未来社会の道しるべ

新しい社会を切り開く視点の提供

日本のコメですら輸出品目にできる

「日本の農作物に輸出競争力などあるはずない。特にコメは世界一単価が高いので、全くない」と考えている日本人は多いのではないでしょうか。「2025年日本の農業ビジネス」(21世紀政策研究所著、講談社現代新書)を読むまで、私も似たようなことを考えていました。しかし、日本のコメですら輸出競争力があると、この本は示しています。

コメは日本の農作物で最も手厚く保護されてきた品目で、関税率は778%(つまり原価の8倍)であり、全品目のトップです。この数値を見ると、海外産のコメは日本のコメの8分の1の値段で流通しているので、日本のコメは一部の好事家にしか売れないと考えてしまいがちです。しかし、この関税率は1986年~1988年のコメ価格を基準に決められている上、そもそもの計算方法に不明なところが多く、とても現状の価格差に対応した関税にはなっていません。本によると、現在の日本米の単価はアメリカ米の単価の2倍程度の差しかありません。2倍でもまだ大きな差ですが、日本でも既にアメリカの平均単価以下の費用でコメを生産している農家が存在しています。

日本のコメを輸出品目にする第一の方法は、まず規模です。日本には水田面積の小さい零細農家が多すぎて、規模のメリットが発揮できず生産性が低いことは、さすがにこの記事を読む方なら十分知っていると思うので、あまり書きません。

日本のコメを輸出品目にする第二の方法は、技術革新です。たとえば、田植えの省力化です。「田植え」とは、あらかじめビニールハウスで種から育てた苗を、水田に運んで田植え機で植える作業です。田植えに適した時期は限られるので、水田面積を拡大すれば、苗を育てるためのビニールハウスの面積も、田植え機の台数も増やさなければなりません。多くの人はこの「田植え」の常識について疑っていません。しかし、田んぼに種もみを直接植える「乾田直播」という技術が存在しています。さらに、この「直播栽培」と、通常の田植えの「移植栽培」を併用し、直播の田んぼに種を播き、この作業が終わったところで田植えをすれば、作業時期がずらせて、少ない人手や機械で作業が完成します。

また、グレーンドリルという種まき用機械を小麦とコメの直播に使って、コンバインも小麦とコメの両方に使えば、稼働率が高くなるので、コストダウンにつながります。

こういった努力の結果、生産費を4割ほど削減し、労働コストを平均の5分の1まで下げた農家が実際に存在しているようです。

ところで、結局、話が流れたTPPでも、日本は農林水産物の433品目の関税維持を譲ろうとしませんでした。言うまでもなくJA(農協)が大反対したからです。特に「コメ、麦、牛肉・豚肉、乳製品、甘味資源作物などの重要5品目は守る」と国会決議まで行っています。

本によると、5品目のうち、テンサイやサトウキビなどの甘味資源作物は国際競争力に全く欠けて、乳製品も大胆な構造改革が必要なものの、コメは上記のように、方法次第で競争力があると判断され、同じ評価が小麦にもされています。さらに、牛肉・豚肉については、関税が削減されても十分に競争力がある、とされています。

長くなるので、コメ以外については上記の本を参照してください。ともかく、コメ農家の保護にはTPPという国家の大きな経済外交戦略すら左右してしまう事実があるので、日本農業はコメですら輸出品目にできる潜在力があることを多くの日本人は知るべきでしょう。

日本の農家が国内の消費者さえ無視して生産している証拠

日本の農業生産者の大半は、相変わらず農協を通じて卸売市場への出荷を行っています。生産の時に考慮しているのは、卸売市場からスーパーなどの小売店を通じた家庭用の消費です。しかし、下のグラフにある通り、2010年の段階で、消費者の食料品購入の割合は、生鮮食品が27.8%で、加工食品が50.5%、外食が21.7%です。

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上のグラフの通り、今後、女性の社会進出や高齢化が進行する日本では、生鮮食品の消費割合は減少する一方だと推定されています。何十年も前に、生鮮品重視の生産をやめて、食品加工や外食産業向けの生産を開始すべきだったのに、農業界は未だにそれに対応できていません。

極端な例として、加工用トマトの生産があります。自由化以前、カゴメ1社で国産トマト23万トンを仕入れていました。しかし、1972年に自由化されてからは、見事に外国産に置き換わっていき、現在、カゴメ仕入れる生トマト35万トンのうち、国産はジュース用の2万トンだけで、他の33万トンは海外で第一次加工をして日本に輸入しています。とはいえ、トマトについては「トマト缶の黒い真実」(ジャン・バティスト・マレ著、太田出版)という本で、海外産の劣悪な生産環境や不正が明らかにされているので、海外産がどれだけ信用に値するかは疑問もあります。そういった腐敗を防止するための規制は必要でしょう。

日本だけでなく、海外でも食品加工業は農業と同等かそれ以上に大きな産業になっています。しかし、日本は農業だけでなく、食品加工業の生産品もあまり輸出できていません。なぜなら、原料となるコメ、小麦、砂糖、でんぷん、乳製品などは全て高い関税が課せられているので、高い国内価格の原料から生産品を作るしかないためです。これでは海外の安い製品に太刀打ちできません。いえ、日本の食品加工業は、国内市場ですら苦戦しています。外国産の原料製品は高い関税を課しているのに、安い原料から作られる外国産の加工食品には低い関税しか課していないからです。このため、食品加工企業は、上記のカゴメのように、海外に工場を作って、日本に輸入しています。日本で生み出せる加工産業の富を、農家保護規制のせいで、海外に逃しているのです。結果、2013年の食品産業の国内生産額は、1998年との比較で約2割も減少しています。

国内農業が逃している付加価値は、加工食品だけでなく、外食にもあります。2009年の農林水産省の調査によれば、外食産業の食材費のうち、穀物は10%、野菜は9%に過ぎません。では、なにが最も多い品目かというと、やはり加工食品です。しかし、その内訳は国産52%、輸入48%と、輸入が半分近くを占めています。国産の52%であっても、原料は外国産の農作物を使用している可能性が高いので、外食産業向けの農産物市場のほとんどを既に海外に奪われているはずだ、と上記の本では推測しています。

「儲かる農業」(嶋崎秀樹著、竹書房)にもある通り、昨今、成功した農家のほとんどは、市場のニーズに応えて、中食(おにぎり、弁当、総菜などの既成食品)や外食産業向けに量と品質を一定にした生産をしています。しかし、ほとんどの農家は、販売に関心をあまり持たず、生鮮食品向けの生産を続けています。それは消費者にとってだけでなく、生産者、つまり農家自身にとっても利益にならないはずなのに、なぜそんな状況が続いているのでしょうか。それについては「日本の農業は問題も答えも分かっているのに、その答えに進めない状態が30年以上続いています」の記事に書きます。

日本の農業は日本のために世界で勝負すべきである

「2025年日本の農業ビジネス」(21世紀政策研究所著、講談社現代新書)は日本の農業問題を簡潔に指摘している本です。

「農業大国」といえば、広大な土地を持つ国で、大量生産している農業を思い浮かべる日本人は多いでしょう。本が指摘している通り、そのイメージの半分は正しいです。事実、国別の農産物産出高および農産物産出額は、2013年のデータで、1位~4位まで中国、アメリカ、インド、ブラジルという広大な土地を持つ国家が独占しています。農産物産出高および産出額で、日本がこれらの国家を上回ることは、未来永劫ないでしょう。

しかし、国民一人あたりの農産物産出額および農産物輸出額なら、世界の大国と競争できる潜在能力が日本にあると知っている日本人はどれくらいいるでしょうか。以下は、その根拠となる基礎統計です。

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農産物輸出額だと、日本の領土の9分の1しかないオランダが2位です。国民一人あたりの農産物産出額にいたっては、農産物産出高の上位4ヶ国の中で最上位のブラジルですら、11位になります。

世界の農業生産は3タイプに分類できます。

1、「開発途上国型農業」原料農産物を作り、自国民への食糧供給を最優先する

2、「新大陸先進国型農業」経済発展とともに原料穀物の過剰生産に陥り、それを輸出に振り向けることで解決策を見出す

3、「成熟先進国型農業」市場のニーズをとらえた商品開発を行い、食品加工業と連携することで農産物の付加価値を高め、市場開拓する

残念ながら、日本はこの3類型のいずれにも属しません。あえて挙げるなら、次になるでしょうか。

4、「低生産性保護型農業」生産性の低い農家を保護するため消費者に負担を強いている

日本の目指すべき農業が3の「成熟先進国型農業」であることは間違いありません。というより、1と2の道は進めません。では、3の「成熟先進国型農業」のオランダやベルギーは日本とどこが同じで、どこが違うのでしょうか。

まず日本との共通点です。意外なことに、オランダやベルギーでも、生産作物は小麦、牛乳、てんさい、ジャガイモ、大麦などの付加価値の低い原料農作物の生産が中心です。

次に日本との相違点は、日本が「生産者が作りやすい農産物」を作ってきたのに、成熟先進国型農業国は「消費者が求める農産物」を作ってきた点です。上記の本でも嘆かれていることですが、他の産業では当たり前に行われている市場需要の調査を、日本の農家はろくに行わないで、生産者の都合優先で農作物を生産しています。

デンマークのデーニッシュクラウン(豚肉業)とアーラフーズ(乳業)は日本の農協のように、組合員の作った原料に付加価値をつけて全てを売り切ろうとしています。日本と大きく異なるのは、世界中の市場を徹底的に調査している点です。「組合員の作った原料を全て売り切る」ためには、当然、市場の需要に合った原料を作ってもらわなければなりません。組合の市場調査内容はすぐに農家に反映されます。農家がどのような作物を作ればいいかが明瞭に示され、それに対応する飼養技術の研究・開発や農家への技術指導も行われます。つまり、農家は市場の需要に合った原料作物を生産する義務を半ば負わされています。

なお、EUの酪農の生産性自体は、実は日本とさほど変わりません。それでもアーラ―フーズが国際競争力を持っているのは、戦略的な市場開発や商品開発や多角化が成功しているからです。アーラ―フーズが酪農家から買い取る乳価は日本の半値以下です。それにもかかわらず、イギリスの酪農家まで参加しているのは、その巨大な販売網に加わりたいことと、最新技術や情報が得たいからです。

ところで、2の「新大陸先進国型農業」では、しばしば高い生産性の表裏一体となっている環境破壊が問題視されていますが、デンマークでは全く逆です。デンマークでは集約的畜産で環境汚染と動物福祉が悪化したため、1985年から家畜排泄物に関する施肥管理規制が敷かれています。1ヘクタールあたりの窒素施用量の上限が酪農・肉牛の場合は170㎏、養豚・有機畜産の場合は140㎏と設定されているので、農家は家畜の種類、頭数、畜舎のタイプなどから窒素、リン酸、カリの排出量を計算したうえで、家畜から排泄された糞尿を圃場に散布する場合、どのくらいの規模の圃場に散布するのか、窒素を吸収する作物はどういった作付けにするのかなどの詳細な書類を作成し、政府に届け出なければなりません。さらに、妊娠中の母豚を狭い豚舎に寝かせることを禁止し、豚舎内にシャワーシステムを設置するなどの動物福祉でもデンマークは日本以上の厳格な規制を敷いています。それでも、農産物の輸出額は、国内消費額の2倍であり、輸出の内訳で最大の20%を占めるのが豚肉なのです。おそらく、環境と動物福祉規制が農業生産性を高める理由は一つしかありません。そういった規制が厳しい国にも、輸出できる点です。言うまでもなく、環境や動物福祉規制が厳しい国は先進国のため、高い値段でも農作物を買ってくれるので、日本の農産物輸出対象国として理想的です。

余談になりますが、世の中の役に立っているかどうかも分からない「フェアトレード」商品を買っている日本人たちに、そんなことする金と労力があるなら、日本政府に環境や動物福祉重視の農業規制を要求した方が、よほど日本のため、世の中のためになると知らせたいです。

完全な中立などありえない

前回の記事の続きです。

このブログを読む人なら当然知っていることでしょうが、完全な中立などありません。完全な中立を定義することもできません。

だから「政治的には中立です」と断言する人は、私の価値判断からすると、見識が極めて浅いです。まるで「政治とは無関係に私は生きています」と言われたような気分になってしまいます。もちろん、その人の言う「政治」の定義が、世間一般の「政治」と異なっているのだろうとは思います。しかし、「政治と無関係に生きる」は「法律と無関係に生きる」や「他人の力を借りずに生きる」と同義になる可能性があることくらい知っておくべきだ、とは思ってしまいます。

国際的な人道支援でも、政治と無関係なはずがありません。「あやつられる難民」(米川正子著、ちくま書店)でも、政治に無関心なNGOの職員を繰り返し批判しています。政治と完全に関係ない人道支援などありえませんし、現地の政治の知識がないまま国際人道支援するなど、非効率なだけでなく、本で指摘されている通り、有害にさえなりえます。

もちろん、本にもある通り、1991年と2004年の国連総会で、人道支援は公平性、中立性、独立性、人道性の原則に従って提供すべきという決議がなされています。たとえば、国際人道支援をする側が「あなたは虐殺事件を起こした〇〇党の支持者だから援助物資を与えない」と政治差別していたら、明らかに問題です。思想信条は度外視して、まず目の前で苦しんでいる人たちを助けることが本来の人道支援です。

しかし、広い視野で考えれば、たとえ目の前で苦しんでいたとしても、援助物資を与えるべきでない人がいるのも事実です。たとえば、軍人は難民ではないとして、難民キャンプから排除され、支援物資を受けられない原則があります。軍人を援助していたら、紛争が長期化するので、当然です。しかし、現実には軍人と民間人を厳密に区別することなどできません。実際、難民キャンプが軍人の供給元になっている例は枚挙にいとまがありません。これでは、政治的に中立に行っているはずの難民キャンプへの援助が反政府勢力の援助と同義になってしまい、政治的に中立とは言えなくなってしまう矛盾が生じてしまいます。特に難民への人道支援には、こういった問題が常につきまといます。

そうなると訳が分からなくなって、「自国の問題は自国だけで解決してくれ」と国際社会から匙を投げられることも、珍しくありません。

人道支援は政治的に中立であるべきです。その原則は変わりません。しかし、なにが中立であるかを定めるのは難しく、中立であることが正しいとも限りません。そういった矛盾を考慮しながらも人道支援を続けていくためには、ただのバカになるか、極めて質の高いアウフヘーベンされた政治思考を持つしかないのでしょう。前回の記事に書いたように、国際機関で働く人に「ただのバカ」が多く、「極めて質の高いアウフヘーベンされた政治思考を持つ」者が少数いるのは、こんな理由からかもしれません。

国際機関職員はただのバカが多い

以前の記事にも書いたとおり、国連はコネで就職や昇進が決まったりする不公平な組織です。国連、あるいは国際機関には唖然とするほど倫理観や見識の浅い奴がいて、そんな奴がカリスマのように称賛されていたりするので、失望してその世界から去る者もいます。私はその世界に入ってすらいないので、去った者にはならないかもしれませんが、国際機関に失望は何度もしています。

国連が偽善的な運動をよく行っていることは、ある程度、国連に関わったことのある方なら、常識ではないでしょうか。「莫大な予算を使って、こんな運動をしていても、問題はなんら解決しないことくらい、ここにいるエリート(のはずの)連中は知っているだろう」と私も呆れてしまったことが一度ならずあります。

もちろん、「米中首脳はホットラインと軍縮条約を結ぶべきである」に書いた通り、国連がなくなっていい、とまで私は全く思っていません。大きな国際紛争を解決する手段として、国連は極めて重要な機関であることに異論はありません。しかし、小さい問題、特に発展途上国の問題を解決するために、国連もしくは国際機関はあまり機能していないように思います。

その気持ちは「あやつられる難民」(米川正子著、ちくま新書)を読んで、さらに強くなりました。本からの抜粋です。

ルワンダ虐殺の1995年に、ルワンダ国内に154ものNGOがいたが、大手のNGOを除いて、多くが人道支援者というより『即席専門家』だったと言われる。その多くは大学卒業したての若者で、勤務経験も技術も皆無であるのに、現場活動参加に意義があるという考えのもとに来る。援助物資を配布し、キャンプを設営し、写真を撮影しまくり、それをメディアに送って資金援助に役立てようとする。その地域の政治について理解しようとする意欲も関心もない上に、それになるべく突っ込まないように注意する。そして、たとえ支援のプロジェクトが失敗したとしても(その自覚があるかどうかも疑問だが)、その原因を追及せず、自分たちはよいことをしたのだからと身構える」

人道支援者の責任やミスで難民が命を落とすといった罪を犯しても、国連職員が刑事責任の免除を得て活動していること自体、『人道的不処罰』ではないかと思う。『不幸な出来事だった』『ベストを尽くしたけど当時は政治的な混乱の中にあって、仕方なかった』という『言い訳』で終わる」

「残念ながら、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)職員の多くは、難民保護より自身のキャリアを重視していることは事実だ。UNHCRの職員の場合、その対象者である難民が評価するのが妥当だろう。しかし、そのような評価を難民から喜んで受けたいUNHCR職員はいないと私は分かっている。難民という『下』からの評価は、上司の評価と比べると価値がないとみなされ、昇進にも影響しない」

「UNHCR職員のキャリア重視が明白に分かるのは、彼らが組織トップの高等弁務官にペコペコして媚びる姿を見る時だ。現地事務所の代表者は『成功例』の現場のみを高等弁務官に見せ、失敗例や肝心の問題を時おり隠す。そもそも現場の主要な問題点が高等弁務官に伝わらず、局長レベルで留まることがしばしばあった。現地代表の態度や政策に不満のある職員がいる事務所であれば、高等弁務官と職員の会議が設定されることもない。さらに、UNHCRは内部からだけでなく、外部からの批判を受け入れたがらない。それどころか、『我々は厳しい現場で頑張っているのに、批判される覚えはない』と自分たちを擁護しがちだ」

「国際機関間のライバル意識は非常にあり、たとえば、いつ誰がどこで記者会見を開催するかといった些事でもめあうことがある。当然、最初に記者会見を開いて発言すれば、大きな注目を浴びる。難民や避難民の緊急事態中、UNHCRの名で数回報道されると、他の国連機関から『UNHCRの報道官は強引すぎる』と非難されることがあった。大変ばかげたことであるが、こういった国連機関間の争いで、難民と避難民の保護に十分に取り組む時間が減ったのは事実である」

この批判に、冷や汗が出る国際機関職員は少なくないはずです。そして、国際関係機関がこういった批判を受けるべきことを知らない日本人が大半のはずです。

国際機関職員というと立派な人を想像するかもしれませんが、現実は必ずしもそうではありません。むしろ「普通の社会だとうまくやっていけないけど、『現場に行きさえすればいい』国際機関ならなんとかなると思って、活動しているんじゃないだろうか」と思う人の方が、私の実感としては、多いです。日本にいる白人だと「母国ならダメだけど、日本だと白人というだけで特別扱いしてくれるから来たのではないか」と思ってしまう人が多いことと似ているかもしれません。

もちろん、知性の極めて高い国連職員(残念ながら私はただの一人も会っていませんが)、知性の極めて高い日本にいる外国人がいるのも事実です(こちらは何名か会っています)。他の社会と同じく玉石混交ではありますが、学歴の基準と比べると、質の低い人が多すぎる傾向はあるように私は感じています。

次の記事に続きます。

新型コロナウイルスで亡くなった日本の小児はゼロである

タイトルに書いた通り、2020年12月21日までの段階で、新型コロナウイルスで亡くなった20才未満の日本人は一人もいません。こんな重要な情報ですら、マスコミは報道していないので、「コロナ対策のため、今は(この子どもの遊び場)使えないんですよ」と言う人に私が「日本で新型コロナで亡くなった子どもは何人か知っているんですか?」と聞いても、誰も答えられないのでしょう。

私は現在赤ちゃんを育てていて、子どもこそ私の生き甲斐なのですが、新型コロナのせいで、子育てに悪影響を受けています。

 

1、保育園や幼稚園が休校になった

特に今年の4月から5月はほぼ全て休校になっていました。これで予定が狂った日本中の父母の一人が私です。このため「今年の休校期間はどれくらいだったか」が私の幼稚園選択で重要な点になってしまいました。再度、新型コロナ感染が蔓延した時、休校されたら、本当に困りますから。

 

2、キッズスペースが立ち入り禁止になった

今、子育てしていない方は全く気にならないでしょうが、デパートのキッズスペースのほぼ全てが使用禁止になりました。特に無料のキッズスペースは、現在も使用禁止のところが多いです。まだ外の公園で遊ぶには早すぎる赤ちゃんにとって、マットで囲われたキッズスペースは最適の遊び場だったのに、そこが閉鎖されてしまいました。

 

3、みながマスクをしているので、赤ちゃんが相手の発語時の口の形を見えなくなった

相手の発語時の口の形をまねて、赤ちゃんが話し方を覚えていく仮説を知っている私としては、みながマスクをしている状況は恐怖です。マスクのせいで、世界中の赤ちゃんの発語が遅くなっているのではないでしょうか。誰か調べてほしいです。

 

4、子ども関連施設が休止になった

1と関連しますが、保育園や幼稚園以上に休止期間が長かったです。不要不急と判断されているのでしょうか。

これも子育てしていない人にとっては知らないことでしょうが、どこの地域にも、子育て中の親子が集まれる支援拠点があったります。土日は閉まっていることが多いので、平日に働いている私はあまり参加したことがないのですが、私の家の近所の子育て支援拠点は、たまに土日にイベントを開いていることがあったので、そこには参加したりしていました。しかし、土日のイベントは現在に至るまで再開されていません。今年の4月から数ヶ月間、子育て支援拠点そのものがしばらく閉鎖され、再開しても、人数制限されていたり、予約が必要になったりして、不便で仕方ありません。

 

この他にも書いていけば、キリがありません。おそらく、日本中の人、それこそ引きこもり以外の人は全員、大なり小なりコロナ自粛で悪影響を受けていたし、今現在、受けているはずです。

小中高大学校では、対面授業が少なくなって、学力差が大きくなっている問題も出てきています。日本中の何百万人の子どもたちの学力を下げて、ネット以外の遊び場を奪って、ありとあらゆるイベントを中止してまで、日本人の子どもの命を全く奪っていない新型コロナ感染を恐れる理由は、なんなのでしょうか。

前回の記事と同じく自殺者数と比べますが、毎年自殺で亡くなる20才未満の日本人は数百人います。その何百人の若い命を救うため日本人全員が一丸となって「子ども集団生活施設」などを実現させることはなかったのに、なぜ新型コロナの被害を食い止めるために日本中の学校を休校にしたり、対面授業や実習時間を減らしたり、移動を制限したりするのでしょうか。

新型コロナで亡くなった人の過半数は80才以上で、8割は70才以上である

こんな重要な情報をほとんどの日本人が知らないので、あえてタイトルにしました。

日本で新型コロナで亡くなった人の過半数は80代以上です(2020/12/14の国立社会保障・人口問題研究所統計)。70代以上まで含めると、8割を越えます。ちなみに、50才未満はわずか1%です。

ポストコロナは社会でなく医療体制を変えるべきである」での予想のうち、「第二波がきても死者数2000人は越えない」の予想は一応当たりましたが、第三波が来て死者数2000人を軽く越えたので、予想が当たったとも言えなくなってきました。このままいけば、この冬のうちに新型コロナ累計死者数が1万人を越えるかもしれません。

しかし、「ポストコロナは社会でなく医療体制を変えるべきである」の考えは変わりません。一つの大きな根拠はその記事に書いたとおり、「新型コロナよりも肺炎の死者数の方が多いのに、肺炎感染予防のための自粛なんて全くしていなかった」からです。もう一つの大きな根拠は、上記のとおり、ほとんどの死亡者が高齢者であるからです。極論すれば、たとえ日本の新型コロナ感染症死者数が肺炎より遥かに多い年間42万人だったとしても、ほとんどの死亡者が高齢者であるなら、自粛はすべきでない、と私は考えます。特に医療機関が「自粛」までする必要はないでしょう。

新型コロナ感染症を怖がれば怖がるほど、新型コロナ感染症の治療が難しくなってしまいます。現在、新型コロナ感染症で入院すべきとなっても、入院できる病院は限られています。既に他の病気で入院している患者ほど、新型コロナ感染症で亡くなる確率が高い人たちはいないので、ほとんどの病院は新型コロナ感染症患者を受け入れたがりません。厳重に隔離した病棟を持っている病院でしか新型コロナ感染症患者を受け入れないようにしています。また、新型コロナ感染症クラスターが発生したら、新規の外来や入院患者の受け入れはできなくなる上、風評被害が発生して長期の悪影響を受けるので、ほとんどの病院やクリニックは新型コロナ感染症の可能性のある熱発患者ですら、外来診察を嫌がります。

周知のとおり、医療機関に限らず、現在、熱発患者は日本中の全ての学校、全ての会社、全てのお店で、忌避されています。「普通の風邪ですら、安心してかかれなくなった」とぼやく人は、私の周りにたくさんいます。

このブログで何度も主張していることですが、どう考えても、新型コロナ対策はデメリットがメリットを上回っています。

現在、医療従事者の多くは新型コロナの感染を防ぐように知恵を絞っていますが、私の知る限り、私を含む全ての医療従事者は「現状の日本で、感染は防ぎようがない」という結論にたどり着いています。

だとすれば、新型コロナも、これまでの市中肺炎と同じような対応でいいのではないでしょうか。新型コロナ感染症患者を特別に隔離するのはやめて、普通のクリニックの普通の外来で診察して、必要があれば、普通の病院の普通の病室に入院させましょう。熱発者というだけで会社や学校から追い出すのはやめましょう。どうせ正確な感染者数は分からないので、熱発者にやたらと新型コロナのPCR検査させるのもやめましょう。お店に入るたびに体温を測ることも、やめましょう。医療従事者には標準予防措置策(スタンダードプリコーション)を心がけてもらうだけにしましょう。「無症状や軽症でも新型コロナになっている可能性を考えて感染予防策を徹底してください」なんて警告を発するのもやめましょう。

国内旅行の制限は完全にやめましょう。海外旅行でさえ、相手国から拒否されていない限り、日本からの渡航は完全に解禁しましょう。日本への入国だけは、さすがに自由にできませんが、日本以上に感染が抑えられている国、たとえば中国や台湾や韓国などからは入国自由にしましょう。こういった国からの入国者は体温検査すら、不要とします。それ以外の国からの入国者には、体温検査はします。体温が正常で、自覚症状なければ、PCR検査なしで、後は原則、自由に旅行できる、とします。体温検査でひっかかったり、自覚症状があったりすれば、できるだけ早く空港内でPCR検査を実施して、陽性だったら14日間隔離して、場合によっては入院させますが、陰性と判明したら、自由行動とします。現在は、コロナ感染国から日本へ入る場合、日本人であっても、全例PCR検査したあげく、陰性であっても問答無用で14日間隔離しています。そんなバカな政策は今すぐ止めましょう。以上のような開国政策を実行すれば、go toキャンペーンで税金をばらまかなくても、旅行に飢えた世界中の金持ちたちが日本に殺到してくれるでしょう。

もちろん、こうなれば、院内感染は蔓延します。ただの転倒骨折だったのに、入院したせいで新型コロナに感染して亡くなった、なんて人は出てきます。しかし、それは大抵、70才以上の高齢者です。もし毎年42万人が亡くなったとしても(42万の日本人が新型コロナで亡くなる可能性は事実上ゼロだった、と42万人という数値をあげた学者ですら既に言っているようですが、あえてこの数値を使います)、もし上記のように50才未満の死亡者の割合が1%なら4200人です。かりに倍の2%になったとしても8400人です。日本の年間自殺者数は、近年少なくなっていますが、それでも50才未満で8400人以上います。50才未満の自殺者数が毎年1万人いても、多くの日本人はなにもしていなかったのに、新型コロナの死者が数千人程度、50才未満に限れば数十人に過ぎないのに、ここまで日本社会全体を委縮させる理由は、どこにあるのでしょうか。

なお、新型コロナ蔓延で人工呼吸器が足りなくなる問題については、既に「命の選別は間違っているのか」以下の記事に書いています。

新型コロナウイルスで亡くなった日本の小児はゼロである」の記事に続きます。

持続化給付金批判

既に借金だらけの日本にもかかわらず、コロナ禍でばら撒き政策が大盤振る舞いになっています。とりわけ、批判を浴びているのはgo toキャンペーンです。「Go toキャンペーンは税金のばら撒きだけでなく、コロナもばら撒きしている」「コロナ感染対策を訴える一方で、観光産業と外食産業を応援するなど、アクセルとブレーキを同時に踏むようなもの」と批判ばかりされています。確かに、制度設計の杜撰さはひどすぎます。「どんなに急いでいたとしても、先進国の日本で、どうやったらここまで穴だらけの政策になったんだ」と私も何度も思いました。特に事務委託費の異常な高さは嘆息する他ありませんでした。本来ならゼロにすべきものを、ここまで高額にしてしまうのは、官民の癒着もありますが、日本社会のIT化の遅れのせいなのですが、それに気づいている日本人はどれくらいいるでしょうか。

ただし、今回注目したいのはgo toキャンペーンではありません。その批判は他の人がしてくれているからです。税金として無駄になった額からすれば、go toキャンペーンよりも3倍以上注目されるべきなのに、go toキャンペーンの3分の1以下しか注目されていない問題です。

持続化給付金です。Go toキャンペーンの総予算が1兆6794億円ですが、持続化給付金の予算は既に5.3兆円です。持続化給付金は、「コロナ禍で、いずれかの月に収入が前年比で半減以上」に落ち込んでいれば、中小企業で200万円、個人事業主で100万円も受け取れます。

今朝の朝日新聞によると、中小企業庁が把握する日本の中小企業と個人事業主の数は358万、農林水産省が把握する中小企業と個人事業主の数は約130万、合計490万程度のはずなのに、11月23日時点で380万件も給付しています。東京商工リサーチのアンケートによると、収入半減以下になった中小企業の割合は、最も高かった5月ですら、20%だったにもかかわらず、です。

不正受給が横行していることは間違いないでしょう。その不正は徹底して追及すべきです。そのためにこそ、莫大な事務委託費を使ってほしいです。しかし、問題は不正受給だけではないようです。

今朝の朝日新聞には、不正受給が横行していることを考慮しても、この給付件数は高すぎると書かれています。つまり、日本にある中小企業数と個人事業主の総数を、日本政府が把握できていないからこそ、こんなにも給付数が増えている、と朝日新聞は推定しています。無駄な事務処理を国民に要求している世界でも有数な国家のくせに、日本政府は日本の全体像を正しく把握できていないのです。だから、持続化給付金の予算が3度も増額されているのです。正しい統計がないのなら、正しい政策など打てるはずがありません。

以前の記事にも書きましたが、ある組織の統計の質は、その組織全体の質を左右します。1980年代、なにごとにも緻密な日本は統計先進国だったかもしれませんが、現在、日本は統計後進国になっているでしょう。西洋の先進国にもだいたい抜かれているでしょうし、中国、韓国、シンガポールなどのアジアの先進国相手だと周回遅れになっているはずです。

朝日新聞も「ハンコだけ廃止しても、中身を変えなければ、事務処理は軽減しない。これではハンコ業界イジメになってしまう」などとハンコ業界の太鼓持ちみたいな記事を書かずに、「ハンコ廃止は当然徹底して、さらにネットで全ての公的事務処理ができるように改革を進めるべきである」と改革派新聞らしい意見を主張してほしいです。

以前から私が提案している全ての金銭取引の原則ネット公開さえ実行すれば、上記の問題も全て解決するのですが、そのメリットを多くの日本人が理解する日は、私が生きているうちに来るのでしょうか。

カンボジアPKOの最大の失敗

前回までの記事に書いたように、カンボジアPKO文民警察派遣は、失敗だらけでした。これは日本人文民警察官に限らず、どこの国の文民警察官も、まともに活躍できていません。目の前で殺人事件が起きても、文民警察官は見ているだけ、という体たらくで、治安維持など全くできていませんでした。

なぜ3500名もの文民警察官が、現行犯の殺人事件でも傍観者になったかといえば、当初は逮捕権も明確になかったからです。だから、UNTACの明石代表が文民警察官に逮捕・抑留権、事件捜査権を正式に持たせました。しかし、日本政府は「逮捕権の行使にかかわることはPKO協力法案に反する」と日本人文民警察官に逮捕権の行使を認めませんでした。なぜ日本の文民警察官がカンボジアで国連の権限で逮捕権を行使することが、PKO協力法案に「あきらかな違反」なのか、私にはよく分かりません。日本人文民警察官は結局、カンボジアで逮捕権を行使することがなかったせいか、明石による文民警察官の逮捕権行使の許可が治安維持にどの程度有効だったかについては「告白」(旗手啓介著、講談社)で一切触れられていません。

そういったことも含めて、カンボジアPKOの最大の失敗は、検証不足です。

なぜカンボジアPKOの警察派遣は失敗したのか」で、その原因は事前準備不足と書きました。ほとんどの警察官はカンボジアPKOの基礎知識を持っておらず、隊長の山崎からして「カンボジアの平和構築が最大の目標」という認識が薄かったのです。

それくらい、日本は外交音痴だったということでしょう。とはいえ、日本政府がPKOに参加することは始めてで、紛争地での警察活動のイメージも全くなかったので、仕方なかったのかもしれません。

だからこそ、事後検証して、次回に活かすべきでした。次回のPKOでは、事前研修を十分にして、現地の状況やPKOの基礎知識を教えて、最大の目標を全員で共有して、参加するべきでした。それだけでなく、PKO文民警察のシステムについても改善点を要求すべきでした。

しかし、カンボジアPKOで、組織として検証し、公表されているものは、なんと日本に一つもありません。スウェーデンでもオランダでも、カンボジアPKOに関する一定の検証がなされ、当たり前のように報告書が公表されています。スウェーデンは238ページ、オランダでは300ページです。

スウェーデンの報告書によると、「文民警察官の役割が不明確」「カンボジアの構造的な国家機能の空白状態」「UNTACの事前の計画や準備不足」が理由で、文民警察官派遣はおおむね失敗だったと総括しています。

「告白」が放送された2016年、イギリスがイラク戦争参戦に関する検証報告書を公表しています。7年かけて15万点の機密文書を含む政府文書を分析し、政治家や軍人や外交官ら150人を聴取して作成した報告書は6000ページに及びます。そこでは「大量破壊兵器保有しているという欠陥のある情報と評価に基づいてイラク政策は作られた」「イラク武装解除の平和的方策を尽くす前に侵攻に参加した」と厳しく指摘しているそうです。

同じくイラク自衛隊を派遣した日本の外務省の報告書は、なんと4ページです。「大量兵器がなかった事実は厳粛に受け止める」という内容だけです。「そのまま公開した場合には各国との信頼関係を損なう恐れがあるから」という理由で、ほとんど公表されなかったのです。上記のイギリスのイラク報告書が出された2016年、日本政府としてイラク戦争についての再検証は行わないのか、と聞かれた安倍政権は「当時の日本政府の判断は、今日振り返っても妥当性を失うものではない」と言って、再検証を行わないことを決めてしまいます。

このブログで何度も嘆いていることですが、日本は検証を行わない国です。だから、外交でいつも敗者になっています。

カンボジアPKO文民警察派遣は失敗でした。だからこそ、検証して、次は成功するように考えるべきでした。しかし、「失敗したから、(警察官の海外派遣は)もうやめよう」になってしまいました。失敗したことはあれこれ考えたくないのかもしれませんが、そうしてしまうと、失敗は完全に無駄になります。たとえ、警察官の海外派遣をやめるべきとの結論になったとしても、検証は不可欠です。ろくに検証せずに失敗の一言で終わらせてしまっては、なんの教訓も得られません。実際、私のような一介の民間人が「告白」を読んだだけでも、これくらいの教訓は書けます。

私よりも遥かに知性に優れる官僚たちが、「告白」よりも遥かに多くの正しい情報を得られるのなら、この一連の記事より遥かに質の高い教訓を導いて、今後の日本の外交に活かせた、あるいは活かせるはずです。

なぜカンボジアPKOの日本人文民警察官は職場放棄したのか

前回までの記事の続きです。

1993年4月8日、UNTACのボランティアの日本人、中田厚仁が殺害されます。大阪大学法学部卒業で外資コンサルタント会社に就職が決まっていたエリートで、1年間の休職を願い出て、カンボジアで国連ボランティアとして働いている中での襲撃事件でした。わずか25才です。中田は、カンボジアPKOの日本人文民警察官の多くと顔見知りになっていました。残念ながら、事件から27年たった現在も、真相は藪の中で、犯人も捕まっていません。

「告白」(旗手啓介著、講談社)では、警察官の高田の死については、真相を徹底的に追及していますが、同じ時期にカンボジアで亡くなった中田の死についての真相追及は全くしていません。

さらに4月14日、文民警察官の平林が車の運転中に襲撃され、こめかみと背中に自動小銃を突き付けられる事件が発生します。幸いにも、財布や車を奪われただけで、平林は無事でした。この平林襲撃事件の後から、隊長の山崎は日本人文民警察官の撤収をカンボジアの警察官たちに明言し始めます。

4月16日に山崎が仲間の警察官たちに出した連絡です。

カンボジア総選挙に向けて治安状況が悪化していくならば、カンボジアの国民が平和を望まない以上、自らを危険にさらしてまで日本人文民警察官が国連の理想にお付き合いする必要性はないと思っています」

私はこれを読んで、「こんな考え方の奴は絶対に国連に送るべきではなかった」と強く思いました。「カンボジア国民が平和を望まない」とは、カンボジア国民同士が殺し合いをして、あるいは内戦をして、助けようとするUNTACの連中まで殺害している現状を指しています。

当時のカンボジアが平和でなかったのは間違いなく事実ですし、停戦合意も守られていなかったのも事実です。しかし、だからこそ、カンボジアに平和を構築しようと世界各国が協力して助けていたのです。ポル・ポト派など一部のカンボジア人が停戦合意をしていないからといって、カンボジア人全体として平和を望まないわけがありません。いえ、極論すれば、ポル・ポト派の兵士だって、カンボジアの平和を望んでいたはずです。

隊長の山崎が言ったせいかもしれませんが、「カンボジア人が平和を望んでいない」という表現は、「告白」の警察官に散見されます。一体、彼らはどういう社会観を持っているのでしょうか。大多数のカンボジア人が平和を望んでいないと本気で考えていたのでしょうか。

重要な視点なのでまた書きますが、カンボジアPKOの最大の目的は、カンボジアでの平和の構築です。そのためにUNTAC管理下で、カンボジアで民主選挙を実施します。この最大の目的を、あろうことか、山崎はほとんど忘れています。「告白」を読む限り、山崎は日本の警察の名誉のために、カンボジアPKOを引き受けています。次に考えているのは、日本国家としての名誉です。カンボジアの平和の構築という、本来PKOの全員が共有していなければいけない最大の目標は、山崎にとって、二の次、三の次だったようです。

そんな目的意識だからこそ、「俺たちはなんのためにカンボジアにいるんだ」とか「文民警察の役割とはなんなのか」という小さい問題で混乱してしまうのです。

「告白」を読んでいて、私が日本人として一番情けなかったのは、最初から最後までカンボジア人に対する差別が満ち溢れていることです。どう読んでも、カンボジア人の命を軽視しています。日本人文民警察官は全員、間違いなく著者も、カンボジア人の命と日本人の命を同等と見ていません。

私も発展途上国には何度も行っているので、そういった視点になってしまう気持ちは、理解できなくはありません。しかし、事件直後の感情的な文章ならともかく、23年後の出版物で、ここまであからさまに書くのは、道徳的に許されないでしょう。もし自分がカンボジア人で、ここまでカンボジア人を見下した本を読んだらどう感じるか、考えられなかったのでしょうか。

山崎は国際社会で貢献できるような社会観を持っておらず、他の文民警察官も持っておらず、もちろん「告白」の著者も持っておらず、カンボジア人差別に気づかなかった読者も持っていないのでしょう。こんな社会観、国際感覚だから、未だに日本はその経済力に対して低い国際貢献しかできないのではないでしょうか。

4月19日、山崎はその日の記者会見で「7月13日の任務満了を待たずに帰国する事態も想定している」と発表する、と日本の警察庁に連絡します。警察庁からは「撤収という言葉を記者会見で使うことは絶対に許可しない」と命令が来て、山崎もその命令に従います。

4月29日に、ある警察官が「自分たちの1割が死んだら、隊長として残り全員で帰国の決定をしなければなりませんね」と酒の勢いで口にすると、山崎は「同僚の死を簡単に口にするな!」と激昂して、どんぶりを投げつけ、顔にケガをさせたそうです。この期に及んでも、山崎は日本人警察官の死の可能性を考えることすら忌避していました。「カンボジアの現状なら、日本人警察官に一人や二人の死傷者が出ることは覚悟しておかないといけない」あるいは「他の国の警察官も死傷者が出ているのに、日本人警察官が少し死んだくらいで、全員が撤収したら、日本の不名誉になる。なにより、カンボジア国民のためにならない。『日本人警察官1割くらいの死でもUNTACが撤収を決めない限り、カンボジアの平和のために仕事をやり抜こう』とここは言うべきだろう」とは考えられなかったようです。

山崎がここまで平常心を失くしていたのは、前回の記事に書いたように、閑職に追いやられて、ろくに情報も得られなくなっていたことも理由です。プライドの高い日本のキャリア警察官が「国の命令で逮捕できないんだ」と言って、他国の警察官から呆れられ、左遷されて、まともな仕事を回されなくなっていたのです。しかし、日本警察全体の名誉がかかるこんな状況であれば、くだらないプライドを捨てて、「日本政府もバカだなあ」と思うくらいの強かさを持つべきでした。

5月4日、山崎がなによりも恐れていた事件が起きます。日本人文民警察官を含む一団がポル・ポト派と思われる集団に襲撃され、日本人警察官の高田が死亡したのです。

これで正気を完全に失った山崎は、日本人文民警察官全員に「帰国する。これは隊長命令である」と伝えます。日本人文民警察官のほとんどは「今更、敵前逃亡できるわけがない」と思っていたので、困惑したそうです。

ほぼ同じころ、高田の死の情報を確認した日本の宮沢総理大臣は記者団に対して、「停戦合意は崩れておらず、撤退はしない」と明言していました。

高田死亡の翌日、山崎は高田の遺体とともに遺族の待つバンコクに向かいます。その夜、カンボジア文民警察全体のリーダーであるルースが、駐カンボジア日本大使の今川に次のように猛抗議していました。

「山崎が勝手に無許可でバンコクへ行ってしまった。さらに、日本人文民警察官が職務放棄して、プノンペンに集結しようとしていることは、UNTACとして大変重大な事案である」

上記のように、山崎は撤収指示を出していたので、プノンペン近辺の州で任務についていた日本人文民警察官は、プノンペンの山崎のオフィスに集まっていました。それを見た他国の文民警察官は「日本人は同僚の死でパニックに陥った」と思ったのです。

5月6日、高田と同じ班であり、襲撃を生き延びた6名はUNTACと日本政府に許可をとって、なんとか国境を越えて、タイに逃れていました。しかし、高田の班を統括する立場の新任の文民警官(日本人ではない)が「私は許可していない。職場離脱だ」とUNTAC本部に報告したため、6名は逃亡者の烙印を押されてしまいます。その6名のリーダーである川野邊は、日本の総理府事務局の次長から、プノンペンに行って、文民警察本部長のルースに謝罪するように命令されますが、断固拒否します。川野邊は次のような暴言を吐いたそうです。

「あいつはルースではなく、『ルーズ』だ! 記者団の前で、これまでの私たちの置かれた惨状と私たちの報告や要請を放置してきたUNTACの文民警察本部の実態を逆に告発するので、そのつもりでいてほしい」

「私たちがとった行動は、すべて日本政府の許可をとっている。謝罪するなら日本政府がすべきである。それを私に押し付けるなら、私たちは本当の逃亡者になる」

「明日は、UN車両をホテルに預けずに、300キロ逃走して、バンコク日本大使館の中に乗り入れる。そして記者団に、日本政府の指示でやったと発表する。これなら、車両を強奪して、立派な逃亡者だ。そして日本政府は共同正犯になる」

「大使館の施設内は日本国である。この中にUN車両を乗り入れたら、どうなるかお分かりと思う。入れまいと阻止したら、もっと大きな問題になる」

「これは脅しではない。私が、これから本気でする行動の告知である」

「もうこれ以上、あんたの声は聴きたくない。二度と私に電話をかけないでくれ」

川野邊は後に手術が必要なほどの銃創を受けており、丸三日間、ろくに寝ていませんでした。実際に発した言葉は、もっと乱暴で、汚かったそうです。

その後、タイの日本大使館の書記官から川野邊に「事態は好転した。なにも心配しないで、大使館に来てくれ。ただし、UN車両だけは、そこに置いてきてくれ」との連絡があり、川野邊はその通りにします。

しかし、UNTACの文民警察本部は、川野邊たち6名を逃亡者と見なしたままでした。ルースは山崎に「日本の警察は職場放棄した。これが日本の警察か? 今回の一連の日本文民警察および日本政府の動きは、初めての日本警察のPKO参加の意義を台無しにした」とまで言います。

もっとも、この事件の直前には、イタリア、アルジェリアハンガリー文民警察官が職場放棄してプノンペンまで来て、文民警察本部長のルースに直訴する事件も起きていました。一部は任地に戻りましたが、帰任しなかった警察官は帰国処分となっています。

UNTACは川野邊班の日本人文民警察官に、健康に問題がなければ、再び同じ任地に戻れ、と強く要求してきました。一方、これ以上の犠牲者の出せない日本政府は、帰任を頑として認めません。プノンペンに戻った川野邊班の「健康な」4人は、日本の自衛隊の医師に「事件のショックにより抑うつ状態にあり、40日間の休養が必要」との診断を受けます。ルースは日本人同士の談合の結果だと判断して、ドイツ軍の野戦病院で診察を受けるように指示します。しかし、言葉の障壁が大きかったので、ドイツの医師は自衛隊医師の診断を追認する形となります。職場放棄など、あいつぐ文民警察官の反乱をもてあましていたルースは、この診断を受けて、川野邊班の4名を帰国処分、つまりクビにします。

バンコクの病院で治療を受けていた川野邊たち2人もプノンペンの川野邊班の4人と同じ便で日本に戻り、関東管区警察学校学生寮に隔離されます。カンボジア文民警察官全員が帰国する7月まで、そこから出られず、外部との接触も禁止されていました。川野邊のような人物がマスコミに余計なことを話さないようにするためです。

この記事のタイトルである「なぜカンボジアPKOの日本人文民警察官は職場放棄したのか」についてですが、その答えは「告白」を読むだけでは分かりません。というより、「告白」を読むだけだと、「日本人文民警察官は職場放棄などしていない。UNTACの文民警察本部が勘違いしていただけ」になります。しかし、もし本当に勘違いなら、隊長の山崎や日本政府は強硬に訂正していたはずですが、そんなことは書かれていません。なお、「告白」が徹頭徹尾、日本人文民警察官寄りであることは間違いありません。

カンボジアPKOの最大の失敗」に続きます。

カンボジアPKOの文民警察の実態

前回までの記事の続きです。

カンボジアPKOの75名の日本人文民警察官は、カンボジアPKOの基礎知識もないまま現地に到着したので、「文民警察官とは何なのか」という疑問に誰もが突き当たることになりました。「現地警察への助言・指導・監視」が公的な目的ですが、それはお題目に過ぎません。「告白」(旗手啓介著、講談社)によると、一部の文民警察官はそのお題目にない仕事をさせられることに怒りを感じています。その代表者が他ならぬ隊長の山崎でした。

カンボジアPKOの一番の目的は、カンボジアに平和をもたらすことであり、カンボジア人だけの力でその達成が難しいからこそ、世界各国の軍人や民間人が来ている、という大前提を日本人文民警察官はあまり認識していなかったようです。

カンボジアPKO文民警察官の実際の主な任務は、選挙のための有権者登録の支援業務でした。国連ボランティアに付き添って、武器を持たずに警護しながら各地の村や町に赴き、住民たちに「選挙とは何なのか」のビデオを見せたり、有権者登録用の個人カードを作るために顔写真を撮影したりするなど、そうした業務を支援する役割でした。

そもそも「現地警察」といっても名ばかりで、プノンペン政府とそれに対抗する三派が、それぞれが軍とは異なる警察組織を有して、その警察組織同士が反目しあっていました。当然、現地住民もそんな警察たちを信用していません。

大阪府警文民警察官は以下のような現地警察官の姿を目撃したと記録に残しています。

カンボジア人の警察官のほとんどは昼間から酒を飲む。密輸容疑のある女性が酔っ払った警察官に声をかけられると、その女性は相手にしないで通り過ぎようとする。すると、警察官は無視されたことに腹を立ててブローニングの自動式拳銃を取り出して、いきなり撃って、射殺する。

ある警察官は密輸などしているはずのない女性に声をかけた。クメール語で、一発やらせろ、と言ったのだと思うけれど、彼をバカにした若い女は無視して通り過ぎようとした。すると、その警察官は背後から拳銃を発射した。若い女はお尻を撃たれ、ズボンを真っ赤にして必死で逃げていった。

これでは誰も現地の警察官を信用しないし、疎ましく思うだけである」

カンボジアPKO文民警察官は32か国から3500人が集まっていました。しかし、100名以上派遣した14ヶ国のうち先進国は旧宗主国のフランスだけで、それ以外の13ヶ国は発展途上国でした。発展途上国が多くの警察官を派遣した理由は、国連から支給される1日あたり1人145アメリカドルの外貨を獲得できるからです。

日本人文民警察官隊長の山崎は発展途上国の警察官のモラルの低さを次のように嘆いています。

「勤務時間中行方不明になってしまい、どこに行ったか全く分からない者、明らかに遊んでいる者。無線にしても、毎日のように犬、猫、鶏の鳴き声をまねて、仕事の連絡の邪魔をしているバカ者もいる」

UNTACの明石代表と日本人文民警察官隊長の山崎は11月18日にプノンペンで一緒に中華料理を食べています。明石は山崎に次のような苦言を呈します。

PKOの他の6部門から文民警察部門への批判が強まっている。自分のなすべきことをしていなくて、何事に対しても消極的すぎるというものだ」

こんな批判が来るのは当然だと私は思います。上記のカンボジア警察の横暴を目撃していた、との大阪府警の証言を読んでいた時、こう思わなかったでしょうか。

「そんな違法行為が現行犯で行われているのに、なぜ止めないのか」

現地警察の犯罪行為を止めないだけでなく、国連の文民警察官は一般人の犯罪行為もただ見ているだけです。カンボジアでは「各家にAK47やロケットランチャーがあり、夫婦喧嘩も銃で撃ちあいしたりする状況」なので、犯罪行為なんて嫌でも目に入ります。警察官でなくても、そんな非情な行為を目の前にしたら、止めようとするのに、PKOに来るような「ベストオブベスト」の警察官が止めないのです。ありえません。

明石の批判に対して、「現場を知らない奴がなにを言っているのか」と言わんばかりに山崎は反論します。

文民警察官には強制捜査の権限を与えられていない。全てを任意で処理しなければならないので、現場ではどこまで自分がやるべきかの判断がつきにくい。クメール語という言葉のハンデもある」

すかさず明石が反論します。

カンボジアには現在政府がない状態なので、それを代行しているのがUNTACだ。だから、文民警察官の本部長(オランダ人のルース)が強制捜査に必要な令状を発する権限を持っているはずだ」

これを聞いて、「なるほど。そうすれば、強制捜査できるのか」と山崎は考えません。むしろ日本人文民警察官の仕事は「現地警察への助言・指導・監視」に過ぎない、とのお題目にこだわり、強制捜査が現実的でない理由を述べます。

「捜査における人権に関する考え方が必ずしも他国と統一されたものではないことと、文民警察の本部長が令状を発する権限を持つなら、権力のバランス&チェックで疑問があると考えます」

山崎のこの発言に、明石は「そうかなあ」と怪訝な表情になったそうです。この会食の1週間後に、国連の文民警察官がカンボジアの治安維持に責任を負うことはできない理由を、山崎は次のように手紙にしたためて、明石に送っています。

文民警察官は3500人しかいない。北海道の2倍の国土、大阪と同じ800万の人口を有するカンボジアの治安に直接責任を負うには、明らかにマンパワーが足りない。北海警察は1万数千人、大阪府警は2万人を有している。そもそも、カンボジアの治安維持に文民警察が責任を負うことは、われわれが聞いている職務と大きく異なる」

これに対する明石の反論は載っていませんが、もし私が明石なら、こう反論していたでしょう。

「なにも日本レベルの治安維持など望んでいない。そんなことが今のカンボジアで不可能なことは誰でも知っている。私が嘆いているのは、国連の文民警察官の目前で人が撃たれても見逃されている現状である。そんな現状なら、カンボジア人は国連の文民警察官を信用しないし、国連の他の部署の者たちだって信用しない」

明石が言及した文民警察官の逮捕・勾留権は、1993年2月頃に正式に実現します。これで日本人文民警察官は正々堂々と現行犯で逮捕できるようになったかといえば、そうではありません。山崎が日本政府に判断を仰ぐと、「日本文民警察官が直接・間接に逮捕権の行使にかかわることは、PKO協力法上、不可能である」との回答をしてきたからです。

日本政府の言う通りにすれば、当然、UNTACと齟齬が生じます。山崎はドイツ人の文民警察官参謀長から直接次のように伝えられました。

「事前に日本政府に渡してあるガイドラインに『文民警察官はUNTAC内部の指示命令に従うこと。これに反する自国、あるいは第三者の指示・命令には従ってはならない』と明記されている。もし貴官(山崎)が日本の文民警察官に、日本政府の見解を伝達、指示しているなら、即座に撤回しなければならない。もしも日本政府が憲法であれ国内法であれ、逮捕権の行使を文民警察官に認めていないならば、ニューヨークの国連本部で早急に調整する必要があるだろう」

これがUNTACからの事実上の最後通告だったようです。日本の文民警察官は国連の組織に入った以上、日本政府の指示や命令よりも、国連の命令が優先される国際社会の規則を突き付けられたのです。

山崎としては、国内法に抵触しないように、どうやったら現場で逮捕権を行使できるかを日本政府に考えてほしかったようですが、日本政府は「ダメです」の一点張りでした。だったら、日本の文民警察官はカンボジアから去ればいい、と山崎は考えましたが、それも許されません。

山崎は逮捕権行使の中核となるタスクフォースのリーダーだったのですが、山崎が逮捕権の行使についてゴネるので、リーダーの職をはずされ、副隊長とともに閑職に追いやられます。山崎は「『窓際族』になりました。新しいオフィスに電話はありません! いつ設置されるかも分かりません」と日本人文民警察官たちに手紙で愚痴っています。

これで日本人文民警察官隊長の山崎と副隊長は逮捕権を行使する職務から逃れましたが、他の73名は逮捕権を行使する職務に従事する可能性があるので、なんの解決にもなっていません。山崎は「ばれないようにやってくれ」と日本人文民警察官に言ったそうです。

山崎に言われるまでもなく、AK47を自腹で買って、PKO協力法案に違反した日本人文民警察官はいたことが「告白」には書かれています。ただし、ばれないでやってくれたようで、国会で非難されることはありませんでした。

今回のコロナ騒動でもそうですが、前例のない緊急事態には、上の命令通りにやっていたら、現場はうまく回らなくなりがちです。その時に、上の命令をうまくかわして、融通を利かすことは必要になってくるでしょう。

山崎はUNTACと日本政府の板挟みにあって、平常心をなくすほどイライラしたようです。しかし、私の正直な感想でいえば、単なる警察官ならともかく、東大法学部卒で国家公務員1種合格のキャリア警察官で、しかも日本初のPKO文民警察の隊長に選ばれたほどの逸材なら、「腰が据わらない日本政府の下だと、国連との板挟みになるだろうと思っていた。ここを上手くごまかして、すり抜けることこそ、こちらの腕の見せ所だ」と考えてほしかったです。「ばれないようにやってくれ」も投げやりな言葉としてではなく、「やっぱりこうなったよ。ばれないように、うまくやってくれよ」と笑顔で言ってもらいたかったです。

山崎は日本初のPKO文民警察官の隊長として不適格だったとしか、私には思えません。

「なぜカンボジアPKOの日本人文民警察官は職場放棄したのか」に続きます。

なぜカンボジアPKOの警察派遣は失敗したのか

カンボジアPKOの警察派遣についての本である「告白」(旗手啓介著、講談社)によると、カンボジアから帰国した74名の隊員(1名はPKO中に死亡)は1993年7月、各自で報告書を作成し、階級ごとに業務検討会を行っています。その検討会の内容を総括した8枚の非公開の内部文書の一部を紹介しています。

結論としては、事前研修と事前通知の不徹底こそが最大の失敗の要因だった、となります。

75名の日本人文民警察官のほとんどは国際経験もなく、紛争地に対する特別な訓練も積んでいない各都道府県の「お巡りさん」でした。事前研修は2回に分けて10日間でしたが、そのほとんどが制服の採寸や各保険の説明、予防接種などの事務連絡でした。実質的なカリキュラムは高尾山での健脚訓練、簡単なクメール語や英語の語学研修、現地で使用するトヨタ四輪駆動の車両訓練でした。現地の治安情勢の詳しい説明や現地で流通している武器の種類や性能、銃声がしたときの対処法、事故・負傷時の救急訓練などは一切行われていません。

一方、他国の文民警察官は軍警察や軍事訓練を受けた警察官で構成されていました。スウェーデン警察は、自国のPKOレーニングセンターで2週間にわたり、国連の文民警察専門の訓練を積んでいました。カンボジアの政治状況や治安情勢や国民性、また地雷の危険性や対処法、救急訓練がカリキュラムとして組まれていました。また、インドネシア文民警察官は3週間のジャングルでのサバイバル訓練を受けています。

また、日本政府は日本の法律に従って、文民警察官は行動するように命令していました。具体的には、「なぜカンボジアPKOで警察も派遣したのか」に書いたPKO協力法案の5原則「紛争当事者間の停戦合意の成立」があるときに活動して、それが満たされない場合は「撤収」することになっていました。しかし、現地では、本国の法律がどのように規定されていようと、国連の指示に従わざるを得ない現実があります。

参加警察官の総括では「今後は国連の指示にそえるように法律を改正するか、撤収するかは国の判断によるが、いずれにしても文民警察官が板挟みにならないように措置すべきである」となっています。文民警察を75名もの大規模でPKO派遣した例はカンボジア以後にないので、事実上、日本政府は「法律の改正」ではなく「文民警察官のPKO撤収」を選んでいます。

「告白」は非公開の総括記録の最後に、次のような多数意見を紹介しています。

「今後、PKOで派遣される場合には、死ぬかもしれない、とはっきり事前に伝えておいてほしい。本人、家族に心構えができる」

100万以上もの虐殺が起こって、20年以上もの内戦が続いていたカンボジアに治安維持のために派遣されるのに、死ぬ可能性があることも、日本人警察官たちは事前に認識していませんでした。そんな基本的な情報すら伝えていないほど、準備不足だったのです。

カンボジアPKO活動が開始したのは1992年3月です。その3ヶ月後の6月15日になんとかPKO協力法案が成立してから、ようやくカンボジアに派遣する警察官の人選を始めます。カンボジアPKOは、史上最大のPKOと呼ばれるほど大規模な国連活動です。そんな重要な任務になるのなら、PKO協力法案が成立してから人選するのではなく、それ以前から人選を始めておくべきでしょう。まして、他の国からの文民警察官はとっくの前に人選を済ませて、事前研修も終わらせて、現地で働いているのです。

6月18日にカンボジアPKOの日本人文民警察官のリーダーである警察庁山崎裕人が任命されます。後の記事にも述べるように、この山崎のカンボジア認識は、かなり甘いと言わざるを得ないのですが、「告白」では取材者に遠慮したのか、取材者を客観的にみる能力が欠けていたのか(日本のほとんどのジャーナリストはこの能力が欠けています)、その指摘は一切ありません。

山崎はPKO文民警察の隊長に任命された時、「名誉なことだ。功名心がくすぐられた」と感じたそうです。「なにかあれば銃で殺人が起こるようなカンボジアで、ろくに武器も持たない警察官が行っても、治安維持などできない。どうすればいいんだ」という考えがまず浮かばなければいけないはずなのですが、そんな発想はなかったようです。

1992年7月1日、山崎はカンボジアに外務省や防衛庁総理府の官僚たちとともに、現地調査に来ます。9ヶ月も国会で審議して、ようやく成立したPKO協力法案を無駄にするわけにはいかない政府としては、「各派間の大規模な戦闘が再開されているわけではない」(これは事実ですが、逆にいえば、小規模な戦闘はそこかしこで起こっていました)として、停戦の合意はできていると結論づけています。もっとも、日本政府調査団の15名は、治安が安定して、物資も豊富な首都プノンペンばかりを5日間視察していただけです。

警察官僚の山崎も「悲観的な材料はすでに報道で出つくしているのだから、政府が自衛隊文民警察官に積極的であるなら、それを補完する視察結果を強調すべき」と考えて、「日本警察の威信を高めることになりこそすれ、全くマイナス要因はないと考えらえる」と報告しています。後の記事に示すように、現実には、カンボジアに派遣されたことで、日本警察は威信を低めこそすれ、高めることにはなっていません。

カンボジアに派遣される文民警察官は当初、警視庁や大阪府警などの大規模府県からだけ隊員を選抜する案もあったようです。短期間に紛争地に適した人材を選ぶのなら、それが正解だったでしょう。しかし、日本警察としての初めての人的国際貢献の栄誉は、全ての都道府県が等しく分かつべき、との山崎の考えで、全ての都道府県から警察官が採用されることになりました。ここでも山崎の呑気さが目立ちます。75名の人員が決まったのは8月中旬。派遣までに2ヵ月を切っていました。

カンボジアPKOでは政府もマスコミも自衛隊ばかり注目して、文民警察官はろくに注目していませんでした。自衛隊は戦闘に巻き込まれることがないように、プノンペンに近く、なにかあったらベトナムに逃げられるタケオに駐屯するように、日本政府は何度も交渉したそうです。しかし、文民警察官の派遣先については、なんの交渉もしていません。理由の一つは、文民警察官は複数の班に分かれて、それぞれ別の派遣先で勤務することになっていたので、交渉しづらかったからでもありますが、最大の理由はやはり文民警察官への関心の低さです。

なお、山崎はUNTACの明石代表やカンボジア文民警察官のリーダーのルースから、有権者登録の開始の10月1日までには日本の文民警察が来てほしい、と強い要請を受けて、山崎自身もそれを強く政府に要求していましたが、「霞が関の論理」で2週間遅れの10月14日に現地入りします。既にカンボジアPKOが活動しはじめて8ヶ月目でした。

カンボジアPKO文民警察の実態」に続きます。

なぜカンボジアPKOで警察も派遣したのか

1992年から1993年に日本が初めて国連のPKO(平和維持活動)に参加しました。カンボジアでの民主選挙を実現するため、日本の自衛隊が派遣されたことは私もよく知っています。しかし、カンボジアでのPKOのメンバーとして、自衛隊員の他、警察官がいたことは知りませんでした。当時、私はニュースを見ていたので、一度は知っていたのかもしれませんが、忘れていました。カンボジアPKOで日本人に死者が出たこともうっすらと覚えていますが、自衛隊員だと勘違いしていました。実際は警察官であることを「告白」(旗手啓介著、講談社)を読んで、認識しました。その本を読んで、改めて日本の外交の拙さを痛感したので、この一連の記事を書きます。

カンボジアPKOは軍事部門約1万6千人、文民部門約4700人から成ります。軍事部門のうち約1200人が日本の自衛隊員です。文民部門のうち文民警察は約3500人で、そのうちの75名が日本人になります。この75名の日本人の多くは、海外勤務の経験もない各都道府県に所属する「普通」の警察官です。

PKO文民警察部門が本格的に加わったのは1989年のナミビアの約1500名からで、1992年当時、それほど歴史はありません。

日本外交のトラウマ」と「湾岸戦争のトラウマ」に書いた理由から、日本政府はカンボジアPKO派遣に徹底的にこだわりました。当然、野党や世論は猛反対し、1991年9月に提出されたPKO協力法案は1992年6月にようやく成立します。UNTAC(国連カンボジア暫定統治機構)は既に3月から活動を開始しており、各国の軍隊や警察はカンボジア入りしていました。

PKO協力法案の27の条文は、ほとんど自衛隊に関するもので、文民警察に関しては第3条第三号の「チ」と「リ」しかありませんでした。国会での議論も、ほぼ全てが自衛隊に関するもので、マスメディアも世論も警察の派遣には全く注目していません。この徹底したPKO警察官への無関心が、失敗の大きな原因の一つです。

PKO協力法案には以下の5原則がありました。

1、紛争当事者間の停戦合意の成立

2、紛争当事者の受け入れ同意

3、中立性の厳守

4、上記の原則が満たされない場合の撤収

5、武器の使用は必要最小限

1991年10月23日に、内戦を続けてきたプノンペン政府、シアヌーク派、ソン・サン派ポル・ポト派はパリ和平協定に調印し、停戦合意しています。これで1の「紛争当事者の停戦合意の成立」の条件は満たしているのですが、現実にはポル・ポト派は停戦違反を繰り返して、プノンペン政府軍との戦闘が頻発していました。つまり、1の条件が満たされていないと判断する余地ができ、そうなると4の「撤収」につながってしまいます。しかし、カンボジアの現場を放棄して、勝手に撤収などできるわけがない(国際法上もそうであるとUNTACから後に言われる)ので、これがPKO警察官のほぼ全員に「上の連中は現場を分かっていない!」との不満の声を上げさせることになります。

日本の政治家もマスコミも国民も自衛隊のことばかり考えていたのだから、警察なんてカンボジアに派遣することなかった、という考えもあるでしょう。実際、カンボジア以後に自衛隊は多くのPKOに参加していますが、警察庁は1999年に東ティモールに3名文民警察官を派遣した以外、一切警察官を派遣していません(と「告白」には書いていますが、wikipediaの「自衛隊カンボジア派遣」によると、2006年の東ティモール文民警察官は参加しているようです)。

では、なぜ日本はカンボジアPKO文民警察を派遣したのでしょうか。その根本的で重要な問題を、「告白」では、ほとんど考察していません。当時の駐カンボジア日本大使の今川の下記のような「下衆の勘繰り」を載せているだけです。

自衛隊の海外派遣は、やはり反対が大きいだろう。自衛隊だけ送るとなると、目立ちすぎる。だから、それをなんとか中和するために、丸腰で武器を持たない警察官も送ったのではないか」

「なぜカンボジアPKOの警察派遣は失敗したのか」に続きます。

男子問題の時代

「男子問題の時代?」(多賀太著、学文社)によると、西洋諸国の方が男子問題に対する人々の関心は圧倒的に高いそうです。特に学齢期の男子にみられるさまざまな問題は、深刻な社会問題として見なされてます。各国のメディアは、男子の方が恵まれない性であると言わんばかりの報道を繰り返しているそうです。

西洋諸国でも1990年代までは、ジェンダー問題といえば、女性の問題と同義でした。なぜ男子の不利益が強調されるようになったかと言えば、イギリス、ドイツ、アメリカなどの多くの西洋諸国の学力で、女子の平均が男子の平均よりも優位に高いことが判明したからです。2007年のアメリカでは、女子の大学進学率は男子よりも1.3倍も高く、ドイツで最も学力が高い中等教育機関ギムナジウムの進学者は女子の方が多く、大学進学率も女子の方が高くなっています。

また、男子は女子に比べて、特殊学級で学ぶ割合が高く、学習障害と診断される割合が高く、留年率が高く、自殺率が高く、虐待の被害者となる割合が高く、刑務所に収容される率が高く、学校生活を楽しむ度合いが低く、学校生活で失敗しやすい態度を持ちやすいことが、どこの国で調査しても共通して示されました。

これらの統計事実から、オーストラリアで2005年から2006年にかけて国家予算2000万ドルもの「男子のための成功計画」が実行されています。

1990年代半ばから、学齢期の男子が問題であるとの認識が西洋諸国で広く受け入れられているのに対して、同じ先進国の日本では、そんな問題意識は広がっていません。著者が指摘している通り、日本で問題になっている男性の問題といえば、学齢期ではなく、青年期です。

「フリーター」と「ニート」は代表的な男性青年期問題の専門用語でしょう。フリーターとニートは必ずしも男性だけを指す言葉ではないのですが、既婚女性や家事従事者は除くという定義から、男性が一家の稼ぎ手という前提のもとに社会問題化してきた側面が大きい、と社会学者が指摘しています。

また、日本だけに存在する「草食系男子」という言葉も、性関係や恋愛に対して積極的になれない「男子」の問題とされています。古今東西、恋愛や性関係に積極的になれない草食系女子は草食系男子より遥かに多くいて、現代日本の草食系女子の異常な拡大が草食系男子を社会問題化するほど生んでいると私は思うのですが、そんな発想をするのは日本で私だけかもしれません(とはいえ、恋愛に積極的でない女性が恋愛に積極的でない男性より遥かに多くいるのは簡単に統計で示せます)。

ところで、学齢期の女性優位の格差は、日本でもあります。少年鑑別所入所者に占める男子の割合は女子の8倍以上であり、不登校やひきこもりは圧倒的に男子の方が多く、19才以下の自殺者に占める男性の割合は69.3%と女子の2倍以上です。それにもかかわらず、なぜ日本では青年期の男性問題は提起されても、学齢期の男性問題は提起されないのでしょうか。

その理由は一つではありませんが、日本の大学進学率において、男性が女性をまだ上回っていることは大きいでしょう。また、青年期の自立の困難、親への依存期間の延長、特に若者の就職難については、欧米では男女問わず、1970年代から話題になっていました。だから、学校から社会へスムーズに移行できない青年期の男性問題は、1990年代には欧米社会で真新しくなく、むしろ学齢期の男性問題が注目を集めはじめたようです。日本でも欧米のように、いずれ学齢期の男性問題が注目される時代が来るのかもしれません。欧米では、学齢期の女性優位がいずれ社会全体での女性優位につながる、と恐れられているために注目されているようです。

学齢期の男性問題は注目されていませんが、成人期の男性の生きづらさは日本で盛んに語られています。内閣府の全国調査で、「現在幸せである」と回答した人の割合は、2000年から2010年までの8回全てで、女性よりも男性で低くなっています。しかし、一方で、男女の賃金水準、国会議員の比率、管理職の比率のように、他国に比べての圧倒的な男性優位もあります。「男性優位なのになぜ男性が生きづらいのか」の理由として、著者は「無理をして男性優位の社会を維持しようとしている副作用」と指摘しています。私も全く同感です。

女が貧乏な男と結婚していれば少子化など解決する」でも指摘したように、これは男性側のプライドの問題が大きいでしょう。もちろん、どんなに自分の収入が高くても男性に自分以上の収入を求めて当然と考え、弱者男性を無視してきた女性にも原因があります。

男性に生まれたからこそ、女性と恋愛をしたり、性関係を結んだり、結婚したりする機会に恵まれない「恋愛貧者」や「結婚難民」は若い世代に少なくありません。「女の方が損だ」と思っている女性全員に、男性並みの性欲を持ちながら、そんな人生に耐えられるか、質問してほしいです。特に、弱者男性を完全に無視して、女性は常に被害者という固定観念を持ち続けている(としか思えない)朝日新聞の記者には、必ず聞いてほしいです。

生活保護を現物給付にする

日本の公的医療保険と公的介護保険は、現物給付です。病気になったら、介護の必要が出てきたら、お金がもらえるのではなく、治療や介護を格安で受けられる制度です。

他の全ての社会保障も現物給付にした方が好ましいのではないでしょうか。

たとえば、収入の少ない人のための公的扶助、つまり生活保護は現在のように現金給付ではなく、次のような食事給付、住居給付に変えた方がいいように思います。

生活保護を受ける方は、そのための集団住宅で生活します。もともと一人世帯の生活保護者であれば、風呂とトイレは共同になります。集団施設内では健康的な給食を決まった時間に集団で摂ります。この集団住宅施設には給食を作るなどの介護者だけでなく「一人の取りこぼしもない社会」にも書いたような人的支援者(ソーシャルワーカー生活指導員)が常勤で働き、そこでの生活者たちの社会復帰を支援します。生活保護者の医療費や授業料や通勤通学の定期代は無料になりますが(医療費は現在でも無料です)、原則、自由に使えるお金は一切支給されません。衣服は、施設利用者が衣料品店で選んだ現物を無料で受け取り、後で衣料品店に当該衣服費が支給されるシステムになります。ただし、一人の利用者が無料で受け取れる衣服の総額は制限があります。石鹸やシャンプーや歯ブラシなどの衛生用品、各種洗剤、文房具などの消耗品は施設内の物を借りて使用します。施設にある簡単な娯楽(集団でのテレビ、カードゲーム、ボードゲーム、卓球などのスポーツ器具、たまのカラオケ)以外の全ての娯楽は制限されます。

この第一のメリットは、現在よりも生活保護者の生活費用が安くすませられることです。一人一人が別の世帯として暮らすよりも、大人数が一つの施設で暮らす方が何割も安上がりです。もちろん、こういった施設を作るために当初の費用は高くなりますが、維持費は安くなります。その分、人的支援に費用をかけられます。

第二のメリットは、生活保護者を堕落させず、健康的な生活を提供でき、社会復帰を今より遥かに促進できることでしょう。パチンコなどのギャンブルはできませんし、テレビゲームもできません。食事はジャンクフードを一切出さず、健康に配慮したものになります。今の病院食の2倍は費用をかけて、「生活保護の集団施設は健康的で多様な食事を提供する代表的な場所である」と思われる程度にはしてほしいです。就寝時間は決まっていませんが、起床時間は決まっており、特別な理由がなければ、その時間に起こされます。昼寝は原則禁止です。場合によっては、以上のようなルールを守らせる生活指導員ソーシャルワーカーの他にいた方がいいかもしれません。

以前私が提案した「子ども集団生活施設」同様に集団生活保護施設ごとに特性があるべきで、利用者はソーシャルワーカーと合意すれば、別の集団生活施設へ転居することもできます。

施設常勤のソーシャルワーカーは利用者が無為な毎日を過ごすことがないように、就職活動や作業所参加や文化的活動(図書館の利用など)を促します。ソーシャルワーカーは利用者の多種多様な相談に応じ、利用者に合わせた社会復帰の方法を一緒に考えていき、毎日の過ごし方も利用者と計画していきます。ソーシャルワーカーには大きな権限が与えられ、例えば、ソーシャルワーカーの提案した就職斡旋所に何日も行かないで悪い友だちと遊んでばかりいることが判明すれば、その利用者の外出を禁止する権限を持たせていいと思います。

ただし、これだけだと、ただでさえ息抜きが必要な利用者の自由を制限しすぎるので、以下のような一定の金額の入ったプリペイドカードはソーシャルワーカーの許可の元、利用者に持たせていいと思います。

このプリペイドカードは、クレジットカードと同様、日本のほぼ全ての場所で使えますが、使用記録が残ります。ソーシャルワーカーが社会復帰に適切と判断すれば、利用者はそのプリペイドカードでパチンコを楽しむこともできますが、パチンコのために使うとソーシャルワーカーと合意していなかったのに、利用者がパチンコをしていたら、翌月からプリペイドカードの利用を禁止されるか、利用金額を減額されます。

このような生活保護制度が確立されたら、失業給付は解消していいはずです。医療や介護同様、生活保護も現物給付が本人にとっても社会全体にとっても効果的だと考えますし、効果的にできると考えます。