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ブッダと輪廻転生

日本の仏教は大乗です。大乗仏教ブッダ(ゴウタマ・シッダールタ)の教えとかなり異なっていることは間違いありません。仏教最古の経典の一つであるパーリ経典と比べると、大乗仏教の教えはおかしいところだらけです。また、パーリ経典自体も、ブッダの教えをそのまま伝えたものでは決してありません。だから、「パーリ経典にも書いてあるから、大乗仏教の〇〇の教えはブッダが説いたものである」という主張はおかしいです。少なくともパーリ経典の中ですら、矛盾があります。

おそらく最も有名な矛盾で、何千回も議論されているパーリ経典の矛盾は、「死後について私(ブッダ)は語らない」と言っているのに、ブッダが輪廻転生の話をしている点でしょう。

間違いないのは、ブッダが輪廻転生の概念を作り出したわけではなく、ブッダが生きていた時代にインドで輪廻転生の考えが一般民衆に普及していたことです。

おそらく、「ブッダが新しい死後の概念を生み出したことはない」が、「民衆が輪廻転生を信じているので、ブッダはそれを否定せずに、苦からの解脱の方法を説いた」のだと私は推測します。仏教では、現世以外にも地獄や天国などの六道(初期仏典では五道)があるようですが、そんな輪廻転生観をブッダが言い始めたことはまずないでしょう。輪廻転生は当時のインドの民衆宗教(バラモン教)に存在していただけで、ブッダが輪廻転生について深く考えることも、深く語ることもなかったと推測します。ブッダとしては解脱(涅槃)を現世の一切の苦からの解放という意味で使いたかったが、それだと輪廻転生を信じている民衆には大したご利益に思えなかったので、解脱を輪廻からの解放という意味も持たせた、と推測します。

インドで信仰されていたバラモン教を駆逐して、仏教が普及した大きな理由の一つに、輪廻の否定があった、と私は考えます。バラモン教ヒンドゥー教で、輪廻はジャーティ(カースト制)と密接に関係しています。そして、ジャーティは生まれで幸不幸が決まる非常に不公平な思考体系です。輪廻を否定すれば、ジャーティの否定にも繋がります。特に、最多の最下層の民衆にとって、輪廻の否定は幸福と直結したはずです。

輪廻の否定は、仏教と同時期に普及したジャイナ教にも共通しています。また、現代のインド仏教の教祖ともいえるアンベードカル(ガンジーと同時代にインド独立にも貢献した人物)も輪廻を否定することで、数十万人の不可触民を仏教に改宗させています。輪廻の否定がなければ、仏教がインドで普及することもなく、ひいてはアジア全体に広がることもなかったと推測します。

しかし、問題だったのは、仏教が輪廻を前提としていたことです。もしかしたらブッダは輪廻を全否定していたのかもしれませんが、少なくともパーリ経典ができる頃には、仏教は輪廻転生を前提とした教義を持っていました。輪廻転生という科学的に証明できない概念を前提としていれば、多様な教義が入ってくる余地が生まれます。大乗仏教をへて、密教になると、民衆宗教(ヒンドゥー教)の神がどんどん仏教に取り入れられてしまいます。大日如来だとか、弥勒菩薩だとかの訳の分からない神様をブッダが崇めるように言ったことは絶対にありえません。

仏教が多神教となり、密教のように教えも複雑怪奇になってくると、ヒンドゥー教と仏教の区別もつかなくなってきてしまいます。結果、仏教はヒンドゥー教に取り込まれて、上記のアンベードカルの仏教再興の時代まで、インドで何百年間も事実上消滅していました。

もし仏教が輪廻という概念を完全に払拭できていれば、インドでヒンドゥー教が仏教を取り込むこともなかったかもしれません。その場合、現在もインドは仏教、もちろん上座部仏教が主流となっていた可能性があり、中国や日本にも上座部仏教が伝わってくることにもなり、世界史は大きく変わったことでしょう。