未来社会の道しるべ

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相模原障害者殺傷事件の植松を論破することは可能だったのか

前回の記事の続きです。

「相模原障害者殺傷事件」(朝日新聞取材班著、朝日新聞出版)を読めば、朝日新聞記者たちが植松に当たり障りのない質問しかしていないことが分かります。植松の機嫌を損ねて、面会拒否されることをなによりも恐れていたのかもしれません。しかし、あそこまで下らない質問しかできないのなら、植松と面会していないのと同じです。あのような無意味な面会をするくらいなら、たとえ植松に面会拒否されたとしても、植松に鋭い質問をするべきでした。

私なら「安楽死と殺人は大きな違いがあるのに、なぜ殺したのか」「誰も障害を負いたくて負ったわけではないのに、なぜ障害者は死ななければならないのか」「意思疎通がとれない人に愛情を持ってお世話をすることがなぜいけないのか。それではペットを飼うことも悪なのか?」「生産性を追い求めるだけで嫌われ者のクリスマスキャロルのスクルージの話は知っているのか?」といった基本的な質問を植松に確実に投げかけます。

ただし、このような質問をして、植松の思考の矛盾点を暴き出しそうとしても、植松を論破できる可能性は低かっただろう、とも私は思います。「殺人がいけない理由を答えられない日本人」で、土浦連続殺傷事件の犯人である金川を論破するのは容易だと私は書きました。しかし、相模原障害者殺傷事件の植松を論破するのは困難だと私は考えています。

この二人は共通点もあります。どちらも自己顕示欲が強く、常識と正反対の思考が真実だと確信して、20代半ばに殺人事件を起こしています。

一般に、第二次成長期に人はみな、常識を疑います。世間一般の善悪の基準が本当に正しいかどうか、自身で考えなおすことは、大人になるための重要な過程です。「大声で騒ぐ」「汚い食べ方をする」などで親や先生たちは怒っているが、それより道徳的に遥かに悪いことを大人たち自身が実行している、と気づいていきます。社会で偉くなればなるほど悪い奴が多い、とりわけ日本はそうである、それは日本人全体が偉い人にヘコヘコしすぎるからだ、などは私も中学生くらいの頃に気づいて、現在までその考えが間違っていると思ったことはありません。このような思想の持ち主が20代で社会改革運動をしばしば起こします。日本でも1970年代くらいまでは、常識と非常識をアウフヘーベンさせた高次の思考を多くの青年たちは構築していたようです。しかし、1980年代に不良文化が隆盛した頃から、常識を疑うまではいいのですが、常識以上の思考を構築せず(構築できず)、単なる非常識が正しいと、常識以下の思考に到達してしまう青年が増えてしまったようです。しかも驚くことに、「人殺しが悪くない」という明らかに間違った思考に明確に反論できない大人まで日本で多くなってしまったようです。

話が脱線したので、植松と金川の対比に戻します。内向的な金川と違って、植松は外交的です。それなりの時間をかけて、理論的に思考を構築した金川と異なり、ろくに時間もかけず、直観で思考を作った植松のような人物と、理性的に話すのは困難です。

それ以上に植松との理性的な会話が難しいと感じるのは、植松の不可解な反応です。たとえば、植松は朝日新聞記者との最後の面会で「餃子に大葉を入れて作っていただきたい」と意味不明な発言をしているのです。他にも、植松は「外に出られたら脱毛がしたいですね」と言っており、手紙に「拘置所のやかん、ジャスティン・ビーバーオードリー・ヘップバーンアインシュタイン」のイラストをなぜか描き添えています。明らかに、どれも空気を読んでいない対応です。植松がパーソナリティ障害か他の精神疾患かは分かりませんが、変人であることは確かでしょう。

植松は高校時代にクラスのリーダー的存在で、大学時代も学部や男女とわず友人がたくさんいて、驚くことに犯行当日まで交際していた彼女までいました。しかし、大学卒業に就職した運送会社は体力的にきついため半年で辞めています。植松は底辺の学校(植松は帝京大卒)ではチヤホヤされても、上記のような変人なので、社会人として大成した可能性は少ないでしょう。植松が事件を起こさなかったとしたら、外見を重視し、自己顕示欲が強い奴なので、事業でも起こして、違法行為に走っていた可能性が高いと推測します。

上記の本では、最首悟という障害者の娘を持つ学者が出てきます。植松の裁判について、「被告(植松)が自らの思い込みについて『わからなくなってきました』と考えなおし、ため息をつく瞬間を引き出してほしい」と最首は要望を述べています。最首は植松と面会しているので、植松に「分からなくなってきた」と言わせようとしたはずですが、やはり失敗したようです。植松の一審の死刑判決後にも最首は上記と全く同じ主張を繰り返しています。最首はエリートばかりと接してきたせいか、植松のようなバカだと説得が難しいか、ほぼ不可能であると分からない世間知らずのようです。

植松の説得が難しい理由として、植松の反社会性もあげられます。植松は中学生時代に不良グループの一員であり、飲酒や喫煙や万引きをして、学習塾のガラスを割っています。高校時代には気に入らないことがあると教卓を投げたり、黒板けしを投げつけたりする暴力行為が10回ほどありました。大学時代には刺青をして、危険ドラッグに手を出しています。この反社会的行為を本では「底辺の学校にいる奴らにはよくあること」と深く考察することもなく済ませていますが、これは土浦連続殺傷事件の金川との大きな違いです。金川はオタクから凶悪犯になっていますが、植松は半グレから凶悪犯になっています。金川が不良グループに入ることがまずないように、植松がオタクグループに入ることはまずありません。オタクかつ不良という奴ならともかく、ただのオタクであるなら、まだ道徳的な説得が可能です。しかし、不良になると道徳的な説得は極めて難しいです。こんなことは私がわざわざ書くまでもなく、反社会的な奴に社会道徳を植え付けさせることがいかに難しいかは、最首のような世間知らずでなければ、十分知っているのではないでしょうか。

最首を批判し続けてきたので、少しは擁護しておきます。最首は植松を論破することはできませんでしたが、金川を論破することはできたのではないでしょうか。上記のように、植松と違って、金川はまだ理性的な対話が可能な相手だと私は考えるからです。

もう一つ付け加えておきます。「殺人がいけない理由を答えられない日本人」に書いたように、金川の「死刑になるために殺人を犯す」思考の間違いを指摘し、論破するのは簡単だと私は考えています。しかし、論破したことで、金川の悪行を止めるのはそれほど簡単でないでしょう。自身の思考を論破されたなら、金川が無差別殺人を実行する可能性は激減するでしょう。しかし、金川が上の妹を殺すことまで阻止させるとなると、別の理論が必要になります。まして、金川を論破することで、金川を更生させるとなると、金川の感情も癒すべきなので、そう簡単にはいかない、年単位の人的支援が必要になると推測します。

人はまず感情に沿って生きて、場合によって理性で制御します。理性で修正されても、元の感情まで修正されるとは限りません。また、理性で修正されても、それで問題が解決されるとも限りません。当たり前のことですが、あえて書いておきます。

朝日新聞記者は相模原障害者施設殺傷事件の被害者たちを冒涜している

マスコミについて詳しい人なら知っているでしょうが、記者クラブに所属する日本の大手マスコミ会社では、新人に警察担当をさせます。つまり日本の犯罪についての情報は、まだ若い新人記者の報道によって、日本人全体に伝わります。

新人だから、若いから、その人間観や社会観が拙い、と私は考えていません。実際、カナダにいた頃には、深くて広い人間観や社会観に私が感銘を受けた若い相手はいます。私自身、もう40才を越えましたが、30才で同じテーマを論じても、同じような記事しか書けなかったように思います。しかし、日本では若者が広くて深い人間観や社会観を訴えても、評価されるどころか「生意気」と批判されるせいなのか、若い人は狭くて浅い人間観や社会観しか持っていません。「殺人がいけない理由を答えられない日本人」と同じことを嘆きますが、これは大手マスコミに入社できるエリートでも変わらないようです。

「相模原障害者殺傷事件」(朝日新聞取材班著、朝日新聞出版)では、裁判中の植松聖との面会記録が載っています。「障害者が周りに迷惑をかけていると思うのか?」「トランプのニュースを見て事件を考えたのか?」「事件は大麻のせいだと思うのか?」など既に調書や裁判で植松の証言が出て、植松がなにを言うか分かりきっている質問で貴重な面会時間のほとんどを費やしています。こんな下らない質問しかしないのなら、犯人と面会する意義はありません。強いていえば、日本の一流新聞社の記者たちが戦後最悪の凶悪事件の犯人相手に、この程度の質問しかできない証拠がさらされた意義しかありません。「妄信」(朝日新聞取材班著、朝日文庫)で障害者差別についての取材をあれほどして、熟考したはずなのに、まるで「12才の少年のような」質問しかしていないことに、愕然としました。「相模原障害者殺傷事件」のまえがきには、審理は出来事の表層をなぞるようにして進んだ、と裁判を批判していますが、こんな浅はかな質問しかできなかった奴らにそんな批判をする資格は全くありません。

さらに驚くのは、植松より4才年下の記者が「周囲の同世代を見渡しても、これほど礼儀正しさを感じさせる相手はいない」と植松を賞賛して、「(植松から)『あなたも心の底ではそう思っているのでしょう』。自身に潜む差別と向き合わされているような気がした」と植松の思考に共感を示している点です。「あとがき」を執筆した太田泉水にいたっては、「植松死刑囚の言葉を一部でも肯定するような記者の言葉に、私は驚き、反論しかけた日もあった。だがやがて、そのとおりだと思うようになった」と総括しているのです。この太田は底知れぬオオタワケだったようで、「太田さんの耳は、高須院長と似ていますね。良い耳をしています」と植松に言われると、「私の耳が!? 初めて言われました」と返しています。

1冊目で植松の思想を「妄信」と罵倒したくせに、2冊目では植松の思想に近づいている奴らの記述がそこかしこに出てくるのです。常識を疑ったことのない典型的な日本型エリートたちは、「障害者を大切にしなければいけない」という常識を疑った植松以上に浅い思考しか持っていなかったようです。上記の本で植松の思考は浅いと批判していますが、一体どの口が言っているのでしょうか。

本には、まだ信じられない記述があります。2019年12月24日、クリスマスイブに面会した記者は「ゆで卵と食パンを差し入れてもらえませんか?」と植松に言われると、記者は自費で買って差し入れたそうです。

言うまでもありませんが、その記者は植松が日本の戦後史上最悪の19人もの障害者を殺害した張本人であることを知っています。明治以降で、これ以上の大量殺人としては、1938年の津山30人殺しか、100人以上の幼児が亡くなった1948年の寿産院事件くらいでしょう。津山30人殺しは、同郷の人たちへの恨みからであり、その行動はともかく、その恨みに共感できなくはありません。寿産院事件は、自己主張できない幼児を大量殺人しており、その動機に共感は全くできませんが、逮捕後に涙を流して「悪いことだとは分かっていた」と反省しているので、犯人は倫理観の崩壊した悪人ではなかったようです。しかし、植松は「障害者は殺した方が社会のためだ」との「妄信」から犯罪を実行しており、しかも犯行後の裁判でも「障害者はいらない」と反省の色を全く見せていません。共感の余地がない極悪人です。

私と違って、この朝日新聞記者たちが恐ろしく恵まれた人生を送ってきたことは間違いありません。自殺を毎日毎時間毎秒考えてしまったことも、その原因を引き起こした人物たちを殺したいほど恨んだこともないのでしょう。しかし、そういった辛すぎる過去を背負いながらも、自殺せず、悪行に走ることもなく、高い倫理観を持ちながら生きている人の気持ちを尊重することはできないのでしょうか。そんな不幸な人よりも、大して不幸でないくせに間違った倫理観を持って、外見だけは礼儀正しい殺人者を尊重するのがこの国なのでしょうか。

私をいじめてきた奴について、私が許すことは一生ありえません。私がそいつから受けた苦しみと、同じ程度は苦しみ抜いて死んでほしいです。私がそいつを許せないだけでなく、そいつに共感する奴も、そいつに同情してお菓子をあげる奴も許せません。特に、そいつが私にした行為を知っているくせに、そいつにパンをあげる奴になれば、私は確実に恨みます。

植松は「障害者なんていらない」という「真実」を伝えるため、40人以上もの不幸な障害者の首を何度も何度も切りつけました。植松は「すぐに社会は変わらないだろうが、いずれ真実は社会に伝わるはずだ」と言って、死刑判決を受け入れました。その言葉通り、植松の「真実」が朝日新聞記者たちに伝わってしまいました。まさに植松の殺人行為の効果が発揮されてしまったのです。19人の死、27人の重軽症がムダになったのではなく、それらの犠牲が植松の思考に役立ってしまったのです。ジャーナリストとして、これほど罪深いことがあるでしょうか。

植松に切りつけられた19の故人、27の重軽症者は、自分たちが殺され、傷つけられた事件のおかげで、植松の思考が完全な間違いであることを思い知ったのではなく、その正反対で、植松の思考に一理あると思った新聞記者たちがいる、と知ったら、どんな気持ちでしょうか。朝日新聞記者たちは事件の被害者たちを冒涜しています。

相模原障害者施設殺傷事件の原因は謎のまま終わるのか

19人と数において戦後最悪の殺人事件である2016年の相模原障害者施設殺傷事件には不可解な点があります。犯人の植松聖の両親がどのように植松を育てたかについての情報が全くないことです。「障害者なんていなくなってしまえ」という理由で障害者施設に忍びこみ大量殺人を犯すなど、世界史上にも例がないでしょう。当然、植松のような凶悪犯人がどうして現代日本に生まれたのかの検証が徹底的に行われるべきなのに、肝心要の両親の子育て情報がありません。友だちや恋人の証言は多いのですが、植松の人格形成に影響を与えた人物は出てきません。

「犯罪は社会を映す鏡である」という言葉があるように、確かに、この犯罪は現在の社会状況を反映しています。トランプ大統領の暴言が大衆から支持されていることが犯行動機の一つです。「(トランプは)勇気を持って真実を話している」「真実を言っていいんだと思った」と植松自身が証言しています。犯行直後に「beautiful Japan!!!!!!」とツイッターに投稿しているところからも、植松の犯行の背景に安倍晋三ネトウヨの台頭があります。

しかし、トランプ大統領の影響を受けているのならアメリカで起こるべき事件ですし、新保守主義ネトウヨが隆盛しているのは世界的傾向で、日本だけ特別なわけではありません。友人や恋人の証言や社会背景だけでは、ここまで道徳に反する凶悪事件を起こした理由は特定できません。

こちらのブログで既にとりあげた「三菱銀行人質事件」「土浦連続殺傷事件」は、犯人がどのように家族に育てられたかについての記載が豊富にあります。しかし、「妄信」(朝日新聞取材班著、朝日文庫)「相模原障害者殺傷事件」(朝日新聞取材班著、朝日新聞出版)と2冊も同事件についての本を出版していながら、どういうわけか、朝日新聞取材班は植松がどのように家庭で育ってきたか、ほとんどなにも書いていません。家族についての記述は、父が小学校教師で、母がマンガ家、植松聖が一人っ子であることくらいです。

もちろん、家族についての情報を出すべきでない場合はあります。家族についての情報を出せば、たとえどんな情報であっても、専門家から一般人まで多くの人が「こいつらの子育てが悪かったから、こんな凶悪事件が起きた」と厳しく批判します。それこそ、私が「三菱銀行人質事件」「土浦連続殺傷事件」で家族の子育てにそれら凶悪事件の原因があると指摘したように、です。

かつて「冷蔵庫マザー」や「母原病」という言葉がありました。統合失調症自閉症は母の育て方に原因があると指摘されていたのですが、今ではほぼ否定されています。統合失調症自閉症は、ほとんどが遺伝や脳の器質的異常で罹患します。自分の子どもが統合失調症自閉症だっただけでも辛いのに、その原因が自分にあるとされることで、親たちはさらに大きく苦しむことになりました。「冷蔵庫マザー」はアメリカで20年以上も医療界で受け入れられ、「母原病」という本は日本で100万部以上も売れました。この科学的とは言えないレッテル貼りの弊害は甚大です。

おそらく、相模原障害者殺傷事件で植松の家族や子育てについての記事がないのは、そういった視点から犯人家族への非難を防ぐ意図があったのでしょう。

しかし、それでも、植松の両親がどのように子育てしたかの記事は必要だったと私は考えます。これほどの凶悪事件の原因が不明になる弊害を考えれば、植松の両親に非難が集中する弊害を上回ると考えます。かりに植松の両親の子育てが正しかったのなら両親を擁護する意見も来るはずですし、もし植松の両親の子育てが間違っていたなら、これだけの凶悪事件の責任者として非難は受けるべきだからです。他の多くの凶悪事件の本では、ほぼ例外なく犯人の両親についての取材が載っています。まして、植松は事件当時26才であり、子育ての影響が確実に残っている若さです。

こういった若者による凶悪事件では、裁判でもしばしば両親の子育てが取り上げられます。しかし、これも理由不明ですが、この事件では裁判でも両親の子育て問題が取り上げられていません。少なくとも本では記述されていません。ここまで両親が無視されていると、両親を世間の非難から守る以外の理由もあるのではないか、と勘ぐりたくもなります。

たとえば、両親は精神疾患を持っているのではないか、とも私は推測します。後の記事に書くように、植松自身にも精神疾患があったか、少なくとも理性的な説得が難しい人間性であると私は考えています。精神疾患に遺伝性が強いことは医学的事実です。もし植松の両親が精神疾患であるなら植松も精神疾患の可能性が高くなるので、植松の精神疾患を否定したい(精神疾患が認められると減刑や無罪になるため)検察側はその事実を隠すでしょう。弁護側は減刑のために植松本人の精神疾患は主張しても、精神病患者への偏見を助長することになるので(植松が精神病院に措置入院した報道で既に助長していたので)、植松の両親の精神疾患は隠すでしょう。

もちろん、植松の両親の精神疾患は私のただの仮説です。マスコミは植松の両親の子育てについて記述しない理由すら書いていません。両親について書かないと決断したとしても、せめてそう決断した理由くらいは書くべきでしょう。両親に取材したが頑強に拒否されたのか、そもそも取材すらろくにしなかったのか、取材したが公表しなかったのか、もしそうだとしたならその理由はなんなのか、全く分かりません。

このまま戦後最悪の殺人事件の原因は謎のまま終わるのでしょうか。植松の両親が生きている間に、誰か今からでも両親に取材してほしいです。

殺人がいけない理由を答えられない日本人

100年後の人には信じられないでしょうが、「なぜ人を殺していけないのか」に明確に答えられない日本人が21世紀初頭に多くいました。「そんな当たり前の質問にも答えられないのなら、どうやって子どもに倫理観を身に着けさせられるのか」と思われるでしょう。私もそう思います。しかし、そんな初歩的な道徳問題に答えられない奴でも、一流新聞社に入社できる事実がありました。現在の日本の教育や就職システムのいびつさが端的にあらわされています。

土浦連続殺傷事件で、犯人の金川は死刑になるためだけに人を殺したと述べました。多くの人が「だったら自殺すればいい」と考えるでしょう。「死刑のための殺人」(読売新聞水戸支局取材班著、新潮文庫)の著者も、当然、金川にそれを告げていますが、そこでの会話がいびつです。

著者「もし安らかに死ねる安楽死制度があったら、使っていた?」

金川「応募しますね」

著者「痛くない自殺の方法はあったと思うんだけど」

金川「まあ、それは言わないでください。いろんな人に言われています」

ここから先、著者の言葉は載っていません。しかし、金川は「私はこの宇宙で最も正しい答えを知っている!」とまで言って、殺人を犯しているのです。私なら「そんな簡単な質問にも反論できないのか! そのくせして『宇宙で最も正しい答え』を知っているだと! その反対だ! おまえは宇宙で最も簡単な答えすら知らないんだよ!」と金川に怒鳴っているでしょう。なぜ著者はそれを言わなかったのでしょうか。

他の機会の著者と金川の変な会話です。

著者「自殺を選ばなかったのは?」

金川「さすがに自分で自分を傷つけるのは怖いので。切腹するにしろ、電車にひかれるにしろ、痛そうなので」

著者「事件で刺された人が痛いのは分かる?」

金川「それは分かります」

著者「それでも悪いことをしたとは思わないの?」

金川「思わないです。殺人は悪じゃないですから」

著者「あなたにとって悪とは?」

金川「善も悪も存在しないんですよ」

確かに、善悪の判断基準は、宇宙に絶対的に存在するものではありません。人間が定めたものです。より正確には、複数の人間から作られる社会全体で、方向性が定まっているものです。自分が痛いことをされたくないように、他人も痛いことはされたくありません。相手がされたくないと分かっているのに、それをあえてしたなら、その行為はどんな社会であっても悪(非難されるべき)です。「常識に照らし合わせれば、殺人が悪である」ことを金川は認めています。

「ライオンがシマウマを食べて殺す時、ライオンはなにも感じない。それが自然ということ。人間はそこに善だの悪だの持ち出しているだけ」が金川の理屈です。自分は人間の形をしたライオンだと金川は真顔で言います。

「おまえはライオンじゃないだろう! もしライオンなら、草原で暮らせよ! 裁判も受けるなよ! 死刑も受けるなよ!」となぜ著者や弁護士や警察は反論しなかったのでしょうか。

動物世界の道徳は、人間世界では通用しません。人が人を殺す話をしているのに、動物の例え話を出すべきではありません。なぜ、そんな当たり前のことを金川に指摘する人がいなかったのでしょうか。

金川は死刑になるために殺人を犯したと言っているくせに、死刑が確定してもすぐに執行されるわけでないことを知りませんでした。刑事訴訟法には死刑確定後に半年以内と書いていますが、実際には10年間以上も死刑執行されないままの囚人も多くいます。金川の場合は異例に早かったのですが、それでも3年かかっています。金川は死刑確定してから半年後、「さっさと執行しろ」との手紙を何度も法務大臣に送っています。著者のような世間知らずから何度も「死刑は怖くないの?」と聞かれたので、そうでないことを法務大臣への手紙で示し、優越感に浸りたかったのでしょう。本当は痛いくせに、「痛くない」と言って笑う児童の心理と変わりません。

しかし、金川は死刑の方法についての情報入手を拒否しています。

著者「死刑についての本を読んでみたい?」

金川「いや、別にいいです。興味ないです」

著者「知っておいた方がいいと思うけど。君が死刑、死刑というから俺も読んだけど」

金川「知る必要はないです。すでにだいたいは知っているので」

著者「まだ知らないことがあるよ」

金川「どうでもいいことです」

本当に死刑が怖くないのなら、読んでもいいはずです。この世の真実を知っているから殺人も犯せた、と言うのなら、知って怖い事実などないはずです。しかし、現実の金川は世間知らずな無知な青年なので、絞首刑の詳細を知って、心が揺らぐことを恐れたのでしょう。金川の強がりも、所詮、その程度なのです。殺人まで犯したバカなのに、どうしてそういった点を強く非難する人がいなかったのでしょうか。金川が「人を殺すのは蚊を殺すのと同じ」と言ったと知った時、著者は怒りで体が震えた、と書いていますが、その怒りは金川の思考同様、浅はかだったようです。

高校2年生の時に読んだ「子どものための哲学対話」(永井均著、講談社)が金川の思考の基礎になっています。「善悪は所詮、人間が作ったもので根拠がない。善悪の概念は一般人が洗脳されているだけで、自分が真実を知っている」と気づかせてくれたのがこの本だったと金川が証言しています。

「死刑のための殺人」の著者は、「哲学対話」の著者の永井に会って、金川のような奴に「殺人がなぜ悪いのかをどう説明するか」を聞いています。あろうことか、永井は「それは不可能ですよ」と答え、「死ぬのを恐れていない人に、それは通用しない」と言ったそうです。金川の思考も浅はかなら、金川に影響を与えた永井の思考も浅はかのようです。自分が死ぬことを恐れていなくても、大抵の他人は死ぬことを恐れています。そして、他人がしてほしくないことを他人にしてはいけません。小学生でも分かる単純な理屈です。

確かに、間違った信念を持つ人の説得が難しいのは統計的事実です。しかし、上記までに明らかなように、金川の論理は稚拙な上、自己顕示欲が強いため、「死刑のための殺人」の著者との会話にも応じています。こんなに簡単に話し合いに応じる金川の思考の論破は、ジャーナリストの著者や永井のような浅い思考の哲学者でなければ、容易なはずです。

「死刑のための殺人」には、鑑定医が登場します。金川を13回も問診した筑波大の佐藤親次は、弁護人からの「被告人(金川)は随分、先生に信頼を寄せているように見えます」との言葉に、「それはないですね。彼は自分が先生だと思っている。この法廷でも、自分が中心だと思っている。いい意味でも、悪い意味でも」と返しています。ここでの「いい意味」が私には理解不能ですし、診察中に金川が出したアナグラムの問題に裁判上で鑑定医の佐藤が真面目に答えているのも理解不能です。

著者は、金川の内面を知るため、東工大教授の影山任佐に面会に来てもらいました。しかし、その会話がまたも稚拙です。

影山「理不尽な人生の奪われ方をした人のことは、実感として感じる」

金川「常識的に考えれば分かりますけど」

影山「人間の心って、考えれば分かるものじゃなくて、胸がきゅっとなったりするもの。そういう風にはならないの?」

金川「ならないですね」

影山は1000回以上も犯罪者の精神鑑定をしたそうです。金川とこんな会話をするような奴が犯罪者の心理を正しく鑑定できるものなのでしょうか。

「死刑のための殺人」を読めば読むほど、金川を論破できない精神科医、弁護士、裁判官、一流新聞記者(著者)に情けなくなります。この程度の人間観、社会観しか持っていない奴らが社会のエリートとして出世できているのに、どうして私が社会の底辺で毎日自殺を考えるような生活をしなければならなかったのでしょうか。所詮、それが日本なのでしょうか。

 

土浦連続殺傷事件はどうすれば防げたのか

前回までの記事の続きです。「死刑のための殺人」(読売新聞水戸支局取材班著、新潮文庫)を元に書いています。

犯人の金川は高校3年の7月に弓道部を引退、9月頃に進学ではなく就職することを決めます。「唐突に、大学に行かない、と結論だけ言われた。理由は話してなかった。勉強するだけが人生じゃない、就職すればいいと思い、理由は聞かなかった」と母は振り返っています。子どもの人生の重要な進路であり、場合によっては母自身の人生にもかかわってくる問題なのに、理由を聞いていません。日本人ならともかく、西洋人なら「家庭暴力のある子でもないのに、なぜ?」と理解できないでしょう。

金川が就職希望になったので、担当教員が土浦市内の和菓子会社への就職試験を斡旋します。金川は同級生に「和菓子会社に就職し、技術を身に着けたい」と嬉しそうに話していました。しかし、和菓子会社に訪れると、面接はなく、工場見学だけで帰ってきたそうです。会社の判断で、面接はなかったのです。後日、和菓子会社から断りの電話が入っています。事件後の著者との面談で金川は「面接だから行ってこい、と先生に言われて、行ってみたら面接じゃなくて、ショックを受けました。そこの和菓子会社の面接は受けない、って先生に伝えました。こっちは超、張り切って行ったのに違っていたから」と珍しく涙ぐんだそうです。なお、金川は自分から面接を断った、と著者に言っていますが、事実は和菓子会社が金川を断ったようです。工場見学の段階で「コイツは面接するまでもない。不採用だ」と判断されたのでしょうが、本には明確に書かれていません。

本によると、この和菓子会社就職失敗事件は、金川の重大な分岐点です。著者は「誰かにこっぴどく裏切られた経験はある?」と質問し、金川は「高校の〇〇先生です」と答え、「和菓子屋さんの件、そんなにショックだった?」と質問されると、「ガビーンって感じですね」と同意しています。この時、著者は「なぜ〇〇先生のせいなんだ? 和菓子会社からの面接試験連絡が間違っていた可能性もあるだろう? いや、本当は面接すらされず不採用になったことを認めたくないだけだろう? その程度の軽い挫折で人生を踏み外して、挙句、殺人だと! 自分の弱さも直視できないくせに、俺だけが真実を知っているなどよく言えたものだな! 真実を知っているとほざく前に、自分のバカさ加減を知れ!」となぜか言っていません。

事件が起こる前、やはり父はこの金川の和菓子会社就職失敗の挫折を知らなかったようです。知っていたとしても、金川の父なら、なにもしなかった可能性が高いので、知る意義もなかったかもしれません。

金川は高3の2月、物理の単位取得が難しくなり、卒業が危うくなりました。担当教員が「レポートを提出すれば単位がとれる」と説得しても、金川は「どうでもいい」の一点張りでした。母に相談しても解決せず、困った担当教員は弓道部の友人たちに説得を頼むと、金川はレポートを提出して、卒業します。この事件は、「かたくなな態度を翻した実例」として裁判でも登場し、金川に更生する可能性がある根拠として使われたそうです。

次の記事で詳しく書きますが、本では金川を強固な思想を持つ者と称していますが、私は全くそう思えません。金川の思想は軟弱で、本に出てくる著者や弁護士や哲学者でなければ簡単に論破できます。高校卒業が怪しくなったとき、家族の説得に応じなかったのは、前回の記事のような家族関係なので、当然です。また、信頼関係のない教員の説得では、金川に限らず、信念は変えないでしょう。しかし、弓道部の友人はあっさり金川の信念を変えられたのです。金川の強固な思想といっても、その程度のもろいものです。あるいは、金川にも自分の信念よりも価値のある友人はいたのです。

金川弓道部の後輩が、事件後、著者と一緒に金川に面会します。これまで著者が見たこともないような笑顔を金川は見せ、後輩と会話すると、金川の顔は紅潮し、目には涙が浮かび、沸き上がる感情を抑えるように、のど仏を激しく上下させていたそうです。

かりに私が凶悪殺人事件を起こして、事件後に面会に来てくれたことで、私が笑顔になれる人がいるだろうか、と私は想像しました。いえ、笑顔でなくても、会うことによって私を癒している人がいるだろうかと考えましたが、一人も浮かびませんでした。家族や子どもの頃の知人たちは論外で、私は喜ぶどころか、そいつらを怒鳴り散らすでしょう。妻と子どもは今の私にとって最も大事な人ですが、凶悪殺人事件の後に会いに来ても、私を癒してくれることなど想像できません。私が生涯で最も愛した女性が、私の期待を裏切らないように話し、私を愛していると言ってくれたら、私は癒されるだろうと想像しました。つまり、凶悪事件後、私が面会で癒される可能性はほぼゼロです。凶悪事件後にですら笑顔で会える人物のいる金川が羨ましいと同時に、そんなに恵まれた人生なのに凶悪事件を起こした金川が腹立たしいです。

金川は高校卒業後、ハム工場に務めますが、父に「自己研鑽の機会がなくなるから、アルバイトは半日にしなさい」と諭されて、辞めました。しかし、ハム工場を辞めて、金川は自己研鑽などすることなく、3年間、ゲームばかりの毎日を送っていましたが、父はそれに気づくこともありませんでした。その後、金川は1年間、コンビニのアルバイトをして、またしばらく無職になった後、別のコンビニのアルバイトをしていましたが、事件の2ヶ月前にそのコンビニも辞めています。高校卒業後から6年間、金川がいつアルバイトを始めて、いつ辞めたかを父は知らず、その間に金川がゲームばかりしていたことを知ろうともしていません。母も「なぜコンビニを辞めたのか」「これからどうするのか」について金川に聞いていません。母が聞かないため、金川が苦しんでいたことをしばらく後で知ることもよくあったそうです。横浜から土浦に引っ越してきて、「朝早く起きなければいけないので、しんどかった」と母が言われたは、金川がとっくに土浦の生活に慣れた数年後だったようです。

金川が常識を見下し、かつ、人生が暗転した時期は、高校2年生の夏から高校卒業時までです。長く見ても、ハム工場を辞めた時期まででしょう。だから、本来であれば、その時期に殺人事件を起こすはずです。しかし、実際はそれよりも5年も後に金川は殺人事件を起こしています。なぜでしょうか。

それは、やはり、高校時代の弓道部の友だちや充実した体験があったからでしょう。殺人事件を犯して、人生を棒に振るほど、自分の未来に絶望していなかったからでしょう。

金川が殺人事件を犯さないためにはどうすればよかったのか?」の質問の答えは無数にあります。本でも書いているように、好きな彼女がいるだけでも、まず殺人事件など犯さなかったはずです。最も簡単なのは、両親のどちらかが金川に適切な説教をすることです。他にも、気の合う友だちと交流していたり、金川の薄っぺらい殺人理論が論破されたり、家族間の会話が活発化したり、信頼できる福祉の相談相手(私の提案する家庭支援相談員など)がいたりしただけで、金川が殺人事件を犯す確率は各段に低くなっていたに違いありません。

しかし、ゲームとアルバイトだけの生活を5年間もしているうちに、過去の充実した体験の効果も消えてしまいました。誰だって家に引きこもっていれば、将来に絶望してきます。かりに金川が殺人事件を起こさなかったら、どうなっていたでしょうか。十中八九、引きこもりが長期化し、金川はそのうちアルバイトもろくにできなくなっていったでしょう。金川の性格なら、いずれ家族に暴力を振るうようになって、警察や精神病院のお世話になっていた可能性が高いです。金川自身も、そんな未来をある程度予想し、それくらいなら、元気な今のうちに派手なことをした方がマシだ、となったのでしょう。そう言葉として整理しなくても、「このままダラダラ生きても、どうしようもない。それなら……」という考えは募っていったはずです。

だから、金川の連続殺人事件の予防期間は、少なくとも5年以上あったのです。金川は意思も能力も低いくせに、プライドだけは高い、日本中に何十万人もいる引きこもりの一人です。本来なら、家族がなんとか対処すべきだったかもしれませんが、前回の記事に書いたように、金川の家族は、表面上はともかく、内面は薄っぺらい連中だけでした。

だったら、こんなダメな金川こそ、福祉の力で救うべきだったと確信します。

土浦連続殺傷事件からも、「一人の取りこぼしもない社会」を目指すべきことが導かれると私は考えます。

土浦連続殺傷事件犯人家族は典型的な日本人

事件当時の金川一家です。

外務省勤務の父(59才)

パート勤務の母(48才)

無職の真大(24才)

派遣会社員の上の妹(22才)

大学生の下の妹(20才)

無職の弟(17才)

上の妹は声優を目指して養成学校にも通っていました。真大の最初の殺人標的はこの22才の妹でした。中学の時、妹が不登校になり、家の中でふてくされている感じで、見ていてイライラするからです。事件当日と前日、金川が起きた時に上の妹がたまたま出かけていたというだけの理由で、この上の妹は殺されませんでした。

この上の妹は明らかな変人で、母の前で声を出すことはなく、筆談をしていました。上の妹は「両親の年齢も分からないし、事件が起きて初めて兄の年齢を24才と知った。家族では、特に母が嫌い。一生、自分の声を聞かせたくないから、母とは筆談で会話している」と証言しています。そこまで母を嫌いになった理由は「母としての義務を怠ったから」というが、詳しい理由は明かしていないそうです。初めて母と筆談したときも、両親は「なぜ筆談するのか」とも聞かなかったそうです。ここで叱らないどころか、理由も聞かなかったというのですから、両親も明らかな変人です。上の妹は紙に「ちげーよ」と書いて、母に投げつけたこともあったそうです。私の子どもがそんなことをしたら、子どもが私から猛省を求められることは間違いありません。

上の妹は「兄とは同居しているが、年に数回しか話さない。小学生の頃、『まーちゃん』と呼んだら、『まーちゃんなんて呼ぶな』と怒られて、拒絶された気持ちになり、それから積極的に話すことができなくなった」そうです。金川の事件を知った上の妹は「相手の方が民事裁判を起こしたら力になりたい。兄には『クソ野郎』『何やってんだ、ボケ』と思う。兄を心配する気持ちはない。苦しみを感じることなく死ぬことは許されない」と語っています。

下の妹は「兄弟と会いたくない」という理由で、大学進学後は一度も実家に帰っていません。「兄については好きでも嫌いでもない。つらいことがあっても乗り越えられないのは弱い人。大学も行かず、就職もしない、甘えた人は好きになれない」と語っています。下の妹は兄よりも姉と弟が嫌いだったようです。「姉との関係に亀裂が入ったのは、風呂の順番でもめてから。いつもは自分が姉より先に入っていたが、テレビ番組を中断するのが嫌で、姉から『入らねーのかよ』と聞かれたので、うなずいた。それから、だんだん話をしたくなくなった。弟も私が居間で受験勉強していると、すぐ近くでゲームをしたりして、うるさくて、無神経で大嫌い」と言っています。

不登校となり、アルバイトをしていた弟はエレキギターが好きで、音楽関係の仕事に就きたいと考えていました。弟は月に数回、金川と対戦ゲームをしていましが、「特に仲が悪くもないし、よくもない」と言っています。兄が悪いことをやって許せない、というより、事件を起こした驚きの方が大きかったそうです。事件に関心はなく、兄がどうなるかにも関心はなく、被害者に対しても何か思うことはない、家族の誰かが死んでも悲しいとは思わない、今付き合っている彼女が死んだらさみしいかもしれない、と話したそうです。

金川の母は父と異なり、金川の頭の良さより、人間力を伸ばすことを重視していました。そう言うわりに、「真大は自分が気に入らなければ絶対にやらない。牛乳を飲まなければ、飲まずにカルシウムをとれる食べ物を与えた。嫌がることをやらせたことも、悪いことをして叱ったこともない」そうです。

呆れたことに、兄弟仲が悪いことに、母は全く気づいていませんでした。それどころか、上の妹が筆談している理由すら分からないのに、「子どもは自分を分かってくれているし、自分は子どもを分かっていると思う」と言うほど能天気でした。

金川の家族と私には共通点が複数あります。まず、私も家族が好きではありません。大学で上京した後も、基本的に実家に帰ることはありませんでした。現在、両親とは10年以上、会っていません。両親のどちらかが死んだら悲しいと思うどころか、喜ぶでしょう。もし殺されたのなら、その殺人犯にお礼を言いたくなるでしょうから、私の両親への憎しみは金川家を越えているようです。

しかし、私が家族を憎むきっかけは、こんな些細なことではありません。姉妹が風呂の順番で口をきかなくなるのは、私には共感不可能です。子どものときに「まーちゃん」と呼んで叱られて、口をきかなくなるなど、「人生なめるな!」と叱りたいです。お父さんもお母さんも、上の妹が口をきかない理由が分からないまま何年も経過しているのも、異常としか思えません。

相手の気持ちを最優先する日本と道徳を最優先する西洋」にも書いたことですが、日本人は表面的な会話、世間話、笑い話は好きですが、政治の話、道徳の話、深刻な話は避けがちです。日本人は対立が生じる話題からとにかく逃げます。その同じ方向で極端に大きい例が金川家という気がしてなりません。多くの日本人もここまでひどくなくても、同じような性格(話し方と振舞い)を持っていると私は推測します。だからこそ、金川家の周りの人も、弁護士も、ジャーナリストの著者も、金川家の異常性に気づいても、核心的な質問をしていないのでしょう。

母はゲーム好きの金川プログラマーの仕事を勧めたこともあったようですが、「俺が好きなのはゲームをやることで、作ることじゃない」と言われると、仕事のことは全く話さなくなったそうです。子どもについて書いた本に「仕事のことは触れない方がよい」と書いてあったからだそうです。この本に書いてあったから話さなかった側面もあったでしょうが、仕事について話す勇気のない母を正当化してくれる言葉で安心したい側面もあったに違いありません。

よく誤解されているので、ここに書いておきます。「うつ病の人に励ますのは禁忌」は医学的に間違いです。確かに、うつ病の急性期に励ますことが好ましくないのは事実です。しかし、うつ病の慢性期、特に本人が退屈だと感じるようになったら、むしろ少しずつ励ました方が早く回復するとのエビデンスがあります。同様に、「登校拒否児に登校刺激は絶対してはいけない」「引きこもりの人に仕事の話は避けなければいけない」も医療職の国家試験で出題されたら明らかに×です。せめて「〇〇してはいけない時もある」くらいでないと〇になりません。

「死刑のための殺人」(読売新聞水戸支局取材班著、新潮文庫)には、14ページにわたって、裁判上での弁護人と金川の父との変な対話が載っています。

弁護人「妹さんに、なぜ家で口をきかないのか、その理由を聞いてみないんですか。お兄ちゃんがこうなったんです。どうして今も放置しているんですか?」

なんと、裁判中のこの期に及んでも、妹は母への筆談を続け、しかも、両親ともその理由を聞いていないのです。なお、この上の妹は、母が目の前にいるからか、警察相手にもメモで言葉を伝えた、という常識外れの行動までとっています。

父「タイミングというものがあり……。本人たちの心の状態があります。時間をかけて、これから対応していきたいと思います」

もし私が弁護人なら、ここで次のように父に叫んでいます。

「タイミングなんて、今でも遅すぎるくらいなんだよ! さっさと聞けよ! 裁判中の今でもいいから、すぐに妹の携帯に電話しろ! 妹の用事なんて、後回しだ!」

しかし、弁護人の返答は間抜けでした。

弁護人「死刑判決も十分あり得る事案です。死ぬ前までにタイミングが来なければ、お父さんは見送るだけですか?」

父「そのときまでにできないこともあり得ますが、それは仕方のないことだと考えています」

この「それは仕方ない」の父の言葉に、著者も強い違和感を持っています。

しかし、それでも上記の私の言葉が父に投げかけられることはありませんでした。もし私がこの本の中の弁護人、裁判官、検察官、ジャーナリストなら、間違いなく父に上記のように怒鳴っています。もし私が弁護人かジャーナリストなら、上の妹にも直接、「なぜ筆談なんてするのか?」と確実に聞いていますが、誰も聞いていません。

変な両親に、変な弁護士に、変な裁判官に、変なジャーナリストです。こんな変な奴らが暮らす国だから、こんな変な犯罪が起こるのでしょう。

ジャーナリストである著者は「責めを負うべきは加害者自身であり、その家族ではない」と書いていますが、それには大反対です。この両親も確実に、この凶悪犯罪の原因を作っています。

母は「私が死ぬことで、死ぬことの意味を真大に分からせたい」とまで証言し、著者はそれを読み返すたびに涙が出たそうです。私の正直な感想を書きます。母も著者も正気でしょうか。ここまで異常だと、私には狂人に思えます。どちらも精神疾患があるとしか思えません。

「本当に死ぬほど心苦しいのなら、なぜもっと早く息子の悩みを聞かなかったのか! それが遥かに簡単なことになぜ気づかないのか! なぜ今も妹の奇行の理由も聞かないのか! どこまでバカなんだ、お前は!」と著者はどうして母に言わない、あるいは言えないのでしょうか。

私には本当に謎なので、その理由が分かった人は、下のコメント欄に書いてください。

なぜ金川真大は土浦連続殺傷事件を起こしたのか

「死刑のための殺人」(読売新聞水戸支局取材班著、新潮文庫)は取材不足なので、タイトルの問に答えを出すのは容易ではありません。金川は事件当時24才なので教育に問題があったことは間違いなく、とりわけ、家庭教育に原因があるとの上記の本の指摘は正しいでしょう。しかし、そこまで分かっていながら、家庭への取材が不十分すぎます。

本では、取材による事実の発掘よりも、著者の思考が記述の多くを占めています。ろくに取材していないくせに著者の考えを並べるのはジャーナリストとして不適切だと思いますが、なにより腹立たしいのは、その著者の人間観が貧弱で、犯人の思考の本質を全く捉えられていないことです。こんな著者の思考なら書かない方がマシでした。

金川の父は東京都八丈島で生まれ、地元の高校卒業後、22才から外務省のノンキャリアとして働き、事件当時は59才、外交史料館の課長補佐でした。父は金川に大きな期待をかけて、5才の金川を「非常にシャープで、物覚えが早い」「自分の意思を持っており、すっかり1人前だ」と高く評価していたそうです(ただし、この評価がどこに記録されていたのかの記述が本にはありません)。

なぜか父は「小学3年からが本格的な正念場だ。ここから頭角を現すかどうかが分かる」と金川が5才くらいの頃から思い込んでいました。そして、小学3年生の評価が「漢字、かけ算の積み重ねができない分、学習は遅れがち」であると、「真大は欲がなく、のんびり。大器晩成型のようだ」と金川に対する父の評価は「転落」したそうです。

本の解釈によると、金川の幼い頃の父の過剰な期待によって、金川の高い自己顕示欲や自己愛性パーソナリティ障害ができたそうです。また、その父の期待がはずれたことで、父は金川を含めた家族全員とほとんど接触しなくなり、それが一つの原因で金川家では誰もがお互いに口を異常なほどきかない妙な家庭になったそうです

金川の小学3年時の父の評価の転落がそこまで重要だと考えるなら、「小学校3年が正念場だと考えた根拠は? もし金川が小学3年時に優秀な成績をおさめていたら、より家族と関わっていたのか?」という質問を父にしなければなりませんが(私なら絶対にしていますが)、著者はそんな簡単な質問をしていません。

また、父が金川の良しあしを学校の成績だけで判断していた理由も、「外務省で多くの秀才たちに囲まれているうちに知らず知らずに学力が唯一の物差しになった」という薄っぺらい推測しかしていません。そう推測するなら、「真大くんへの評価は学力だけで決まったのでしょうか? 真大くんの人間性の成長はどう考えていたのですか? 真人くんの学力を重視しすぎていたなら、それは外務省勤務と関係あったと思いますか?」と父に聞くべきですが、それもしていないので、上記の推測が正しいかどうか全く分かりません。

金川は小学校入学前までのほとんどを海外で暮らしています。父の勤務に合わせて、上海に1才2ヶ月から4才まで、その後は6才までニューオリンズに住んでいました。小学校は5年生まで横浜市内の公立小学校に通います。その頃までは、仕事が忙しいながらも、父は土日に家族で鎌倉に出かけたり、トランプしたりしていたそうです。しかし、茨城県土浦市にマイホームを購入し、家族で引っ越した頃から、父は仕事、母は家庭と完全に分業されていたそうです。父は朝6時に出かけ、午後11時頃に帰宅します。国会期間中はタクシーで帰宅することもあったようです。事件後、父は「妻と一緒に買い物に行ったのは、真大が小学生の頃、勉強机を買いに行ってから一度もない」と語っています。金川は事件までの2ヶ月間アルバイトもせず、自室でゲームばかりしていたのですが、父は「1日4,5時間のアルバイトをしながら、勉強しているのだろう」と思い込んでいたというのです。金川の二人の妹にとって、父は厳しいだけの印象しかないようです。

事件が起こると当然金川の家に警察が来ましたが、母も母で、金川の部屋に入るのは2ヶ月ぶりだと白状し、警察が金川の連絡先を聞いても、母は金川の携帯番号を知らない、と言って、警察関係者を唖然とさせています。

金川は中学を「おとなしい、静かな子ども」として過ごし、進学した私立高校の普通科コースの成績は「中の中」で、弓道部ではナンバー2までの腕前になったそうです。

金川がおかしなことを言いだしたのは、高2の8月に部室にあった雑誌ムーを読むようになってからのようです。「宇宙と一体になる」と言って座禅を組んだりしたので、クラスで浮いた存在になっていました。11月に父からもらった「子どものための哲学対話」(永井均著、講談社)を読み、常識を見下す思考を身に着けました。12月の沖縄修学旅行の感想文に、金川はこんなことを書いています。

「よく聞け、無能でバカな愚かな下等生物がごとき野蛮な人間ども。お前たちはどのみち、滅びの運命にあるのだ。そう、最後の審判の日に一人の審判者によって、すべてが裁かれ、罪を負うだろう。『死という罪を』」

当然、「人間を中傷する内容だ」と担任教師に書き直しを命じられますが、それでも中傷は半分程度までしか減らなかったそうです。上記は書き直した文章の一部です。

金川真大はオタクなので、オタク用語で表現するなら、これは中2病です。「最後の審判」といった非科学的な発想はしないものの、このようなドス黒い表現は、私も中高生の時は好んで使っていました。いえ、この世の理不尽さに耐えかねて、「無能でバカで愚かな人間ども」など死んでしまえ、という思考は今でも私の中で残っていますし、このブログでも見え隠れしていることでしょう。

金川は事件を起こす直前、2台持っている携帯の一つから、家に置いておくもう一つに次のようなメールを送っています。

「この宇宙で最も正しい答えを知っている。何が正義で、何が悪か、善悪の基準はどうつけるのか、知っている。私が正義だ! 私が法律だ! 私の言葉が正しい! 私の行動が正しい! 私以外の人間は皆、間違っている!」

この言葉だけで自己愛性パーソナリティ障害の診断はつけられるでしょう。また自己陶酔しており、犯行前にわざわざ書き残していることから、自己顕示欲が強いことも容易にみてとれます。情けないことに、高校2年生時の思想の間違いを悟らないまま、金川は24才になり凶悪事件を起こしてしまいました。

もっと信じられないことに、金川はその思考の間違いを犯罪後も指摘されないまま、29才で処刑されています。それが上記の本を読んでいて、私が最も嘆くことです。

金川の家族について、次の記事で掘り下げます。

三菱銀行人質事件はなぜ起こったのか

前回の記事の続きです。

強盗殺人犯の15才の梅川は岡山少年院に送られます。当時は今と異なり非行少年に対する処分が厳しく、少年院送りが当たり前に決められていました。ベビーブームのせいもあり、日本中の少年院は定員を越えており、岡山少年院も定員115名に、倍近い200名が詰め込まれていました。わずか4ヶ月後、梅川は脱走事件を起こしたようで、山口県特別少年院新光学院へ送られます。

新光学院に入っていた者によると、新光学院の教育はなにごとも軍隊調で、体罰がまかり通り、教官からも古顔の年長者からも押さえつけられる毎日だったそうです。彼は「梅川はいじめられていたに違いない」と推測しています。一方で、新光学院の元矯正官はこの話を「たしかに規律は厳しいが、そんな……」と一笑にふしたそうです。

新光学院で1年余りを過ごした後、梅川は両親の住む香川県引田町に仮退院します。その半年後、高松保護観察所に無断で親許を離れ、大阪に出ていきました。梅川家の遠縁にあたる人が西成区で飲食店を経営しており、ここで調理師修行をするつもりでした。

高松保護観察所はすぐに梅川の父に会い、このまま行方不明になれば、再び少年院に戻ることを告げ、梅川の大阪の住所を聞き出します。しかし、その住所をたどっても、梅川は既に引っ越していて、しかも転居先不明でした。このようなことが3度続いた後、ようやく西成区玉出の梅川の住所が突き止められます。この間、ざっと1年。梅川はこのとき、既に調理師の道を棄て、刺青を入れて同じ年ごろの女性と人目を避けるように暮らしていたそうです。刺青ありで女と同棲していたのに、当時74才の保護司は大阪保護観察所に「普通」と報告していたそうです。そして梅川が20才になった時、保護観察は自動的に打ち切られます。

三菱銀行人質事件を起こすまで約12年間、梅川は大阪で暮らし、その間の職業は一貫してバーテン兼貸金取立人である、と「破滅」(毎日新聞社会部編、幻冬舎アウトロー文庫)には書いています。裏の社会とも近い位置にいましたが、梅川はヤクザに入ったことはありません。梅川は「組織の中で耐えて励むタイプではなく」、「そこいらのヤクザと違うんだという気位の高さ」があるため、「ヤクザへの軽蔑と憧れを心の中で複雑にからませながら、一匹オオカミを気取っていたのかもしれない」と本では指摘しています。

梅川には交際した女性が三人おり、上記の本では20代の大半をともにした一つ年上の女性に注目しています。前回の記事に書いたように、この女性は殴られ、蹴られ、髪をつかんでひきずりまわされ、たばこの火を押し付けられることが梅川との日常でした。たまりかねて女性が実家に逃げ帰ると、梅川が実家まで迎えに来ます。女性の両親の前にきちんと正座し、折り目正しい言葉で「私が悪うございました。許してください。心からお詫びします」と涙を流して両手をつき頭を畳にすりつける梅川に、両親の方がすっかり信用して、「もどってあげえな。あないにおっしゃってるんやし……」と言うこともあったそうです。

メラビアンの法則」に書いたように、日本は外見ばかり重視し、中身を軽視します。ここまで暴力振るっていた奴と付き合う女も、外見上はしっかりした謝罪で許してしまう両親もバカです。こんな奴らが多いから、私はこの国でうまくいかないのだろう、と思ってしまいます。

女性が梅川の元に戻ると、もちろん、暴力沙汰は繰り返されます。ある時、女性は決心して、以前の情夫の元に駆け込み、その男と一緒に自分の家財道具を梅川との同棲先から運び出そうとしました。しかし、しばらくすると女性は「やっぱり、ここにおるわ。ゴメンな」と言って、決心を翻しました。

現代の精神医学の言葉を使えば、これは典型的なDVであり、共依存です。1979年出版のこの本に「DVや共依存は自力での解決が難しいので、福祉の助けが必要である」といった見解はありません。当時はどこにでもある男女の悲劇として見られ、社会全体で助けるべきとはあまり考えられていなかったようです。そんな観点からすれば、当時より現在は日本人の道徳意識も、社会福祉も発展したのでしょう。

梅川は25才の時、住吉警察署の銃砲所有許可証を見せて、銃砲店で銃を購入します。

前回の記事で、梅川が凶悪犯になった最大の原因は、梅川の子どもの頃の教育の失敗にある、と私は断定しました。その答えとは別に「梅川が三菱銀行人質事件のような凶悪事件を起こさないためになにをすればよかったか?」の問いに解答を出すなら、「15才で強盗殺人事件を起こした奴に、銃砲の所有を許可してはいけなかった」になるでしょう。同じ批判は事件当時から無数にありました。しかし、上記の本では「なぜこんな危険な男に銃を持たせたのか」についての考察は全くありません。こんな重大な考察をなぜ放棄しているのでしょうか。マスコミと警察の癒着、馴れ合いがあるからとしか思えません。

日本のマスコミと警察の根深い癒着を知るために、「真実」(高田昌幸著、角川文庫)を読むことを強く勧めます。

梅川の趣味の一つは読書でした。徹底したハードボイルド派で、大藪春彦の作品は全て読むほどのファンでした。200冊近い蔵書には「人類の知的遺産」シリーズの「ドストエフスキー」「アインシュタイン」から、「人物現代史」シリーズの「ヒトラー」「ムッソリーニ」「チャーチル」などの伝記もありました。虚栄心の強い梅川は「毎月の本代が1万円を越えて弱っとるんや」「フロイトは面白く読めたが、ニーチェはさすがに難しかったなあ」「プレイボーイみたいなジャラジャラしたエロ本が読めるか!」と喫茶店や書店で自慢していたようです。

また、梅川は健康雑誌も毎号購入しており、健康には人一倍気をつかっていました。三菱銀行人質事件の最中も、カップ麺の差し入れに「こんなもの食えるか! もっとカロリーのあるもの持ってこい! サンドウィッチかなにかだ。ついでにビタミン剤もだ!」と怒鳴り散らしています。

差し入れといえば、「シャトー・マルゴーの69年ものを持ってこい」とも事件最中に梅川は警察に要求しています。虚栄心に満ちた梅川は自身も飲んだことのない高級ワインを要求したのです。ただし、本当のワイン通であれば70年ものを要求するはずだったので、梅川の一流好みは生半可であることが露呈しています。

梅川が銀行強盗の計画を始めて口にしたのは、事件から2年前の1977年です。香川で同郷だった友人の鍋嶋に銀行強盗の話を持ち掛けて、協力するよう勧めています。

その翌年、梅川の勤め先のクラブが閉鎖され、無職になります。深夜クラブ、バーを転々としてきた男に一時的な失職はよくある話です。しかし、「人に使われて働くのはもう嫌だ」「オレもお袋を心配させたらあかん年齢や」と言って、次の仕事を探そうとしませんでした。この頃から、銀行強盗の話を再び鍋嶋兄弟に何度も持ち出したようです。30才になった梅川はバーやクラブに客用の贈答品や景品を売り歩く商売をはじめますが、うまくいきません。それまでは苦しい中でも続けていた母へのわずかな仕送りも途絶えます。

1978年10月、経済的に困窮しているのに、高級車コスモを購入し、12月にはサラ金から派手に借金をして回ります。1979年正月に、2年ぶりに母親の元に帰り、郷里の知り合いたちに「母がいつもお世話になっています」と言って、高級なカズノコを贈答品として渡して回っています。

大阪に戻った梅川は鍋嶋兄弟に銀行強盗の協力を執拗に迫りますが、結局、どちらにも協力を断られ、1979年1月26日に一人で三菱銀行の強盗事件を起こします。

梅川は「銃を一発天井か床にぶっ放せば、みんな縮みあがって、手向かうものなどあるはずがない」とタカをくくっていました。また、襲撃した銀行は警察署から車で3分以上かかる距離にあるので、警察は3分間はやってこない、とみなしていました。

ところが現実には、銃で威嚇発射しても銀行員はすぐ現金を差し出さないばかりか、目の前に突き出された銃を振り払おうとして、梅川が現金を奪うまでに時間がかかりました。さらに、たまたま付近をパトロール中の警官がいて、現場から逃げた客の助けに応じて、3分もせずに梅川の目の前に現れます。それからすぐに警察に銀行を包囲されると、梅川は人質籠城を決め込み、42時間の悲劇が起こります。

2年あるいは1年もかけて計画していたわりに、「銃で威嚇射撃すれば、すぐに現金が手に入る」計画が失敗した時を考えていなかったり、「警察署に警察がいつも待機しているわけがない。普段は街をパトロールして、警察署に連絡がいけば、現場近くの警官に無線で連絡が来て、すぐに駆けつける」と思いつかなかったりしたことを、本では「自分の筋書き通りに相手が動いてくれる、動くべきだと思い込む『甘え』こそが、この計画の重大な欠陥だった。『甘え』に支えられた計画だけに、失敗の責任は他人に転嫁され、梅川は逆上した」と書いています。

事件後、梅川が射殺された後、人目をはばかるように立っていた母は「私だけは最後まであの子の味方でいてやりたかった……」と漏らしたそうです。

さて、「日本では検察が犯罪を作り出せる」の記事で、「犯罪本の批判を通じて、日本人の道徳について考察していきます」と書きましたが、今回の「破滅」(毎日新聞社会部編、幻冬舎アウトロー文庫)について、私が批判したいところはほとんどありません。むしろ、梅川の生い立ちについて、広島や香川まで足を運んで、よく取材していると賞賛したいです。強く批判したい唯一の点は、上記のように「なぜ警察は梅川のような危険人物に銃の所有を許可したのか」の取材や考察が全くされていないことです。

著者の見解は鋭いです。梅川の「甘え」、母や父への批判的な見解などは、本質を突いていると考えます。さすが1970年代の毎日新聞社会部の本です。

これと対照的に、著者の見解のあまりの幼稚さが目立つのが次の「死刑のための殺人」(読売新聞水戸支局取材班著、新潮文庫)になります。次の記事から、その幼稚さを指摘していきます。

三菱銀行人質事件の犯人はどうして現れたのか

1979年に起きた三菱銀行人質事件は、その残虐性において、日本の人質犯罪史上最悪でしょう。猟銃で脅しながら、人質銀行員に同僚の耳をナイフで削ぎ落させ、女子行員を裸にして並ばせ、肉の盾にしています。犯人の梅川は42時間もの長時間、一睡もせず銀行内に立てこもり、40名近い人質たちを恐怖で支配していました。

この記事で取り上げる本は「破滅」(毎日新聞社会部編、幻冬舎アウトロー文庫)です。特に、この残酷な犯罪者の梅川昭美がなぜ現れたかに注目します。

梅川昭美は広島県大竹市に1948年に生まれます。梅川の父は「鄙にはまれなダンディな男」だったらしく、外面ばかりいい浪費家でした。椎間板ヘルニア大竹市の工場で仕事ができなくなると、実家の香川県引田町に戻り、八の字のヒゲをはやして、易者をしていました。しかし、収入は十分でなく、あちこちで借金しては、弟がその借金を返していたそうです。

こんな男と結婚した女が梅川の母です。外見以外に長所がないので、外見に惹かれたのでしょう。バカな男に惚れるバカな女です。母の生い立ちについて、本では詳しく書かれていません。戦争で亡くしたのかも不明ですが、母に親兄弟はおらず、小学校3年生くらいまでしか行っていないため、読み書きがやっとできる程度だったそうです。

この母も夫(梅川の父)が亡くなってからは、当然、生活が苦しくなっています。それに同情して、家主が「電気代、水道代は3千円でよろしい」と言ってあげているのに、母はどうしても5千円を出していたそうです。この行為を「貧しいからといって他人に迷惑をかけるのはいけないと考える責任感の強い母」と本で賞賛することはありません。電話代のたびに千円札を出していた梅川本人のように「見栄を張っていた」と批判的に記述します。本質を突いた指摘だと思います。

この母および父の養育方法に、日本史上な稀な凶悪犯罪を産んだ最大の原因があると私は考えています。梅川は外見に非常に気を配る見栄っ張りで、銀行襲撃前に美容院に行って、パーマをかけています。同様に、梅川の銀行人質事件が起きた後、人質解放説得のために母が呼ばれるのですが、母は「郵便局で貯金をおろしてくる」と言った後、2時間も戻ってこなかったので、「逃げたのか」と周囲の者が心配している中、「美容院に行ってきた」と現れました。乱れた髪を長時間かけてセットしてきた母の冷静さに、周囲の者は唖然とします。「銀行で人質事件をしている最中の息子をたしなめに現場に急ぐ母親像」とは大きくかけ離れています。

この母は梅川を徹底して甘やかして育ててしまいます。「家でふとんかぶって寝とれば治るような病気」でも、母はすぐ近くの診療所に何度も連れてきていたそうです。診療所の医師は「ネコ可愛がりはよくないぞ。少しは放っておきなさい」と母に忠告したと本にあります。

梅川が小学校に入った頃から、父は病気のため休職し、2年後に退職します。その後、母が炊事婦になりながら、生計を立てます。梅川の父の浮気が原因なのか、夫婦仲は悪くなり、梅川が小学校5年生の時、父が香川県引田町の実家に梅川本人を連れて帰ります。しかし、梅川は半年間で母のいる広島県大竹市に一人で戻ってきます。

「子どもが悪戯をしても怒るでもなく、はた目には甘やかしすぎと思えるほどだった」と当時、梅川と母の住む家の管理人は証言しています。本ではここでも「優しい母」という賞賛よりも、この批判を強調しています。

梅川はそんなにかわいがってくれた母に暴力をふるうようになります、あるいは、甘やかしていた母なので当然見下すようになり、暴力をふるいます。小学校の頃はまだ口答えする程度でしたが、中学に入ってから、小遣いはもとよりテレビ、バイクなどを次々とせがみます。要求が受け入れられないと、母を引きずり回し、ときには刃物を突き付け、首を絞めたりします。なお、女性の髪を引っ張って引きずる虐待は、この後、梅川が自身の恋人や銀行強盗事件の人質にも行っています。梅川は学生の頃、喫煙、暴力行為などで地元警察に複数回補導もされています。

本では、「梅川は特別目立つ不良少年ではなかった」とも書いています。梅川はベビーブーマーの一人で、当時、日本中の学校でスシ詰め教育が行われていました。その弊害として不良少年は全国各地で増大し、大竹市でも最大の社会問題となっており、少年たちの集団乱闘事件や卒業時の集団暴行は頻発化していました(と本では書いていますが、先生でも手がつけられなくなった最悪の時代はもっと後、1980年頃からだと私は考えます)。梅川も日本全国にいる不良少年の一人で、梅川と同じような境遇、経歴の人間は珍しくなかった、と本では指摘しています。

この見解に、私は同意しません。確かに、全ての不良少年が殺人事件を犯すわけではありません。しかし、梅川がここで不良少年になっていなければ、悪に憧れを抱く道徳的に間違った観念を持っていなければ、絶対に三菱銀行人質事件を起こしていません。梅川の最大の失敗は、子どもの頃の教育にあると私は確信します。そして、間違った道徳観を持った梅川を育ててきた最大の責任は母と父にあります。ただし、母に同情の余地がないわけではありません。親兄弟もいない環境で、母は教育もろくに受けていません。男を見る目もなく、くだらない男と結婚しています。このようなバカな女はどうしても社会に生まれてきてしまうものでしょう。だから、こんな母や父が、間違った道徳観の子を育てないような社会保障が必要だと考えます。それが家庭外で教育を担当する先生の役目なのかもしれませんが、少子化の現代でさえ、学校の先生がそこまで幅広く担当するのは無理です。だから、家庭支援相談員のような制度は必要だと私は確信しています。

話を戻します。梅川は広島工大附属高校に進学しましたが、2学期の途中で自主退学します。夏休み中、合わせて3台のオートバイを盗んで、その後、預金通帳を盗んでいます。子どものために、梅川の両親はヨリを戻し、その年の10月に父のいる香川県引田町に母と梅川が暮らすことになりますが、梅川だけはわずか2,3日で家を飛び出し、広島県大竹市に戻ってきます。梅川は住む家もないので、高校時代の不良仲間に身を寄せ、遊ぶ金に困ると、父母のもとに帰って、1万、2万と金をせびっては、また大竹市に現れるという生活ぶりでした。

12月、梅川はついに強盗殺人事件を起こします。ただ単に金ほしさに、「盗むのが難しいときは脅してでも取る。脅して抵抗されたから殺した」と梅川は平然と語り、被害者や遺族への謝罪は一切なかったので、梅川の将来を二人の刑事は暗い気持ちで思い描いたそうです。警察署の玄関で「犯人を出せ」と怒り叫ぶ遺族の声が取調べ室へも筒抜けになると、梅川は突然表情を険しくして、「呼んでこい!」と荒々しく立ち上がったそうです。

この23才女性を殺した強盗事件時、梅川は15才9ヶ月半です。当時、16才未満であれば刑事処分を課すことはできませんでした。重ければ死刑に該当する殺人の償いが、1年余りの少年院生活で清算されることになります。

この事件を審理した裁判官は「少年は犯行後も人間良心の呵責を受けておらず、罪の意識も皆無に近く、被害者遺族の心情に思いをいたし、社会的影響を考慮し、かつ少年の凶悪犯罪増加の傾向を考える時、本少年については、これを刑事処分に付するのが相当と思料されるところ、年齢上その処分を取り得ないので、中等少年院送致とした」と異例の所見を書き加えています。三菱銀行人質事件後、梅川の15才時の強盗殺人事件も報道され、「なぜそんな人を、わずか1年余りで社会に出した」「生命を奪った罪を1年余りで清算させたりするから、人命を繰り返し軽視する」との批判が沸き上がりました。

確かに、15才であろうと梅川は刑事裁判を受けるべきだった、との意見に私は反対しません。しかし、梅川に刑事裁判さえ受けさせていればよかったとの意見には反対します。それで三菱銀行人質事件は防げたのかもしれませんが、梅川が15才で起こした強盗殺人事件は防げないことになります。「梅川がいなくても、いずれ誰かが梅川の代わりに女性を強盗目的に殺していた」わけがありません。梅川が間違った道徳観さえ持っていなければ、一人の女性の命が救われていました。また、刑事裁判を受けたからといって、梅川が出所後、同じような凶悪犯罪をしないとは限りません。事実、広島家裁技官の精神科医の久保摂二は「少年の病質的人格は根深く形成され、容易に矯正し得ない段階にきている」と報告しています。

誰でも知っていることですが、成長後に欠点を矯正するのは難しいです。不可能の場合も少なくありません。だから、最初から欠点がないように教育すべきです。医学的な言葉を使うなら、この時点で非社会的パーソナリティ障害(あるいはモラル・ハラスメンター)になっています。「梅川がどうしてあんな凶悪事件を起こしたか?」の答えは、第一に「梅川が小さい頃の父母の教育がよくなかったから」とする私の考えは変わりません。「ベビーブームの頃は、子育てにかけられる労力が限られていたから、不良少年、不良少女が蔓延してしまうのは仕方がない」という意見に私は全く同意しません。子育ての余裕がなかったとしても、あるいは、仕事やその他のことを犠牲にしてでも、親は子どもを甘やかさず、最低限の道徳観は身に着けさせるべきです。もしどうしても親にそれができなかったのなら、社会全体で担うべきです。子どもが手遅れになる前に。

次の記事に続きます。

わずかな新型コロナ患者数で日本の病床が逼迫した問題の正解

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コロナ病床逼迫

本日の朝日新聞朝刊の記事です。

コロナ病床が逼迫した理由について、簡潔に示しています。さすが一流新聞だけあり、本質を突いています。「 今の日本で医療崩壊が起こっていると本気で信じている日本人が多くいます(10年後の日本人へ)」の記事に書いたように、今年の初めころ、「民間病院がコロナ患者を受け入れていないから医療崩壊が起きた」「そもそも日本に民間病院が多いから、コロナ患者の受け入れ先がない」といった説がまことしやかに唱えられ、「コロナ患者を受け入れていない病院を公表すべきだ」と本気で言い出す「知識人」まで現れましたが、それらは見当はずれの批判だったことが分かります。

「医療資源が世界一と呼ばれる日本なのに、なぜ欧米より遥かに感染者数が少ない段階で医療崩壊が起こるのか?」と疑問に思っていた人に、私の上の記事より、上記の朝日新聞の記事の方が遥かに納得できるでしょう。しかし、この朝日新聞の記事を読んでも、「そもそも日本で医療崩壊など起こっていない」「コロナ病床を爆発的に増やす必要などない」という私の意見が間違っていた、とは考えません。

新型コロナで亡くなる人よりも、それ以外で亡くなる日本人が100倍以上多い事実は変わらないからです。それにもかかわらず、他の多くの病気のための病床を差し置いて、コロナ病床を激増させる理由はないからです。

それはともかく、こういった「多くの人が持っていた疑問」の正解を示した記事はもっと世に広まるべきでしょう。この記事が出た後は「日本はコロナを受け入れない民間病院が多いから、コロナで医療崩壊が起きた」という妄言が一切消えるべきなのですが、現実にはそうならないことが残念です。

日本の犯罪者は反省を強要される

アメリカ人のみた日本の検察制度」(デイビッド・T・ジョンソン著、シュプリンガー・フェアラーク東京)によると、「犯罪者を反省させることが重要」と考える日本の検察官は92.7%なのに対して、アメリカの検察官はわずか8.8%です。また、「犯罪者と被害者との関係の修復が重要」と考える日本の検察官は67.6%なのに対し、アメリカの検察官はなんと0%です。

刑事裁判では、検察官は被告に罰を与えることを目的としています。被告が反省すると罰を与えにくくなるので、検察官が被告に反省を求めることなど通常ありません。まして、検察官が被告と被害者の関係を修復することなど、ありえません。少なくとも、アメリカの検察官は、それらが仕事の範疇に入ると考えていません。では、なぜ日本の検察は被告に反省を求め、被告と被害者の関係修復をはかろうとするのでしょうか。

これまで書いてきていませんでしたが、アメリカでは裁判前に検察官が容疑者や被告とまず会いません。検察官が容疑者や被告と始めて会うのは裁判なので、お互いに敵同士となっています。一方、日本では裁判前に検察官が容疑者に取調室で長時間話し合います。「日本では自白が作られる」に書いたように、取調室で容疑者は自白を強要されますが、その大きな理由の一つは「自白は反省を示すから」です。

もちろん、自白しても反省していない者もいますし、反省しているが自白しない者もいます。それを全くと言っていいほど考慮しない日本の検察官たちの倫理観に大きな問題はありますが、概ね、反省していれば自白する傾向はあるでしょう。

ともかく、自白させて反省の弁を述べれば、刑を逃れたいために上辺だけの反省を示しているのかどうか、日本の検察官は時間をかけて容疑者の本心を探ります。アメリカの検察官のように「人が反省しているかどうかなど本当には分からない」と諦めないで、上記の著者によると、容疑者の反省が心からのものか、日本の全ての検察官が真剣に検討していたそうです。

さらに、その反省が本心であることを示すために、被害者への金銭的な賠償をするように、検察官は容疑者に勧めるそうです。賠償まですれば、重罪や重犯でない限り、検察官が容疑者を起訴することはありません。

アメリカの検察官はこの日本の習慣に対して「金持ちが無罪になって、貧乏人が有罪になるシステムではないか!」と道徳的に批判します。しかし、日本の検察官にとって、被害者への賠償時に、金銭の多寡はほとんど問題になりません。「親戚を頼れば、なんとかお金は集められるもの」らしいです。

犯罪者に反省を促すことが検察官の仕事の大切な要素になっているからでしょう。日本の犯罪者は検察官に対して非常に従順です。アメリカの犯罪者が検察官と敵対的なのとは大違いです。また、著者によると、日本の検察官は、アメリカの検察官と違って、犯罪者の悪口を言うことが滅多にないそうです。さらに、日本の検察官の多くは、どんな犯罪者であっても更生させられると信じている、とまで書いています。

一例をあげます。

45才の無職の男性が知り合いの女性を凶暴な方法で強姦した罪で裁判にかけられていました。彼は一般社会に定着しておらず、教育がなく、身だしなみが悪かったそうです。彼は婦女暴行で既に2度懲役刑をうけており、他にも重罪の前科を持っていました。裁判で弁護人は被告人に被害者に与えた苦痛に対して心から申し訳ないと述べさせ、2度とこのようなことはしないとはっきり約束させました。しかし、今後どのように自分を改めていくかについては、被告はぶつくさ呟いて、「がんばります」とあいまいな約束をしただけでした。そこで、弁護人は俳句には人を更生させる効果があると突然言い出して、次のようなやりとりが公開裁判の席上で行われました。

弁護人「あなたは俳句を作ったことがありますか?」

被告「まったくありません」

弁護人「作るべきです。私もよく作ります。俳句ほど心を集中させ、精神を浄化するものはありません」

被告「分かりました」

弁護人「芭蕉という人の名を聞いたことがありますか?」

被告「ありません」

弁護人「じゃあ、芭蕉を読みなさい。そして、自分でも俳句を作りなさい。きっとあなたのためになりますよ。芭蕉はこんな句を作りました。『古池やかわず飛び込む水の音』。ねえ、素晴らしいでしょう? この句を聞いたことがありますか?」

被告「いえ、ありません」

弁護人「それじゃあ、俳句の勉強を始めたらどうですか。こういうものはあなた自身を変えるのに本当に役に立ちますよ」

被告「はい、やってみます。ありがとうございました」

この裁判を傍聴していたアメリカ人の著者は、芭蕉の句が読まれた時、こらえきれず、くすくす笑ってしまったそうです。著者はこの被告をどうしよもない奴だと思っていました。こんな奴は一般の人から隔離する以外にしようがない、それ以外の方法で彼を遇するなら、「マジメな人々をバカにして、ずるい奴をのさばらせる」ことになる、とみなしたそうです。この弁護人は真面目にやっているのだろうか、と著者は疑問に感じていました。

しかし、驚いたことに、検察官は弁護人に裁判で同意しました。この裁判後、裁判を傍聴していた司法修習生に聞いても、あの被告であっても努力すれば本来の徳性に近いものを取り戻せる、と言ったそうです。検察官にいたっては「更生できないわけがないじゃないか。おそらく、俳句は彼の生活ぶりを一変させると思うよ」とまで裁判後に言ったそうです。

私の感想を書きます。日本の法曹界は世間知らずばかりなのでしょうか。重罪を何度も犯した教育のない者が俳句を勉強しつづける可能性など、ほぼありません。まして、それで更生できる可能性など皆無に等しいでしょう。

とはいえ、上記の著者のように「こんなどうしようもない奴は一生、一般の人から隔離するしかない」と断定すべきではありません。どんな犯罪者であれ、更生できる可能性はゼロでありません。また、その犯罪者から社会が学べることもあります。なにより、そのような境遇に犯罪者を追いやったのは、犯罪者だけの責任ではなく、社会全体の責任でもあります。それなのに、社会が犯罪者だけを罰して終わりにするのは、道徳的に間違っているはずです。

だから、凶悪な犯罪者であったとしても更生を目指すべきでしょう。しかし、上記のやりとりを見る限り、俳句がこの犯罪者を更生できる可能性が極めて低いことは間違いありません。だから、俳句以外の手段も含めて、この犯罪者の更生を目指すべきと考えます。著者の「一般の人からの隔離」がどのような意味かは不明確ですが、ここまで重罪を何度も犯した人なら、無期懲役以外の選択肢もあるとはいえ、「長期間の一般の人からの隔離」が妥当になるとは思います。45才という年齢を考えると、その隔離期間が生命の終末期近くまでになるのも、やむを得ないと考えます。

日本の検察官は犯罪者の反省を促し、更生を目指します。それは好ましいことだと私は考えますが、検察官のほぼ全員が恵まれた環境で育ってきたせいか、上記のような世間知らずなところがあるようです。それと関係しているのでしょうが、検察官が反省を促す時、家族関係を不自然なほど重視しています。この儒教的な古き良き家族関係の偏重は蔓延しているので、おそらく検察官のマニュアルにも明記されていると推測します。その弊害は甚大です。

これからの個別の犯罪事件の記事で、この家族関係の重視の弊害については多く指摘していくことになります。

日本の検察制度の長所

アメリカ人のみた日本の検察制度」(デイビッド・T・ジョンソン著、シュプリンガー・フェアラーク東京)は、日本の刑事裁判制度の長所も書いています。

手放しで賞賛しているのは、日本の検察制度の一貫性です。アメリカでは、同じ州で起こった同種の犯罪でも、検察側の要求する量刑が大きく異なるそうです。理由として「二つとして同じ犯罪は存在しないから」がよく言われるそうですが、あまり納得できない話です。たとえば、日本でもアメリカでも起訴される事件の多くを占める交通犯罪は、被害の程度、弁償の有無、犯罪者の反省の有無などで、起訴するかどうか、あるいは起訴した時の求刑量は日本だと機械的に決まっていきます。そのための基準集、マニュアルまであります。一方、アメリカではそんな基準集が存在しないため、恣意的な起訴、検察官の一存による求刑量が多発してしまっています。

交通犯罪に限らず、日本の検察官は全ての犯罪の起訴・不起訴を決めるとき、あるいは求刑量を決めるとき、可能な限り前例を参照します。この一貫性を守るために、日本の検察には決裁制度があります。決裁制度とは、現場の検察官が最終処分を決めるとき、必ず上司の2名程度の検察官の決裁を受けなければいけない制度です。アメリカでは、ほとんどの検察官が独自に動いており、決裁制度は存在していません。

結果、アメリカでは同種の犯罪なのに、黒人被告への求刑量は、白人被告への求刑量より重い、という統計事実が出てきてしまいます。日本でも外国人被告への求刑量は、日本人被告への求刑量より重くなっている気はしますが、そのような統計が存在しないので分かりません。ただし、上記の著者は、長期間の取材中、そのような人種差別を感じたことはなかったそうです(ただし、人種格差はなくても、殺人罪に関しては関東よりも関西の方が軽い刑に決まりやすい、という地域格差はあったそうです)。

また、アメリカの裁判では、事実があまり重視されない、という信じがたい傾向があります。日本の検察官が精密司法と呼ばれるほど詳細な調書を作成する傾向の対極にあると言えるかもしれません。

そもそも、アメリカの検察官を含む法曹関係者は、概ね、完全な真実は誰にも分からない、という不可知論に立っています。「真実とは『合理的な疑いを入れない程度』に示されていればいい」「われわれが求めているのは正義であって真実ではない」という信念があるようです。

この仮説に立脚し、アメリカの検察官は答弁取引(被告の自白等と引き換えに訴えの対象を一部の訴因、又は、軽い罪のみに限る合意)を日常的に行っています。答弁取引により、事実の追及を放棄し、同時に労多く効少ない捜査・取り調べ・裁判を省略し、量刑という結論を得ています。まだ事実もよく分かっていない段階で、被告や容疑者に自白させる代わりに量刑を軽くするなど、日本では考えられない制度かもしれません。ただし、日本でも被告や容疑者が自白すれば、量刑は軽くなる傾向はあります。

答弁取引の明らかな欠点は、被告に反省を促しにくい点でしょう。実は、これこそが日本とアメリカの検察官の目標の最大の違いになります。次の記事に続きます。

日本の刑事裁判では弁護人も被告の敵になる

日本の刑事裁判では99%が検察側の勝利に終わります。負けがほぼ確定しているため、刑事裁判の弁護人は勝つために全力を尽くす気が削がれてしまいます。また、国選弁護人の給与は他の弁護士の仕事と比べて各段に安くなっているので、優秀な弁護士の多くが刑事弁護を避けるようになります。結果、弁護士の質が低下し、さらに刑事裁判で無罪になる確率が減る、という悪循環に陥っています。

アメリカ人のみた日本の検察制度」(デイビッド・T・ジョンソン著、シュプリンガー・フェアラーク東京)の調査によると、「容疑者および被告人に対して黙秘権の使用を積極的に勧めたことは一度もない」と答える弁護士が60%もいるそうです。この「一度もない」という点を著者は強調したい、と書いています。

それでも容疑者の味方になってくれるはずの弁護人なので、本来であれば、容疑者は弁護士と面会する権利がいつでもあります。しかし、検察側は拘留中の容疑者の弁護士との接見の時間および場所を指定できます。これから批判していく犯罪本でも書かれていますが、「弁護士に会いたいと言っても、国選弁護人はここに来るまで時間がかかる。いつでも会えるわけではない」と検察官に言われたりするそうです。

ここで、上記の本の著者が傍聴した刑事裁判の一例をあげます。

20代初めの男性が8時間のうちに合計3回も知り合いの女性を強姦した、と裁判にかけられていました。この被告人は性行為を認めたものの、それは合意の上であったと主張します。彼の主張を裏付けるため、弁護人は次のような質問ができたはずでした。

「なぜ被害者はそれほど親しくもない知り合いの被告を夜中の2時に、自分のアパートに、しかも寝室まで入れたのか」

「なぜ被害者は隣の部屋に聞こえるように大声で叫ばなかったのか」

「なぜ被害者は寝入った被告人に宛てて台所の黒板に、アパートを出た理由や行き先を書き置いて、しかも最後に『バイバイ』と言葉をつけ加えたのか」

このように素人でも簡単に思いつく被害者への質問を、弁護人は一切しませんでした。弁護人は被害者に2、3おざなりの質問をした後、被告人を証言台に立たせて、「いったい君は誰を騙そうとしているのかね!」と𠮟りつけたそうです。さらに「君はその説明を皆が信じていると思うのか。私にはとてもそうは思えないね。君は裁判官がこれで納得すると思うのか。ええっ。それはとんでもないことだ。せめて裁判官にはもっとましな話をしたまえ」と続けたそうです。

まるで検察官の言葉です。この弁護人を被告人の味方と考えるには、無理があるでしょう。結局、この被告は婦女暴行罪で有罪となり、3年6ヶ月の懲役刑が言い渡されます。

上記本の著者は「もしこの裁判がアメリカで起こったら、『弁護人の支援無効』の理由で審理無効または破棄となるだろう」と書いています。

次の記事に続きます。

日本では自白が作られる

「自白は証拠の王様ではありません」

これは私が中学の社会の先生から教えられた格言です。ウソで自白だってできますし、強迫されて自白する人も過去の歴史に山のように存在しています。情けない過去を白状しますが、私は子どもの頃、ある大人に間違って犯人だと確信され、自白を強要されたことがあります。経験した人は分かるでしょうが、悔しくて仕方なく、一生消えない心の傷として今も残っています。その大人を憎むだけでなく、その時に助けを求める相手がいなかった環境も憎んでいます。

残念ながら、日本では「自白が証拠の王様」の時代が現在まで続いています。検察側が徹底的に容疑者に自白を強要します。「アメリカ人のみた日本の検察制度」(デイビッド・T・ジョンソン著、シュプリンガー・フェアラーク東京)によると、日本の検察官同士で、最も話題にするテーマが、人事と自白を引き出す方法だそうです。たいていの検察官は、自白を強要するために肉体的、精神的苦痛を与える方法を日常的に使っていることを認めています。1984年に東京三弁護士会が30人の虚偽の自白をした元容疑者(うち14人は既に無罪判決を受けている)に聞いた調査によると、20人が平手打ち、パンチ、蹴りを受けており、23人が長時間の取り調べで疲れても休息や睡眠をさせてもらえず、24人が「自白すれば早く釈放してやる」と約束され、25人が「自白をしなければ刑が重くなる」と脅されています。

しかも、この取り調べのための拘留時間は、日本は先進国の中でかなり長く、起訴・不起訴の決定まで最長23日間あります。アメリカのカリフォルニア州での逮捕後の起訴・不起訴決定までの拘留期間2日間と比較すると、その差は歴然としています。しかも、この23日間は軽微な別件逮捕で延長が可能なので、カルロス・ゴーンのように108日間も勾留される者も出てきます。自白した場合は保釈されるのに、自白していないと保釈されないので、しばしば「人質司法」と国内外から批判されています。

ここまで徹底的に自白を強要されるので、日本の刑事事件での自白率は90%を越えています。「容疑者には黙秘権があるのでは?」と思うかもしれませんが、日本の黙秘権はあってないようなものです。アメリカでは黙秘権の告知なしの自白は証拠として認められませんが、日本では黙秘権の告知なしでも自白として認められます。また黙秘権を行使しても、容疑者は尋問に耐えなければいけません。海外では、黙秘権行使後の尋問を禁止している国もあります。

日本でも、刑事訴訟法で「伝聞」を裁判の証拠として使用することは禁じられています。基本的に自白も伝聞なので裁判の証拠にはならないはずなのですが、この伝聞規定には、例外が広く認められ、実際には自白を元に作られた検察官の調書が裁判での証拠の核心になります。

ほぼ例外なく、この自白を元にした調書は事件の流れが詳細に書かれています。こんなに理路整然と事件の流れを自白するなどありえない、と誰もが思うほど、微に入り細を穿つ調書です。それは当然で、事件の流れを分かりやすくするように、容疑者の自白を検察側が修正して、調書を作成しているからです。調書作成時には、容疑者が言っていない言葉が加えられたり、逆に言った言葉を省いたりしています。調書は検察官の作文だとよく呼ばれる所以です。

ここで検察の弁護になります。私は医療従事者なので、毎日、患者さんの言葉をカルテに記録しています。実は、医療従事者も患者さんの言葉をそのままカルテに記録しません。カルテは職場内での情報共有が第一目的なので、他の同僚が患者さんの真意を理解しやすいように患者さんの言葉を適宜修正しています。その時に、患者さんが言っていない言葉が加えられたり、逆に言った言葉を省いたりしていますが、患者さんの許可はとっていません。

もちろん、病院のカルテ記録と、裁判所で基本情報となる調書はその目的が異なります。調書が容疑者の許可なく事実と認定されないように、作成された調書は、最後に検察官が読み上げて、その内容に間違いないことを容疑者に確認させてから、容疑者が署名します。しかし、大抵、検察官は早口で膨大な調書の内容を一気に読み上げた上、調書に署名するように容疑者に迫ります。上記の「虚偽の自白をした元容疑者30人」のうち、29人は調書への署名を執拗に強制された、と答えています。

ここまでの記事を読んで、多くの日本人は日本の刑事訴訟制度に絶望したのではないでしょうか。普通の人権感覚なら、絶望するはずです。事実、国連人権員会から、日本の自白偏重、自白の強要、長い拘留期間は何度も非難されています。

だから、他の先進国で一般的になっている「警察官や検察官からの取り調べの全過程を録画」を義務づけるように「アメリカ人のみた日本の検察制度」の著者は主張しています。これは、現在、弁護士団体や他のNPOからも広く叫ばれています。しかし、多くの国民は上記のような実態を知らない上に、興味もないので、政治問題にならず、なかなか実現していません。

日本が世界で尊敬される国になってほしい、と本当に願っている人なら、ぜひとも「取り調べ全過程の録画」を叫んでほしいです。

次の記事に続きます。

日本では検察が犯罪を作り出せる

「犯罪は社会を映す鏡」という言葉があります。これからの犯罪についての記事では、犯罪本の批判を通じて、日本人の道徳について考察していきます。

この記事のタイトルの「日本では検察が犯罪を作り出せる」は「アメリカ人のみた日本の検察制度」(デイビッド・T・ジョンソン著、シュプリンガー・フェアラーク東京)からの借用です。

犯罪本批判をする前に、総論として、上記の本を元に、日本の刑事裁判の問題点を指摘しておきます。ただし、この本は2004年に出版されており、まだ裁判員制度が設けられる前なので、現在既に改善されている点はあります。

日本の刑事裁判の被告人の権利は、先進国で最低でしょう。日本は「検察官の楽園」とは上記の本の冒頭にある言葉です。刑事裁判の無罪率が0.1%と異常に低いことに、それは端的に現れています。なぜここまで低いのでしょうか。

検察は被疑者を取り調べるときに、捜索、押収された全ての証拠を使えるのに、裁判では検察側が提出した証拠しか使えません。だから、検察側は裁判に有罪を示す証拠だけを提出し、無罪を示す証拠を提出しません。一応、裁判所が判断に必要だからと証拠提示を検察側に求められますが、その証拠提示を検察側が拒否できます。つまり、証拠を開示するかどうかは、検察側の善意に頼るしかないのです。誰が考えても、「え! 本当に? なぜ?」と言いたくなるような制度が合法的に定められています。

裁判での証拠提示を拒否できるなど、常識では考えられないでしょう。道徳的に論外であることは言うに及びません。それでは裁判で真実が明らかになりません。

アメリカでは、検察側が使用した証拠は全て被告側に渡す義務があります。もしこの義務を実行しなかったら、自動的に審理無効となります。他の多くの民主主義国家でも同様です。

この時点でありえないのですが、まだまだ検察側に有利な点があります。

次の記事に続きます。