未来社会の道しるべ

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日本の農業は問題も答えも分かっているのに、その答えに進めない状態が30年以上続いています

これまでの記事で指摘した日本の農業問題は、このブログを読むような人なら、それほど目新しいものではない、と推測します。「日本は零細農家が多いため、生産性が低すぎる」「日本人の食料品消費のほとんどは加工食品や外食なのに、農家はその需要に応える農作物を作っていない」などの批判は、私も何回読んだか分かりません。少なく見積もって、ウルグアイラウンドのあった30年前からは言われています。日本農業の生産性の低さはその遥か昔から分かりきっていることなので、「農地は集約すべき」「生産過剰なら減反ではなく、輸出に回すべき」と、減反政策がとられる50年前からは提言され続けていることでしょう。

それにもかかわらず、なぜ変われなかったのでしょうか。そういった問題で、必ず悪玉にあげられるのは農協(JA)です。今回の一連の記事で取り上げている「2025年日本の農業ビジネス」(21世紀政策研究所著、講談社現代新書)でも、当然のように農協は批判されています。農協批判が出てこない農業の本は、日本に存在しないのではないか、と私が思ってしまうほど、農協は腐敗しています。

農協批判については、もう書ききれないほどありますが、一つだけ上記の本から例をあげておきます。

「日本と西洋先進国の農業保護政策の違い」で書いたように、関税で農産物価格を維持するよりも、農家への補助金にした方が、農業の国際競争力や生産性は増します。日本政府もバカではないので、まだコメの食糧管理制度のある数十年前から、そんなことは分かっていました。しかし、その記事で示したように、国内生産量が消費量の50%を上回ると、農家への補助金は関税政策よりも消費者の総負担(PSE)が多くなるので、特に関税収入がなくなる政府は採用したがりません。なにより、生産額の大きいコメに莫大な農家補助金を出すべきではありません。

だから、小規模で生産性の低い兼業農家補助金は低くして、大規模で生産性の高い専業農家補助金を高くする案が、当時の大蔵省から出ていました。これにより生産性の低い農家には退場を促し、生産性の高い農家に農地を集約する目的もありました。しかし、農協からその「選別政策」を強く反対され、兼業農家が大半の農民の票をあてにする与党政治家にも、受け入れられませんでした。

農協にとって、農家補助金を受け入れられなかった最大の理由は、農家への直接補助金は、農協の販売手数料の低下に直結していたからです。

政府が農協を通じて農家からコメを買い入れていた食糧管理制度の時代、「農家が負担する生産費は全て補償する」という考え方から、肥料や農薬、農業機械といった生産資材価格は、政府が買い入れる際の価格、つまり生産者米価に満額盛り込まれていました。農協が農家に生産資材を高く売りつけるという、組合員である農家と利益相反となるような行為を働いても、農家に批判されない仕組みが、生産者米価の算定方式に制度化されていたのです。

この仕組みでは、農協が肥料などの農業資材を農家に高く販売すれば、当然米価も上がります。農協は生産資材販売と米価によって二度販売手数料を稼げます。さらに、食糧管理制度のもとで米価を高くすると、農家にとって闇市場に流す理由が薄れるため、農協を通じて政府に売り渡す量が増えます。つまり、農協のコメ販売手数料収入は価格と量の両方で増加します。直接の農家補助金では、これらの旨みが消えてしまいます。

もちろん、食糧管理制度は1995年、とうの昔に廃止されました。しかし、減反政策は2018年に名目上ようやく廃止されたものの、いまだに日本政府は備蓄米を買っていますし、適正生産量をわざわざ毎年示してくれています。なにより問題なのは、減反の代償であったはずの転作補助金はまだ続いていて、実質上減反政策が存続していることです。

しかも、最近の政策の飼料用米の転作補助金が異常に高いせいで、人間用の米から転作する農家が続出しています。コメ余りのはずの日本でコメの生産量が足りなくなる、というバカみたいな現実が今、本当に起こっています。需要のある安くて質の高い業務用米(もちろん飼料用では代用できません)は以前から不足しているにもかかわらず、です。

話を農協批判に戻します。上記のような「農水省の役人は正気か?」と疑ってしまう補助金政策が実行されるのも、農協からの要望があるから、と推測されます。主食用米の価格は維持したいので、毎年減っている主食用米の消費量に合わせて、主食用米の生産量も減らさなければなりません。しかし、トウモロコシなどの新しい農作物になると、これまでのコメ農家は作り方がよく分かりません。飼料用米なら、主食用米より生産が容易なので、楽に作れます。だから、飼料用米の補助金を増額したのでしょう。

果てしなくバカな話です。「呆れかえって物も言えない」という言葉は、こんな時のためにあるのではないでしょうか。