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大乗非仏説

日本に仏教が伝わってきてから1000年間以上、仏教がブッダの教えと一致しないと日本人は夢にも思っていませんでした。もっと言えば、現在も、ほとんどの日本人はそれを知りません。

日本に伝わった大乗仏教ブッダの教えと異なるようだ、と日本人が初めて気づいたのは江戸時代のようです。それまでの日本人は、空海最澄親鸞日蓮などの著名な僧侶を含め、仏典に書かれた教えは、ブッダ本人が語ったものと信じて疑っていません。日本人は古代サンスクリット語を解さないので、中国で翻訳された漢字の仏典を勉強したのですが、原典と対照して、その違いを探して、翻訳者の意向を除去することで、原典の著者の考えを求める、という科学的手法をとることはありませんでした。仏教発祥の地のインドに行くこともできず、原典も手に入らなかったので、翻訳書が正しいと仮定するしかなかったからでもあります。

戦国時代までは寺に宗派が複数入っていたり、どの宗派か確定していなかったりした寺も少なくなかったようですが、江戸時代に寺請制度が確立されてからは、現在のように日本中のほぼ全ての寺がある特定の宗派に強制的に属することになります。

全ての日本人が特定の寺の檀家になる義務が生じたことで、僧侶の需要が増大し、ほぼ必然的に僧侶の質の低下を招いてしまいます。同時に、仏教を批判的に考える学者が現れたようで、そのうちにブッダのもともとの教えは小乗仏教上座部仏教)に近いことに気づく学者も現れます。ついには「大乗仏教ブッダの教えと大きく異なるので、仏教とは言えない」という大乗非仏説が江戸時代に現れています。

神道儒教・仏教」(森和也著、ちくま新書)によると、江戸時代に仏教を否定する根拠として、「仏教発祥地のインドはイギリスの植民地になっている」事実がよく引用されたようです。「神道儒教・仏教」の著者は「国の盛衰と、その国の宗教の優越は本来なんの関係もないはずであるが、その発想をする江戸時代の学者は一人もいなかった。『インドはイギリスに侵略されている』→『インドで生まれた仏教も否定すべきである』としか考えられなかった」と批判しています。仏教を信じることで国を守る思想、いわゆる鎮護国家思考は奈良時代からあるようです。著者の言う通り、鎮護国家が否定されたら、仏教も否定されるのは、おかしな話です。もう一つおかしいと思うのは、イギリスに侵略されていた頃のインドで仏教は信仰されておらず、ヒンドゥー教イスラム教が主に信仰されていた点です。だから、「インドは仏教をやめたからこそ、イギリスに支配されてしまった。やはり仏教は国家を守ってくれる」という見解も可能なのに、そう考える日本人はいなかったようです。

仏教がブッダの教えから乖離してしまった理由の一つは、ブッダ自身が教えを書物に残さなかったことにあります。ブッダは生きた話し言葉を重視しており、書き言葉を軽視していたようです。話し言葉の重視はキリスト教イスラム教とも共通しています。イエスムハンマドも自身の著作は残しませんでした。言葉の内容よりも外見や話し方で印象が変わる「メラビアンの法則」をそれらの教祖たちは知っていたのかもしれません。

「教養として学んでおきたい仏教」(島田裕巳著、マイナビ新書)の著者は、ブッダ現代日本の仏典のように難解な言葉を話していたのではなく、分かりやすい言葉で教えを広めていったに違いない、と推定しています。事実、新約聖書同様、パーリ経典には多くの分かりやすい例え話があります。しかし、中国ではすぐ理解できる言葉を軽視してしまう文化があったため、仏教を難解な言葉に翻訳してしまったのだろう、と島田裕巳は考えています。その意見に私も同意します。日本も中国同様、難解な言葉をありがたがる文化があるため、現在のように、仏教文化は普及しているのに、仏教をよく知らない状況になってしまったのではないでしょうか。

なお、大乗仏教ブッダの教えと異なることは事実ですが、その事実が仏教国で周知される時代は来ないでしょう。キリスト教国でキリスト教を否定する事実が周知されないことと同じです。宗教は信じることが重要で、事実がどうであるかはそれほど重視しない要素を必ず持ってしまうようです。