抗があるはずの殺人まで及んでしまいました。

また、もう一つの要素として、福田がDV家庭に育ったこともあげられるでしょう。虐待の世代間連鎖で、父の母への暴力を見て育った息子が、父を心底嫌っていたのに、結婚後に妻に暴力を振るうのはよくあることです。まして、福田は父を嫌っていないどころか、犯罪後ですら、父を好きだとまで言っています。家庭で父の母に対する日常的な暴力を見ていた福田は、女性に対する暴力にそれほど抵抗がなかったと推測されます。上記の自分勝手な福田の女性観も、DV家庭育ちと関連しているのかもしれません。

私が福田に再犯の可能性が高いと思う根拠の一つは、犯罪後10年近くたっても、福田の女性観が全く矯正されていないことです。福田がもし社会に出たら、見境なく女性に甘えるに違いありません。しかし、福田は自分勝手な女性観を持っているので、福田の期待通りに女性との関係が進展する確率はほぼゼロです。1回、10回、100回と福田の期待が裏切られ、その中のどれかで福田の暴力性と爆発性が発動してしまう可能性は低くないはずです。

次の記事に続きます。

光市母子殺害事件の原因は犯人が父から虐待を受けていたからなのか

前回までの記事の続きです。

光市母子殺害事件の犯人である福田孝行が父から暴力を受けていたことは、どの本にも書かれています。福田の死刑を長年訴えてきた遺族の本村でさえ、福田の幼少期の育て方に問題があったことを認めています。「なぜ僕は『悪魔』と呼ばれた少年を助けようとしたのか」(今枝仁著、扶桑社)に至っては、それこそが福田の倫理観が歪んだ根本原因であり、それがためにこの悲惨な事件が起こってしまったかのような書き方です。以下は、その本からの引用です。

 

福田の父は結婚前から母に暴力を振るっていました。また、父は給料を賭け事に使い、サラ金から借金することも福田が小さい頃からあったようです。母は実家からお金をもらって、福田の子育てをしていたようです。福田が2才になり、福田の弟が生まれた頃には、母は「夫の暴力がひどいので、別れたい」と実家に訴えていました。

福田が小学校に上がる前、父の執拗な暴力から母を守ろうと間に入ったところ、父は福田を足蹴にして、頭部を冷蔵庫の角に打ちつけ、2日間くらい「ボーっとしていた」と福田は記憶しています。この時、福田は病院にも連れていってもらっていません。父が虐待の発覚をおそれたためだろう、と福田は考えています。

母を守る福田への父の暴力はその後も続き、ついには福田自身に対する嫌悪や怒りで、父は福田に直接暴力を加えるようになっていきます。福田が小学校3~4年の頃、父に頭を押さえつけられ浴槽に浸けられており、これは福田の幼少時の恐怖体験として記憶されています。

父に殴られて、左耳の鼓膜が破れて、福田は耳が聞こえなくなりました。このときは病院に連れていってもらって治療を受けられましたが、毎回、父が病院に着いてきて、いつも側にいるので、「僕を監視して、自分の暴力が病院に発覚しないようにしたのだ」と福田は思っています。後の話になりますが、光市母子殺害事件について弁護人や鑑定人が福田の継母(母の自殺後に父はフィリピン人と再婚している)に話を何度か聞きに行きましたが、父は自身の立ちあいなしで継母から事情を聴くことを絶対に許そうとしませんでした。

母は父からの暴力に耐えかねて、3回ほど子どもたちを連れて、佐賀の実家に逃げ帰っています。しかし、祖父も祖母に暴力を振るうことがあり、実家でも福田ら親子3人を受け入れることは難しかったようです。結局、その都度、父が迎えに来て、むなしく光市に連れ戻されています。

母は次第に精神を病み、精神安定剤睡眠薬を常用するようになります。夫から十分なお金を家に入れてもらえないので、パートで生活費を稼ぎ、さらに節約して、子どもそれぞれに100万円の貯金をしていたそうです。福田が中1の頃、子ども2人とスーパーに行った母が米を万引きする事件が起きます。父もこれはよく覚えており、「なんで米なんか盗んだのか、分からない」と言っています。

母はこの頃、何度も自殺未遂をしていました。福田が2回、弟が2回、首吊りを止めています。母方の祖母は「自殺のマネするくらいなら、本当に死んでみたら、と夫から言われた」と母から聞いたそうです。

福田が中1の9月、母が自宅のガレージで首つり自殺します。福田は二重の意味で「お父さんがお母さんを殺した」と今でも思っています。「暴力や暴言で母を追いつめ、自殺に追いやった」という意味と、「本当は(第一発見者の)父が母を自分の手で殺したのではないか」という疑念です。

 

以上が今枝の記述です。父が母に日常的に暴力を振るっていたこと、父が福田にも暴力を振るっていたことは、父でさえ認めているので、間違いないでしょう。ただし、母が父から虐待を受けていたことは事実でも、福田本人が父から「虐待」を受けていたとは私は考えていません。

今枝の記述だけだと、福田は父をずっと憎んでいたとしか思えませんが、それは事実と異なります。「福田君を殺して何になる」(増田美智子著、インシデンツ)で、次に示すように、福田は父への好意を述べて、父を擁護する発言ばかりしています。

 

「実は、僕は父とすごく仲が悪いんだけど(8年間で5回しか面会していない)、やっぱり会いたいよね」

「僕はお母さんのこと大好きだったけど、一般的に考えて父と母では、母の方が変なところが多かったよ。すごくおっちょこちょいな人で。だから父がそれに対して怒るのも分かる。だからって殴るのは絶対ダメだけど。僕は父も母も大好きだったんだよ。物心ついたとき、父と母がケンカをしていれば、やっぱり好きな人同士だから、仲よくしてほしくて止めに入りますよね。で、どちらかといえば体格的に劣っている母をかばった。それから僕と母が殴られるようになりました」

「父が暴力をふるう原因は、だいたい僕が母をかばって、それで僕も怒られるという感じ。だから、何か原因があってということはほとんどなかったと思う(前文と矛盾)。父はすごく嫉妬深い人で、母が隠し事をしていたりすると殴るんだよ。僕は、その当時は父に理があると思いながら母をかばっていた。今思えば、母も隠し事をしたかったわけじゃなくて、言いたくても言えなかったんだと思う。長年の暴力で、言いたくても言えない、だけど言わなきゃ、という状態にさせてしまったんだと思う。しかも、父はこちらから話し出すのを待ってくれる人ではなかった」

「でも、父も殴ってばかりじゃない。優しい父もいたんだよ。だから、僕も切っちゃうことができない」

 

今枝の本によると、「母の死が福田くんの心とその成長に与えた影響は極めて甚大かつ深刻だ」となっていますが、増田の本によると、母が自殺した時、先生もクラスメートも、福田本人はケロッとしていたという証言で一致しています。「おばあちゃんがお母さんをいじめたから自殺しちゃった」と福田が笑いながら言って、(それ笑えないよ)とクラスメートが思ったという証言さえあります。

確かに、増田の本でも福田は「父が母を殺したかもしれないと思っている」と述べていますが、上記のように自殺当時は「おばあちゃんがお母さんをいじめたから」と言っているくらいなので、本当に昔から父の母殺害疑惑を持っていたのか疑問です。福田の不謹慎な手紙が出てくるまでは、裁判では父の暴力性が強調され、「このような育て方をされたので、福田の倫理観が歪んだのは仕方ない。福田に情状酌量の余地はある」と弁護側は主張していました。この過程で、「父が母を殺したかもしれない」と福田が母自殺当時から疑っていた、という架空の物語を弁護人が作り上げ、福田に信じ込ませた可能性もあるように思います。福田と25回面会した増田によると、福田は人の影響を非常に受けやすく、福田の発言に矛盾を感じることはたくさんあったそうです。

福田の成績は小学校から一貫して悪く、高校も公立に入れず、私立に通います。運動もできなかったようで、給食にも時間がかかっていました。言動もおかしなところがあり、特別に仲のいい友だちもおらず、いつも周りから笑いをとろうとしていました。明らかないじめられっ子タイプでしたが、先生やヤンキーからは守ってもらえたようで、イジメは受けなかったようです。

福田が殺人事件を起こした時、福田を知っていた者はほぼ全員、父も含めて「あいつが殺人を?」と驚いたそうです。また、福田の不謹慎な手紙が報道された時も、「福田がこんなことを考えていたのか!」とショックを受けたようです。「福田がこんなことするんなら、世の中の誰がやってもおかしくない」という中学・高校の同級生の証言もあります。一方で、「考え方が人とずれていた。だから、事件を起こした時も『なんか、分かるような気がする』と思いました」という小・中学校の同級生の証言もあります。

あまり知られていないようですが、福田の暴力性は、生涯でただ一度、光市母子殺害事件の時だけに生じたわけではありません。母の自殺後、福田は動物を虐待していました。

「猫を押さえつけたり、火を点けたりした。飼っていた犬をけしかけて、幼稚園のアヒルを死なせたことがある」「隣のお姉さんが可愛がっていた猫をエサでおびき寄せて、火を点けたり、重りをつけたり、蹴とばしたり、高い所から落としたりした」「犬をエアガンで撃った」

動物虐待で暴力性を強めなければ、福田が光市母子殺害事件を起こさなかった可能性は高いでしょう。また、福田がなぜ動物虐待を始めたかといえば、父の母に対する日常的な暴力を見ていたことが大きいでしょう。

だから、福田の犯罪の原因に父の暴力、父の育て方があったことは間違いない、と私も考えます。しかし、福田の倫理観が歪んだ原因は全て父にあり、犯罪の原因も全て父にある、という考えには反対です。情報が少ないので根拠は薄くなりますが、父以外の人、母や祖母の育て方にも問題があったと私は推測するからです。

たとえば、増田の本にはこんな証言が載っています。

「おばあちゃんがちょっと甘やかしていましたね。一緒にゲームしていた時、ゲームは順番にやるから、福田がプレイしていないときもあるじゃないですか。そういう時に、『なんで孝行(福田のこと)にやらせんのか。いじめとる』みたいなことを言われた記憶がありますね。そんなことで怒られるのは嫌だから、だんだん、福田の家には行かなくなりました」

福田が小学5~6年の時の担任の証言です。

「お母さんとの繋がりがすごく強い子だとは感じていました。家庭訪問に行ったときも、お母さんのそばから離れないで、お母さんと僕の話をじっと聞いていました。ちょっと親離れができていないか、もしくは親が子離れできていないのかなと思いました」

どうも母や祖母は福田を甘やかしていたようです。父は福田に暴力を振るい、躾も厳しかったようですが、母や祖母が福田を甘やかしていたので、全体としてはバランスのとれた教育だった可能性があります。父が福田に厳しくしていなかったら、福田はもっと悪人になっていたかもしれません。

福田が父から暴力を受けていたことは事実でも、父から虐待を受けていたと私が考えない理由はそんなところにあります。もし福田が父から虐待を受けていたなら、父を憎むはずですが、増田の本の面会記録を読むと、父を憎むどころか、父を好きだとまで言っています。また、福田が父から虐待を受けていたなら、福田は不幸な少年時代を送っているに違いありませんが、福田の発言から、福田が不幸な少年時代を送ってきたとは、とても思えません。秋葉原通り魔事件の加藤や、黒子のバスケ事件の渡邊などは、言葉の端々から、不幸な少年時代を送ってきたことが嫌というほど分かりますが、福田の言葉からは、そんなものは全く感じられません。むしろ、幸せな少年時代を送っていたようにも思えます。

福田の犯罪原因を全て父の育て方にすることに反対する他の理由は、福田自身の医学的欠陥です。福田が1才の頃、母が階段から誤って落としてしまい、顔半分が腫れてしまいました。当時の病院での診断では異常なしでしたが、犯罪後に「幼少時の頭部打撲のエピソードと、ひきつけや高熱のエピソードがあったこと、片目が外を向く斜視の症状があることから、脳の器質的な脆弱性があるのではないか。医学的な検証が望ましい」という記録が取られています。しかし、医学的な検証は現在まで行われていません。

生まれつきなのか、1才の頃の頭部打撲のせいなのか、熱性けいれんのせいなのか不明ですが、福田の知能が低く、精神年齢が極端に低いことは、衆目の一致するところです。

増田の本の冒頭は、福田からのこんな手紙です。なお、この時点で増田は福田と全く面識がなく、福田は半月前に死刑判決を受けたばかりです。

「増田美智子様 孝行です。1981年3月16日生 魚座 とり年 つまりペンギン(福田のペンギンイラストあり)←こんな感じかな☆ なわけないか ぼく27才だよ。こんなのでもいいかなー。心配してくれてありがと。外でデートとかしたかったね♡ なんて言ってみてもいい? けっこうこわいです。くじけそう。ふるえる日もあるよ。抱かれてねむりたいもん。それはそーと、面会たのしみにしてるよ。あけとくから。でもお金かかるじゃん。どうしようか。美智子さん 広島に知人、友人いる? いなかったら、僕の方でがんばってみるよ。とまる所とか。今は事件のことはふれることはできないけど(ごめんね)。これ以上他の人の心をキズつけたくないもの。でも、ぼくのこれまでの歩み、個人的なことならはなせるかもです。それでもいいかな?(いっぱいエピソードあるんだよ☆☆) 僕もみっちゃんのこと知りたいなー。今日はお手紙のお礼までに。ありがとね 美智子さん。今日はゆっくりねむれそうです。次も書くね♡」

これが本当に、殺人・強姦致死当で死刑判決を受けたばかりの被告人なのかと増田は首をかしげました。増田は福田と同学年ですが、とても同い年の青年が書いたものとは思えませんでした。福田は幼稚すぎて反省する能力が備わっていないのではないか、と増田が考えたのはもっともでしょう。

福田の知性が低く、精神能力はもっと低く、その原因は環境(育てられ方)の他に、医学的要因(脳の器質的要因)によっても生じていた、と私も考えます。しかし、「反省する能力が備わっていない」というのは、言い過ぎだと断言します。増田自身も認めているように、また上告後の弁護団の全員が認めているように、福田は不十分ながらも内省を深めています。「知的能力が低くても感情能力が高い人たちはいます」にも書きましたが、福田に限らず、反省できない人などいません。

知性が低いから、福田が反省できないと私は考えません。福田が反省できないのは、むしろ、それまで十分に恵まれた人生を送ってきたからではないでしょうか。具体的には、能力もなく、努力もせず、倫理観に問題があっても、母や祖母や先生やクラスメートから好かれてきたことが原因だと推測します。

誰にとっても本当に反省することは、容易なことではありません。反省とは自己批判あるいは自己否定なので、「自分はこれでいい」と思っている人、いわゆる自己肯定感が強い人は、原則、できません。福田は能力が低く、意思の弱い、どうしようもない奴ですが、少年時代、それを矯正しようと努力した形跡がありません。本来、子どもの頃から反省を何度も強要されるべきなのに、強要されなかったことこそ、福田が十分に反省できない最大の原因だと私は考えます。そして、福田の内省能力の乏しさは、犯罪の原因の一つだったはずです。

そんな観点からするなら、福田の犯罪は、父の暴力によって生じた面もあったでしょうが、父の厳しい躾によって抑制されていた面もあったと私は考えます。

まとまりのない内容になってしまいました。乏しい情報源で推測の域を出ませんが、福田の犯罪の原因をあえて私が数値化するなら、以下のようになります。

父:20~40%

父以外の環境要因(家族や学校や地域社会や時代):5~40%

福田の生物的要因:2~30%

福田の自由意思(福田の責任):30~73%

この推測を元に「光市母子殺害事件はどうすれば防げたのか」についても考察します。これまでの犯罪記事と同じ答えですが、「家庭支援相談員」がいれば福田の父の問題は解決されうるので、一つの予防策にはなったでしょう。ただし、家庭支援相談員がいても、福田は動物虐待について相談するはずがないので、確実に予防できたとは思えません。ある程度の確率で、こんな凶悪犯罪は起こってしまう、と私は考えます。

次の記事で、福田の女性観について考察します。

なぜ福田孝行は不謹慎な手紙を書いたのか

前回までの記事の続きです。

光市母子殺害事件の犯人の福田は前回の記事に書いたような不謹慎な手紙を、一審公判中の1999年11月から一審で無期懲役判決が出た後の2000年6月までに書いています。この手紙の送付相手のAは、1999年9月に山口刑務所の拘置所で福田と知り合います。Aが執行猶予の判決を得て、出所した後も文通は続きました。

Aが出所して、しばらくたった頃、Aの自宅に刑事2名が訪ねてきて、「最近どうだ」「ちゃんと仕事しているか」といった世間話をした後、本題が切り出されます。「ところでお前、福田と文通しとるのう。検察側から要望がきとる。一点の真実でいいから、判断材料がほしい。本当に公正な裁判が行われるために、出してくれ」

「福田君を殺して何になる」(増田美智子著、インシデンツ)の著者の増田にAはこう言ったそうです。

「刑事たちは『犯人を死刑にするために』なんて言いません。僕は子どもの頃から警察と折衝してきましたから、警察のもの言いはだいたい分かっています。『建前だな』と思いました。刑事たちは福田くんからの手紙を絶対に持って帰るという感じでした。僕は当時、執行猶予中で、断ればどんな微罪をふっかけられて逮捕されるか分からない。逮捕されれば執行猶予は取り消され、刑務所送りです。断れませんでした」

Aはこうして福田の手紙を提出したものの、それが福田にとって不利な証拠になると予想していなかったと増田に語ったそうです。「(公正な裁判のためは)建前と思いました」という上の発言と、合致しません。

手紙については警察にもマスコミにも見せないと福田と固く約束していたにもかかわらず、Aは警察だけでなく週刊新潮にも福田の手紙を渡してしまいます。Aはそれについて増田に「あんなふうに極端な記述だけ抜き出して報道されるとは考えていませんでした。すごく後悔しています」と述べています。週刊新潮に福田の手紙を売った理由は、その当時、Aは一番の親友を交通事故で亡くして、「なんの罪もないオレの親友が死んで、2人も殺している福田はなぜ生きているのか」と考えたからだそうです。これも上記の「不利な証拠になると予想していなかった」との発言と矛盾します。蛇足ですが、子どもの頃から警察の世話になっていたAの親友が「なんの罪もない」はずがない、と私は推測します。

一方で、2000年12月14日号の週刊新潮でAは「私は出所後、(遺族の)本村さんが出した『天国からのラブレター』という本を読み、強く心を動かされました。無機質な新聞報道では分からない被害者の姿を初めて知ったんです。本の最後で弥生さんの育児日記が未完で終わっているのはあまりに悲しすぎる。私は、彼(福田のこと)にとって有利か不利かではなく、彼の真実の姿を知ることが裁判で必要ではないか、と思って手紙の公開を決意したんです。私が彼の友人として望むことは、ただ一つ。彼に公正な裁判を受けてもらいたかったんです」「彼は拘置所に入ったことを後悔しているが、事件のことは反省していません。そもそも反省という概念が頭にないのかもしれません。彼にとって、あの事件はあくまでいくつかの偶然が重なった結果にすぎず、『運が悪かった』という他ないのでしょう」と言っていることになっています。週刊新潮でのAの発言は、9割以上、ライターの作文でしょう。

2008年の差戻控訴審で死刑判決が出た時、Aは「すごくショック」を受けて、すぐに提出した手紙の返却を求めて、最高裁に押収物の仮返還請求を行ったが、最高裁には却下されているそうです。

Aは増田にこう述べています。

「犯罪者同士なら、自分を大きく見せるためにワルぶって話すこともあります。それを『反省していない』と糾弾するのは、本当にひどい目に遭ったことがない人だからだと思います」

「本当にひどい目に遭ったことがない人」は「拘置所に入ったことがない人」に置き換えるべきだと私は思います。それはともかく、福田の手紙が「相手から来た手紙に触発されて不謹慎な表現がとられている面もある」という判断は、二審でもされています。

「なぜ君は絶望と闘えたのか」(門田隆将著、新潮文庫)では、この露悪的な手紙を「偽りのない福田のありのままの心情」と書いており、多くの大衆は今でもこの手紙こそ福田の「本音」だと考えているでしょう。それについてここで議論しませんが、福田はAへの手紙で「オレは他人に牙をむけたおろかな鬼であり、悪魔である」「今では自分の両手が憎いよ」と福田なりの反省の言葉を書いていたのも事実です。

また、そもそも福田とAの手紙の内容のほとんどは「テレビゲームの話題や拘置生活の苦痛、家族のことや下ネタなど、他愛もない話題」でした。次のように、福田が虚勢を張っているだけの内容もありました。

「俺はよくケンカして逃げもしたし、ボコリもした。Aもそういったぐあいだろー。シンナーにせっとう、むめんに、ケンカ、ゆすり、いっぱいある」

福田の同級生からの情報だと、福田は地元のヤンキーにからまれることはあっても、進んで暴力を振るう勇気はなかったそうです。この手紙を受け取ったAも虚勢であることを見抜いて、こう言っています。

「福田くんは本当に幼い。手紙のなかでは『ワルだった』みたいに書いていましたが、それはないと感じていました。ケンカもかっぱらいもしたことはないと思います。ヤンキーの世界は上下関係がすごく厳しいものなのに、福田くんは年上の僕に対して最初からタメだったし、本当にワルで計算ずくなら、被害弁償や謝罪の手紙が量刑を左右することも知っています。でも福田くんは、遺族に謝罪の手紙を書かなかった」

Aが福田に送っていた手紙の内容は、出所後に出会った女性への恋心や、自家小説などでした。しかし、2人の手紙のやりとりが途絶える少し前、つまりAが福田の手紙を検事に渡すと約束した時から、事件について極端な記述が増え始めます。たとえば、一審の無期懲役判決を不服として、検事が控訴した後のAの手紙です。

「クソ検事! 控訴する意味が分かってんのか! もしかすると人が三人も死ぬかもしれんのだぞ! 国が人を殺すのは殺人となんら変わりはない。ただの合法的殺人だ! オイコラ! クサレ看守ども、この世間知らずの分際で偉そうにしてんじゃねえ! タカ(福田のこと)になんかしやがったら、お前の顔でオナニーしてやる!

クサレ被害者は、お前に死んでほしいらしい。TVで涙を流しながら熱く語っていた。いまだ人が死ぬ事がどういうことか分かってないらしい。アホだ。アホの極地だ」

「オレが思うに、オマエは始めから殺そうと思って人を殺したわけじゃない。オメコしたのは最悪だが、第一回の女殺しはイケないとしても第二回目の赤ちゃん殺しに罪はない。そりゃ1回人殺せば、ついでに他の人も殺したくなるわ。それを残虐非道と言うのがおかしい」

もしあなたがこんな手紙に返信を書いたとしたら、福田の不謹慎な手紙のようになってしまいませんか。

2000年5月にAはこんな手紙も送っています。

「オレは殺人、異常性欲、自殺小説ばかり書いているヘンタイだが、ぜひとも生の声で殺人の体験を聞きたい。障害に関しては本当なら前科十犯ぐらいあるオレだが、人なんか殺したことねえ、ちんけな犯罪者だ。ぜひともタカの体験が聞きたい」

この手紙が露悪的な返信を挑発していないと判断する人がいたら、日本語を一から勉強し直すべきです。

福田とAの手紙を全て読んだ増田は、当然、「福田から不利になる言質をとるために煽りたて、返ってきた手紙を嬉々として検察に提出していた」疑いをAに向けました。Aは「確かに検察に手紙を提出しはじめたあとで、福田くんへの手紙のなかで本村洋さんの批判を書くようになりました。福田くんが本村さんのことを悪く書いたりしないだろうと思ったからで、決して煽りたてたつもりはありません。僕が手紙に書く内容を、警察や検察に指示されたわけでもありません」と言ったそうです。

100人いたら100人、こんな言葉は信じられないでしょう。増田も納得できなかったので、改めて手紙でAに質しました。

「正直に言うと、そんなふうに友人を試すようなことをするものだろうかと、どうしても解せません。福田くんは今でもかなり他人の影響を受けやすい性格だと思われますから、当時は今以上に他人に媚びるところがあったのではないでしょうか。そんな彼に本村さんへの批判を書けば、それに呼応する返事が返ってくるだろうと予測がつきそうな気がします。検察に『こう書け』と言われて手紙を書いたことはないとのことですが、Aさんが無意識のうちに検察が求めているような手紙を書いてしまったということはありませんか? 何度も同じ検察官に会うわけですから、親近感もわいてくるでしょうし、検察官の言外の意図をくみ取るということもありそうに思うのですが、いかがでしょうか?」

この手紙を読んだAは怒り心頭に達します。Aの父から電話で次のように警告されました。

「そうとうカチンときたみたいで、今日も一緒に外に出たら橋の欄干をすごい剣幕で蹴ってるんです。今後は一切接触しないでください。息子は障害(高次脳機能障害)を負ってから、気持ちを抑えることが難しくなってしまった。私が心配するのは、増田さんが息子にボコボコにされることです」

Aが怒ったのは、増田の指摘が図星だったからなのかもしれませんが、真相は分かりません。どちらにせよ、この程度の手紙で理性を失って増田をボコボコにしたくなる時点で、Aは障害を負う前から、気持ちを抑えるのが難しかったと私は推測します。また、あんな非人道的な手紙を送っていることからも、福田だけでなくAも罰せられるべきだと私は考えます。私に言わせれば、福田よりもAこそ極刑がふさわしいです。

話はさらに逸れますが、収監者同士の私語は禁止されているものの、実際は刑務官の目を盗んで会話ができており、だからこそ、福田とAは知り合いとなっています。さらには、このように収監者同士が、収監中に手紙のやりとりまでしています。ワル同士が交流しても、よりワルになるだけでしょうから、こんな交流は一切禁止すべきでしょう。

話を戻します。「なぜ君は絶望と闘えたのか」にも、福田の不謹慎な手紙は「凄まじい検事の執念」によって裁判に出てきたと書かれています。この本によると、福田の不謹慎な手紙の内容は本村にとって驚くほどのものではなかったそうです。むしろ、「実際にそんな手紙が存在し、法廷に証拠として出てきたことが驚きだった」と書かれています。単なる言葉の綾かもしれませんが、「法廷に証拠として出てきた」ことだけでなく、「実際にそんな手紙が存在」したことまで、驚いたのでしょうか。もしそうなら、検事の執念によって、福田の不謹慎な手紙が「存在」してくれた、つまり、やはり検事は福田に不謹慎な手紙を書かせるようにAに示唆したということでしょうか。

仮にそうでなかったとしても、Aが検察と接触してから、Aが遺族の本村を批判し始めたのは事実であり、その露悪的な手紙に呼応して、福田が不謹慎な手紙を書いたのも事実です。この流れを考えれば、検察による証拠捏造の疑いを持たれても仕方ありません。まして、この不謹慎な手紙が「死刑にするほど福田の極悪性を示す」と断定するには、飛躍があります。だからこそ、この手紙の評価について徹底して議論した二審でも、「相手から来た手紙に触発されて不謹慎な表現がとられている面もある。公判で被告の供述や態度を合わせて考えると、時折は悔悟の気持ちを抱いていると認められる」として、無期懲役になったのでしょう。

にもかかわらず、3年後、最高裁は、無期懲役を覆して、死刑が妥当と判断します。前回の記事に書いた通り、その3年間、福田への厳罰を求める声は高まる一方で、その世論が福田の死刑を事実上決めています。その世論が形成された理由は、遺族の本村の地道な活動と、福田の手紙のごく一部の「不謹慎な表現」に対する強い反感です。その世論を形成した大多数の一般人は、福田の不謹慎な表現がAの挑発的な手紙によって書かれたことを知りませんし、Aが検察に接触してから挑発的な手紙を書くようになったなど、夢にも思っていません。

この一連の記事の冒頭「光市母子殺害事件での罵倒報道批判」にも書いたように、私は福田を(死刑はともかく)極刑にすることに賛成します。ただし、表層的な世論によって死刑になってしまったこの裁判は大反対です。もちろん裁判では「世論によって」無期懲役から死刑になったと言っていませんし、言うはずもありません。最高裁が示した理由は「犯罪の(強姦の)計画性があったこと」と「反省が十分でないこと」です。しかし、「光市母子殺害事件の一審・二審の弁護人の罪」に示したように、強姦の計画性があったと考えるには無理があります。そうだとしたなら、「反省が十分でないこと」が唯一の理由になりますが、一審・二審の頃と比べて、特に2004年にキリスト教教誨師と交流するようになってから、福田が反省を深めていたことは、ほぼ全員が認めています。一審・二審の頃より反省を深めていたのに、「反省が十分でない」として一審・二審の判決を覆すのは、理屈に合っていません。やはり、どう考えても、表層的な世論によって、福田を死刑にしています。

これでは衆愚裁判です。この後、一般人が陪審員として重大刑事事件に加わり、結果として重罰化が促進されましたが、当然でしょう。

次の記事で、福田の人物像について論じます。

なぜ光市母子殺害事件裁判は死刑となったのか

前回までの記事の続きです。

「なぜ僕は『悪魔』と呼ばれた少年を助けようとしたのか」(今枝仁著、扶桑社)によると、1999年4月の光市母子殺害事件に、当初、マスコミはほとんど注目していませんでした。18才の少年が23才の若い女性を殺害した後、死姦し、娘の生後11ヶ月の赤ちゃんが殺された事件です。まだ日本中に非行少年が溢れていた当時には、それほど珍しくない少年犯罪だったのだろう、と私も考えます。刑事事件になっていない殺人、自殺に追い込まれた事実上の殺人も含めると、非行少年・少女による複数名殺害事件など、1999年の1年間だけでも10件はあったと私は推測します。最悪だった1990年前後なら、不良グループによる複数名殺害事件は年間100件以上あったと推測します。

いじめ問題の始まり」の1986年のイジメ自殺以前、あるいはそれ以後もしばらく、いじめによって自殺があっても、「イジメられていたと知られると本人の恥だから」「確かな証拠もないため穏便に処理した方がいい」といった理由で、自殺原因は不明とすることが一般的でした。ひどい場合には「自殺するほど本人が意思の弱い人物だと思われたくないから」といった理由で、そもそも自殺とせず、事故死として処理されていました。嘘だと思うのなら、自殺の死体検案書を作成していた警察関係者に聞いてみてください。

光市母子殺害事件が注目されるようになったのは2000年3月の一審判決後、遺族である本村洋が「司法に絶望しました。早く被告を社会に出してほしい。私がこの手で殺します」と法治国家を否定するような発言をしてからです。この後も、本村はマスコミで積極的に発言していきます。

それでも光市母子殺害事件の認知度は極めて低く、まだWikipediaにも載っていませんでした。注目度が一気に上がったのは、2000年秋頃から週刊新潮が福田の不謹慎な手紙を報道してからです。

この手紙の裁判での証拠採用については、当然、弁護側が激しく抵抗しました。「本人が裁判に証拠として用いられることを承知しないまま出し」ており、「通信の秘密を侵す証拠採用は憲法違反の可能性がある」からです。

週刊新潮が福田の不謹慎な手紙を公表した理由は、その内容があまりに道徳に反していたこと、換言すれば低俗な大衆が好みそうであったことが一番でしょう。通信の秘密を侵しても公表した理由は、「反省していないどころか、被害者や被害者遺族を愚弄する福田を死刑にしなくていいのか」という大義名分ができたからと推測します。つまり、この大義のためなら、通信の秘密を侵しても許されると週刊新潮は判断したはずです。実際、この件で週刊新潮を批判する者は皆無に等しいです。

福田の不謹慎な手紙の内容は読む者すべてに義憤を掻き立てました。特に問題となった言葉を抜粋します。

「終始笑うは悪なのが今の世だ。ヤクザはツラで逃げ、馬鹿(ジャンキー)は精神病で逃げ、私は環境のせいにして逃げるのだよ、アケチ君」(福田は父から日常的に暴力を振るわれる環境で育ってきた)

「無期はほぼキマリ、7年そこそこに地上に芽を出す」(この時、「天国からのラブレター」(本村洋、本村弥生著、新潮社)に書かれていた「少年法では、無期懲役判決でも7年で仮出獄される」との間違った情報を福田は信じていました。現実には、無期懲役の少年がわずか7年で仮出獄されることなどありえません)

「犬がある日かわいい犬と出会った。・・・そのまま『やっちゃった』・・・これは罪でしょうか」

「2番目のぎせい者が出るかも」

「福田君を殺して何になる」(増田美智子著、インシデンツ)の著者は、この手紙報道によって光市母子殺害事件を知ったそうです。週刊新潮は「ヘドの出るほど身勝手で救いがたい内容」とまで罵倒していますが、私も同感です。

この手紙が裁判で証拠採用されなかったら、福田の死刑判決がなかったのは確実でしょう。いえ、この手紙を証拠採用した二審でも無期懲役だったので、この手紙の内容だけでは、福田の死刑判決には不十分だったようです。それでは、福田の死刑判決にあとなにが必要だったかといえば、世論の死刑を求める声だった、と私は推定しています。

検察が上告して、検察側と弁護側の書類を受け取った2002年12月から2005年12月まで3年間、最高裁はなにもしませんでした。通常、上告の判断は1年もかからないので、これは異例です。「光市事件裁判を考える」(現代人文社編集部著、現代人文社)で、最高裁が3年間も放っておいて、弁護側に3ヶ月間しか検討できない公判(弁論)期日を突然伝えるという「30年弁護士をやっていて聞いたことがない」暴挙に、弁護団の一人が憤っています。

その3年間になにが起こったのでしょうか。遺族の本村の熱心な活動にますます拍車がかかっていました。本村は犯罪被害者の気持ちを語るため、仕事の都合がつく限り、全国のどんな場所でも足を運んで、集会で語っていました。最初は小さな集会が多かったようですが、やがて多くの人が詰めかけるようになっていきます。2003年7月8日には、全国犯罪被害者の会を代表して、首相官邸で小泉総理と対談しています。その小泉総理の号令により、2004年12月には犯罪被害者等基本法が成立し、2005年には犯罪被害者等基本計画が策定されます。

司法がこの動きに無関心だったはずがありません。ついに2005年12月、最高裁は弁論期日を決めて、世間をアッと言わせます。死刑判決に対する上告審を除いて最高裁で弁論が行われる場合、控訴審の判決が覆る場合が多かったからです。つまり、この時点で、福田を死刑にすべきだと最高裁は判断していました。

上で「世間をアッと言わせた」と書きましたが、その時点でもwikipediaに「光市母子殺害事件」の項目はまだありませんでした。その項目ができたのは2006年6月、最高裁が二審の無期懲役判決を破棄した頃になります。

時間軸を戻します。福田を死刑にする上で、不謹慎な手紙は不可欠な要素でした。その判決のカギを握る手紙が検察の罠によって書かれた疑いがあることを、どれくらいの人が知っているでしょうか。

次の記事に続きます。

光市母子殺害事件の一審・二審の弁護人の罪

光市母子殺害事件での罵倒報道批判」の記事に書いた通り、光市母子殺害事件の報道は、「この差戻控訴審の裁判中、同じような傾向の番組が、放送局も番組も制作スタッフもちがうのに、いっせいに放送され、その場の勢いで、感情的に反応し、他でやっているから自分でもやる、さらに輪をかけて大袈裟にやる、という集団的過剰同調」がBPOで指摘されるほど、ひどいものでした。さらにひどいことには、BPOがそう指摘したにもかかわらず、当時の情報および認識が修正されることもなく、その後も現在に至るまで福田や弁護団への罵倒が続いていることです。

差戻控訴中の情報および認識は「福田は死刑を免れるため、被害者や被害者遺族を侮辱する荒唐無稽なウソを並べたてた」であり、さらにひどい場合、「死刑廃止派の弁護士が荒唐無稽なウソを作り出し、福田に言わせた」といった解釈まであります。

それを今も信じている人は、司法試験に受かった弁護士たちがあんな荒唐無稽な話を思いついたと本気で考えているのでしょうか。また、福田が死刑になりそうになってから突然荒唐無稽な話を始めたのではなく、一審前に福田が「母のいた部屋の押入れに隠れていた。僕にとっての押入れとは、困ったときに助けてくれるドラえもんがいる場所でもあるし、『ライオンと魔女』に出てくる別世界への門があるところ(注:ライオンと魔女への別世界への門は押入れではなく衣装ダンス)。ワープするように別世界に行きたいと思ったときは、押入れに入った」と言った鑑定記録が残っていることも知っているでしょうか。さらに、捜査段階の自白調書でさえ「勾留期間のときの裁判官がドラえもんに出てくるのび太みたいな感じだった」と、通常、捜査官が作成する書類には、あり得ない記載があることも知っているでしょうか。さらに、福田は裁判の途中から急に強姦を否定したのではなく、家庭裁判所の鑑別記録の時から「強姦目的ではなく、優しくしてもらいたいという甘えの気持ちで抱きついた」と主張して、裁判で何回も強姦を否定していた事実を知っているのでしょうか。

ここで改めて、裁判の流れを確認します。一審の中光弘治弁護士と二審の定者吉人主任弁護士と山口格之弁護士は、福田の自白調書を事実と認めてしまいました。弁護側は事実認定で争わず、裁判で福田の反省の意思を示して、情状酌量を求めました。いわゆる「土下座裁判」です。

しかし、自白調書は他の証拠と照らし合わせると、明らかにおかしいところがいくつもありました。上告後の弁護団の一人の今枝は自著で「家裁送致段階での少年記録をきちんと見れば、自白調書の証拠能力を争わなければならないことは、通常の刑事弁護人が見れば明らかだったはずだ」と述べています。弁護団の安田も「AERA」(2008年4月28日号)で「福田くんに事実を聞いていない。これはあまり言いたくないが、弁護過誤だった」と述べています。私も一審と二審は弁護過誤だと考えます。

光市母子殺害事件が極刑になった大きな理由の一つに、犯罪の計画性があります。最高裁は「殺人の計画性はなかったとしても、強姦の計画性はあったのだから、死刑を回避できない」と決めてしまいました。しかし、この事件で強姦の計画性すら認めるのはほぼ不可能です。「美人な奥さんと無理矢理にでもセックスをしたいと思い、個別訪問した」とすると、自白調書以外の事実と矛盾してしまいます。

犯行日、福田は仕事をさぼって、暇な時間ができてしまいました。福田はアパートを回り、チャイムを押して、インターフォンで「排水検査に来ました。トイレの水を流してください」と要求し、その通りに水を流した女性がドアを開けても誰もいません。福田は犯行前に、そういったことを何件もしていました。福田が強姦相手を探して個別訪問していたのなら、女性がドアを開けた時、福田がいなかった事実と矛盾します。しかも、その時に対応した女性の調書によると、「なにを言っているのか分からない」「声が全然聞こえない」「この人、大丈夫なのか」と思ったと述べています。これから強姦しようとする人物に対する感想ではないでしょう。

他にも、福田は犯行前に友だちと会って、午後にはその友だちと再び会う約束をして、個別訪問時も待ち合わせ場所に少しずつ近づいていたので強姦に計画性があったとは思えないだとか、自白調書は問題だらけです。

自白調書を事実と認めた一審と二審の弁護士たちを、上告後の弁護団が批判するのは当然です。「福田君を殺して何になる」(増田美智子著、インシデンツ)では、一審の中光弁護士が次のように取材拒否したと書かれています。

 

2008年6月15日、私は中光弁護士の話を聞くため、自宅を訪れた。しかし、守秘義務を理由に門前払いされた。その後も、何度も事務所に電話したり、手紙を書いたりしたが、電話は中光弁護士に取り次がれず、手紙の返事は来なかった。

8月9日の面会で、福田くんに尋ねてみた。

増田「中光さんは、福田君の不利益にならないように、取材拒否しているのかな」

福田「いや、中光先生が取材に応じてくれる方が僕には利益になるんだよ。中光先生は付添人として、少年鑑別所からついていてくれたんだけど、今の弁護団が言うには、どういう活動をしているのか僕に報告する義務があったんだ。でも、中光先生はそういうこと、一切してくれなかった。中光先生はヤメ検だから、検察官と相談して、ある程度、裁判の方向性を決めていたんじゃないかって話もあるくらいだよ」

数時間後、私は中光弁護士の事務所をアポなしで訪れた。中光弁護士はしっしっと虫でも追い払うような手ぶりをしながら、素早く奥の席へ移動し、自分の姿が見えないようにしてから、私を罵倒しはじめた。

中光「論外。帰ってください」

中光「非常識でしょ」

中光「あなたの論理とつき合う時間ももったいない」

直前に福田君と面会し、「中光先生が取材に応じてくれた方が、僕には利益になる」と言われたことを伝えても、「その取材は、私とは関係がないでしょ」と切り捨てられた。

中光弁護士が「警察呼びますよ。面会の強要です。刑法でいうと、あなたがやっていることは強要罪です」と言うので、私は「そのように書かせていただきます」と応じた。中光弁護士は「私が今、言ったことは同意しません」と怒鳴っていたが、私は「失礼します」と事務所を出た。

 

同じ本では二審の定者弁護士と山口弁護士も取材を断固拒否しています。定者弁護士事務所に電話しても女性事務員の段階で取材拒否を言い渡され、「定者弁護士と話すこともできませんか?」と食い下がっても、弁護士本人に取り次いでくれません。増田が手紙を定者弁護士事務所までわざわざ持っていって「読んでもらいたいです」と渡しても、3日後に電話すると「中身を読まずにそのまま送り返しました」と女性事務員に言われています。山口弁護士(取材時は裁判官)からも「まずは主任弁護士だった定者先生に聞いてください」と言われ、定者が取材拒否したことを伝えると、「それならなおさら答えられません」とニベもありません。

結果として、一審・二審で事実と認めた自白調書は、上告後に弁護団が反論したものの、一部が事実と異なると認められただけで、死刑判決を覆すほどではないとして、原則、事実であると認められています。

しかし、上告後の新供述が自白調書よりも真実に近いことは、事件の情報をある程度収集すれば、分かるはずです。このように間違った事実が裁判で認められた最大の責任が、一審と二審の弁護士たちにあるのは間違いありません。しかし、「光市事件裁判を考える」(現代人文社編集部著、現代人文社)という本では、上告後の弁護団の一人の村上満宏弁護士が「弁護士だったら、そういう手段(自白調書を事実として認め、土下座裁判にする)を取る人がやっぱり多いと思います」と一審・二審の弁護士たちを擁護しています。

一般的に、被告人が自白調書を裁判で否定すると、「反省していない」として、刑を重くする傾向があります。この事件で量刑に最も影響する母子の殺害事実について、福田は一貫して認めているので、殺害方法や計画性などの細かい事実については争わず、反省の意思の表明した方がいい、と普通の弁護士なら考えてしまうようです。

少しでも光市母子殺害事件について調べた人なら知っているでしょうが、2人殺害で、初犯で、しかも犯行時18才で、死刑になるなど、当時の判例からありえませんでした。いわゆる永山基準が1983年にできて以降、未成年で死刑となったのは、永山事件と同じく4名を殺した市川一家4人殺害事件だけです。それまで4名基準であったのなら、3名ならまだしも、2名で死刑になると普通なら考えません。

日本の刑事裁判では弁護人も被告の敵になる」に書いたように、日本の刑事裁判では99%以上が有罪です。そのため、刑事裁判の弁護士の意欲は極めて低くなっています。一審・二審の弁護士たちは自白調書とそれ以外の証拠をろくに精査しなかったのでしょう。光市母子殺害事件は、誰がどう弁護しても、福田が無期懲役になることは裁判前から決まっているようなものだったからです。

一審で無期懲役となった後、遺族は「司法に絶望しました。控訴、上告は望みません。早く被告を社会に出して、私の手の届くところに置いてほしい。私がこの手で殺します」と記者会見で言っています。つまり、判決に全く納得していない遺族でも、控訴、上告しても無期懲役が覆らないと、十分知っていたのです。

しかし、現実に判決が覆り、福田は死刑になりました。その経緯を次の記事で示します。

なぜ石原慎太郎はカジノを実現できなかったのか

ある程度、世間を知っている人なら、タイトルの問は簡単に答えられます。パチンコ業界が大反対したからです。さらにいえば、そのパチンコ業界と癒着している警察が反対したからです。

日本でカジノを認めるべきかどうかの報道は大手マスコミもよくしますが、その時、パチンコのパの字も出てこないことに疑問を持つ人は少なくないでしょう。私も朝日新聞を毎日読んでいますが、カジノとギャンブル依存の問題を論じているくせに、既に多数存在するパチンコ依存症の問題はほとんど無視されているので、読んでいてバカらしくなってきます。もちろん、パチンコ業界に警察OBが多数天下りしていることなど触れられていません。カジノの最大の反対勢力がパチンコ業界であり、パチンコ業界の背後に警察がいることなど、大手マスコミなら十分把握していますが、どこの大手マスコミもその問題の本質を報道しません。パチンコ依存症を見て見ぬふりしているのに、どの口がカジノ依存症が深刻だと語っているのか、と思ってしまいます。

石原慎太郎は東京でカジノを実現させると何度も公約にかかげて、選挙で圧勝し、公約実現に向けて10年ほど動いていましたが、結局、実現しませんでした。あれほどの支持を集めた石原ですら実現できなかった詳しい理由は、私も分かりませんが、パチンコ業界、警察団体の反対があっただろうことは容易に想像できます。

私にとって特に謎なのは、ここからです。石原も上記の反対勢力は十分知っていたはずです。あれだけ歯に衣着せぬ暴言で知られる石原がなぜ「パチンコ業界と警察の反対で、カジノが実現しないんだよ。パチンコ業界と警察なんて癒着しているよ。マスコミはみんな知っているのに、なんで報道しないんだよ」と声を上げなかったのでしょうか。石原が公開の記者会見でブチまければ、さすがにマスコミも報道せざるを得なかったはずです。石原もパチンコ業界は敵にしても、警察は敵にしたくなかったのでしょうか。

もし真相を少しでも知っている人がいたら、下の欄に書いてください。

なぜ与党の安倍元首相が暗殺された結果、与党が反省しているのか

安倍晋三が旧統一教会と親子3代に渡ってズブズブの関係であったことは、暗殺事件後の報道で私も始めて知りました。旧統一教会の信者たちが毎回選挙協力するほど自民党と近いことも、多くの日本人同様、私は全く知りませんでした。

安倍が暗殺されてから1週間ほど、同情的な意見が日本を覆いました。それまで安倍政権を批判ばかりしていた朝日新聞でさえ「暴力によって民主主義が損なわれてはならない」と安倍の味方をする有り様でした。

現在、安倍への同情の声は、旧統一教会への批判の声にかき消されています。もう3ヶ月以上、旧統一教会への批判報道がなかった日はないでしょう。国会でも、与党自民党は批判され続け、何人かの与党要職者も旧統一教会の関係の深さのため、辞職に追い込まれました。

ここで政治に詳しくない人に伝えておくと、「マスコミで与党批判が過熱しても、与党が無視する場合(あるいは反論する場合)」と、今回のように「マスコミで与党批判が過熱して、与党が反省する場合」の違いはどこにあるか分かるでしょうか。それは与党支持者が賛同するか否かにあります。政治家が一番気にするのは、次の選挙に勝てるかどうかです。だから、自身の支持者たちが「マスコミの批判など気にすることない」と言っているなら、それ以外の人たちが批判一辺倒でも、無視でき、場合によっては開き直って反論します。しかし、自身の支持者がマスコミ批判に同意し、「失望した。次の選挙は他の候補者に投票する」と言い出すと、無視するわけにはいきません。適切に対応しないと、次の選挙で落ちるからです。

つまり、今回の旧統一教会批判は、自民党支持者も同調しているのです。自民党支持者なので安倍元首相暗殺への同情もあるのでしょうが、だからといって、旧統一教会自民党との癒着は許せないのです。自民党支持者がそう考える理由はさまざまでしょうが、やはり自民党支持者は保守派なので、保守派の嫌う韓国の新興宗教である旧統一教会が日本人を騙して大金を奪っていた事実は大きいはずです。犯人の山上徹也もネトウヨ自民党支持者ですが、旧統一教会自民党の関係が許せなかったのと同様です。

もう一つ、なぜ旧統一教会への批判報道が3ヶ月以上も続けられているか分かるでしょうか。この理由は単純で、視聴率が稼げるから、発行部数が増えるからです。新興宗教批判報道は視聴率を大きく稼げる定番コンテンツです。今の若い人は知らないでしょうが、1995年にオウム事件があった時、全放送局がゴールデンタイムの番組を全て中止して、毎晩、オウム批判報道を1ヶ月ほど続けていました。大事件が起こった時、全ての放送局が同じテーマの報道をすることはよくありますが、さすがに1ヶ月も続けたことは、私の知る限り、ありません。日本のテレビ史上、他に例があったら、下の書き込み欄に書いてほしいです。それくらい新興宗教批判報道は人気が出るようです。

ここまでは私でも分かることですが、ここからが私には分からないことです。

記者クラブに所属する全ての大手マスコミは暗殺動機が旧統一教会であると犯行直後に把握していながら、1週間ほど「ある宗教団体」と曖昧に報道していました。この間は安倍元首相への同情の声しかなく、選挙で自民党は圧勝しました。

統一教会は1990年頃にタレントの合同結婚式参加などで、しきりに批判報道されていたことは私も覚えていますが、それ以後、あまり報道されなくなりました。正直に言えば、「ある宗教団体」という報道で、私が最初に連想したのは旧統一教会ではなく、創価学会です。現在報道されているように、90年以後も、旧統一教会霊感商法を続け、莫大な財産を獲得して、被害届も出されていましたが、ほとんど、あるいは全くマスコミは報道しませんでした。

そうなると、旧統一教会自民党と癒着しているだけでなく、マスコミとも癒着していた疑惑が出てきます。しかし、マスコミの自浄作用がないのか、なぜ「この期間に報道されなかったのか」について、どのマスコミも報道しません。いつものように正義の味方面して、(ついこの前まで無視することで味方していた)旧統一教会の批判報道で視聴率を稼いでいます。

もし「なぜ30年近くもマスコミは旧統一教会の批判報道をあまりしていなかったのか」「マスコミと旧統一教会の癒着の証拠」の報道があれば、下の欄に書いてほしいです。

なお、このように日本には、深刻な問題なのに、マスコミがあまり触れない聖域がいくつも存在しています。そのためマスコミ報道だけでは、問題の本質がほとんどつかめないことがよくあります。その聖域の一つのパチンコ問題について、「なぜ石原慎太郎はカジノを実現できなかったのか」の記事で書きます。

光市母子殺害事件での罵倒報道批判

光市母子殺害事件は裁判にも検察にも弁護側にも犯人にも問題があり、批判するべき箇所は多くあります。

結論から言うと、私は犯人である福田孝行(現在はある女性の養子となったため、大月孝行という名前ですが、このブログでは福田孝行で通します)を爆発性と暴力性の強い、どうしようもない奴だと思っています。福田なりに頑張って反省していたのでしょうが、それが本来あるべき反省の深さまで到達していません。もっといえば、福田は再犯する可能性も十分あるとまで私は考えています。会ってもいないのに言い過ぎかもしれませんが、文献で読む限り、福田はそれくらい自制心のない奴だと考えています。

一方で、光市母子殺害事件の最大の問題は報道にあったと私は考えています。現在も、光市母子殺害事件をネットで検索すれば、基本的な事実が捻じ曲げられ、福田が極悪人であることを強調した情報ばかりが出てきます。

そんな偏向報道が過熱して「光市母子殺害事件弁護団懲戒請求事件」が起こりました。私が光市母子殺害事件を知ったきっかけであり、記憶が正しければ、私が橋下徹を始めて知ったのも、この事件です。

私が日本の最も嫌うところ」に書いたように、日本で凶悪犯罪が生じると、マスコミは徹底的に犯人に人格攻撃をしかけます。

光市母子殺害事件は1999年に起きて、弁護団懲戒請求事件は2007年5月27日「そこまで言って委員会」放送後に起きます。その3日前、差し戻し控訴審で福田および弁護団は「強姦目的ではなく、優しくしてもらいたいという甘えの気持ちで抱きついた」「(乳児を殺そうとしたのではなく)泣き止ますために首に蝶々結びしただけ」「乳児を押し入れに入れたのは(漫画の登場人物である)ドラえもんに助けてもらおうと思ったから」「死後に姦淫をしたのは小説『魔界転生』に復活の儀式と書いてあったから」と述べていました。この時、弁護団が伝えた趣旨は「〇〇と××などから強姦を含む犯行の計画性はなかった」「これまでの裁判で認定された事実は科学的な事実と一致しない点が多い」「これは殺人ではなく、傷害致死である」でした。しかし、多くのマスコミはそんな報道を一切しない代わりに、上記の荒唐無稽な主張だけを取り上げ、こんなバカげた言い訳で取り繕う福田および弁護団を徹底的に罵倒しました。

このような理由で福田と弁護団を罵倒したのは「そこまで言って委員会」だけではありません。裁判の事実関係についての間違いや歪曲、番組の制作姿勢としての作為・演出過剰、不公平の3点において「特に顕著」であると「『光市事件』報道を検証する会」が放送倫理番組向上機構(BPO)に訴えた番組だけで、18もあります。そのうちの一つの「そこまで言って委員会」で、準レギュラーだった橋下が怒り心頭に達した様子で、こう発言しました。

「ぜひね、全国の人ね、あの弁護団に対してもし許せないって思うんだったら、一斉に弁護士会に対して懲戒請求かけてらいたいんですよ」

懲戒請求ってのは誰でも彼でも簡単に弁護士会に行って懲戒請求を立てれますんで、何万何十万っていう形であの21人の弁護士の懲戒請求を立ててもらいたいんですよ」

懲戒請求を1万2万とか10万とか、この番組見てる人が、一斉に弁護士会に行って懲戒請求かけてくださったらですね、弁護士会のほうとして処分を出さないわけにはいかないですよ」

この扇動により、本当に21人の弁護士に合計7000件もの懲戒請求が出されてしまいました。

当時、橋下は政治家ではなく、タレント弁護士でした。この発言も含め、政治家の時以上に社会道徳に抵触する問題発言も多く、この時点で既に10回も懲戒請求を受けていたようです。だから、弁護士への懲戒請求が「民事訴訟以上、刑事告訴未満(橋下の表現)」の法律行為であることを橋下は十分知っていたはずです。正当な理由がなく懲戒請求すれば、虚偽告訴罪で有罪になることもありえます。

懲戒請求された各弁護人は「何を根拠に、どの程度の調査や検討をしたか、明らかにせよ」との「求釈明書」を懲戒請求人に送ります。橋下の扇動により、まるで署名活動のように懲戒請求した(バカな)一般人は、弁護士から自宅に法律文書が送られてきて、狼狽します。偏向報道のテレビ番組で得た情報程度で憤慨した一般人が、橋下の言う「誰でも気軽に弁護士の懲戒請求できる」がほとんど嘘であると知るまでに、そう時間はかからなかったようです。

これによって虚偽告訴罪で有罪になった一般人はおそらくいないと思いますが、民事裁判で名誉毀損業務妨害で損害賠償金を払った一般人はいたのかもしれません。どちらにしろ、事実は調べられませんでした。「求釈明書」を受け取った一般人が誠実に謝り、場合によっては示談金を払うことで、ほとんどの弁護士は許しただろう、と予想はします。

この7000件の懲戒請求で、懲戒された弁護士が一人もいなかったことは、間違いない事実です。だから、「懲戒請求が何万も来たら、弁護士会が処分しないわけにはいかない」の橋下の発言は間違いでした。それどころか、懲戒請求が多数来たせいで、弁護士たちの業務を妨害したので、橋下は民事裁判で訴えられています。橋下は一審・二審で敗訴となり、和解金856万円を払っています。しかし、道徳観の欠落した最高裁は、橋下に逆転勝訴を与えています。

また、あれだけ煽ったくせに、橋下自身は21人のどの弁護士に対しても懲戒請求をしなかったのも事実です。あるテレビ番組で「そこまで言うなら、橋下弁護士自身、率先して懲戒請求をかけるべきではないか」と指摘された時には「僕も事務所経営をする身として、そこまで負担できない」と、懲戒請求がさも簡単であるかのような発言と矛盾することまで言っています。橋下がブログで「懲戒請求が違法になるのは、明らかに懲戒事由が存在しないのに、それを分かっていながら懲戒請求をかけた場合。特に弁護士が不用意に相手弁護士に対して懲戒請求をかけた場合」と書いているので、懲戒請求が違法行為となることを恐れたからでしょう。

そこまで言って委員会」以外でも、光市母子殺害事件のテレビ報道が不公平なものだらけだったことは、BPOこちらで認めています。

以上は、文献によって光市母子殺害事件を調べた人なら、基本情報になるはずです。しかし、マスコミで情報を得る程度の大多数の日本人は、橋下の「誰でも簡単に弁護士に懲戒請求できる」発言も「何万もの懲戒請求が来たら処分せざるを得ない」発言も間違いである事実、橋下自身は懲戒請求せずに逃げている事実も知らないでしょう。

上のリンクにあるように、BPOはこう述べています。

「委員会が憂慮するのは、この差戻控訴審の裁判中、同じような傾向の番組が、放送局も番組も制作スタッフもちがうのに、いっせいに放送されたという事実である。取材や言論表現の自由が、多様・多彩な放送に結びつくのではなく、同工異曲の内容に陥っていくのは、なぜなのか。そこにはかつての『集団的過熱取材』に見られたような、その場の勢いで、感情的に反応するだけの性急さがなかったかどうか。他局でやっているから自局でもやる、さらに輪をかけて大袈裟にやる、という『集団的過剰同調番組』ともいうべき傾向がなかっただろうか。こうした番組作りが何の検証や自省もされないまま、安易な『テレビ的表現』として定着してしまうことを、委員会は憂慮している」

それほど光市母子殺害事件のテレビ報道は偏向していましたが、大多数の日本人は、その偏向した情報を正さないまま、現在に至っていると思います。

私が調べた限りネット上では、現在も光市母子殺害事件について、福田の荒唐無稽な主張や、幼稚な言動、不謹慎な手紙を取り上げて、福田や弁護団を罵倒するものがほとんどです。「犯罪は被告の内にある何らかの荒唐無稽、異常、異様、破綻、失調等々がなければ起きなかったはずだから、そのよって来たるところを探ることこそがメディアの仕事であろう。しかし、その取り組みがないまま、片言をとらえただけの表面的な断定しかない(上記のBPOからの引用)」ままです。

それをこれからの記事で少しは是正したいと考えています。

なお、冒頭に書いたように、結論として、私は福田の罪の重さを認めています。「福田が悪いという結論が同じなら、多少の事実の歪みは認めてもいい」という考えもあるでしょうが、私はそれに大反対です。たとえ「福田は極悪人で、極刑がふさわしい」が結論だとしても、理性的に考えて「検察の供述(自白)調書に間違いはあった」であるなら、それは認めるべきです。「反省していた犯罪者を開き直らせた検察の不正義」の例にあるように、たとえ極刑でなくても、裁判が真実や理性を意図的に捻じ曲げたなら、罰せられる者は到底受け入れられないからです。逆に、裁判が真実や理性を通し、犯罪に至った状況を十分に考慮したなら、たとえ極刑であっても、犯罪者が刑を素直に受け入れる可能性が高くなります。

光市母子殺害事件の一審・二審の弁護人の罪」の記事に続きます。

イジメた者はイジメの経験をすぐ忘れるように振った者は振った経験をすぐ忘れる

タイトルは社会や人間の残酷な事実ですが、その残酷さを認識していない社会や人間が多い、多すぎると考えるので、ここにあえて書きます。

恋愛で振られた側は深い心の傷を負いますが、振った側は心の傷をほとんど負わず、相手のことをすぐに忘れる上、罪の意識はありません。これはイジメられた側と、イジメた側の関係と同じです。

もちろん、イジメと恋愛を同等に扱うことに抵抗のある人もいるでしょう。イジメはイジメる者とイジメられる者の関係が固定されており、逆転することはまずありませんが、恋愛はどちらも相手を振ることができる関係であり、振られた者も場合によっては振った側になった可能性があります。

その違いは重要なのですが、今回は似た側面に注目します。大抵の恋愛は、完全に対等な関係ではありません。とりわけ、恋愛で振った側は恋愛を終わらせる決定権を持っているわけで、振られた側よりも優位な立場にあります。そして、優位な立場にいる者たちは劣位な立場にいる者たちの気持ちを蔑ろにしがちな傾向があります。これは人間、あるいは社会的動物の残酷な性質であることに十分に注意すべきはずです。

社会的な性差(gender)だけでなく、性欲は男性が女性より圧倒的に強いという生物的な性差(sex)もあり、男性から女性を求めなければならないのは、古今東西共通する習慣です。親族の強制により結婚が決まった時代、あるいは男性が力づくで女性を求めてもよかった時代なら全く逆なのでしょうが、それが許されなくなった現代、男性が恋愛で振られる回数は、女性が恋愛で振られる回数よりも、圧倒的に多くなります。

以上から演繹的に、現代社会の恋愛において、全体として、女性が男性より優位であり、女性が男性の心を深く傷つけているのに、女性は加害者としての意識もありません。恋愛において、全体として、女性がイジメる側で、男性がイジメられる側にあります。

現在、先進国で残っている男性優位は、一部の高い社会的地位の男性の多さにしかないでしょう。その一部の高い社会的地位の男性の割合を減らそうとするのは構いません。しかし、それ以外の多数の男性、結婚や恋愛などで女性から相手にもされず、女性よりも不幸な男性を救わないと不公平です。過半数の弱者男性はろくな社会的地位に就いていない上、結婚や恋愛などの女性優位の世界では完全な負け組です(下の女性用HPで見つけたグラフ参照)。だから、一部の勝ち組男性の圧倒的優位を批判するのなら分かりますが、問答無用で社会全体として男性を優位と考えるのは、特に日本や韓国などでは時代遅れです。

一部の高い社会的地位や、ごく一部の性犯罪ばかりに注目して、男性を加害者と考えることが良識と勘違いしている朝日新聞には特に伝えたいです。それは「木を見て森を見ず」の代表的な失敗例です。

「外国とは西洋先進国のこと」という錯覚

このブログで最もアクセスされた記事は「変化のスピードが恐ろしく遅い時代」になります。ただし、犯罪カテゴリの記事を書き始めてからは、「土浦連続殺傷事件犯人家族は典型的な日本人」と「『秋葉原通り魔事件の犯人の母の罪は取り返しがつかないものだったのか』また』犯人に彼女がいれば秋葉原通り魔事件は起こらなかったのか』」が圧倒的に多いので、遠くないうちに、この二つの記事が最もアクセスされる記事になるでしょう。

現代の日本が恐ろしく変化の遅い社会であることは客観的に考えれば明らかです。しかし、「やばいデジタル」(NHKスペシャル取材班著、講談社現代新書)という本でも「将来なりたい職業に『ユーチューバー』が登場した当初、それは衝撃的なニュースだった。だが瞬く間に常識と化している今の光景に時代の加速を見る」という文章が出てきて、落胆しました。現代日本で「時代が加速している」と堂々と公共放送が述べていることこそ、現代日本で「時代が減速している」事実が現れている気がします。つまり、現代の日本で「時代が減速している」から、世界のデジタル進化に「時代の加速」を感じてしまうのでしょう。

この2020年放送のNHKスペシャルの本では、COCOAのダウンロード数が伸び悩んだことも記事にしていますが(2022年9月には役立たずのままCOCOAの終了が決まりましたが)、「やばいデジタル」のタイトル通り、「デジタル化の加速でプライバシーが脅かされる」との警告メッセージばかり発しています。

日本を含む先進国で、この30年ほど、身の回りの商品、いわばアナログ世界で大きな進化はありませんでした。この30年ほどの一番大きな進化はIT分野、つまりデジタル世界で生じました。そのデジタル世界で日本が大きく遅れを取ったことは、NHKスペシャルを放送する記者なら十分に知っていなければなりません。ならないはずなのですが、デジタル化の遅れを心配せずに、デジタル化の普及を心配する報道をしてしまっています。

確かに、欧米先進国では、莫大な富を稼ぐ多国籍IT企業にプライバシーの観点などから警笛を鳴らす報道が多くあります。だから、欧米先進国はIT技術進歩の恩恵が十分に得られていなかったりします。現在、IT技術進歩の恩恵を最も受けているのは、もともとプライバシーなどの人権をあまり気にしていなかった韓国や中国などの新興国です。多国籍IT企業の多くはアメリカを本拠にしていますが、アメリカ全体でみれば、プライバシーの侵害などデジタル化の負の側面を気にしすぎるあまり、ITに関して韓国や中国などから一歩も二歩も遅れています。結果、一般的な韓国人や中国人は、一般的なアメリカ人よりもITにより便利な生活を手に入れています。プライバシーを失うデメリットよりも日常生活が便利になるメリットが明らかに大きいことも、普通に考えれば分かります。

だとしたら、ITに関して今の日本が見習うべきは、欧米先進国ではなく、韓国や中国などの新興国のはずです。しかし、NHK取材班は新興国も取材しているのに、そんな視点を持つことができません。韓国や中国が欧米よりもIT社会で進んでいることを認識できません。「外国とは西洋先進国のこと」「見習うべきは欧米先進国」という発想から抜けきれない固定観念の強い日本人ジャーナリストは欧米先進国の古いジャーナリストのマネばかり続けているようです。

日本人が「外国とは西洋先進国のこと」という幻想から脱却できるのはあと何十年必要なのでしょうか。

男性は勇気を持って女性を抱かなければいけない

これは女性にはまず分からない苦悩でしょう。

私は女性にもっと強くせまっているべきだった、という痛恨の後悔が2度ほどあります。今までも何万回後悔したか分かりませんが、今後も一生後悔し続けることはほぼ間違いありません。だから、「女性の合意がないのに性行為に及ぶのは犯罪である」という報道をしつこいほどする朝日新聞には、はらわたが煮えくり返る気持ちです。「男だったら積極的にいってよ」「女が自分からyesなんて言わないよ」と言う女性が世の中にたくさんいることも朝日新聞の全ての記者は知っているはずです。朝日新聞など購読していなかったら、私も人生で最も重要な機会を逃すこともなかったかもしれません。

日本には「言葉にせず、察してほしい」という文化が、外国と比較にならないほど強いです。まして性的なことに関しては、女性から求めないのは古今東西普遍の習慣です。だから「断られたらどうしよう」「相手が嫌だったらどうしよう」という強い不安がありながらも、男性は自ら性的関係を求めないといけません。私も抱き着こうとしたら失敗して、大恥かかされたことが3度はあります。しかし、後悔は全くしていません。むしろ、失敗をおそれず、挑戦したことを誇りに思っています。

むしろ、自分が性的行為を求めてもいいチャンスだったのに、それを逃した後悔は計り知れません。自分がそんな勇気がないうちに、より積極的にせまっていた男に相手の女性をとられたこともあります。それが自分の一生を賭けてもいい女性だったので、どれほど悔しいか想像できるでしょうか。

田山花袋の「布団」という小説は、私と同じように性的行為を求めなかった後悔で、相手の女性の使っていた布団に顔をうずめて、むせび泣く変態中年男性の話です。私にはそうしてしまう気持ちがよく分かりますが、女性には分からないでしょう。田山は自分のことを少女病と言っていましたが、普通の男性はみんな少女病です。

男性に裏切られて、あまりに不誠実な対応をされて、一生を賭けた恋に破れて、「二度と男は信用しない」「もう恋愛なんてしない」と考えた女性は少なくないはずです。このブログから明らかなように、私も女性に対して何百回も「女なんて信用しない」と考えています。しかし、それでも、気づいたら私は女性を求めてしまいます。本当に病気です。

少子化が最大の政治経済社会問題の時代に、「相手の合意がないのに性行為に及ぶのは犯罪である」と全国新聞で何度も主張するのは間違いです。もちろん、「相手が明確に抵抗したのに性行為に及ぶのは犯罪」です。しかし、単に「合意がない」だけでは、犯罪にならないことは、普通に考えれば分かるでしょう。

朝日新聞で主張すべきなのは、むしろ「断られるかもしれないが、男性は勇気を持って女性を抱いてほしい」です。この場合、「抱く」は文字通りの意味で、女性の服の上からです。もちろん、そこで女性が強く拒否を示したら、男性は引かなければいけません。一方、女性が拒否せず、男性がそこから少しずつ求めていくなら、自然な流れだと社会的に判断されるでしょう。ただし、やはり、どれかの時点で女性が強く拒否するなら、男性が引かなければいけません。

そこまで理性的に分かっていながら、それでも一歩が踏み出せなかったために、今も私は毎日後悔しています。そんな男性が日本だけでも何百万人もいます。とりわけ、私のようなリベラル思考の人はそうでしょう。

世の中のレイプ事件だけをもって、「全ての男性は女性を凌辱したいと思っている」と考えるのが間違いなのは、女性だって知っているはずです。明らかな性犯罪ばかり紹介して、「女性の合意がないのに性行為に及ぶのは犯罪である」も行き過ぎです。「女性が合意してから性行為に及ぶことなど稀である」からです。正確な統計をとれば判明するでしょうが、だいたいは「黙認」です。

そもそも朝日新聞を読むような知性の高い女性のほとんどは、「男性に気をつけろ」という忠告が不要なくらい、警戒心が強いです。朝日新聞を読むような大多数の男性は女性の意思を尊重しています。尊重しすぎて、チャンスを逃しています。朝日新聞で「男性に強姦されないようにしろ」「男性は強姦しないようにしろ」と主張するのは、拒食症の患者さんに「もっと体重を減らしましょう」と言うようなものです。

未来社会のみちしるべ」なので、未来予想をしますが、少子化の時代に、よりにもよって朝日新聞で「女性の合意がないのに性行為に及ぶのは犯罪である」などと、しつこく主張して、その逆の「断られるかもしれないが、男性は勇気を持って女性を抱いてほしい」を全く主張していなかったことは「政治・経済・社会に悪影響を及ぼしていた」と判断されるでしょう。

安倍元首相の国葬反対デモが高齢者ばかりであることは海外のメディアからも批判されました。若者ほどリベラルに拒否反応を示す人が多い理由の一つも、そこにあるのではないでしょうか。リベラルな若者ほど、男性は女性に迫ることができず、女性は男性を怖がり、結果、リベラルな若者ほど結婚せず、子どももいません。一方、保守的な若者ほど、男性は女性に積極的に迫り、女性は男性を拒否しないので、保守的な若者ほど結婚し、子どもも多くなります。子どもはリベラルな家庭で育てばリベラル思考になり、保守的な家庭で育てば保守的思考になるのは、誰もが知っているでしょう。どこかの学者に「リベラル思考の集団ほど少子化である」の仮説が正しいか、統計をとってほしいです。