未来社会の道しるべ

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完全な中立などありえない

前回の記事の続きです。

このブログを読む人なら当然知っていることでしょうが、完全な中立などありません。完全な中立を定義することもできません。

だから「政治的には中立です」と断言する人は、私の価値判断からすると、見識が極めて浅いです。まるで「政治とは無関係に私は生きています」と言われたような気分になってしまいます。もちろん、その人の言う「政治」の定義が、世間一般の「政治」と異なっているのだろうとは思います。しかし、「政治と無関係に生きる」は「法律と無関係に生きる」や「他人の力を借りずに生きる」と同義になる可能性があることくらい知っておくべきだ、とは思ってしまいます。

国際的な人道支援でも、政治と無関係なはずがありません。「あやつられる難民」(米川正子著、ちくま書店)でも、政治に無関心なNGOの職員を繰り返し批判しています。政治と完全に関係ない人道支援などありえませんし、現地の政治の知識がないまま国際人道支援するなど、非効率なだけでなく、本で指摘されている通り、有害にさえなりえます。

もちろん、本にもある通り、1991年と2004年の国連総会で、人道支援は公平性、中立性、独立性、人道性の原則に従って提供すべきという決議がなされています。たとえば、国際人道支援をする側が「あなたは虐殺事件を起こした〇〇党の支持者だから援助物資を与えない」と政治差別していたら、明らかに問題です。思想信条は度外視して、まず目の前で苦しんでいる人たちを助けることが本来の人道支援です。

しかし、広い視野で考えれば、たとえ目の前で苦しんでいたとしても、援助物資を与えるべきでない人がいるのも事実です。たとえば、軍人は難民ではないとして、難民キャンプから排除され、支援物資を受けられない原則があります。軍人を援助していたら、紛争が長期化するので、当然です。しかし、現実には軍人と民間人を厳密に区別することなどできません。実際、難民キャンプが軍人の供給元になっている例は枚挙にいとまがありません。これでは、政治的に中立に行っているはずの難民キャンプへの援助が反政府勢力の援助と同義になってしまい、政治的に中立とは言えなくなってしまう矛盾が生じてしまいます。特に難民への人道支援には、こういった問題が常につきまといます。

そうなると訳が分からなくなって、「自国の問題は自国だけで解決してくれ」と国際社会から匙を投げられることも、珍しくありません。

人道支援は政治的に中立であるべきです。その原則は変わりません。しかし、なにが中立であるかを定めるのは難しく、中立であることが正しいとも限りません。そういった矛盾を考慮しながらも人道支援を続けていくためには、ただのバカになるか、極めて質の高いアウフヘーベンされた政治思考を持つしかないのでしょう。前回の記事に書いたように、国際機関で働く人に「ただのバカ」が多く、「極めて質の高いアウフヘーベンされた政治思考を持つ」者が少数いるのは、こんな理由からかもしれません。